第四章[5]
「あっさごはん~。あっさごはん~。今日はチーズと胡桃パン~♪」
「おいっ、何勝手に決めてんだ、パンは昼まで取っておけ!」
「摘み立ての木苺もあるぞ。さっきあっちで見つけたんだ」
「お、そりゃいいな」
 賑やかに小屋まで取って返せば、扉の前に少女が座り込んでいた。
「らう~! ろーら~!」
 二人の姿を認めてぱっと立ち上がる少女。その困惑した顔に、思わず顔を見合わせる。
「どうかしたか?」
「起きたら誰もいないので心配になったのか? すまなかった、我が妹」
 王女の謝罪にふるふると首を振って、少女はラウルの足にしがみついた。
「じじさま、いない」
「なんだ、まだ戻ってないのか、あの爺さん」
「どこへ行ってしまったのだろうな。私が目を覚ました時にはもう姿が見えなかったんだが……」
「朝の散歩にしちゃ長すぎるな。またどっかの木の枝に引っかかってるんじゃないのか?」
 などと言い合いながら、主不在の小屋へと足を踏み入れれば、奇妙なほどにしんとした室内に埃が踊る。
「もしかしたら奥の部屋で寝てるんじゃないのか? 布団と同化してて分からないとか」
「よし、見てこよう。二人は朝ご飯の支度をしていてくれ」
 そう言い残して奥の部屋へと消えた王女は、程なくして息を切らして戻ってきた。
「どうだった?」
 問いかけに、なんとも珍妙な表情を浮かべて口を開く王女。
「うん。やはりいなかった、んだが……なんだか妙だ。どの部屋も、昨日まで人がいた形跡そのものがない。まるで何十年も使われていないような、そんな感じだ」
「えっ……」
 思わず息を呑むラウル。押し黙る少女。そして、困ったように頬をかく王女。
 気まずい沈黙が小屋いっぱいに広がって、なんだか息苦しくなってきたところで、やっとのことでラウルが口を開いた。
「おいおい……。じゃあ何だ、昨日の一連の騒動は全部、夢か?」
「いや、三人揃って同じ夢を見るわけもないし……何かに化かされたかな?」
 そういやあの爺様はたぬきっぽかったな、などとぶつぶつ呟く王女の横で、少女の腹がきゅう、と鳴る。
 緊張感の欠片もない二人に思わず吹き出してから、ラウルはやれやれ、と頭を掻いた。
「まったく、お前らは……」
 閉ざされた森に朽ちかけた村。そして、いずこかに消えた謎の老人。この緊迫した状況をものともしない少女達の、その呑気さときたら――。
(大物だよ、お前らは)
 それはまるで、悪夢の残滓を掻き消す朝の光のように。はたまた、闇に怯える幼子を夢へと誘う月明かりのように。
 どこまでも眩く、どこまでもまっすぐに。心に射し込んでくる、その純真さ。
 そう、それはまるで、太陽と月。天つ空を照らす、二つの真円。
(時々傍迷惑なほどに眩しいところも、そっくりだ)
 こみ上げる笑いをぐっと飲み込んで、その場にどっかりと腰を下ろす。
「ま、何だっていいさ。それよりさっさと朝飯にしよう」
 途端に、きゃあきゃあと歓声を上げる少女達。ラウルの前に座り込んでやいのやいのと騒ぐ様は、まるで腹を空かした雛鳥のようだ。
「らうっ、きいちごっ、きいちごっ」
「待て我が妹、それは食後のお楽しみだ。まずはチーズと胡桃パン~」
「だからパンは昼まで取っておけ! もう残りの食料も少ないんだぞ! 今日中に森を抜けられるかどうか分からないんだから、って……しまった!」
 突如くわっと目をむいたラウルに、揃って小首を傾げる少女二人。
「らう、ちーず、はやくぅ」
「どうかしたのか? 用心棒」
「……森を抜ける道を教えてもらうの忘れた……」
 がっくりと肩を落とすラウルの手からチーズをもぎ取って、王女がなあんだ、と脳天気に笑う。
「結界さえ抜けてしまえば何とかなるだろう。私がいれば結界なんてちょちょいのちょいだ」
「結界以前に、俺達は森の中で見事に迷子になってるんだぞ? ちくしょう、昔話なんて聞いてる場合じゃなかった……」
 また森の中を彷徨うのか、と思わず呻き声を上げたラウルだったが、諸々の憂いはわずか半刻後、ささやかな朝食を終えて小屋を出た途端、きれいさっぱり吹き飛んだ。
「なんだ、こりゃ……」
「わあ、きれいだな! さっきは全然気づかなかった」
「すっごーい!」
 小屋の外から広場へと続く花の道標。辿っていけば、倒壊した家々を縫うようにして森の彼方へと、それはまるで彼らを導くように花開いている。
「これを辿れば、森の外に出られるのかな」
「きっと、そうなんだろうな」
「おはなのみちー♪」
 早速花を辿って歩き出した少女達。今にも走らんばかりの二人をたしなめようと口を開きかけて、頭を撫でるような微風にふと振り返る。
 木々に溶け込んだ村。その中心にそびえ立つ、朝日に輝く樅の巨木。
 一晩の宿を提供してくれた大樹に黙礼し、こそっと呟く。
「――ありがとな、じいさん」
 ざわざわと、風に揺れる梢。
 その心地よい葉音を背に再び歩き出せば、遥か前方からラウルを呼ぶ少女らの声がした。
「らうー♪ はやくー」
「置いていくぞ、用心棒!」
「おいこら、走るな――!!」
 響き渡る声に、小鳥達が笑う。
 そうして、彼らは賑やかに森を駆け抜け、村は再び静寂に包まれた。