4 夏祭
「はい、よく出来ました」

 唐突に響いた呑気な声に、その場にいた誰もがぎょっと目を剥いた。
「ヒュー!!」
「出来ればもっと早く呼んでくださいね。何かあってからでは遅いんですよ」
 つい説教口調になってしまったのは、彼らの身元確認を最優先して、すぐに出ていかなかった後ろめたさからだ。
「何者だ!?」
「邪魔者は失せろ。俺達はこれからこの子と楽しむんだよ」
 犬でも追い払うように手を振る男に、カリーナの顔が再び怒りに染まる。
「誰があんた達なんかと!」
「ほら、彼女も嫌がっていますし、その手を離してもらえますか?」
 あくまでも丁寧な口調を崩さないヒューに、男達は嘲笑を浮かべると、見せびらかすように武器を抜いてみせた。
「彼女の前でいい恰好したいっていうのは、汲んでやらないでもないんだがな」
「自分の力量ってやつを考えた方が身のためだぜ?」
「痛い目に遭いたくなかったらさっさと失せろ」
 嘲るような笑みを浮かべながら刃物を弄ぶ男達。闇に光る刃に、カリーナの顔から血の気が引いていく。
「そう言われましてもねえ」
 困ったように頬を掻けば、その余裕が癇に障ったのか、二人が口汚い台詞を吐きながら近づいてきた。
「ヒュー! 危ない――」
 カリーナが叫び終わる前に、バタバタと地面に倒れ伏す男達。
「なに!?」
「お前っ! 今、何をした!?」
「さあ? 石にでもつまずいたんじゃないですか?」
 当て身を食らわせて昏倒させたことなど微塵も感じさせない素振りで、平然と路地を突き進む。
「ふざけるな!!」
「やっちまえ!」
 更に二人が襲い掛かってきたが、その緩慢な動きにつき合ってやる義理もない。わずかに身を引いて躱し、無造作に手刀を振るう。それだけで地面に沈んだ野盗達の背中を踏みつけて、鼻歌でも歌いそうな雰囲気で近づいていけば、最後の一人になった男は化け物でも見るような目でこちらを睨みつけ、そして実に分かりやすい行動に出た。
「ち、近づくな!」
 カリーナの体を盾にして、更にその首筋へと短剣を突きつけようとする、その機先を制して言ってやる。
「この女がどうなってもいいのか、ですか? 陳腐な台詞だ」
 低く笑うヒュー。そして、すいと開かれた瞳には、鋭い光が宿っていた。
「――お前が彼女を殺す前に、俺がお前を殺すさ。試してみるか?」
 噴き出す殺気に、まるで蛇に睨まれた蛙の如く身を竦ませる男。その隙を逃さず一気に距離を詰めると、その手から刃物を叩き落とし、呆然と立ち尽くすカリーナをもぎ取るようにして奪還する。
「っ、このっ――!」
 そこでようやく正気づいて襲い掛かってきた男の鳩尾に容赦なく拳をめり込ませると、男は声もなく地面に崩れ落ちた。
「……やれやれ。折角の祭が台無しになるところでした」
 そう呟くことで、己に言い聞かせる。自分は『ヒュー』だ。まだ『ヒュー』でありたい。せめて、彼女の前では。
 その言葉で我に返ったのか、抱えられたまま呆然としていたカリーナが体を震わせ、そしてぐい、と身を捩った。
「ちょっと、離してっ」
「おっと、すみません」
 言われるがままに手を離したが、カリーナは立ち上がるどころか、へなへなと地面に座り込んでしまった。そのまま、路地裏に累々と倒れ伏す男達を窺って、怯えたように尋ねてくる。
「……こいつら、例の――野盗?」
「ええ。祭で警備が手薄になっていると踏んで、家畜でも盗みに来たんでしょうね」
 淡々と答えつつ、近くに落ちていた縄で男達を縛り上げていく。しばらくは目を覚まさないだろうが、警備の者に引き渡すまでは大人しくしてもらわなければならない。
 一通り身動き出来ない状態にしたところで振り返れば、カリーナはまだ地面にへたり込んだままだった。
「立てますか?」
「無理。腰が抜けちゃったみたい」
 泣き笑いのような顔になって、ぐっと項垂れる。
「……馬鹿な娘だと思ってるんでしょ。やっつけてやる、なんて息巻いてたくせに、いざとなったら手も足も出なくて、ただ震えてるしか出来なかったなんて――」
 はらはらと、透明な滴が頬を伝っていく。女の涙は厄介なだけだと思っていたが、目の前で零れ落ちる大粒の雫は、とても美しいと思った。
「そんなことありませんよ。カリーナさんはちゃんと助けを呼んだじゃありませんか」
「そんなことっ――」
「あなたが呼んでくれたから、こうして助けることが出来たんです。間に合って良かった。本当に、良かったです」
 カリーナの前に膝をつき、その顔を覗き込んで呑気に笑ってみせる。そうすることで少しでも彼女がいつもの元気を取り戻せばと思ったが、カリーナはむしろ毒気を抜かれたような表情で、ぽつりと呟いた。
「……あなた、強いのね」
「はあ、それなりには」
「なんで弱いふりなんかしてるのよ!?」
 少しは調子が戻ってきたようで、思わず笑みを浮かべつつ、弁解の言葉を紡ぐ。
「そんなつもりは毛頭ないんですが、何しろこの顔ですからね。どう頑張っても強くは見えないでしょう?」
 細い目を更に細めて笑うヒューに、ようやく表情を緩めたカリーナは、ふと思い出したように囁いた。
「ねえ、さっきのあなた、ちょっと怖かったけど……でも、すごく格好良かったわ。いつもあんな感じでいれば、舐められずに済むんじゃないの?」
「いや、それはちょっと……」
 思わず顔を引きつらせて、カリーナの顔をそっと窺う。
 彼女を盾にしようとした野盗への怒りで、思わず殺気が漏れてしまったことは一生の不覚だった。
 あの姿こそが本性なのだと、彼女に気づかれてしまっただろうか。
 しかし彼女は、強張ったヒューの顔を見て、くすくすと笑みを零した。
「そうね。ずっとお芝居してたら疲れちゃうものね」
 どうやら野盗を威圧するための演技だと思ってくれたようで、ほっと胸を撫で下ろす。
 そして、気を取り直したところで、先刻からの疑問を口にした。
「それにしてもカリーナさん、こんな人気のないところへ一人で来るのは危険ですよ。誰を探していたのか知りませんが――」
 そこまで言って、おっと、と頭を掻く。
「野暮なことを言いましたね。どなたかと約束でもされていましたか」
 茶化そうとして、なぜか胸が痛むことに気づき、更に苦笑が漏れる。すると、カリーナはなぜか慌てふためいて、ぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違うわよ! 広場にいると次から次へと声をかけられるから、閉口して逃げてきたの!」
 なるほど、聞きしに勝る人気ぶりだ。納得しかけて、続く台詞に仰天した。
「――それに、ずっとあなたを探してたんだから! 昼間から姿を見ないから、どうしたのかと思って……」
 予想外の答えに息を呑み、脱力したように笑う。
「私はずっと広場にいましたよ。トニーさん達に捉まって、ずっと天幕で飲んでました」
 その言葉に、盲点だったわ、と頭を抱えるカリーナ。
「あの暇人どもったら、本当にしょうがないんだから! それじゃ見つからないはずよね」
 まったくもう、とぼやきながら、ずっと抱えていた包みを、ぐいと押しつける。
「もっと早く渡そうと思ったのに、こんなに遅くなっちゃったじゃない!」
「あの……これは?」
 戸惑いつつ尋ねるも、カリーナはなぜか視線を逸らして、答えてくれない。仕方なく、失礼しますと断って包みを開ければ、中から現れたのは綺麗な刺繍の施された袖なしの上着だった。
「これは?」
「上着に決まってるでしょ! 私が縫ったの! 何か文句がある!?」
「いえ、滅相もありませんが、その……これを、私に下さるんですか?」
「そうよ! あっでも、夏祭の風習がどうのとかじゃなくて! いつも同じような服ばっかり着てるから、折角のお祭りなのにお洒落しないなんて勿体ないと思っただけなんだから!」
 聞かれてもいないのに、顔を真っ赤にして弁明するカリーナの様子が可笑しくて、思わず笑いが込み上げてくる。
「ありがとうございます。とても嬉しいですよ」
 早速、袖を通そうとしたら、なぜか大慌てされた。
「べっ、別に、今すぐ着なくてもいいのに!」
「なぜです? お祭りのためにわざわざ縫ってくださったんですから、今日着なければ意味がないじゃないですか」
「そ、それはそうだけど、でもっ……」
 ごにょごにょ言っているカリーナへと手を伸ばし、にっこりと笑う。
「さあ、みんなのところへ戻りましょう。この連中も警備の人間に引き渡さなければいけませんからね」
「う、うん……」
 差し出された手におずおずと掴まったものの、まだ立ち上がれない様子のカリーナ。それなら、とその手を引っ張って肩にかけさせ、そのままひょいと抱き上げたら、途端に素っ頓狂な悲鳴を上げられた。
「やだ、やめてよ! 恥ずかしいっ!」
「それなら、人を呼んでくるまで、ここで彼らとお留守番の方がいいですか?」
 その言葉に、地面に転がった野盗達をちらりと窺って、げんなりとした顔になるカリーナ。
「それは、ちょっと嫌かも……」
「では我慢してください。何か言われたら、足をくじいたとでも言えばいいんです。ほら、ちゃんと掴まって」
「もう……分かったわよ」
 恐る恐るしがみついてくる様子が可笑しくて、笑いを噛み殺しながらスタスタと歩き出す。
「そのっ……重いでしょ、無理しないでよ」
「何言ってるんですか。女の子はみんな、羽のように軽いものでしょう?」
「からかわないでよ!」
 事実を言ったまでなのに、なぜか怒らせてしまった。それでも、怯えたり泣かれたりするよりはよほどいい。
 広場の喧騒が近づいてくる中、まだ気後れしている様子の彼女の耳元に、そっと告げる。
「そうそう、言い忘れていましたが……その衣装、とても似合ってますよ」
 途端、耳まで赤く染まったカリーナは、それはもう勢いよくそっぽを向いて、そしてぼそっと呟いた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」