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前夜

 星のない夜空は、どこか不気味だ。
 深い闇の中、すべてのものが息を潜めて、何かに耐え忍んでいる――そんな一節を、昔語りで聞いたせいだろうか。
 星のない空。静寂の闇。
 焚き火のはぜる音が、眠りの淵に落ち込んでしまいそうな彼を、必死に繋ぎとめている。それでも、うっかり目を瞑りかけて、慌てて顔を上げた。
「いかんいかん」
 わざと口に出してみれば、どこからともなくからかうような声が響いてくる。
『火の番が居眠りしてどーすんのさ。これだからお坊ちゃまは困るんだよねー』
 脳裏に蘇る、明るい声。そうやってしょっちゅう彼をからかっていた自称『探索者』の少女は、もういない。
「最後までお坊ちゃま呼ばわりとはな」
 ――泣かないでよ。これだからお坊ちゃまは。
 そう笑って、彼女は逝った。そんな別れの言葉を聞けたのは、死者の声を聞く力を持つ彼だけだったから、余計に堪えた。
 最後に生きた彼女を見たのは、半月も前のことだった。
「ちょっと見てくるね〜」
 そんな、まるで散歩にでも出るような気軽さで、決死の偵察に向かった南国の少女は、物言わぬ死者と成り果てて、それでも自身の足で彼らの元に戻ってきた。その手に愛用の小刀と、そして巫女を名乗る少女からの手紙を握り締めて――。
「危険だと言ったのに、人の話を聞かないからこうなるんだ」
 立ち上がり、丘の上に頼りなく立つ木の根元へと文句をぶちまける。
 村外れの丘、楡の木の下に並ぶ、二つの墓標。
 墓といっても、粗末なものだ。死者を操る術から彼らを守るために、その身体は火葬され、遺骨は砕かれた。そこに眠るのは、遺骨の入った小さな瓶。この戦いが終わったなら、ちゃんとした墓を立てて土に還そう。そう心に決めたから、墓石は用意しなかった。だから、自らの愛用した武器を墓標代わりに、彼らは眠っている。
 彼女――《探索者》イーリャの愛用した小刀には、「切れ味を良くするおまじない」と称して燕の意匠が彫られている。それが彼女のギルド内での呼び名だと知ったのは、大分後になってからのことだ。
「お前も何とか言ってやれ、ミナギ」
 地面に突き刺さった三本の小刀の隣、風変わりな片刃の剣へと目をやれば、その波打つ刃文に生真面目な男の姿が浮かぶ。
『某の方が無謀であったからなあ。人のことは言えぬよ。はっはっは』
 腹が立つほどに爽快な笑い声が、これほど憎たらしいと思ったことはない。
 傷ついた仲間を守るため、無数の死霊を相手に捨て身の攻撃をしかけた異国の剣士は、相討ちとなって果てた。裂帛の気合を宿した刃は悪霊をも切り裂いたが、死霊の指先は無常にも、彼の命を絡め取っていった。
「遠い島国からはるばるやってきたのは、ここで倒れるためじゃなかったはずだぞ」
 旅の途中で出会った異国の剣士。ネツハ一族のミナギと名乗った彼の目的は、伝説の剣豪《疾風》の愛用した太刀を見つけ出すこと。刀剣蒐集癖のある彼のおかげで曰くつきの武器を巡る騒動に巻き込まれたりと、面倒を背負いこんだことも少なくない。それでもいつだって彼は、その全てを「終わり良ければ全てよし!」と笑い飛ばした。最後の最後まで、笑っていた。
「何が終わり良ければ、だ。ちっとも良くないぞ。こっちはまだ終わっていないんだ」
「うるさいぞ」
 ごん、と後頭部を殴られて、何を、と振り返れば、そこには呆れた顔の精霊使いが立っていた。
「さっきから見ていれば一人でぶつぶつと、怪しいことこの上ない。思い出との語らいは爺になるまで取っておけ」
「やかましい! 大体なんだ、さっきから見ていたなら声くらいかけたらどうだ!」
「交代の時間まで待ってやったんだ。ありがたく思え」
 言われて懐中時計を取り出せば、確かに見張りの交代時刻を僅かに過ぎていた。これ以上はいつもの押し問答になるだけだと判断して、ぐっと黙り込む。
 すると精霊使いは意外な行動に出た。焚き火の前に腰を下ろし、ぶら下げていた酒瓶を突き出してきたのだ。
「なんだ」
「見て分からんか。ぼけるには早いぞ」
「酒瓶だということは見れば分かる! それをどうしろというんだ!」
「酒は飲むものだ。いらんなら俺一人で飲む」
 さっさと引っ込めようとするそれを奪い取って、一気に呷る。喉が焼けつくようなそれは、孤高の精霊使いグランの故郷の酒。秘蔵の一本だと気づいて、酒瓶をつき返す。
「気味の悪いことをするな」
「何がだ」
 酒瓶を取り返し、ぐいと呷るグラン。かなり強い酒だというのに、顔色一つ変えない。もっとも、彼が無表情なのはいつものことだ。彼が気色ばむのは、長年追い求めている竜に関する話題の時だけ。そのあまりの変貌ぶりは呆れるを通り越して気味が悪いほどだが、それをからかう者も、共感する者も、もういない。
「秘蔵の《竜殺し》を持ち出して、慰めているつもりか」
「男を慰める趣味はない。これは弔いの酒だ」
 無造作に酒瓶をひっくり返し、半分以上残っていた透明の酒を墓標へと振りかける。最後の一滴まで、惜しげもなく大地に飲み込ませて、そうしてグランは空になった酒瓶をほい、と宙に放った。こら、と言いかけて、その酒瓶をひょいと受け取った無骨な手に驚く。
「ダグ、いたのか」
「いたのか、とは挨拶じゃな。ちょうど今、登ってきたとこじゃい」
 よっこらしょ、とその場に胡坐をかいて、山人の格闘家ダグラスは空っぽの酒瓶を恨めしげに見つめた。
「なんじゃい、一口くらい飲ませてくれても罰は当たらんだろうに」
「あんたに酒を飲ませたら大変なことになる。墓を壊されたんじゃたまらないからな」
 酒を飲むと大暴れする癖のあるダグラスは、冗談だと頭を掻いた。
「もう酒は飲まん。そう決めたんじゃ。だから首尾よくあやつらを打ち倒したとして、祝いの席でもワシに酒を勧めんでくれよ」
 にやりと笑うダグラスに、思わず苦笑を漏らす。
 勝ち目のない戦いだと分かっているのにもかかわらず、彼はあっけらかんと、その後の話をしてみせる。そして、いつもならそれを揶揄するだろう精霊使いは、当たり前だと怒ってみせた。
「折角の祝宴を台無しにされちゃかなわん」
 いつも通りの口調でそう皮肉って、振り向かずに続ける。
「だから、二人とも葡萄の果汁あたりで我慢するんだな」
「ええ、そうしますわ」
 涼やかな声に、ぎょっとして振り向けば、そこには丘をえっちらおっちら登ってきた女魔術士の姿があった。
「マーリカ! なんでお前まで来るんだ!」
 ようやく丘を登りきった女魔術士は、愛用の杖を片手にうふふ、と笑う。
「ずるいですわよ、二人で盛り上がって」
「そうじゃそうじゃ。ワシらも混ぜんかい」
「誰が盛り上がってるんだ、誰が!」
「俺は交代に来ただけだ」
 ぼやく二人を尻目に、火のそばに腰掛けるダグラスとマーリカ。交代で見張りのはずが、これでは意味がない。そうぼやきながらも、顔は笑っていたらしい。それを目ざとく見つけたグランが、ふんと鼻を鳴らす。
「しまらない顔だ。それだから女にもてないんだ」
「やかましい!」
 反射的に怒鳴りつつ、はたと重要なことを思い出した。今日、この見張り番を交代して塒にしている廃屋へと戻ったら、必ず伝えようと決めていた言葉。
 この場で言うには少々躊躇われたが、ぐずぐずしていると夜が明けてしまう。
「マーリカ!」
 意を決して立ち上がれば、ちょうど焚き火に薪を追加していた女魔術士は、不思議そうに小首を傾げてみせた。
「はい?」
「この戦いが終わったら、結婚して欲しい」
 あまりに唐突な求婚に一同が固まる中、当のマーリカはいたって平然と、そしてにっこりと即答した。
「お断りします」
 きっぱりと言い放った女魔術士の顔はどこか寂しげだったが、そんなことに気づく余裕はなく。
 がっくりと肩を落とせば、山人の戦士がぽんぽんとその背中を叩いた。
「……ま、気を落とさんこった」
「これが気を落とさないでいられる場面か!!」
 咄嗟に怒鳴り返した拍子に、未だニコニコと笑っているマーリカと目が合ってしまって、思わず顔を背ける。
「すまなかった! 帰って寝る!」
「お、おい、ゲルク!」
 律儀にそう言い残し、暴れ馬の如く丘を駆け下りていく若き神官戦士。慌ててそれを追いかけたダグラスが足を踏み外して丘を転がり落ちていく様を見届けてから、グランはマーリカに鋭い視線を向けた。
「即答だったな」
「ええ。だって、期待を持たせては申し訳ないでしょう?」
「なるほど。お前らしい」
 冷ややかに答えるマーリカに肩をすくめてみせて、ダグラスが忘れていった空の酒瓶をひょい、と取り上げる。
「あの馬鹿が騒ぎを起こさないよう、釘を刺してくる。見張りを代われ」
「はい、分かりました」
 踵を返し、足早にその場を後にするグラン。その後姿が見えなくなるまでを見送って、マーリカはふう、と大きく息を吐いた。
『ホントにこれでよかったの?』
 そんな声が聞こえた気がして、くるりと振り返る。
 楡の木の下、静かにたたずむ二つの墓標。そこに友らの顔を見た気がして、マーリカは小さく微笑えんだ。
「だって、『この戦いが終わったら』なんて台詞をはいた人は、大抵その後に命を落とすと相場が決まっているでしょう?」
 夜明けと共に、彼らは神殿へと突入する。ここ半月の膠着状態から抜け出し、そしてこの戦いを終わりにするための作戦は、彼らと、そして共に戦うエストの村人達が考えた、最後の作戦。
 だからこその告白だったのだろう。
 だからこそ、全力で嘘をついた。
「あの人に、そんなくだらないことで死んで欲しくありませんもの」
 旅の途中で知り合った神官戦士。
 どこまでも熱血漢で、お人よしで、情に厚くて、まっすぐで。
 ただひたすらに前進を続ける彼を、羨ましいと思った。
 計算のない、純粋な魂を、愛しいと思った。
 だからこそ。
「だから、わざとふってやりましたのよ」
 好意を持たれていることは随分前から分かっていた。何しろあの性格だ、隠し事など出来るはずもない。
 それでも、今まで何の動きもなかったのは、お互いにきっかけがつかめずにいたからなのだろう。
 待ちに待っていたきっかけが、こんなことだなんて寂しすぎる。
 だから、そう。
『では、戦いが終わったら――?』
 笑いを含んだ問いかけに、マーリカはそうね、と杖を握り締めた。
「戦いが終わったら。そうですわね、戦いが終わったら……」
 今度は私から、求婚するのもいいかもしれないわ。

 声にならない呟きを拾い上げて、夜風が丘を通り過ぎていく。
 彼方に広がる地平線は、まだどっしりと暗く。
 しかし、決戦の日は、もうすぐそこまで迫っていた。

-完-



 六十年前の決戦前夜の一幕でした〜。
 死亡フラグをさらりとスルーされた甲斐があってかどうかは分かりませんが、かの戦いにおいてグランと二人、辛くも生き延びたゲルク。
 のち、グランはこの丘の上に小屋を立てて暮らし、ゲルクは神殿を復興させて村娘と結婚をすることになります。
 なお、こちらは494949getされたM.Kさんからのリクエスト「影の神殿との戦いにおける、ゲルクと5人の仲間達のエピソード」をもとに書かせていただきました。
 書き出すまでグラン・イーリャ・マーリカ以外の仲間の設定はほとんどなかったのですが(おいおい)、いざ書き出したらするすると、元・閉ざされた島出身のサムライと山人の格闘家というキャラが出来上がっていきました。
 こういうことがあると、まさに「物語は生きている」ということを実感させられます。
 M.Kさん、素敵なリクエストをありがとうございましたm(__)m

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