番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし
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未来の卵 番外編

calling 〜冬枯れの森にて君を呼ぶ〜

written by seeds
 頬を撫でるような風に、ふと目を開ける。
 飛び込んできたのは薄曇の空と白い太陽。そして、穏やかな笑顔。
『アイシャ。こんなところで寝ていたら風邪を引くわよ』
 普通の人間には見えない手が、そっと頭に触れる。髪についていた草がふわり、と地面に落ちて、乾いた音を立てた。
「早かった」
 草原に寝転がったままで、アイシャと呼ばれた少女は呟いた。枯れた草の上に、彼女のまとう外套は場違いなほどに色鮮やかだ。遠い南大陸の強烈な色彩が、健康的な褐色の肌を一層引き立てている。
『そう?』
 少女の目の前に佇むのは、この寒さだというのに薄絹一枚はおっただけの、年端も行かない少女。しかしその姿は万人の目に映るものではない。
 それは、神々に創られしもの。
 神々の力を世界に行き渡らせる役目を負った、姿なきもの達。
 人々は、それを『精霊』と呼んだ。
「どうだった」
 起き上がり、尋ねてくるアイシャに、少女は大げさに肩をすくめ、ため息をつく。
『駄目。わたしの手には負えないよ。一緒に来てくれる?』
「……分かった」
 伏せ目がちに呟いて、アイシャは静かに立ち上がった。
「行こう」
 体についた枯れ草を払い落とし、スタスタと歩き出すアイシャ。彼女が歩くたびに、外套の裾を飾る金属片がしゃらしゃらと音を立てる。そんな涼やかな音色を追いかけて、少女はふわり、と宙に舞い上がった。
 ――風の乙女。アイシャがまだ故郷にいた頃から、かの精霊はアイシャと共に在った。
 数多の精霊と声を交わす事の出来るアイシャにとって、この風の乙女は特別な存在。生まれてはじめて声を交わし、そして名前を交わした精霊だ。
 名を交わした精霊は、その精霊使いの命尽きるまで、どこまでも共に歩むのだという。
『一人で大丈夫? あの二人を連れてった方がいいと思うけど』
「様子を見に行くだけなら、大丈夫」
『そう?……まあいいわ。今から呼びにいくのも時間の無駄だしね』
 苦笑交じりのため息をついて、風の乙女は空を見上げた。東の空には分厚い雲。草原を渡る風はわずかに湿り気を帯びている。
『急ぎましょ。この分だと午後からまた雨になる』
「また、洗濯出来なかった……」
 ぽつり、と呟いて、アイシャは草原を駆け抜けていった。


calling
〜冬枯れの森にて君を呼ぶ〜



 青空に、無数の洗濯物が翻っていた。
 久々の好天に、村中の庭が洗濯物で占拠されている。その牧歌的な光景が遠い故郷の風景に重なって、珍しく望郷の念に駆られていたエスタスは、背後から響いてきた声をすっかり聞き逃していた。
「――ですよ、エスタス!」
「ん? あ、なんだよカイト」
 はっと我に返り、首だけで振り返る。そこには空の洗濯籠を抱えた相棒が、呆れたような顔で突っ立っていた。
「もう、全然聞いてませんでしたね? だから、おかしいんですよ」
「はあ? 何がだよ」
 どうせ下らないことだろうと思いつつ、一応聞き返してやる。すると、彼はずり落ちた眼鏡をぐいと押し上げながらこう答えた。
「アイシャですよ、アイシャ」
 よいしょ、とエスタスの隣に座り込んで、カイトは辺りを憚るように声をひそめる。
「最近、ふらっとどこかに行く事が多くなったんですよ。しかも、なかなか帰ってこないし……これは何かありますって」
 まるで井戸端会議の乗りで言ってくる相棒に、何を今更、と肩をすくめるエスタス。
「そんなの前からだろ?」
「それはそうなんですけど……」
 彼らは冒険者と呼ばれる者達だった。剣士エスタス、神官カイト、そしてここにはいないもう一人こそが、先程から話に上がっている精霊使いのアイシャ。
 彼ら三人がルーン遺跡探索のために『最果ての村』エストに腰を落ち着けて、もう一年になる。その間、彼らは村唯一の宿屋『果てなき希望亭』に逗留し、一月の半分は遺跡に潜る生活を続けてきた。
 しかし、遺跡に潜るだけが彼らの仕事ではない。遺跡から持ち帰ってきた品々を鑑定するために近くの町へ出向くこともあるし、生活費を稼ぐためにそれぞれが働いている。例えば、エスタスはその体力と腕力を買われて力仕事を手伝ったりしているし、カイトは近隣の子供達を集めて青空教室を開いている。
 そしてアイシャはといえば、時折子守を引き受けるほかは、近辺をふらついているのが常だ。
 だから、今日も朝早くから何も言わずにどこかへ行ってしまったアイシャのことを、エスタスはいつものことだと全く気に止めなかった。せいぜい、久しぶりの天気なんだから一緒に洗濯すれば良いのに、程度にしか思っていなかったのだ。
「でも……ここんとこずっと、帰って来た時、やけに深刻な顔をしてるんですよ。あれは絶対、何かありますってば」
 その言葉に、エスタスは洗濯物のしわを伸ばしながら眉をひそめた。
「あの無表情ぶりから、よくそんな感情の推移を読み取れるな、おまえ」
 出会った時から、彼女は無口で無愛想な少女だった。遠い南大陸から来て共通語に長けていないせいもあるようだが、それに加えて仮面のように表情を崩さないため、何を考えているのかさっぱり読み取れない。
「そりゃあ、これでも二年近く一緒にいるんですから、そのくらいは分かりますよ」
 えっへん、と胸を張るカイトに、悪かったなとぼやくエスタス。いつもならここで「いかにしてアイシャの表情を読み取るか」についての講義が延々続くところだったが、カイトはそこで言葉を区切り、しゅんと肩を落としてみせた。
「何で、何も言ってくれないんでしょうね。困ってるなら相談に乗るのに」
「そうだよなあ、オレ達仲間なんだし」
 考えてみれば、今まで彼女の口から悩みや相談事を聞いた事は一度もない。仲間になって二年近く経つのに、だ。
「僕ら、そんなに信用ないんでしょうか?」
 悲しげに言うカイトに、エスタスは洗濯物を絞りながら、そうだなあ、と呟く。
「でも、あのアイシャが急に『困ったことがあるの、助けてカイト』なんて来てみろよ、それこそ一大事じゃないか」
 わざと茶化して言ってやると、カイトはアハハ、と乾いた笑い声を上げた。それでもまだ不服そうな相棒の背中を軽く叩いて立ち上がると、洗濯物をパン、と景気よく広げる。
「本当に困ってるなら、ちゃんと言ってくるさ……よし、終わり!」
 最後の洗濯物を干し終えて、籠を小脇に抱える。青空の下、裏庭一面に翻る洗濯物は眩しいくらいに白い。
「この陽気なら早く乾くな」
 満足げな彼の様子を見て、カイトもようやくいつもの笑顔を取り戻して、よいしょと立ち上がった。
「さあ、そろそろお昼ですよ。混まないうちに行きましょう!」
 厨房から漂ってくる香りに誘われるように、勝手口の扉をくぐるカイト。さっきまでの深刻な顔はどこへやら、跳ねるような足取りで食堂へ向かう相棒の姿に苦笑しつつ、エスタスは洗濯桶を抱えて歩き出した。


「奇妙な光?」
 眉をひそめるエスタスに、食事を運んできた宿屋の女将レオーナは皿を並べながら、そうなのよと頷いてみせる。
「五日位前かしら、フェージャから来た人がそんなことを言ってたの。ちょっと気になってね」
「へぇ……レオーナさん、詳しく話してもらえますか?」
 興味津々のカイトに、レオーナは勿論、と空いた席に腰を下ろした。そこで初めて少女の不在に気づいたのか、辺りを見回しながら尋ねて来る。
「あら、アイシャちゃんはどうしたの?」
「まだ戻ってこないんですよ」
 答えながら、傍らのエスタスにほらね、と囁くカイト。そう言われてみれば、昨日も一昨日も、昼飯時に姿を現さなかった気がする。
「なあに、喧嘩でもしたの?」
 からかうレオーナに、まさかと首を振る二人。
「アイシャはその、なんか用があるらしくて」
 そう言って言葉を濁すエスタス。レオーナもふうん、と相槌を打ち、それ以上の事は聞いてこなかった。
「それでレオーナさん、その奇妙な光って?」
 急かすカイトに、レオーナはそうだったわね、と本題に戻る。
「なんでもね、エストとフェージャの間にある小さな森の中で、奇妙な光を見たって人がいるらしいのよ」
「あんなところに森なんかあったっけ?」
 首を傾げるエスタス。フェージャは徒歩でも二刻ほどの距離にある小さな農村だ。カイトが教えている子供達の中には、このフェージャから通っている者もいる。村同士の交流も盛んで、エスタスも何度か力仕事を手伝いに行ったことがあった。
「ちょっと道から外れててね、村人もあまり近づかない森なんだけど、いい薬草が取れるっていうんで時々入る人がいるのよ。その人達がそれを見て、でも何か恐ろしくなって逃げてきちゃったらしいわよ」
 と、厨房からレオーナを呼ぶ子供の声が上がって、レオーナはあらいけない、と席を立った。
「まあ、もしかしたら何か、水溜りに反射した太陽光でも見たのかもしれないけどね。それじゃごゆっくり」
 そう話を締めくくり、小走りに厨房へと向かうレオーナ。その後姿を見送って、エスタスは目の前の食事へと向かった。
「お、こいつはうまそうだ」
 湯気の立ち上る深皿を取り上げて、ふと傍らを見る。
 そこには、目の前の食事などそっちのけで、たった今聞いた話に首を捻っているカイトの姿があった。また悪い癖が出たな、と呟くエスタス。まったくこの幼馴染ときたら、何かに集中すると食事どころか息をするのも忘れるくらいに没頭するから、困ったものだ。
「カイト、飯食えよ。冷めちまうぞ」
 無駄だと知りつつ言ってやると、ようやく考え事を終えたらしいカイトは顔を上げ、エスタスを見た。
「森の中で目撃された奇妙な光……気になりますね」
 やっぱり聞こえてなかったな、と内心で呟きつつ、言葉を返す。
「でも、レオーナさんだって言ってたじゃないか、水溜りか何かが光っただけかもって」
 その言葉に、カイトはずり落ちていた眼鏡をぐいと押し上げながら答えた。
「忘れたんですか? ここのところずーっと天気が悪かったんですよ」
 揚げ芋に伸びたエスタスの手がぴたりと止まる。
 そうだ。ここ半月ほど、どうにもぐずついた天気が続いて、太陽のたの字も拝めなかった。だからこそあんなに洗濯物を溜め込む羽目になったのではないか。
「となると、自然現象じゃないってことか」
「まあ、情報が少なすぎますから何とも言えませんが、調べてみる価値はありそうですね」
 やる気満々の相棒に、やれやれと溜め息をつくエスタス。
「お前、アイシャの件はいいのかよ」
 呆れ顔で言ってやると、カイトは心外だとばかりに言ってのけた。
「だって僕達、仲間でしょう? 何か悩みがあるのなら、ちゃんと相談してくれますよ」
「……」
 開いた口が塞がらないエスタスを尻目に、カイトは目の前の食事を勢いよく口に放り込んでいく。彼のことだ、食べ終わったら口も拭かずに動き出すに違いない。
(ったく……)
 ――と。
 扉に括りつけられた鐘が、カランと軽やかな音を立てる。
 続いてやってきたのは、聞き慣れた足音と金属の擦れる微かな音。
「あ、アイ――?」
 はたと口ごもるカイト。おや、と思って顔を上げれば、少女はカイト達には目もくれず、昼飯時で賑わう店の片隅へと歩いていくではないか。
「アイシャ?」
 もう一度呼びかけてみるが、彼女は振り返りもせず、スタスタと窓際の席へ向かう。
 席に着いて昼食を取っていたのは、三日ほど前にやってきた若い旅人だった。どうやら旅の剣士らしく、傍らには長剣が立てかけてあり、防寒着の合わせ目からは革鎧が覗いている。
 男は近づいてくる少女に気づいていないのか、一人黙々と食事を取り続けていた。
「あの人、東大陸から来たって言ってたか」
「ええ。何でもライラ国の『北の塔』に用事があるそうで、旅の途中で遺跡のことを聞き及んで、一目見ようと寄り道したそうですよ」
 ほお、と目を細めるエスタス。一千年の昔、この地で繁栄を極め、そして一夜のうちに謎の崩壊を遂げた魔法大国ルーン。その遺跡を探索する人間達が築き上げたのがこのエストという村だ。
 しかし、遺跡は一千年の間にすっかり探索しつくされ、現在ではその存在すら語られなくなっている。そんな"枯れた"遺跡に興味を抱く人間が他にもいたとは驚きだ。
「珍しい人もいたもんだな」
 自分のことを棚にあげて呟くエスタスに、カイトもまたうんうんと頷いてみせる。
「昨日行って来たらしいんですけど、途中で雨に遭って、入り口近くを見ただけで戻ってきたそうですよ。昨晩はその話で盛り上がりましてね……」
 二人がそんな話をしているうちに、少女の足が止まる。そこでようやく食事の手を止めた男は、不思議そうに少女を見上げた。
「何かご用ですか、お嬢さん?」
 穏やかな笑顔で尋ねる男に、アイシャはおもむろに口を開き――

「困ったことがある、の」


 連れ立って店を後にする二人の背中を呆然と見送って、ようやくエスタスは口を開いた。
「……なんだったんだ?」
「知りませんよ!」
 珍しく感情的な言葉に、おやと隣を見る。するとカイトは悔しげな顔をして、二人の出て行った扉を睨みつけていた。
「何を怒ってるんだよ」
「だって! 困ってるんなら、なんで僕達に言ってくれないんですか? なんであの旅人に相談するんですか?」
 二年もの間一緒にいる仲間よりも、数日前ふらりとやってきた旅人に相談事を持ちかけるなんて、それほどまでに自分達は頼りないのだろうか。それとも、信用されていないのだろうか。
「僕達、仲間なんでしょう?! どうして……」
「カイト」
 ぽん、と肩を叩き、エスタスは溜め息混じりに相棒を宥める。
「やめろよ、みっともない。二十歳の男がべそかいたって可愛くも何ともないぞ」
「誰がべそかいてるんですっ」
 むっとした口調で言い返して、ようやく落ち着きを取り戻したカイトは、周囲の視線に頭を掻きながら席につく。
「すみません、つい……」
「珍しいな、お前がそこまで感情的になるなんて。さてはお前、アイシャに惚れてるな?」
「馬鹿なこと言わないで下さいよ、僕は純粋に仲間としてアイシャを見てるんです! だからこそ悔しいんですよ。エスタスは何とも思わないんですか?」
 そう問われて、エスタスはうーんと腕を組んだ。
「悔しいというより……あのアイシャが人に頼るなんて、一体全体どんな困りごとなのかって、そっちの方が気になるな、オレは」
 旅の途中で知り合った、褐色の肌の精霊使い。無口で無表情、何を考えているのか今ひとつ掴めない彼女は、その精霊術で幾度も仲間の窮地を救ってきた。しかし、彼女から助けを求めてきたことは一度たりとてない。何しろ彼女は強く、そして頑固だ。
「確かにそうですね。ここ数日の行動もきっと関わりがあるんでしょう。となると……」
 怒りが収まったら、今度は好奇心がむくむくと頭をもたげてきたらしい。まったく知識神の神官って奴は、と内心ぼやきながら、エスタスはそうだな、と気のない相槌を打つ。
「ま、俺達に言わないってことは、俺達じゃ力になれないことだろ」
 だから放っておけよ、と言いかけて、突然立ち上がったカイトに驚くエスタス。
「そうか!」
「な、なんだよ……?」
「魔法ですよ!」
 ようやく合点が行った、と嬉しそうな相棒を尻目に、エスタスは首を捻る。
「魔法……? じゃあ、あの人魔術士なのか?」
 魔術士の格好には見えなかったけどな、と訝るエスタスに、カイトは人差し指を振ってみせた。
「あの剣の柄、見たでしょう?」
「ああ、でっかい宝石が嵌まってた、あれな。あれがどうしたんだよ」
「宝剣じゃあるまいし、実用の剣にあんな大きい石を嵌めることは滅多にありませんよ。恐らくはあれを象徴、つまり杖代わりに用いているんでしょう。それに『北の塔』――魔術士の塔に用があるということは、魔術と何らかの関わりをもっていることは間違いありません。だからきっと――」
 言葉途中で歩き出すカイト。そのままぶつぶつと呟きながら扉へ向かう相棒に、エスタスは嫌な予感を覚えて尋ねた。
「お、おいカイト? まさかお前……」
「追いましょう」
 振り返りもせず、きっぱりと言い放つカイト。そのまま歩みを止めることなく、ずんずんと店の外へ向かう相棒の姿に、エスタスはやれやれと肩をすくめた。
「……そう言うと思ったよ……」
 諦めきった表情で立ち上がり、エスタスはちょうど食器を下げに来たレオーナにすいません、と頭を下げる。
「うまかったです! お代はつけといてください!」
「はいはい。気をつけて行ってらっしゃい」
 まるで我が子を送り出すようなレオーナの声を背に、若き冒険者二人は慌しく店を出て行った。

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本編情報
作品名 未来の卵
作者名 seeds
掲載サイト 星明かり亭
注意事項 年齢制限なし / 性別注意事項なし / 暴力表現あり / シリーズ連載中
紹介  不祥事を起こして北大陸の僻地に飛ばされてきた神官ラウル。彼が拾った不思議な卵を巡って、数々の騒動が巻き起こる。卵の正体は、そして卵を狙う謎の集団の真意とは…?はたしてラウルは卵を無事孵すことが出来るのか?!
 のちに「伝説の卵神官」と呼ばれるラウルと卵が織り成すドタバタ辺境ファンタジー。
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