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銀星の雫
 窓の外が騒がしい。
 それだけじゃない、屋敷の中も人で溢れ返って、いつもの静寂はどこへやら。こんなに賑やかな我が家を見るのは何年振りかしら。
 お母様が生きていた頃は、よくお客様をお招きして晩餐会や舞踏会を催したものだけど、今日のお客様は夜会服に身を包んだ紳士淑女ではなくて、いかつい鎧をまとった兵士ばかり。そんな人達がガシャガシャと屋敷内をうろつき回っているから、どうにも落ち着かない。
 それもこれも、あの怪盗のせい。
 今年に入ってから首都を騒がせている怪盗《月夜の貴公子》。これまでに盗まれた宝物は分かっているだけで六点。宝剣から装身具まで一見まとまりのないそれらには、とある共通点があるという。――即ち、『初代ローラ姫ゆかりの品』であること。
 その詳細が書かれた瓦版を見た途端、お父様は青ざめ、私は息を飲んだ。一方、瓦版を持って来た召使いはというと、興奮冷めやらぬといった様子で仲間達に話して回っていた。曰く――。
「次は、このお屋敷が狙われるかもしれないよ! あの指輪を狙ってさ!」
 どこか楽しげな召使いの声が、いつまでも耳に残っている。
 そう、怪盗《月夜の貴公子》は金持ちしか狙わない。風のように現れては誰一人傷つけずに宝物を盗み出し、時には盗み出した金品を貧しい人々に分け与えたこともあるという。『庶民の味方』『義賊』なんて呼ばれ方もしているみたいだけど、私から言わせればただの『泥棒』だわ。
 その日以来、屋敷の内外は王都守備隊から派遣された警備兵がうろつくようになり、お父様はといえば憔悴しきった顔で来客の対応に追われている。私は外出を禁じられてお部屋で一人きり。しかも、内部からの手引きが出来ないようにと、ばあや以外の召使いは全員暇を出す徹底振りで、毎度の食事にも困る有様だわ。
 守備隊の隊長さんも「そこまでする必要はないのでは?」と呆れ顔だったけど、お父様は断固として譲らなかった。
「万が一ということもある。あの指輪だけは、何が何でも守り抜かねばならんのだ」
 拳を固く握りしめ、そう力説していたお父様。
 お父様がそれほどまでに指輪に固執する理由を、私は知っている。
 ――だから、手紙を書いたの。

* * * * *

「ええっと……手紙をくれたのはお嬢さんかな?」
 非常に気まずそうな様子で寝室の窓から現れた黒づくめの人物は、待ち構えていた私の前で小鳥のように首を傾げてみせた。
「……あなた、本当に怪盗《月夜の貴公子》?」
 その姿を見た者がほとんどいないせいで、雲を突くような大男だとか、いや妙齢の美女だとか、実は背中に蝙蝠の羽が生えた怪物だか、いい加減な話ばかりが横行している怪盗《月夜の貴公子》。
 だけど、今、私の目の前で所在無げに立ち尽くしているのは、まだ年若い少年のような風体の人物だ。
 長い黒髪を一つにまとめ、頭に黒い布を巻いて、華奢な体を覆う服もすべて黒。目元を覆面で隠しているから顔は分からないけれど、頬から口元にかけての滑らかな曲線を見る限り、実はかなり整った風貌なのではないかしら。
「ほ、本当だとも! 私こそが怪盗《月夜の貴公子》! この家に伝わる《銀星の雫》をいただきに参上したんだが……なぜか宝箱の中には手紙しか入っていなくて……」
 どんどんと尻すぼみになっていく声に、思わずくすくすと笑い声を立ててしまって、慌ててこほんと咳払いをする。
「そうよ、手紙を書いたのは私。読んでくださってありがとう、《月夜の貴公子》さん」
 警備の目を盗んで、こっそり宝箱の中に仕込んでおいた手紙。ちゃんと読んでくれるか、はたまた素直に呼び出しに応じてくれるかは正直不安だったけれど、どうやら私は賭けに勝ったようだ。
「いやあ、びっくりしたぞ。しかも、話したいことがあるから部屋に来てくれだなんて、不用心にもほどがある! 淑女たるもの、もっと危機感をだなあ……」
 怪盗本人から不用心だと説教されるなんて、何だか変な構図ね。
「噂の《月夜の貴公子》は誰も傷つけたりしないと評判だもの。呼び出しても大丈夫だと思ったのよ」
「まあ、それはそうなんだが……」
 気恥ずかしそうに頬を掻く怪盗さん。なんだか想像していた人物像と違うけれど、あれだけの警備の目を潜り抜けて、地下宝物庫に忍び込めるほどに腕前は確かなのだから、信用することにしましょう。
「それで、ご令嬢。ご用件は何だろうか? 私もあまり時間がないので手短に願いたい」
 手首に嵌めた腕輪のようなものをちらちら見ながらそう言ってくる怪盗さんに、私は震える拳を握りしめて、ゆっくりと口を開いた。
「お願いよ、《月夜の貴公子》さん。指輪を――《銀星の雫》を、盗んでちょうだい」
「……え?」


 我が家に代々伝わる家宝《銀星の雫》。星のような輝きを放つ蒼玉の周りに金剛石をあしらったそれは、数代前の当主が当時の国王陛下より直々に賜ったという、建国王ローラ一世の指輪だ。
 王宮に飾られているローラ一世の肖像画にも描かれているという由緒正しい品で、下賜された当時は一目見たいという人々が屋敷の前に列を成したほどだと聞いている。
 以来、我が男爵家はどんなに困窮しても、この指輪だけは手放さずに守り通してきた。――五年前、お母様が病に倒れるまでは。


「……そんなもの、もうないのよ。とっくの昔に売り飛ばして、家にあるのはよく出来た偽物だって、お父様が言ってたもの」
「そ、そんなあ……」
 がっくりと項垂れた怪盗さんだったけど、すぐに気を取り直したようで、はて、と首を傾げてみせる。
「しかしご令嬢。本物ではないと分かっていて、あえて私に《銀星の雫》を盗んでほしいと願うのか?」
 不思議そうに尋ねてくる怪盗に、私は小さく頷いて、これまで誰にも――ばあやにだって話したことのない、当家の裏事情を語り出した。
「私の母は五年前に流行り病で亡くなったの」
 我が家は男爵家とは名ばかりの貧乏貴族で、裕福ではなかったけれど、お父様は治療費を惜しむことなく、腕のいい医者がいると聞けば即座に呼び寄せ、新しい薬があると聞けば大枚を叩いて取り寄せた。
 そんなことをしていれば、ただでさえ少ない財産はあっという間に底をつく。金目の物を売り払い、召使い達にも暇を出し、それでも明日のパンすら買えない状況にまで追い込まれて、父はとうとう、家宝の指輪を売り払うことを決意したのだという。
「うちがお金に困っていることを聞きつけた宝石商が、こっそり話を持ちかけてきたんですって。質屋に入れると思えばいい、買い戻すための金が工面できる日まで、大切にお預かりします、なんて言って」
 よく出来た偽物を作ってくれたのも、その宝石商だという。誰にも言わなければ分からない、人の命は金に換えられないのだから、と言葉巧みに唆されて、父は家宝を手放してしまった。
「その後はもう、お察しの通りよ。母は亡くなり、件の宝石商は煙のように消えてしまった。残ったのは偽物の指輪だけ」
 以来、父は指輪を宝物庫にしまい込み、どんなに『家宝を一目見たい』と頼まれても、あれこれ理由をつけて断り続けていた。そんなところに、件の怪盗騒ぎだ。
「『指輪が盗まれて、偽物だと分かってしまったら、我が家はおしまいだ!』と、そればっかり言ってるのよ」
 なるほどな、と肩をすくめる怪盗さん。
「男爵は随分と心配性なんだなあ。怪盗がそこまで目利きとも限らないだろうに」
「……きっとお父様は五年前、あの宝石商に騙された時から、ずっとその考えに取りつかれてしまっているのだと思うの。いつか誰かに偽物だと見破られてしまったらどうしよう、もうおしまいだ。それしか頭にないみたい」
 ――だから、手紙を書いたの。
「お願いよ怪盗さん。指輪を盗んで。お父様の憂いを断ち切るために」
 元々、我が家には分不相応の宝だったのだ。だったらいっそのこと、なくなってしまった方がせいせいする。
 服の隠しから取り出した指輪をそっと差し出せば、《月夜の貴公子》は不敵な笑みを浮かべて、気障な仕草で指輪をつまみあげた。
「私は何も聞かなかった。だからこれは本物の《銀星の雫》だ。ならば、私が盗んでいっても何の不思議もない」
 そそくさと指輪をしまい込み、そして代わりに懐から取り出したのは――便箋?
「男爵を納得させないといけないだろうからな。ご令嬢にも協力してもらうぞ」
 書き物机からひょいと羽ペンを取り上げ、月明かりを頼りにさらさらとペンを滑らせる。
「これでよし。さあて。では行こうか」
「行くって、どこへ?」
「決まってる。男爵の寝所さ」

* * * * *

「大変よ、お父様!」
 深夜、突然寝室に飛び込んできた娘の声に、長椅子で転寝をしていた男爵はハッと目を覚ました。
「ナタリエ? どうした、こんな時間に」
「いいからこっちに来て!」
 ものすごい剣幕の娘に腕をぐいぐいと引っ張られて廊下へ出てみれば、見張りに立っていたはずの兵士は壁にもたれかかり、高鼾をかいているではないか。
「これは……!」
「怪盗が出たの! 胸騒ぎがして宝物庫へ行ってみたら、宝物庫の鍵は開いていて、見張りの兵士もみんな眠り込んでいたの。そして、これが残っていたのよ」
 差し出されたのは一枚の便箋。そこには流麗な文字が踊っていた。
「『指輪はいただいた 姫に相応しきもの すべてを我が手に 《月夜の貴公子》』……!?」
 青ざめる男爵を横目に、ナタリエがはっと声を上げる。
「お父様、あそこ!」
 ナタリエが指し示した先、廊下の突き当たりにある大きな硝子窓の前に、黒い人影が見える。
「貴様! 何者だ!」
 声を荒げる男爵に、月明かりを背に佇む黒い人影は、優雅に一礼をしてみせた。
「我が名は怪盗《月夜の貴公子》。男爵家に伝わる《銀星の雫》は確かに頂いた! さらばだ!」
 窓を開け放ち、ひらりと夜空に消える怪盗。
「馬鹿な! ここは三階だぞ!」
 慌てて窓辺に駆け寄るが、窓の外には深い闇が広がるのみ。
「そんな……」
 呆然と立ち尽くす男爵に代わり、ナタリエは廊下の兵士達を叩き起こし、逃げた怪盗を追うようにてきぱきと指示を出している。
「ナタリエ、お前……」
 震える声で呼びかけられて振り向いたナタリエは、次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられて目を白黒させた。
「ああ……お前に何事もなくてよかった……。お前まで失ってしまったら、私はどうしたらいいんだ」
「お父様……」
 そっと父の背中に手を回して、そっと囁く。
「ごめんなさい、お父様。指輪を守れなくて」
「いいんだ。いいんだよ。家宝がなくなろうが、爵位を失おうが、お前が無事でいてくれたら、それでいいんだ」
 どこか吹っ切れた様子で繰り返す男爵に、ナタリエは込み上げてきた涙を隠すように、父の胸に顔をこすりつけた。



「……なんてことがあったのよ」
 あっけらかんと語るナタリエに、婚約者の青年は引き攣ったままの顔をぽりぽりと掻いて、いやはや、と呟いた。
「さすがは怪盗《月夜の貴公子》……と言うべきなのかな?」
「困っている人の味方って話は本当だったってことよ。偽物だって公表しないでくれたから、我が家の面子も保たれたし」
 もっとも、保つような面子なんてそもそもないんだけどね、と舌を出すナタリエ。そんな彼女と、子爵家の二男坊である青年フロールは、結婚式を明後日に控えて最終打ち合わせの真っ最中だ。
「そうだ。それで思い出した。さっき、門の前でこれを預かったんだ」
 慌てて服の隠しを漁り、取り出したのは一通の手紙だ。
「男爵家に以前お世話になった人なんだって。君に直接渡してほしいって言われたんだ」
 差し出された封筒には、やけに厚みがあり、振るとがさがさと音がする。
「何か入ってるのかしら?」
不信感よりも好奇心が勝り、逸る気持ちで封を切れば、中から転がり出てきたのは――。
「……!! これ……」
「やあ、綺麗な指輪だね」
「そう……そうね。綺麗な指輪だわ」
 震える手で同封されていた便箋を開く。そこには流麗な文字で、ごく短い文章が綴られていた。

『勇敢なるご令嬢の瞳によく似た指輪を見つけたので、結婚のお祝いにこれを贈る。末永くお幸せに』

 星の輝きを持つ碧玉。それをぐるりと取り囲む金剛石の輝き。そして何よりも、台座の内側に刻印された『ローラ一世』の文字。
 間違いない。これこそ、男爵家に伝わる家宝《銀星の雫》――。
「ほんっとうに気障なんだから……!」
 わざと怒ってみせるナタリエの瞳に、透明な雫が光る。それはまるで、《銀星の雫》そのもの。
「どうせなら結婚式に来てくれたらいいのに」
「駄目だよ、式の最中に君を盗んでいかれたら、僕も義父上も困り果ててしまう。僕らの宝物は君なんだからね」
 こればかりは盗られてなるものか、と芝居がかった調子で抱きしめてくる婚約者に、くすくすと笑みを零すナタリエ。
「怪盗《月夜の貴公子》は義賊だもの。そんな無粋な真似しないわよ」
銀星の雫・おしまい
 こちらは「でんたま! ~伝説の卵神官シリーズ公式アンソロジー~」のために書き下ろした「月に捧ぐ歌」の外伝小説です。本編をお読みいただいた方にはお分かりのことと思いますが、怪盗《月夜の貴公子》の正体は”例の彼女”でございます。
 本編では怪盗としての活躍を描く機会がほとんどなかったので、どこかでちゃんと「怪盗稼業に精を出していたんだよ」というところを書きたいな、とずっと思っており、晴れてこのアンソロで思いを果たせました(^^ゞ
 ……ちなみに、巷で囁かれていた「怪盗《月夜の貴公子》は黒髪」という噂の出どころは、このナタリエ嬢が怪盗騒ぎの後に周囲からあれこれ聞かれて、当たり障りのないことだけ喋ったからだったりします。
2018.02.09

(2016.10発行「でんたま! ~伝説の卵神官シリーズ公式アンソロジー~」初出)


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© 2018 seeds/小田島静流