7 再会
 一年ぶりに訪れたエスト村は、まるで時が止まっていたかのように、何もかもあの時のままだった。
 古びた木の門を恐る恐るくぐり、土埃の立つ道を進めば、広場では祭の準備が着々と進んでいる。
 中央には木の台。その周辺には簡素な屋台が組まれ、一足先に設置された天幕では村人達が何やら話し合っていた。
 そっと耳を澄ませると、「これじゃ祭にならないぞ」だの「どうするんだよ、一体」といった会話が聞こえてくる。
 また何か問題でも生じているのかと眉根を寄せた瞬間、ふとこちらを向いたトニーと目が合った。
「お?」
 目を細め、無遠慮にじろじろとこちらを見つめたかと思いきや、彼は物凄い勢いで天幕から飛び出てくると、広場中に響き渡るような声でこう叫んだ。
「お前、ヒューじゃないか!」
 その大音声に、その場に居合わせた村人達がわらわらと集まってくる。
「ヒュー、帰ってきたのか!」
「一年もどこ行ってたんだよ!?」
 そう、一年も経ったのだ。すっかり忘れられていると高を括っていたのに、この歓迎ぶりは予想外だった。
「何にも言わずにいなくなりやがって!」
「みんな心配してたんだからな、この野郎!」
 口々に言いながら、背中を叩かれたり脇を小突かれたりと、実に手荒な歓迎を受け、いやあすいませんと頭を掻けば、変わらないなあと笑いが起こる。
 変わらないのはどちらだ、と突っ込みたかったが、それより先に聞いておかなければならなかった。
「あの、何か深刻な話をしていたようですが、何かあったんですか?」
「それがなあ……」
 顔を見合わせる男達。これはまた、重大事件が起こっているのかと思いきや、トニーの口から飛び出たのは意外な台詞だった。
「村長とカリーナが揉めてて、もう十日も籠城戦が続いてるんだな、これが」
「籠城戦!?」
 のどかな村には似つかわしくない単語に、思わず目を瞬かせる。
「カリーナのやつ、よりによって鐘つき堂に立てこもるもんだから、時の鐘が鳴らせなくて、ルファスの神官さんもみんなも困ってるんだよ」
 困っているという割には、彼らの物言いは妙にのんびりしている。思わず小首を傾げてみせると、男達はだってなあ、と肩をすくめてみせた。
「村長には悪いが、カリーナの言い分ももっともだし」
「彼女は一度言い出したら聞かないからな。それも父親譲りなんだけど」
「頑固者同士の対決だから、こりゃあ長引くぜ」
 いっそ賭けでもしようか、などと不謹慎なことを言い出す男達に、おずおずと問いかける。
「あの……一体、何が原因なんです?」
 その言葉に、うーんと頬を掻くトニー。
「そうだなあ、まあ色々あったんだが、突き詰めると――お前だな」
「はい?」
 ますますもって訳が分からない。
「いいから行って来いよ。直接聞けばすぐ分かるだろ」
 ほらほら、と寄ってたかって背中を押され、戸惑いながらも鐘つき堂へと向かえば、そこには扉をガンガン叩いて怒鳴っている村長と、その様子をおろおろと見守っているルファス神官の姿があった。
「カリーナ! いい加減に出てきなさい! このままでは祭が始められないじゃないか!」
「嫌よ! 祭にかこつけてお見合いなんて冗談じゃないんだから!」
 一年ぶりに聞くカリーナの声は、相変わらず怒っていた。そのことが可笑しくて、つい噴き出してしまったが、彼らの耳には届かなかったようだ。
「お見合いなんて言っていないだろうが! ただ、気に入る男がいるかもしれないから、少しは考えてみろと言っただけで……」
「いるわけないでしょ! どいつもこいつも私のことをろくに知りもしないで、ただ父さんの後釜を狙ってるだけじゃない!」
「そうじゃないやつだっているかもしれないだろうが! 知りもしないで勝手に思い込むのはよくないぞ!」
「……本当に、似た者同士ですね」
 打てば響くような怒鳴り声の応酬に、思わずそう呟いてしまったら、ちょうど怒声の合間に挟まって、殊のほか大きく響いてしまった。
「ヒュー! 戻ってきたのか!」
 その声に振り返って、仰天する村長。同じく、扉の向こうからも驚きの声が上がる。
「ヒュー!?」
 彼女にそう呼ばれて、ようやく自分が『ヒュー』に戻れた、そんな気がした。
「本当に……帰ってきたの!?」
「はい」
 どこか嬉しそうなカリーナの声にむむっと眉根を寄せた村長は、困った様子で扉と村長とを見比べているヒューをぎろりと睨みつけて、そしておもむろに口を開いた。
「一年ぶりだな。元気そうで何よりだ。急に出ていってしまうから、長いことカリーナの機嫌が悪くて大変だったよ」
「父さん! 余計なこと言わないでいいの!」
 扉の向こうから抗議の声が上がるが、村長はそれを無視して話を続ける。
「去年の祭は野盗騒ぎでろくに楽しめなかっただろう。今年はゆっくり楽しんでいくといい」
「はい。ありがとうございます」
 一通りの挨拶を済ませたところで、再び扉へと向き直り、腹の底から声を張る村長。
「カリーナ! いい加減、意地を張るのは大概にしなさい。お前のわがままで、どれだけの人に迷惑をかけてると思ってるんだ」
「私のわがまま? 父さんのわがままでしょ! 私はもう成人してるんだから、父さんの言いなりになんかならないわよ!」
 取りつく島もないとはこのことだ。娘の剣幕に深く溜息を吐き、村長はやれやれとヒューを振り返った。
「すまんが、君からも言ってやってくれないか」
 こんなやり取りが以前にもあった気がする。内心で苦笑しつつ、おずおずと声をかける。
「カリーナさん、事情はよく分かりませんが、こんなやり方はいけませんよ。ちゃんとお父上と面と向かって話し合わなければ――」
「何度も話し合ったわよ! でもそこの頑固親父が人の話を聞かないんだもの!」
「話を聞かないのはどっちだ!」
 見事な平行線を辿る親子の言い分に、困ったように頬を掻くヒュー。仕方ない、と切り口を変えてみる。
「カリーナさん。お願いですから出てきてください。折角戻ってきたのに、あなたの顔を見られないのは寂しいです」
「いやよ!」
 情に訴えれば少しは、と思ったのだが、駄目だったらしい。逆に村長が苦虫を噛み潰したような顔になって、何か言いたげにこちらを睨みつけてくる。
 これはどうしたものか、と思案していると、これ以上は時間の無駄だと判断したらしいカリーナが叩きつけるように告げた。
「帰って! 誰が何と言おうと、私は夏祭には出ませんからね!」
 言い終わると同時に、何やらどかどかと扉の前に積んでいる音が響く。どうやら椅子やら机やらを使って扉や窓を塞いでいるらしい。なるほど、実に見事な籠城ぶりだ。
 がっくりと肩を落とし、やれやれと扉から離れた村長は、疲れた顔でヒューの肩を叩いた。
「……積もる話もあるだろう、家はちょっと散らかっているんでな。酒場へ行こうか」


 運ばれてきた酒を一気に呷った村長に、運んできた店主がおいおい、と呆れ顔になる。
「村長、昼間からそんなに飛ばしていいのか? この後、祭の打ち合わせもあるんだろう?」
「酒でも飲まなきゃやってられんよ! 大体、カリーナがあの調子じゃ、祭だって開催出来るかどうか」
 捨て鉢な台詞に肩をすくめてみせる店主。そしてヒューの前には果汁の水割りを置き、よく帰ってきたな、と背中を叩く。
「またしばらくいるのかい?」
 どう返事をしたものか迷っていると、不貞腐れた顔の村長が、空の杯を握りしめながら言ってきた。
「また急にいなくなってしまうのか?」
 ずばり問われて、ぐっと言葉に詰まる。そこをすかさず取り成してくれたのは店主だった。
「まあまあ、帰ってきたばかりのやつに、そんなことを言うもんじゃない。それに、ヒューが戻ってきたんなら、あの子も出てくるだろう?」
 謎の言葉に、きょとんと首を傾げていると、村長がどん、と机を叩いた。
「そういう問題じゃない! いや、そういう問題だが、そんな簡単な話じゃないだろう?」
 怒鳴りながら、こちらを睨みつける、その目が完全に据わっている。
「ヒュー。去年の夏祭で娘を助けてくれたことには、心から感謝している」
「いえ、私は――」
「だがな! あれ以降、ただでさえ結婚に乗り気じゃなかった娘は、ますます頑なになって、しまいにはああだ! どうしてくれる!」
「はあ、しかし……」
「娘はな! お前さんとじゃなきゃ結婚しないと、もう十日も立てこもってるんだぞ!」
 一瞬、何を言われているのか分からなかった。
 右から左へと駆け抜けていった言葉を掴まえて、ようやく頭がそれを受け入れた瞬間、今度は違う意味で硬直する。
「……は?」
 その様子を見て、やれやれと頭を抱える店主。
「おい、マシュー。どうやらお前さん達は親子揃って先走り過ぎているようだぞ」
 そんな言葉も聞かず、ぐっと机の上で拳を握りしめて、村長は唸るように続ける。
「私は何も、お前さんが気に入らないわけじゃない。むしろ、今時珍しい好青年だとも思っている。だが、この村に骨を埋める覚悟がない男に、大事な娘を嫁がせるわけにはいかない。当たり前だろう、あの子は――」

「――村長」

 静かな、しかし有無を言わせぬ声色に思わず顔を上げれば、そこには鋭い光を宿した瞳。
「私は――私は、彼女に何の約束も残せなかった」
 絞り出すような声が、がらんとした店内に響く。
「そして今も、何も約束することが出来ない。そんな男です。だから私は、彼女に何も言えない。その資格がないんです」
 己に言い聞かせるような、苦い言葉。
 返す言葉が見つからず、黙り込んだ村長の目の前に、食べ物を詰め込んだ籠がどん、と置かれる。
 ぎょっとして顔を上げれば、いつの間にやってきたのか、『見果てぬ希望亭』の看板娘がそこに立っていた。
「ヒューさん。これをカリーナに届けてくださる?」
 一年見ない間に随分と女っぷりの上がった彼女は、呆気に取られて黙り込む男性陣に向かって威勢よく言い放つ。
「さっきから聞いていれば、当事者そっちのけで周りばかり盛り上がって、おかしいったらないわ」
「こら、レオーナ。お前――」
 たしなめようとする父を視線だけで黙らせて、レオーナはヒューの真横に立つと、艶やかに笑ってみせる。
「ねえヒューさん。あなたが彼女を忘れていないくらいには、彼女もあなたのことを忘れてないのよ」
 腰に手を当て、ずいと顔を近づけてくるレオーナ。
「彼女はずっとあなたを待っていた。もちろん、あなたはそんなこと一言も言わなかったんでしょうけど。でもカリーナは、待つのは勝手だから気が済むまで待つって言って、ずっとあなたを待っていた。そして、あなたは戻ってきた。じゃあ、今やることは何?」
「レオーナさん……」
「ほら、行った行った!」
 強引に籠を持たせ、扉へと追いやるレオーナ。そして、わたわたと鐘つき堂へ向かうヒューの後姿を満足げに見送って、さあて、と振り返る。
「お父さん達。乙女の恋路を邪魔する者の末路がどんなものか――分かってるわよね?」
 嫣然と笑う看板娘に、後を追おうと席を立ちかけていた村長はすごすごと椅子に逆戻りし、我が娘の迫力を目の当たりにした店主は重い溜息を吐いたのだった。