1.眠れる竜の目覚め
 案内された二階の客間は、質素だが隅々まで掃除が行き届いており、実に居心地の良い部屋だった。急遽準備したのだろう、新しい敷布と上掛けが用意されており、小机には花まで飾ってある。
「なんか、すごく歓迎されてるな」
「嬉しいことじゃありませんか。魔術士だというだけで石もて追われるところもありますからね」
 二人が荷物を片付けている間に、エルクが手早く寝台を整えてくれる。いつもミルトアの手伝いをしているのだろう、慣れた手つきで敷布を広げながら、エルクはリファの言葉にええっと驚きの声を上げた。
「そんなことがあるんですか?」
「ええ。怪しげな術を使って村を襲う気だろうとか、呪いをかけるんだろうとか、色々言われますねえ」
 笑顔でさらりと答え、もちろんそんなことしませんよ? と茶目っ気たっぷりに付け足すリファ。穏和で人当たりの良いこの魔術士ですら、場合によっては迫害されるという事実に少なからず衝撃を覚えたエルクに、ラーンがばっさりととどめを刺す。
「そもそも、冒険者なんてならず者と変わんないもんな。歓迎される方が稀だよ」
「そんな! ならず者だなんて!」
 思わず大きな声を出してしまい、思わず赤くなって縮こまるエルクに、ありがとうございます、と微笑むリファ。
「でも、実際そういう輩も多いんですよ」
「困ってる奴らから大金を巻き上げて、何もしないでトンズラこいたり、化け物の仕業と見せかけて村を襲って娘をさらったりするような、山賊まがいの奴らだって実際いるんだぜ? もしかしたら俺達だって……」
 脅すような声音に怯みそうになったが、言葉が続かず吹き出してしまったラーンに、もう、と頬を膨らませる。
「ラーンさん! からかわないで下さいよ!」
「いや、悪いわるい。反応が素直すぎて、つい」
「おふざけが過ぎますよ、ラーン」
 窘めつつも、こちらも笑いをこらえているリファに、ますます膨れるエルクだった。
「いやいや、でも本当に、そういう奴らもいるんだから、ほいほい家に上げちゃ駄目だぞ? ちゃんと相手を観察して、ちょっとでも怪しいそぶりを見せたら即刻叩き出すんだ」
 空から降ってくるなどという、至極怪しげな登場だったことは棚に上げて、真面目に対処法を伝授するラーンに、機嫌を直して頷くエルク。
「ところで、お二人はウォルンの村からいらしたって言ってましたよね。ベルタの港から街道を進んできたんですか?」
「お、よく分かったな。そう、こっちに来る前は中央大陸にいたんだ。商船に便乗させてもらったんだけど、中央から西までって結構かかるのな! 俺、もう船酔いで死にそうだったよ」
 ベルタは西大陸東岸の港町だ。中央大陸からの船はみなベルタに着いて、そこからは草原を縫うようにして走る街道を延々と旅することになる。
「街道をこっちに進んできたってことは、レイド国に向かわれるんですか?」
 西大陸は起伏が乏しく旅にはもってこいの土地だが、大地溝によって南北に分断されているため、交通の便はあまりよろしくない。北のレイド国方面へ向かうには、まず大地溝と平行に走る街道を進み、途中で交差する街道を北上するしかないのだ。
「特に目当てがあるわけじゃないんだけどな。さっきも言ったけど、『黒き炎』の手掛かりを探して、あちこち回ってるんだ。中央大陸もだいぶ回ったけど、なかなかいい情報がなくってな」
 当てもなく彷徨っているうち、立ち寄った町の辻占い師が気になることを言ってきたのだと語るラーンに、思わず身を乗り出す。
「何て言われたんですか?」
「それがな……その婆さん、人の顔を見るなり『西じゃ!』って言うもんだから、とりあえず西大陸に来てみたわけ」
 あっけらかんと言ってのけるラーンに、エルクは思わずがくりと頭を垂れた。その後ろで黙々と荷解きをしていたリファが、やれやれとばかりに肩をすくめる。
「いきなり西大陸に行くと言われた時は、とうとう頭が沸いたかと思いましたけどね」
 見た目と口調にそぐわぬ辛辣な物言いだが、ラーンは堪えた様子もない。
「で、西大陸に来てみたら、街道沿いで土鬼が出没してるっていうじゃないか。食い扶持を稼ぐにはちょうどいいかなと思ったわけ」
「おかげで旅費の元は取れましたけどね。このまま、なんの当てもなく西大陸をうろうろするのも芸がありませんし、少し情報収集に力を入れた方がいいと思いますよ」
「そうは言ってもなあ、この草原地帯は小さな村が点在してるだけだろ? そういう噂話が集まりそうな場所ってあるか?」
 いきなり話を振られて、エルクはうーんと腕組みをした。
「そうですねえ。この街道をもう少し進んで、青嵐街道と交わるところにあるラドックの町だったら、少しは話が聞けるんじゃないかと思いますけど」
「へえ、どんな町だ? 大きいのか?」
「すみません、僕は行ったことがないので……」
 ラドックの町どころか、エルクは隣村へも行ったことがない。というよりは、生まれてこの方、この村近辺から離れたことがないといった方が正しい。
 そう話すと、ラーンは目を剥いて驚き、リファはさもありなんと頷いてみせた。
「うっそだろお?」
「ラーン。ごくまっとうな生き方をしている人は、そうそう自身の住まう地から離れることはないんですよ。我々の方が異質なんです」
 諭すようなリファの言葉に、しかしラーンは納得が行かないようだ。だってよぉ、とエルクに向き直り、おもむろに尋ねる。
「生まれてこの方って、お前いくつだよ?」
「十四ですけど……」
 おずおずと答えるエルクに、ええっと目を丸くするラーン。
「十四!? その細っこさで!? おいおい、ちゃんと食べてるのかお前っ――痛え! 何すんだリファ!!」
「思いついたままに喋る癖を治しなさいと言っているでしょう」
 相棒の頭に容赦ない一撃を加え、リファは申し訳なさそうにエルクへと頭を下げた。
「すみません。ラーンは本当に考えなしで……。バカな奴が何かほざいてるぜ、とせせら笑って下さい」
「い、いえ、そんな……しょっちゅう言われますし、気にしてませんから」
 手をパタパタと振りつつ、ひきつった笑いを張りつかせるエルク。ラーンのあけすけな物言いよりもリファの台詞の方がよほど酷いような気がするが、そこは付き合いの長さからなのか、そもそも物事を深く考えない性質だからなのか、赤毛の剣士から反論の声は上がらなかった。
「そ、それより、僕は行ったことありませんけど、村長や村の大人達は町まで出かけることがありますから、話なら聞けると思います」
 妙な方向にずれた話を強引に押し戻したところで、扉の向こうから控えめな声がかかる。
「エルク。もう休む時間ですよ」
 ミルトアの声に、まだ名残惜しそうな顔をしつつも素直に返事をして、エルクは二人へと頭を下げた。
「遅くまでごめんなさい。また明日、お話を聞かせてもらえますか?」
「もちろんですよ。こちらこそ、引き留めてしまってすみませんでした」
「また明日な!」
「はいっ!」