4.空に潜る
「よう、黒ずくめの兄さん達。俺達に何の用だい?」
 からかうような口調とは裏腹に、その眼光は白刃よりも鋭い。
 黒ずくめの集団は気圧されたように後ずさったが、一人だけその場に残った人物がいた。
 集団の中で飛び抜けて背が高く、豪華な装飾の施された帽子を被っているからよく目立つ。よく見れば纏っている黒装束も他とは違い、随分と高級な布地で作られているようだ。色合いこそ地味だが、仕立てはかなり豪奢な装いに、彫りの深い顔立ちと濃藍色の髪がよく映える。
 向けられた敵意に臆することなく、滑るような足取りでラーンの目の前までやってきた男は、おもむろに口を開いた。
「お主ら、この街道を旅してきたのなら、少々尋ねたい」
 極上の弦楽器のように張りのある声は思わず聞き入ってしまうほどだったが、どこか居声高な物言いが癇に障るのは庶民の僻みだろうか。
「そりゃあ構わないけどよ、こっちこそちょっと聞かせてくれよ。この暑いのに黒ずくめだなんて正気の沙汰とは思えねえな。ユークの坊さんだって、この時期はもっと楽な格好してるはずだぜ」
 世間一般で「黒ずくめ」の代名詞と言えば、闇と死の神ユークを崇める神官達だ。上から下まで黒一色の神官衣は辛気臭いこと甚だしいと評判だが、彼らとてこの時期に外套までは羽織らないだろう。
「第一、ユークの坊さんがこんな大人数で行脚したりしないはずだしな。あんたら、一体何者だ?」
 探るような視線と不躾な問いかけに気を悪くする様子もなく、黒衣の男は堂々と答えた。
「なに、お主らと同じ、街道を旅しているただの旅人だ」
「ただの旅人がこのくそ暑い時期にそんな恰好で街道を練り歩いたりするもんかよ!」
 一緒くたにされて思わず声を荒げるラーンに、男もどこか苦い顔で言葉を返す。
「人の趣味に口を出さないでもらおうか」
 そうは言ったものの、その装束が悪目立ちしていることは自覚しているのだろう。弁解するように言葉を紡ぐ男。
「故あって身分を明かすことは出来んが、我々はとある方からの命を受けて、近辺の調査を行っている」
「へえ……とある方ねえ」
その言い方から察するに、彼らの主は相当に身分の高い人物なのだろう。『黒き炎』とは無関係なのか、それとも邪教集団の根が上流階級まで蔓延った結果か――。その辺りを図りかねて、じっと男を見つめていると、男はこほん、と咳払いをしてようやく本題に入った。
「我々は、数日前に不思議な光が大地溝の辺りからこちらの方向に飛んできたという話を聞いて、その実態を調べている。何か心当たりがあれば教えてほしい」
 思わず顔を見合わせる二人。なるほど、彼らの正体が何にせよ、『黒ずくめの集団が謎の光を探している』という目撃証言は正しかったわけだ。問題はその先――彼らの探しているものが何か、である。
「私達はベルタの港からずっと大地溝に沿って旅をしてきましたが、残念ながらそのようなものは見ていませんね」
 ひとまず正直に答えるリファに、ラーンもそうそう、と調子を合わせた。
「大体、不思議な光ってなんだよ? 曖昧過ぎるだろ」
 同じような返答を何度も聞いてきたのだろう。男は額を軽く押さえながら口を開く。
「詳しくは分かっていない。『闇夜に輝きながら空中を移動する謎の光』としか言えん。噂でもいい、何か知っていれば教えてほしいのだが」
 多少描写が細かくなっただけで、結局のところ彼らも光の正体については把握していないようだ。そう判断して、リファはそっと首を横に振った。
「お力になれず申し訳ありません」
「いや、こちらこそ手間を取らせた」
行くぞ、と踵を返す男にリファがやんわりと待ったをかける。
「すみません、こちらも少々お尋ねしたいことがあるのですが」
 ぴたりと動きを止めた男の背中に、僅かだが剣呑な雰囲気が漂ったことに気づかないふりをして、能天気に続けるリファ。
「私達はこのまま街道を進むつもりですが、あなた方はどちらへ向かわれるのですか? 何しろ、まだ西大陸に来て間もないものですから、この辺りのことを教えていただけたら助かります」
 ゆっくりと振り返った男に、愛想よく笑いかける。そんなリファをじろじろと眺め回して、黒衣の男はふんと鼻を鳴らした。
「貴方は魔術士か。ならば一つ忠告しよう。この街道の先、レイド国の《シオンの丘》一帯を治める領主一族は大の魔術士嫌いだ。レイド国に向かうならば、そこは迂回することを強く勧める」
 妙に実感の籠った言葉を不思議に思いつつ、ありがとうございます、と礼を述べる。魔術士に対する風当たりが強い昨今、こういった情報はリファにとって実にありがたい。
「それで、あなた方は――」
「ジャディス様あああああ!」
と、突然響き渡った甲高い声に、思わず耳を塞ぐ二人。
「なんで置いていくんですかっ! 酷いじゃないですかー!!」
 騒音と共に近くの藪から転がり出てきたのは、四十を少し超えたくらいの痩せ細った男だった。多分に漏れず黒ずくめだったが、その手には節くれだった杖を持っており、黒装束も外套ではなくリファが着ている長衣に近い。
「ワタクシ言いましたよね? ちょっと休憩しましょうって言いましたよね! ずっと歩き詰めなんですから少し休んだっていいじゃないですか! それなのに、黙って置いていくなんて何たる仕打ち! ああ魔神リィームよ! 何故ワタクシにかような試練を与えたのですか――!!」
 ぎょろりとした目をカッと見開き、芝居がかった調子で天を仰ぐ男に、ラーンはおろかリファまでが呆気に取られて二の句が継げないでいる。
「……お仲間か?」
 ようやくそうとだけ尋ねると、ジャディスと呼ばれた男は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「……一応な」
「一応ってなんですかジャディス様! ワタクシは! このワタクシめは、ジャディス様の忠実なる右腕にして黒――」
「静かにせんか! 馬鹿者がっ!」
 鋭く一喝されて、しゅんと小さくなる男。ようやく口を閉じた男を横目に、ジャディスはげんなりと続ける。
「何も考えずに魔術士然とした恰好でシオンの丘辺りをふらふら歩いていただけで十年も牢屋に閉じ込められ、孤独と沈黙に耐えられなくなった結果がこうだ。やかましくて適わん」
 主人の言いように何か言いたげな魔術士だったが、一喝されたことが堪えているのかさすがに口を開こうとはしなかった。その代わりに目で『あんまりじゃないですか』と訴えているが、ジャディスはふい、と視線を逸らしてその文句を躱した。
「魔術士だってだけで牢屋行きかよ」
 あの奇矯な言動を見る限り、投獄の理由はそれだけではない気もするが、ジャディスの言葉が真実なら、魔術士らしく見えただけで有無を言わさず牢にぶち込まれたことになる。
「それほどまでに、魔術士を忌み嫌っている土地なのですか……」
 眉根を寄せるリファに、魔術士はまだ何か言いたげに主を窺っていたが、ジャディスは気づかない振りをしてこう続けた。
「前の領主はまだましだった。せいぜい土地から追い出すか、こいつのように牢に放り込む程度で済ませていたからな。今の領主はもっと手荒なことをしているそうだ」
「もっとって、どんなだよ?」
「聞かない方がいいですよ。気分が悪くなるでしょうから」
 リファの言葉に賢明だと頷いて、黒の外套をひらりとはためかせたその一瞬、腰に吊られた細身の長剣が垣間見えた。それもまた黒一色で、その徹底ぶりに驚かされる。
「さらばだ」
「ご忠告、感謝いたします」
 深々と頭を下げるリファに片手を挙げて答え、足早に歩き出すジャディス。その後を、黒ずくめの男達が無言で付き従う。その統制の取れた様子は実に不気味だったが、
「ちょっ、まっ、待ってくださいったらジャディス様あああ!!」
 再び甲高い悲鳴を上げ、倒けつ転びつ追い縋る魔術士がすべての雰囲気をぶち壊していったので、リファとラーンは唖然とした表情で、最後尾となった魔術士が茂みの向こうへ消えていくまでを見届けて、二人同時に深い息を吐いた。
「……どう思います?」
「どうもこうも、怪しいに決まってんだろ」
 高貴な方の密命を受けた調査団にしては悪目立ちが過ぎるし、何よりジャディスが先程、一瞬だけ過らせた剣呑な雰囲気が、彼がただの貴族のお坊ちゃまではないことを如実に物語っている。
「あのジャディスって男、かなりの腕だぞ」
洗練された身のこなしは、礼儀作法や舞踏で磨かれたものではない。実戦経験で培われた戦士の動きだ。ラーンがわざと放った敵意を平然と受け流して喋っていた辺り、後ろに控えていた男達との格の差は段違いだ。腰の長剣はお飾りではないということか。
「ラーンがそう言うなら、確かでしょう。さて……結局、どこへ向かうかは教えてくれませんでしたし、調べなければならないことが増えましたね」
 彼らの正体と目的、そして彼らに探索の命を下した者の正体  。更に、謎の光の正体とその行方。疑問は増える一方で、解決の糸口が見えてこない。
 と、彼方から控えめに呼びかける声が聞こえてきて、二人はばっと声の方を振り返った。
「ラーンさーん、リファさーん!」
 中州から手を振るエルクに、こちらも手を振って応える。
「エルク! もう大丈夫だ」
ラーンの言葉に安堵の表情を浮かべ、それから何か思い出したようにはっと胸を押さえたエルクは、ざぶざぶと川を渡ってくると、河原に上がるのももどかしい様子で尋ねて来た。
「あの、さっきの人達は……?」
 不安げなその表情に、わざとおどけた調子で説明してみせるラーン。
「何でも、とある方の密命を受けて、この辺りを調査してるんだと。なんて言ってたっけ……そうそう、『夜に光って飛ぶ妙な光』とか言ってたな、確か」
 ジャディスが懸命に描写した解説も、ラーンにかかるとかなり身も蓋もない言葉になってしまうが、まあ間違ってはいないので訂正する必要はないだろう。
「ラドックの町で聞いた話と同じですね。じゃあやっぱり、あの人達が……?」
 おずおずと尋ねるエルクに、ラーンはどうだかなあ、と腕を組む。
「黒ずくめだってだけで、決定的な証拠が何一つないからな」
 しかも相手の背後には間違いなく身分の高い人間がついている。証拠もなく邪教集団呼ばわりをすれば、それが例え真実だとしても、権力の前に泣き寝入りをすることになりかねない。
「しばらく追いかけてみて、怪しげな動きがないか監視するしかありませんね」
 事もなげに言ってのける相棒に、お前なあ、と肩を落とすラーン。簡単に言ってくれたが、相手がこちらの存在を知っている上での尾行はかなり骨が折れる。まして素人のエルクを連れている状態では、はぐれないようにするのが精いっぱい、というのが実情だ。
 しかしリファは余裕の表情で、そう言えば、と明るく話題を切り替えた。
「エルク、中州で何を見つけたんですか?」
「あっ、そうだった! それが……」
 エルクが答える前に、『それ』は服の合わせ目からひょっこり顔を出して、大きな瞳をぱちぱちと瞬かせた。