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[3]


「あれ?」
 数歩後ろを歩くカイトの声が聞こえて、エスタスはふと足を止めた。
 ゆるやかな登り道は、目的地である森へと続いている。朝早くに村を出発してすでに二刻ほど、あともう少しで森の入り口に到達するだろうというところで発せられた相棒の一言に、エスタスはいささか疲れた顔で振り返った。
「今度はなんだよ」
 さっきから、やれ雲の形がどうの、あの花は何だと、事あるごとに話しかけてきていたカイト。今回もそんなことだろうと思ったら、カイトは至極真面目な顔つきで斜め前方の茂みを指差していた。
「見て下さい、あそこ。あれって、もしかして人間じゃないですか?」
「人間?」
 じっと目を凝らしてみると、大人の腰ほどまで茂った野草の中に、確かに自然物とは明らかに異なる色彩の何かが見え隠れしていた。時折きらり、と光るのは、金属か何かだろうか。
「……みたいだな」
「行ってみましょう」
 そう言うが早いか、制止する隙も与えずに走っていくカイト。普段はのんびり屋のくせに、こういう時になると行動が早いのだからまったくタチが悪い。こうやって面倒事に首を突っ込み、結局尻拭いをするのはいつもエスタスなのだ。
「おい、待てったら!」
 慌てて後を追うエスタス。なんだかんだ言ってカイトを放っておけない自分の性分が、これほど憎らしいと思う事はなかった。


「いやー、助かったよ」
 水筒の水を一気に飲み干して、剣士は二人に笑顔を向けた。
「怪我はしてるわ食料どころか水もないわで、ほんと死ぬかと思った」
 その言葉通り、彼の肩やら足やらには包帯が巻かれ、血が滲んでいる。その隣でカイトから干し肉を受け取っている神官の方も、目立った怪我こそないものの、あちこちを擦りむいており、水色の神官衣は泥と土埃で見るも無残に汚れていた。
「これこそ神のお導きという奴ですよ。本当に助かりました」
 そう言いながら干し肉を噛み千切る神官にいえいえ、と手を振って、カイトはエスタスを見上げる。その視線を受けて、エスタスは口を開いた。
「で?結局、怪物退治はどうなったんだ?」
 彼らは、エスタス達の前に雇われた冒険者だった。向かった先の洞窟から命からがら逃げ出してきたが、この有様で立ち往生していたところに、運良くエスタス達が通りかかったというわけだ。とは言っても怪我は命に関わるようなものではないし、どちらかと言えば腹が減って動けなかったというのが正しいところらしい。
「まあ、その様子じゃ失敗したみたいですけど」
 カイトの言葉に何とも気まずい顔をして、まず剣士の方が口を開く。
「それがよぉ……」
 洞窟にたどり着く前には何度か遭遇した土鬼だったが、それらを倒していざ洞窟へと入ってみたら、中には彼らの姿はなかった。代わりに見たこともない獰猛な獣が襲い掛かってきて、何とかそれを振り切って逃げてきたのだと彼らは話した。それはもう獰猛な獣で、全く太刀打ちできなかったのだという。
「見たこともない獰猛な獣? どんな獣だったんです?」
「狼みたいな奴だった、と思う。でもあれは絶対普通の狼じゃねえよ。だってなんか、妙につやっつやした黒い毛色で」
「えぇ?私が見たのはまるで透き通るような体色の獣でしたよ。こう、すんなりした体つきで……」
「なに言ってんだよ、絶対黒だって!」
「見間違いでしょう? 第一あなた、ろくに前も見ずに剣を振り回してたじゃないですか」
「なんだとぉ? お前なんて人の後ろに隠れてぶるぶる震えてただけじゃないか!」
 なんとも情けない二人の会話を横目に、エスタスはカイトを見た。
「なんだと思う?」
「恐らくは妖獣でしょうね。土狼と、もう一種は水豹かな? 見てみなければ分かりませんけど、多分そんな感じでしょう。しかし、異なる属性の妖獣が共に行動するなんて珍しいですねえ」
 妖獣。それは通常の獣とは異なり、様々な力を宿した生き物を指す。自然界の六大属性、すなわち土水火風光闇いずれかの力を有し、その力は種類によって差があるものの、強いものなら精霊にも匹敵するほどの力を行使する。
 土鬼も妖獣の一種ではあるものの、その知性は極めて低く、また力もない。せいぜい群れをなして家畜を狙ったり旅人を襲ったりする程度で、駆け出しの冒険者にとってはまさに格好の相手と言える。しかし獰猛な獣の形態を取る妖獣ともなれば、その力は土鬼などとは比べ物にもならない。彼らには荷が重すぎたというわけだ。
「ところで」
 不毛な言い争いを続ける二人に、ひょいとカイトが割り込んだ。キョロキョロと辺りを見回し、首を傾げてみせる。
「親父さんの話では、もう一人お仲間がいたはずですよね? その方はどちらに?」
 途端に口を閉ざし、視線を彷徨わせる二人。そのあからさまに怪しい態度に、まさか、とエスタスが目を吊り上げた。
「置き去りにして逃げてきたんじゃないだろうな?!」
 その言葉に慌てる二人。誤解されては困るとばかりに、口々に言い募る。
「ち、違うって! そう、はぐれたんだよ」
「そうですそうです。それに、あの子ちょっと団体行動が苦手みたいで」
「そうなんだよ。勝手に変な生き物は拾うし、何も言わずに先に行っちまうし……」
「しまいには逃げる途中ではぐれて、それっきり」
「それっきり? じゃあやっぱり置き去りにしたんじゃないか」
 ぎろりと険しい目で睨みつけられて、首をすくめる二人。そこにカイトが追い討ちをかけた。
「依頼は失敗する、仲間は見捨てる、おまけに余分な食料や水の確保もしていないなんて、冒険者としては最低ですね」
 本のためなら食料を諦めるようなお前が言うか、というツッコミをぐっと飲み込んで、エスタスはカイトに頷いた。
「仕方ないな。行こう」
「ええ、そうですね」
 余計な言葉は必要なかった。伊達に長い事つきあっているわけではない。
 そうして歩き出す二人に、しゃがみこんだままの剣士が慌てて声をかける。
「おい、ちょっと待てよ! どこへ行くつもりだ?」
「決まってるだろ。洞窟さ」
 あっさりとしたエスタスの答えに、顔を引きつらせる新米二人。
「あんた達二人だけでなんて無茶だ!」
「そうですよ、それに私達はどうすればいいんです。ここに置き去りだなんてひどいじゃないですか。せめて村まで送って……」
 勝手な言い分を背中に受けて、しかし二人は足を止める事もしなかった。その代わりに首だけ振り返って、冷やかな視線を向ける。
「無茶かどうかはオレ達が決める事だ。お前らにどうこう言われる筋合いはないさ」
「仲間を置き去りにしておいて、よくそんなことが言えますね。歩けないわけじゃあるまいし、あとは自力で何とかして下さい」
 いかに経験が浅くとも、二人は冒険者の国に生まれ、幼い頃からその心得を叩き込まれてきた。
 特に口すっぱく言われたのは「自分の力を過信しない事」「何があっても仲間を見捨てない事」。それが出来なければ冒険者を名乗る資格はないと、偉大なる先達らは口を揃えた。
 そして、彼らはこうも教える。「冒険者」とは無謀な人間を意味するのではない。己を知り、仲間を信じ、勇気を持って困難に立ち向かう者。それこそが真の冒険者なのだと―――。
「でもよぉ……」
 まだ何か言いたげな彼らに、二人はやれやれ、と服の中に落としていた首飾りを引っ張り出す。
 革紐に通された円形の金属片。神官らが身につける聖印に似ていたが、そこに刻まれているのは一振りの剣と水晶球を象ったとおぼしき不思議な紋様だった。
 怪訝な顔をする彼らに、エスタスはにやり、と笑ってみせる。
「オレ達はエスタインの冒険者。勇者アーヴェルの志を継ぐものだ」
「エスタイン?!」
 目を見開く新米達。さしもの彼らも、その名には聞き覚えがあった。
 冒険者の国エスタイン。それは、勇者が築いた理想郷。冒険者なら誰もが知っているその王国には、崇高なる志を持つ猛者が集うという。
「困っている人がいると分かっていて行かなかったとあっては、エスタインの名がすたりますからね」
 それは即ち、祖である勇者アーヴェル=エスタインの名を汚す事になり、そして国民が何代にも渡って築き上げてきた信用を落とす事にもなる。
「因果な生まれだよな、まったく。でも、これはオレ達の誇りでもあるんだ」
 エスタインの名を出す限り、彼らは決して負けない。そして必ず、生きて帰ってくる。
「さあ、急ぎましょう」
「そうだな。お前らもとっとと動いた方がいいぞ。待ってたって誰も助けに来ちゃくれないんだからな」
 呆然と見上げてくる新米達の視線を振り切り、足早に歩き出す二人。
 そんな彼らを導くかのように、爽やかな風が草原を通り抜けていった。

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