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第一章[3]

「いやあ、よく来て下さいました!」
 喜びをあらわにラウルを出迎えた村長は、見るからに人の良さそうな男性だった。思っていたよりも若く、恐らくは三十代後半といったところだろう。
(目、開いてんのか……?)
 と思うくらい細い目を更に細めて、村長はラウルに歩み寄ると、その手を強引に握り締めてくる。
「村長のヒュー=エバンスと申します。いやはや、こんな北の僻地によくいらして下さいました。後任をと要請した折、人手不足ですぐに派遣できるか分からないと言われまして。こんなに早く来て下さるとは夢のようです」
 村長の言葉にラウルは曖昧な笑みを浮かべる。
(たまたまだよ、たまたま)
 とは口が裂けても言えない。そんな、本神殿で問題を起こし、少しでも遠いところに行って頭を冷やして来いという本神殿長の一言で、たまたま空いていた任地であるここに飛ばされてきただなんて、とてもとても。
 まあ、人手不足で後任がすぐに派遣できなかったのは嘘ではない。はっきり言って、地味で暗くて辛気臭い、葬式でしか一般人に縁のないユーク神官は、なり手が少ないのだ。
「まあ、お座り下さい。今、息子のマリオにゲルク様を呼びに行かせていますので……」
 居間の椅子を勧めながら、村長はしきりに上の方を気にしているようだった。
「ありがとうございます」
 椅子に腰掛け、何気なく村長の気にする「上の方」に視線を向ける。
 次の瞬間、ラウルは目に飛び込んできた光景に目を見張った。
「……なぜ空が見えるんですか?」
 確か、入ってくる前に外から見た村長宅は、二階建てのがっしりとした建物だった。なのに、一階の応接間の天井から青空が覗ける。
「いやはや、昨夜の突風で屋根に穴が空いてしまいまして」
 恥ずかしそうに笑う村長だが、笑い事ではあるまい。
(屋根に穴が空いただけじゃないだろう、こりゃあ……)
「それを修理しようと今朝からバタバタしてましたら、今度は二階の床に穴が空いてしまいまして」
 もともと雨漏りがする個所だったから、屋根も二階の床も弱っていたのでしょう、と笑う村長に、ラウルは笑顔を取り繕いつつ、
(なんだか、とぼけたおっさんだな……)
 と内心呟く。そして、ふと気づいて口を開いた。
「そう言えば、新しい神官の赴任を要請したのは村長だと伺いましたが……」
「ええ、私が要請したんです。いやあ……」
 村長は頭を掻きながら、こぼしてみせる。
「何しろ、神殿に勤めておられるゲルク様は、それはもう優秀な神官様だったと聞いておるのですが、まあお年がお年ですから……」
 ゲルク老人は八十をとうに超えているという。普通ならとっくに隠居していてもおかしくない年齢だ。
「ここ数年は弔いの文句を忘れる、亡くなった方の名前を間違える、墓穴を掘っていて腰を痛めると、そんな調子でして。それでいて、本人は死ぬまで頑張ると言い張るものですから、村の者からもなんとかしてくれと口々に頼まれましてね」
 ラウルが眉間にしわを寄せる。なるほど、そんな状態では村人が、あれほどまでにラウルを歓迎するはずだ。
 と、表の方が騒がしくなってきた。
 何やら怒鳴っているしわがれ声と、それを宥めている少女の声、更にガヤガヤしているのは何だろう。
 その声を聞いて村長が立ち上がる。
「いらしたようですね」
 村長自ら扉を開けると、ちょうど扉を叩こうとした体勢で固まっている少年の姿がそこにあった。
「わ、と、父さん」
 わたわたしているこの少年が、どうやらゲルク老人を呼びに行ったという村長の息子マリオらしい。村長と同じ柔らかい金の髪を揺らし、興味津々といった様子でラウルを窺ってくる。
「わぁ、その人が新しい神官様?」
「ああ、そうだよ。ゲルク様は……あいかわらずのようだね」
 扉が開いたことで、玄関の騒ぎがより大きく聞こえてくる。どうやら怒鳴り散らしているのが、問題のゲルク老人のようだ。
(げっ、やだなあ、あんなのから引継ぎ受けるのか……)
 舌打ちしたいところをぐっとこらえて、ラウルも椅子から立ち上がった。気難しい老人を出迎えるのにのんびりと座っていては、何を言われるか分かったものではない。
「わしゃー、まだボケとらん!」
「おじいちゃま、分かったから……」
「そうだそうだ、爺様は生涯現役だ」
「だどもよ、折角若いのが来てくれたんだから、仕事は若いのに任せて……」
「わしゃー、ボケとらんと言うに!」
「だからぁ……」
 頭が痛くなってくる会話が聞こえてくる。
(ボケてそうだなあ……)
 耳が遠いだけかもしれないが、まあ実務に差し障りがあるのは間違いないだろう。
「とりあえず、ここにお通ししなさい」
「はい、父さん」
 マリオがパタパタと走っていき、すぐに戻って来た。その後ろには、見るからにしわくちゃの爺様と一人の少女、更に大勢の村人がついてくる。
「おー、そっちのお方が新しい神官さんか」
「さっき入り口で会ったなあ」
「あれま、随分と男前な神官さんだなや」
 好き勝手に騒ぐ村人達に目を白黒させるラウル。すぐさま村長がパンパン、と手を叩きながら、
「あー、皆さん。ここにはそんなに入りきりませんから、一旦お引取り下さい」
 と慣れた様子で追い出しにかかった。
「そしたら、また後でなあ、神官さん」
「ゲルク様も、これで一安心だなあ」
「おら達もだ」
 などと言いながら、ぞろぞろと退散する村人達。そして、一挙に静まり返った部屋には五人の人間だけが残った。
 沈黙の支配する中、ラウルをじろじろと眺め回して、老人はおもむろに口を開く。
「お前さんが、新しく来た神官じゃな?」
「ラウル=エバスト神官です。よろしくお見知り置きを」
 深く頭を下げるラウルに、ゲルクも礼を返す。そして、
「ゲルク=ズースン司祭じゃ。生涯現役がワシの信念じゃ」
 きっぱり言ってのけた。
「そんなことを言ってもゲルク様、もうお年なんですから……」
 村長の言葉に、体を支えていた杖をぶんぶんと振り回して抗議する老人。
「年寄り扱いするな! わしゃまだ八十……」
 はた、と首を傾げて、後ろに控える孫娘を振り返る。
「……いくつじゃったかの? エリナ」
「八十四よ、おじいちゃま」
 優しく答える孫娘。年の頃は十三、四か。柔らかい茶色の髪とつぶらな鳶色の瞳が可愛らしい。とてもこの頑固爺と血が繋がっているとは思えないくらいだ。
(残念、まだ声かけるには早すぎるな)
 などと不届きなことをラウルが考えているとも知らず、ラウルの視線に気づいてにっこりと会釈を返して来るエリナ。
「とにかくゲルク様、エバスト神官様が本神殿からいらしてくださったことですし、この機会ですからどうぞゆっくりお体を休めてですねえ」
 村長の言葉に、しかし老人は首を横に振る。
「いいや! わしゃー死ぬまでこの村で墓を守ると心に決めておるのじゃ! ワシ一人で十分じゃっ!」
 見事なまでの頑固爺ぶりである。
「そんなこと言ってもおじいちゃま、神殿は昨日の突風で壊れちゃって寝泊りできない状態だし、おじいちゃまだって今、あんまり体の調子も良くないじゃない」
 優しく諭すエリナ。その言葉の中に不穏な語句が混じっていることに気づいてしまい、ラウルは小さく眉をひそめて彼女を窺った。
「あの、今なんと仰いました?」
 恐る恐る尋ねてみると、エリナは小首を傾げながら先程の発言を繰り返す。
「おじいちゃま、体の調子が……」
「いえ、そこじゃなくて」
「神殿が昨日の突風で壊れちゃって……」
 そう、そこだ。
 ギギィ、と壊れた人形のような動きで村長を見ると、村長はいやぁ、と頭を掻きながら、
「そうなんですよ。昨日の突風で村中被害を被りましてね」
「神殿も、なんですね?」
「一番被害が大きかったかもしれませんね。ただでさえ古い建物でしたから、屋根は飛ぶ、壁は崩れるとまあ、半壊状態で……」
 顔を引きつらせるラウルに、マリオが慌てて、
「あ、あの、勿論寝泊りする場所はちゃんと別に用意しますし、神殿の復旧も村の人総出でお手伝いしますから」
 と助け舟を出す。そんな彼らのやりとりが耳に入っていないのか、
「神殿と墓はワシが守るんじゃ!」
 と喚き続けるゲルク。怒鳴りたくなるのを我慢しつつ、ラウルは老人に向き直った。
「司祭様」
「ワシ一人で十分じゃ!」
「おじいちゃま!」
 老人をなだめようとするエリナをすっと手で押しとどめて、老人の目線に合わせるべく腰を落とす。そしてゆっくりと、まるで子供を宥めるかのように言ってやった。
「司祭様。私は何も、司祭様を無理やり退職に追い込むために派遣されてきたわけではありません」
「む?」
「司祭様のお手伝いをさせていただくために参ったのです。そのおつもりで、どうぞご指導願います」
「何? そうなのか?」
 拍子抜けした顔の老人。一方村長も、おや? いう顔でラウルに小声で尋ねてきた。
「……そうなんですか?」
「……とりあえずそういうことにしておいて下さい」
 小声で返して、再び老人に向き直る。
「ひとまず、神殿がそのような状態ではお勤めは無理ですし、復旧工事が済むまで、お孫さんの仰る通り、体を休められてはいかがですか?」
 しかし、とまだ渋る老人に、ラウルは駄目押しだとばかりに付け足した。
「我らユークの使徒、人々に安らぎをもたらす者が自分の体を省みないのでは、まさに本末転倒。ユークの教えに反しているのではありませんか」
「むっ……」
 返す言葉に詰まる老人。そこに、駄目押しとばかりにエリナがやさしく言葉をかけた。
「神官様もこう仰ってることだし、そうしましょうよ。神様がくれたお休みだと思えばいいじゃない。ね?」
 孫娘の言葉に、ようやく老人は心を決めたようだった。
「よし、分かった。神殿が直るまでの間、しばし休ませてもらう。しかし、神殿が直った暁には……」
「ええ、元気なお姿で復帰されるのを楽しみにしております」
 ラウルの言葉によしよしと頷いて、老人は踵を返した。
「それでは、またな、村長」
 スタスタと去っていくその姿は、どこかほっとしているようにも見えた。
「あの……」
 老人を追いかけようとしたエリナだったが、くるりと踵を返してラウルに歩み寄り、ぺこりと頭を下げる。
「ああ言って下さって、本当にありがとうございました。おじいちゃま、新しい神官様に追い出されると思い込んでたみたいなんです」
「いえ、とんでもない」
 冷や汗をかきつつ答えるラウル。実際、追い出すつもりでやってきた訳ではないのだが、かといってボケ老人の下でこき使われるのもご免だった。
(ひとまず神殿を何とかして、あとは口先三寸で退職に丸め込むしかない)
 などという考えの下にああ言ったとは、純真な瞳で見上げてくる少女にはとても言えたものではない。
「おじいちゃま、本当は結構体が弱ってるんです。でも、こんな田舎に勤めてくれる後任の神官なんていないって頑張ってたんです」
「それじゃ、少し休んだら気が変わって、自分から辞めるって言い出すかもしれないね」
 マリオの言葉にエリナも頷いた。そんな彼女を呼ぶ声が玄関から響く。
「おーい、エリナ! 帰るぞ!」
「はぁーい! それじゃ、失礼します」
 パタパタと去っていくエリナ。そして、部屋にようやく静寂が戻ってきた。
「ええと、どうするの父さん?」
 妙な沈黙をマリオが破る。村長はああ、と手を叩いて、ラウルに向き直った。
「ひとまず、泊まっていただく場所にご案内しましょう。本当はこの屋敷に滞在していただこうと思ったんですが、何しろ屋根がこの状態ですから……。本当に申し訳ないのですが、村外れに小屋がありますので、しばらくそちらを使って頂いて宜しいですか?」
「お気遣いなく。雨風さえ凌げれば、それで十分です」
 少なくとも、半壊した神殿で寝泊りするよりはましだ。
「私はちょっと用事がありますので、この子に案内させます。マリオ、頼んだよ」
「はい、父さん。それじゃ神官様、行きましょう。あ、荷物お持ちします!」
 ラウルが断る前にひょいと荷物を抱えて、マリオはさあさあとラウルを促した。

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