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 事の発端は、毎度他愛もない雑談の中でふと始まった「初恋談義」だった。
 やれ幼馴染が、いやいや酒場の看板娘が、と様々な話が飛び交う中、「お前はどうなんだよ」と急に矛先を向けられた古参兵ユースフが、柄にもなく笑み崩れながら放った一言は――。
「そりゃもう、『レダちゃん』に決まってるだろうがよ」
 その言葉にどっと熱い溜息が漏れ、天幕中に溢れ返る。
 一人話題に取り残された新参兵ヒューゴは、頭上に疑問符が浮かんで見えるような顔で、くるりと上司を振り返った。
「隊長、どなたですか? その『レダちゃん』って」
 隊員のほとんどが惚けていることからして、恐らくは守備隊絡みの話なのだろうと踏んでの質問だったが、ナジードはにやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、火もつけずに弄んでいた煙草の先でほれほれ、とヒューゴを指し示す。
「お前、元々は城勤めの兵士だろうが」
「はあ、そうですけど」
「だったら『王城祭』を知ってるだろう?」
 それはファトゥール城で働く者達への慰労を兼ねて開催される、年に一度のお祭りのようなものだ。夜には酒宴も行われるが、人気があるのは昼間に行われる演劇で、城勤めの者の中から役者や裏方を募り、かなり本格的な芝居を上演する。一般公開もされるので、祭の半年も前から練習に取り掛かるという気合の入りようだ。
「去年初めて参加しましたけど、侍従長があんなに悪役のお芝居がお上手だとは知りませんでした」
「あの人、日頃の鬱憤をあれで晴らしてるんじゃないかって、もっぱらの噂だからなあ。……まあその話はいい。もう十年ほど前になるか、その『王城祭』で絶世の美女が主役を務めたことがあるんだよ」
「はあ……それが『レダちゃん』ですか」
 それならヒューゴが知るはずもない。しかしそれほどの絶世の美女なら噂くらいは耳に入ってもよさそうなのに、そんな話はとんと聞いたことがない。
「あの時の演目はなんだったかな、ユースフ」
「『絶海の真珠』ですよ隊長! 忘れたんですか!?」
 鼻息も荒く答えた古参兵は、目を丸くして固まるヒューゴを前に得々と語り出した。
 『絶海の真珠』は有名な演目で、長く戦を続ける『森の国』の王子と『海の国』の王女が互いの正体を知らぬまま恋に落ち、しかし運命によって引き裂かれるさまを綴る悲恋の物語だ。
 森の国の王子を演じたのは当時の近衛隊長ルスランで、意外に芝居っ気のある彼は運命に抗わんと奮闘する王子を熱演した。そしてそのお相手である海の国の王女『真珠姫』は当初、城一番の美女と謳われていた侍女のマーシャが演じる予定だったのが、なんと王城祭直前に足を骨折して出演できなくなってしまったのだという。
「……今だから言うが、当時はあまりのマーシャの人気に嫉妬した第一王妃が、足を引っ掛けて怪我させたんじゃないかなんて噂もあったくらいでな」
 声を潜めるナジードに、うわあと顔を引きつらせるヒューゴ。
「主演女優は怪我で出られなくなったが、みんなが楽しみにしている舞台を中止にするわけにもいかない。そこで急遽立てられた代役が『レダ』ってわけだ」
 誰が代役を引き受けたのかは知らされず、城の人々はそわそわしながら王城祭当日を迎えた。
 そして幕が上がり、美しい音楽とともに現れたのは――誰も見たことのない、絶世の美女だった。
「綺麗だったよなあ。艶やかな黒髪! 冷たく透き通った青い瞳! 王子と引き裂かれて泣き崩れる場面なんかもう、涙なしには見られなかったぜ」
「そうそう、あの凛とした声、すらっとした体つき……! なんつーかこう、ぞくっとしたよな」
「最後に海へ身を投げるところなんかもう……周りからすすり泣きが聞こえてきて、見たらみんな泣いててな。気づいたら俺もぼろっぼろ泣いてんのよ」
 思い思いに当時を語る隊員達。普段は本もロクに読まないような荒くれ者達をここまで釘付けにした伝説の舞台とは、よほどのものだったのだろう。
「――で、舞台が終わって、役者達が挨拶に出てくるわけだが、その主演女優だけが出てこなくてな。ルスランが『我らが主演女優は恥ずかしがり屋で、今回も一度きりだからと拝み倒して出てもらったので、もう二度とお目にかかる機会はないだろう。実に残念だが、どうか本人の意思を尊重してやって欲しい』と言ったもんだから、もう会場は荒れに荒れてな」
 目に見えて落胆する観客達に向かって、ルスランは高らかにこう宣言したという。
「今日、奇跡の舞台を我らは目撃した! 伝説の目撃者達よ、美の女神に愛されし名女優の名をしかと胸に刻め! その名は『レダ』! 美しき真珠姫よ、永遠なれ!」
 劇場は歓声に包まれ、そして謎の美女『レダ』の名は伝説となった。

「じゃあ、それっきり……?」
「おうよ。どこの誰だったのか、城の人間であることは間違いねえと思うんだが、関係者に聞いても絶対に教えてくれなくてよお」
王城には王族付きの侍女から庭師見習いまで、実に百人以上の人間が働いている。まして女性は入れ替わりが激しく、結局『レダ』が誰だったのか特定出来ないまま、十年もの年月が過ぎてしまったという。
「女は化粧と衣装で大分感じが変わるしなあ」
「あの黒髪もかつらだったらしいし」
「分かってるのは、当時二十代前半で、青い目で背が高かったってことくらいか」
「あーあ、もう一度でいいから会いたいよなあ」
 十年経った今でも、彼らは伝説の名女優に骨抜きにされたままらしい。奇跡の舞台を思い出して蕩けている彼らに、やれやれと肩をすくめたナジードは、犬でも追い払うようにひらひらと手を振った。
「いつまでも思い出に浸ってないで、見回りでもしてこい。新たな恋に出会えるかもしれんぞ」
「軽く言ってくれるぜ隊長」
「ったく、自分も独り身のくせしてよぉ」
 ぶつくさと文句を言いつつ、ぞろぞろと天幕を出ていく古参兵達。その後に続こうとして、ちょいちょい、とナジードに手招きされたヒューゴは、怪訝な顔をして足を止めた。
「なんですか? 隊長」
「一応、言っておこうと思ってな。……何しろ、お前は元々近衛隊所属だからなあ」
 そんな前置きに嫌な予感がして、ごくりとつばを飲み込むヒューゴ。
「……何でしょう?」
 誰にも言うなよ、と釘を刺して、ナジードは声を潜めた。
「さっき話した前近衛隊長殿は大の芝居好きでな。見るのも好きだが、自分で演じるのも好きと来た。そのおかげで、彼がいた頃は「これも修行の一環だ」とか適当なことを言って、近衛隊の若い連中を巻き込んで舞台に出ることも多くて、よく愚痴を聞かされたもんよ」
 確かに、隊の先輩方からそんな苦労話を聞いたことがある。ヒューゴ自身は面識がないが、前近衛隊長ルスランはかなり豪放磊落な気性の男だったようで、生真面目を絵に描いたような現近衛隊長ヴァレルとはまさに真逆と言えよう。
「あの時は本番十日前に主演女優が怪我で出られなくなってな。今から代役を立てようにも、めぼしい女性陣はすでに他の役が決まっているし、外部から誰かってわけにもいかなくて、関係者一同頭を抱えてたところに、ルスラン殿が『それならうちの新人にやらせよう。ちょうどいいのがいる』って言って――」
「ちょっと待ってください」
 慌てて話を遮り、ぶんぶんと手を振る。
「近衛隊ですよ?」
「ああ、そうだな」
「――近衛隊は男しかいませんよ!?」
「ああ、今も昔もそうだなあ。近年は女性の登用も検討してるらしいが――」
「隊長!?」
「でかい声を出すなよ」
 わざとらしく耳を押さえて、ナジードはにやり、と笑ってみせる。
「さてヒューゴよ。十年前から近衛隊にいて、目が青くて背が高いヤツといったら誰が思い浮かぶ?」
 腕を組み、しばし考え込む。近衛隊員になって一年余り、隊員の顔と名前はばっちり頭に叩き込んでいる。その中で条件に合う隊員と言えば――。
「……ヴァレル隊長しかいないじゃないですか……!!」
 青ざめた顔で呟けば、うんうん、と軽いノリで肯定された。
「まだ二十歳そこそこ、しかも貴族の坊ちゃんだ。体つきも今より細っこくてなあ。衣装係が『ほとんど直さないで入るなんて!』って喜んでたよ」
「ヴァレル隊長が……伝説の名女優……」
 わなわなと奮えるヒューゴの肩を労わるように叩き、苦笑を零すナジード。
「さんざん抵抗したらしいが、上司に頭を下げられちゃ、断り切れなかったんだろうよ。渋々ながら舞台に立ったが、断固として正体を明かすことだけは嫌がったんだそうだ」
 目立つ金髪もかつらをつけてしまえば分からない。化粧をして衣装をつければ、そこにいるのはもう近衛隊の新人隊員ではない。凛とした佇まいで人々を魅了する名女優『レダ』だ。
「事情を知ってる近衛隊の連中と芝居関係者以外には正体を明かさず、かくして『レダ』は伝説となった……というのが真相だ。つーわけで、くれぐれもあいつの前で『レダ』の話をするなよ? 半月は口を利いてくれなくなるぞ。それと――うちの連中にも言わないでやってくれ。夢を壊すのは可哀想だからな」
「……はい。決して、誰にも言いません」
 神妙な顔で頷いたヒューゴは、あれ? と首を傾げた。
「じゃあ、なんでナジード隊長は『レダ』の正体をご存じなんですか?」
 十年前と言えば、ナジードが守備隊に入った頃だ。守備隊は首都警護が主任務で、王城とはさほど密接な関わりがない。ユースフ達の話からして、当日はあくまで観客としてその場にいたのだろうから、芝居関係者でもなさそうだ。
 不思議がるヒューゴに、ナジードは顎鬚を撫でながら、なあにと笑ってみせた。
「あいつとは王城祭の前から顔見知りなんだよ。近衛隊との合同訓練があって、そこで知り合ったんだ」
 かたや名門貴族の三男坊、かたや傭兵崩れ。生まれも育ちも違う二人だったが、年齢だけは近かったため、自然と話す機会が増えて、会えば気さくに挨拶を交わす程度の仲にはなっていた。
「あれは何の時だったかな。綽名とか二つ名とか、そういう話になった時に聞いたんだったか。なんでも、あいつの一族は昔から、男子が早逝する傾向があるらしくてな。そこで、男が生まれた場合は女性名をつけて厄払いをするというか、息災を願う習わしがあるそうなんだ」
 故にヴァレルも女性名を持っているのだが、それを酷く嫌がっており、滅多に正式名を名乗らないのだという。
「まさか……」
「そう。あいつの本名はヴィクトル・レダ=ヴァレル。だから、『レダ』って聞いた瞬間、分かっちまったんだよなあ」
 大歓声に包まれた会場を抜け出し、楽屋をこっそり覗いたところ、涙目で衣装を脱ぎ捨てているヴァレルとばっちり目が合って、それはもう盛大に怒鳴られ、詰られ、最後には咽び泣く彼をひたすら慰める羽目になった。
「その後、ルスラン殿から事の顛末を聞かされて、固く口止めされたってわけだ」
そしてその後、ヴァレルは半月ほど口を利いてくれないどころか目も合わせてくれなかったので、以来その話はしないようにしているのだが、王城祭が近づくたびにユースフ達が『愛しのレダ』の話をするものだから、そのたびに思い出してしまうのだ。あの奇跡の舞台を。観客すべてを魅了した『真珠姫』の艶姿を。
「むくつけき男どもの心を根こそぎ奪って、そのまま消えちまったんだ。いやまったく、罪作りなヤツだよ」
 煙草を咥え、くく、と笑うナジード。
 その、どこか寂しげな横顔に、ヒューゴは小さく息を吐いて「そうですね」とだけ答えたのだった。
愛しのレダ・おしまい
 こちらは「でんたま! ~伝説の卵神官シリーズ公式アンソロジー~」に寄せたSSです。
 でんたまアンソロでは頂いた作品に対して、同じ登場人物等を入れたSSを書く、というやり方を取っておりまして、こちらはかんじさんが描いてくださった「ヒューゴの初めての女性(ひと)」のお返しとして書いたお話です。
 頂いた漫画が「月に捧ぐ歌」に登場する守備隊の面々に焦点を当てたものだったので、お返しSSも守備隊のお話にさせていただきました。
 これはもう、なんかぽんと思い浮かんで、そのままがーっと書き綴った作品。何気ない初恋談義から始まる、ちょっとほろ苦い(?)思い出話です。
 タイトルイラストもかんじさんが描いてくださったんですが、実は巻末の「登場人物紹介」を見ると……あれ? という仕掛けを仕込んでくださいました! これ、気付いた方いるかなあ??
2024.09.28

(2016.10発行「でんたま! ~伝説の卵神官シリーズ公式アンソロジー~」初出)


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