snow flake |
粉雪がちらつく、冬の空。 雑然とした街角にしゃがみ込む人影。何かを抱きかかえているように見える、その華奢な後ろ姿。 降り積もった雪の上に落ちる、透明な雫。 モノローグ ラウル(覚えているのは、涙に濡れた漆黒の瞳) ???『ごめんね ごめんね』 ラウル(何度もそう繰り返していたのは、誰だったのか) タイトルページ 薄暗い部屋。粗末な寝台に眠る青年と、その寝顔を愛しげに眺める女性。 タイトル 窓辺に立ち、外を見つめていた女は、背後からの物音にふと振り返る。 気だるげに寝台から体を起こす青年を見やって、艶やかな笑みを浮かべる女。 女「あら、起きた?」 女「随分うなされてたけど、大丈夫?」 ラウル「ああ……昔の夢を、見てた」 憂鬱そうに答える青年。肩を越して伸びた黒髪を、鬱陶しそうにかき上げる。 女「また、あの夢なの」 回想 まだ十代中頃の青年に、心配そうに尋ねる女。 ラウル『嫌な夢さ』 脳裏に蘇る夢。冬の空と、涙に濡れた黒い双眸。風景も人物もおぼろげな、無音の光景。 ラウル『涙に濡れた瞳。自分とよく似た、漆黒の――』 ラウル『ごめんね、とひたすらに繰り返す女』 ラウル『何と言えば、泣き止んでくれたのだろう』 ラウル『どうすれば、笑ってくれたのだろう……?』 回想終了 ラウル「ここんとこ、しばらく見てなかったのにな」 悪いことが起こる予兆じゃなきゃいいが、と軽口を叩いて、その話題を打ち切る青年。そして、窓に張り付くようにして外を眺めていた女に、ふと問いかける。 ラウル「何見てるんだ?」 女「見てごらんなさいよ、雪! 初雪じゃない?」 ラウル「へぇ……」 床に落ちていた上着を拾い上げ、肩に掛けて寝台を抜ける。そうして女の隣に寄り添うようにして、窓の外を覗き込む。 ラウル「随分とまあ、積もったもんだ」 女「そうね。ほら見て、気の早い子供がもう雪遊びに夢中になってるわ」 銀化粧を施された街角に転がる、不恰好な雪だるま。そのそばでは、子供達が雪合戦に夢中になっている。 女「元気ねえ」 ラウル「子供だからだろ」 女「あらま、あんただってまだまだ子供じゃないのよ」 くすくすと笑い声を上げて、窓辺を離れる女。 女「ほら、ちゃんと着ないと風邪ひくわ」 散らかしてあった服を纏めて投げつけてやると、青年は面倒そうにそれを身につけ始める。 ラウル「子供扱いするなよ、俺だってもう成人してるんだぞ」 女「だったら叱られるようなことするんじゃないの」 女「お客さんに風邪引かして帰らせたとあっちゃ、店の看板に傷がつくってもんよ」 へーへー、とぼやきつつ、上着の襟を留める。そんな青年を見ながら、ぽつりと呟く女。 女「ま、この店がどうなろうと、知ったこっちゃないんだけど」 商売熱心な彼女らしからぬ発言に、おやと眉をひそめる青年。女は寝台に腰掛けたまま、おずおずと口を開く。 女「あのね、あたし……結婚するの」 意外な告白に目を見開き、そして青年はかすかな笑みを浮かべる。 ラウル「……そっか。そりゃ、良かった」 女「あら、少しは残念がってくれると思ったのに」 からかうように言ってやると、青年はにやり、と人の悪い笑みを浮かべて答える。 ラウル「勿論、残念さ。でも、あんたが決めたことなら、俺がどうこう言うもんじゃない」 突き放すような言葉だが、その瞳は笑っている。そんな青年を見つめ、続ける女。 女「あのね、相手はね、駆け出しの学者さんなの」 女「半年くらい前かしら、同僚に無理やり引っ張ってこられたらしいんだけど」 女「そりゃもう初心で可愛かったのよね」 付き合いで来たのなら、二度と逢うことはないだろう。そう思っていたのに、彼は再び現れた。顔を真っ赤に染めて、それでも自分の意思で扉をくぐり、彼女の目の前に。 女「お給金少ないっていうのにさ、頑張って来てくれるんだもの。そりゃ嬉しかったわよ」 女「でもまさか、結婚を申し込まれるなんて夢にも思わなかった」 女「彼がね、言ったの」 女「『家に帰って、君が笑顔で迎えてくれる。それ以上の幸せはない』って」 乙女のように頬を染め、女はうっとりと言葉を紡ぐ。 女「あたしには何もない、何も出来ないと思ってた」 女「でも、そんなあたしを必要としてくれる人がいるって、そう思ったら、なんだか嬉しくてさ」 だから、と女は黒髪の神官を見上げる。 女「あたし、幸せだわ」 透き通るような笑顔に、小さく頷く。そして青年は少し照れくさそうに、こう囁いた。 ラウル「笑ってるあんたが、一番好きだ」 ラウル「だから幸せになってくれ。悲しい涙を流さないで済むように」 ――それは、伝えられなかった少年の思い。 だから別れの涙を堪えて、その細身の体をぎゅっと抱きしめる女。 女「さよなら」 ラウル「ああ。元気で」 頬に祝福の口づけを落とし、足早に去っていく青年。 娼館を出て、歩き出そうとする青年。その時、バンと頭上の窓が開く。 そこから身を乗り出さんばかりにして、女は叫ぶ。 女「ラウル!」 女「あんたも――あんたもいつか、幸せになりなさい!」 随分と乱暴な、そして心からの言葉に振り返り、青年はああ、と笑ってみせる。 不敵な笑みに、あどけない少年の笑顔が重なって見えたのは、堪えた涙の仕業か。それとも、初雪がもたらした小さな魔法か。 軽く手を挙げ、去っていく青年。雪化粧を施された街に、その黒尽くめの格好はひどく浮き上がってみえる。 女「幸せに、なりなさい」 小さくなっていく背中に呟いて、窓を閉じる女。 END. |