第四章[3]
 薄暗い室内に、ぽわんぽわんと白い輪が踊る。
 ぎい、ぎいと揺り椅子を漕ぎながら、さも美味そうにパイプを吹かす老人。今度は器用にも三連続で丸い輪っかを吐き出してみせ、少女らから羨望の眼差しを向けられて、にこにこと笑っている。
 ささやかな夕食を終えての一時。板戸の向こうでは風と雨が情熱的な二重奏を奏でているが、朽ちかけた小屋の中はまるで別世界のように、穏やかな時間が流れていた。
 きゃいきゃいと喜びの声を上げる少女二人に気を良くして、今度はどうやったのか四角い煙を吐き出した老人を横目に、ラウルは香ばしい茶をゆっくりと飲み干した。本当は酒の一杯でもひっかけたいところだが、生憎と手持ちが底をついている。
「生憎ここには酒などというものがなくてのー。その代わり茶なら腐るほどある。それで我慢しておくれ」
 まるで心を読んだかのような老人の言葉に、ラウルは慌てて首を横に振った。
「とんでもない。屋根と床があって、暖かい飯を食わせてもらっただけで十分だ。ありがとな、じいさん」
 この礼は、と言いかけるラウルをすいと手で制し、老人はまた煙の輪を一つ吐き出した。
「なに、こちらこそ久しく人の声など聞いておらんかったからのー。話し相手が出来て嬉しいわい。急ぎの旅でないのなら、しばし逗留を、と願うところなんじゃがのー」
「すまないが、それは出来ない」
 きっぱりと、しかし心底申し訳なさそうに答える王女。
「我々は一刻も早く、この森を抜けて北の村に辿り着かなければならないんだ」
「なに、老人の戯言じゃよ。気にせんでよい。まー、そうじゃな。いつか近くを通ることがあったなら、また寄っておくれ」
「ああ、必ず」
 節くれだった手をぎゅっと握りしめ、王女が頷く。その真剣な眼差しに目を細めて、老人はさて、とパイプを掲げてみせた。
「そろそろ夜の帳も降りたころじゃ。昔話をするには良い頃加減じゃな」
 まるでその言葉を待っていたかのように、木々のざわめきが小屋を包む。さわさわ、ざわざわと、さながら舞台の幕開けを待つ観客のように。
「なんの、おはなし?」
「しー、静かに」
 はしゃぐ少女の口をそっと塞ぐ王女。小屋の外を吹き荒れる嵐もわずかに声を潜めて、彼が話し出すのを待っているようだった。
「茶はもうよいかね? では始めようか」
 ラウルが茶を継ぎ足すのを待って、そうして老人は語り始めた。時の流れに埋もれし物語を。
「……それは、復讐の焔に身を焦がし、力に溺れた娘の物語――」

 その村は、深き森の中にあった
 森と共に生きる彼らは、一族に伝わる秘宝を守りながら、ひっそりと暮らしていた
 森の外には平原人の街があったが、彼らは深き森を畏れ、決して奥深くまで踏み入ろうとはしなかった
 そうして何百年も続いた平和は、唐突に打ち砕かれた

 ある日――
 噂を伝え聞いた街の領主が、その宝を我が物にせんと森を切り開き、村を襲った
 秘宝は奪われ、一族は全滅した
 ただ一人、遠くの街へ使いに行っていた娘を除いて――

「……その名はエリンディル。黄金の薔薇と謳われし乙女。彼女は長き時を、ただ復讐のために生きた――」
 訥々と語られる昔語りは、旅人達を眠りの国へと誘う。
 吹き荒ぶ風も打ちつける雨音も、疲れ果てた少女らにとっては極上の子守歌だ。
 早くも轟沈した二人を横目に、何とか最後まで聞こうと頑張っていたラウルだったが、やはり疲れていたのだろう。老人の、どこか独特な節回しに聞き入っているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。

 そして、夢を見た。
 青白い月が照らす、清かな夢を。