小さな祈り(仮)


 神殿の図書室。秋晴れの空が窓の外に広がっている。
 机の上に山と詰まれた本。その向こうに、真面目くさった表情で古びた本に目を通しているダリス(49歳)の姿。
 彼の他にはほとんど人のいない図書室の扉が、突如バンッ、と開く。
神官「エバスト司祭、大変ですっ!」
 息せき切って駆け込んでくる若い神官に、溜め息をついて本を閉じるダリス。
ダリス「やれやれ、今度は何をやらかした?」
 苦笑を浮かべて尋ねれば、神官は血相を変えて
神官「神殿の屋根に登って、降りて来ないんです!」
 意外そうに、ほう、と呟くダリス。
ダリス「狼だと思っていたが、実は猿だったのか」
神官「司祭!そんなことを言っている場合ではありません!」
   「とにかく来て下さいっ」
 ダリスの腕を引っ張って、資料室を出て行く神官。ダリスはのほほーんと、引っ張られるままになっている。

 屋根の上。鳥が舞う空。
 空を見上げているラウル(10歳)は、あちこちに擦り傷や打ち身をこさえている。
 その手には、紐が途中で千切れてしまっている聖印が握り締められている。
 身じろぎをした途端、どこかが痛んで顔をしかめるラウル。その拍子に、つい半刻ほど前に起こった出来事が思い出される。

 (回想)
 神殿の裏手で、少し年上の神学生達に取り囲まれているラウル。手にはほうきを持っている。
 彼らは侮蔑と嘲りの表情でラウルを見下ろし、口々に彼をののしり、嘲笑っている。
 ラウルは取り合おうとせずに彼らを押しのけて掃除に向かおうとするが、体格的に恵まれている彼らに阻まれて思うように行かない。どつかれ、地面にどっと倒れこむラウル。そこに一言。
神学生「お前のような人間が、何故ここにいる」
 かっとなって強行突破しようとした矢先、ラウルの胸元から聖印が覗く。
 それを見た神学生達は、途端に底意地の悪い笑みを浮かべて、彼からその聖印を奪おうとする。
 一瞬の回想。一年前にもらったプレゼントと、それを渡してくれた時の養父の言葉。
ダリス『見て分からんか。誕生日の贈り物だ』
 抵抗するラウル。もみ合ううちに聖印の紐が千切れ、焦った神学生はそれを空高く放り投げる。
 屋根の上へ落ちた聖印。神学生達は呆然とするラウルを置いて、気が済んだといわんばかりに立ち去っていく。
 悔しそうに彼らの背中を見送り、そしてぐっと決意を固めたラウルは、どこへともなく走り去っていく。

 (回想終了)

ダリス「こんなところでどうした?」
 不意に背後から飛んできた声に驚いて振り返ると、そこには梯子の先端と、こちらを見ているダリスの姿。
 よっと梯子を登りきり、ラウルの側までやってきたダリスは、座り込んだままのラウルに笑みを向ける。その視線がラウルの手に握り締められた聖印に注がれているのに気付き、バツの悪そうな表情で、そっぽを向いてしまうラウル。
ラウル「別に」
ダリス「そうか」
 それ以上は問い質そうとせずに、ラウルの隣にしゃがみこむダリス。
 その横顔をちらりと覗いて、ラウルは聖印をぎゅっと握り締める。
 沈黙。
 蘇る記憶。
 傷ついた少年を抱きかかえたダリス(47歳)
 先ほどの神学生達が彼に吐いた言葉 「お前のような人間が、何故ここにいる」
 空を見上げ、悔しそうな表情を浮かべるラウル。そして
ラウル「……神に近い場所で祈れば、ちゃんと届くかなと思ったんだ」
 ぼそり、と漏らした呟きに、おやおやと目を丸くするダリス。
 ぽん、とラウルの頭に手を置き、晴れ渡った空を見上げる。
ダリス「なるほど。それは考えつかなかった」
 すっと目を閉じ、両手を組んで何事かを祈り出すダリス。それを不思議そうに見つめ、ぶっきらぼうに尋ねる。
ラウル「……何を祈ったんだよ」
 目を開け、真面目な顔で答えるダリス。
ダリス「我が養い子の祈りを、なにとぞお聞き入れ下さいますように」
 呆気に取られるラウルの背中を叩き、立ち上がる。梯子の下からは、二人を案じる神官の声が響いてきている。
ダリス「行こう」
 促され、渋々立ち上がるラウル。そして梯子を降りていく少年に、ダリスが何気なく問いかける。
ダリス「で、お前は何を祈った?」
 びっくりして、言葉を失う。そして、
ラウル「……知るか」
 吐き捨てるように答え、梯子を降り切る少年。やれやれ、と息をついて、それを追いかけるダリス。
 下に待ち構えていた神官たちに、寄ってたかって説教をされる二人。顔だけは神妙に説教を聞いていたダリスは、ようやく一通りの説教を終えて退散していく神官たちを見送って、ふとラウルに笑いかける。
ダリス「さあて、行くとするか」
ラウル「行くって、どこへ?」
ダリス「なんだ、聞いていなかったな?」
    「騒ぎを起こした罰として、向こう十日間墓地の掃除をせよとのことだ」
 転がっていたほうきを取り上げ、さっさと歩き始めるダリスを慌てて追いかけるラウル。
 軽口を叩きながら墓地へと向かう二人の影が、長く伸びている。

 どうか―――どうか神様
 ここにいて良いのだと そう言って下さい
 せめて、もっと強くなるまで
 この手で、未来を切り開けるようになるまでは―――


 声にならない祈りが響き渡る空。
 紐の千切れた聖印と、それにかぶるダリスの笑顔。

 END.