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第二章[7] |
時は少々遡る。 ラウルが出かけた小屋では、卵が一人で静かにお留守番をしていた。 と言っても、いつも通り火を落とした暖炉の前で、ぬくぬくしているだけだ。 ラウルは知る由もないが、一人でいる時の卵は結構静かなものだ。眠っているのか、揺れもしないし光りもしない。 なので知らない人が見れば、暖炉の前に巨大な卵型の置物が置かれているように見えるだろう。 ラウルの住む小屋は、見晴らしの良い小高い丘の上に建てられている。小屋のすぐそばには一本の木が植えられており、風に揺られてざわざわと心地よい音を立てている。 見晴らしの良い丘の上といっても、ここは村外れで人気がない。マリオやエスタス達が訪ねて来る他は、ほとんどといっていいほど誰もやってこない場所だ。 その小屋に、珍しく客が現れていた。 重厚な作りの扉の前に立ち、コンコンと扉を叩く。 「ラウルさーん」 柔らかい金の髪に細い目の、それはエスト村長ヒュー=エバンスその人だった。 「お留守でしたかねえ」 いくら待っても返事がない。村長はそう呟くと、ひょいひょいと軽い足取りで裏口の方に回る。 「ラウルさーん?」 裏口は台所に続いている。そっと取っ手に手をかけると、扉はすんなり開いた。 「おじゃましますよー?」 小声で言いつつ、台所に入っていく村長。その足取りは奇妙に軽く、足音を立てない。 台所から居間へ扉をくぐると、暖炉の前に卵の収まった籠が見えた。 「お久しぶりですねー、卵くん」 にこやかに近づく村長。その笑顔とは裏腹に、細められた瞳は鋭い眼光を湛えている。 勿論、卵は答えない。そして――。 息せき切って小屋に戻ってきたラウルが扉に手を掛けた瞬間、その奇声は響いてきた。 「わぁぁぁぁっぁぁぁ……っ!!」 男の声だ。それも、どう聞いても小屋の中から聞こえてくる。 急いで鍵を開け、居間に飛び込んだラウルの目に入ったものは、暖炉の前でピカピカと明滅し大きく揺れる卵と、それを見てうろたえている村長の姿だった。 「……何やってるんです、村長」 呆れ顔で尋ねるラウルに、村長は困り果てた顔で、 「ちょっと近づいただけなんですけど、急にこんな風になってしまって……。私、何かまずいことしましたか? どうしましょう〜?」 (ったく……) ラウルは心の中で毒づくと、卵をひょいと抱え上げた。 「おや?」 卵が先程とは違った光り方をする。頭の中には楽しげな、ぴぃぴぃという声が響いていた。ラウルが帰って来たことを喜んでいるのか、抱き上げてもらって喜んでいるのかは分からないが、楽しそうな雰囲気だけは伝わってくる。 「どうしたんだ?」 とこっそり問いかけるが、卵はいつもの如く、 ――ぴぃぴぃぴぃ―― と答えるばかり。まあ、何か言いたそうな雰囲気は汲み取れるが、無論ラウルに分かるはずもない。 「私、別に触ってもいないんですけどねえ〜。寝ているところを起こしちゃったとか、そういうことですかねえ。すいませんね、卵くん」 まるで子供に話しかけるような村長に、ラウルはふと疑惑の念を抱いた。 「村長。なぜここに? 玄関の鍵は閉まっていたはずですが」 村長はいやあ、と頭を掻く。 「裏口が開いていたものですから」 (そういう問題か!?) ラウルの心の声が聞こえたかのように、村長はわたわたと言い訳をし始める。 「表の扉を何度も叩いたんですけど返事がなかったもので、声が聞こえなかったのかと思いまして」 外出されているとは知らず、すいませんでした、と謝る村長に、ラウルはそっと溜め息をついて尋ねた。 「何か私にご用ですか?」 「いえ、卵くんの様子を見に来ただけなんですけどね。マリオから色々話は聞いているんですが、やはり自分の目で見たいじゃないですか」 つい好奇心が過ぎました、とまだ謝っている村長。その様子に、ラウルは苦笑を浮かべた。 「裏口の鍵をかけ忘れていた私にも落ち度はありましたし、そんなに何度も謝らないで下さい」 「はあ、すいません」 まだ言いながら、村長はラウルに抱かれている卵にそっと手を伸ばす。途端に、 ――びぃぃっ!―― 不満げな鳴き声を上げ、腕の中でじたばたと動く卵。その様子を見て、村長はしょぼんと落ち込んだ表情で呟く。 「すっかり嫌われちゃいましたねぇ」 「いえ、そんな……」 すっかり気落ちした表情で、村長はそれでは、と玄関に向かって歩き始めた。 「すいません村長さん。またいらして下さい」 その寂しそうな背中に声をかけ、村長が扉の向こうに消えるのを見届けて、ラウルは腕の中ですっかりご機嫌になったらしい卵を見下ろした。 「お前、どうしたんだ? 何もされてないんだろ?」 ――びぃぃ……―― 「ただの人見知りか?」 ――ぴぃ―― 肯定らしき声に、ラウルはがっくりと肩を落とす。 「勘弁してくれよ……」 あれほどの鳴き声だ。何か危険な目にでも遭っているのかと思って慌てて走ってきたというのに、ただの人見知りによるぐずり鳴きだなんて。 頭を抱えるラウルの後ろから、今度は複数の人間が入ってくる足音がした。 「ラウルさん、一体何があったんですか?」 息を切らしたカイトが飛び込んでくる。 「いや、村長がな……」 説明し始めた途端に、今度はアイシャが入ってくる。 「村長とすれ違った」 その言葉に、ラウルは頷いてみせた。 「裏口が開いてたんで、村長が様子を見に入ってきたらしいんだ。それでこいつが人見知りして大鳴きしたみたいだな」 まったく人騒がせな、と憤慨しているラウルをよそに、二人はほっとした表情を浮かべている。 「なんだ、そうだったんですか」 「良かった」 「良くないぞ。何のために全速力で走ってきたんだか……」 「何だかんだ言って、ラウルさんって面倒見がいいですよね」 「お、おいっ」 「すっかり懐いてる」 「おい、だから」 「それにしても凄いですね。距離は関係なしに声が届くなんて」 その言葉に憤慨してみせるラウル。 「はた迷惑だ! 近くにいて鳴かれるなら理由もわかるだろうが、あんな遠距離でも聞こえるんじゃ、ただうるさいだけじゃないか」 「それなら、持ち歩けばいいんですよ!」 「持ち歩くって……抱えて歩けって?」 とんでもないカイトの提案に、思わず眉をひそめる。重くないとはいえ、こんなものを抱えて歩いていたら邪魔であること甚だしいではないか。 と、ようやくそこで、エスタスと、彼に肩を借りながらやってきたコーネルがやってきた。 「一体どうしたんです?」 「いや、卵がちょっと……」 事情の分からないコーネルにかいつまんで話すと、彼はすぐに納得してくれた。そして、 「しかし、それじゃあエルドナの街まで行ってもらうのは無理ですかね」 と残念そうな顔で言ってくる。 「? 何か問題でも?」 「だって、十日ほどここを留守にするのに、その卵を置いていくわけにはいかないでしょうし、かといってそんな大きいものを持っていくのも大変そうですし……」 「そう言えばコーネルさん、その鐘ってどのくらいの大きさで、どのくらいの重さなんです? 人の手で運べるようなものじゃないですよね?」 「そうですね。前に鐘つき堂についていたのと同じくらいですから……大きさはこの卵よりちょっと大きいくらいかな。重さは多分、大人三人がかりで持ち上げてやっとくらいだと思うから、運ぶ方法を考えなきゃ駄目ですね」 すっかり失念してましたよ、と頭を掻くコーネル。 「じゃあ、どっかから馬車を借りていくしかないな。あ、そしたら卵も載せていけますね」 「そうですね。それでは、お話通り私も同行させていただくということでよろしいですか?」 ラウルの言葉に彼はにっこりと頷いてくれた。 「はい。お手数かけますが、よろしくお願いしまっ……」 唐突に苦悶の表情を浮かべるコーネル。どうやら痛めた足に体重をかけてしまったらしい。 余りにも痛々しいその様子に、ラウルはどうぞ、と椅子を勧めつつ、 「よろしければ、その足を診させてもらっても構いませんか?」 と申し出た。 「ええ、お願いします」 驚きの表情を浮かべつつ快諾するコーネルに、ラウルは救急箱を持ち出して、早速その足の具合を見る。 「……手当てはご自分で?」 いい加減に巻かれた包帯を取ると、見るも無残に腫れ上がった足が出てきた。その様子を見てカイトが顔をしかめている。 「はあ、折れてはいないと思ったので、そのうち治るだろうと……」 「そうですか……」 溜め息をつきつつ、てきぱきと手当てを始めるラウル。それを見たアイシャが一言、 「意外」 とのたまったが、これはさり気なく無視をした。 きっちりと巻かれた包帯ををしげしげと眺めつつ、コーネルは安堵の息を漏らした。 「大分楽になった感じがしますよ。ありがとうございます、ラウルさん」 「いえ、応急処置にしか過ぎませんから、あまり無理をしないで下さいね」 その言葉に、はぁ、と曖昧な笑みを浮かべるコーネル。動かずにはいられない性分なのだろう。 「それじゃ、馬車の手配は私がしておきましょう。この村で借りられるのは藁を積んでる幌なし馬車になりますけど……。それで、出発はいつにしますか?」 そうだなあ、と考えるエスタスをよそに、アイシャが、 「明日。朝の一の刻。村の入り口集合」 ときっぱり答えた。勝手に決めるなと怒鳴りそうになったラウルだったが、コーネルの手前、ぐっとこらえる。 「それじゃ、よろしくお願いします」 そう言って深々と頭を下げるコーネルに、ラウルはいえいえ、と首を振る。 「困った時はお互い様です。うちもあの状態ですから」 (早く金貯めないとなぁ……) 人を雇える金があるルファス分神殿がちょっと羨ましくもある、複雑な心境のラウルであった。 それじゃ、と言って小屋を後にするコーネルと、それを送っていくエスタス。カイトとアイシャも帰るかと思いきや、何やらひそひそと内緒話をしている。 (なんだ?) 訝しがるラウルの横で、ぽんとカイトが手を打った。 「なるほど! それは名案です!」 「それじゃ呼んでくる」 何やら話がまとまったようで、アイシャが足早に小屋を出て行く。 「おい、何だ?」 不穏な気配を嗅ぎ取ってラウルが問い詰めるが、カイトは笑顔で、 「いやぁ、とてもいいことを思いついたんですよ! これで一安心です」 と答えるばかりだ。そしておもむろに卵に向かい、恒例となっている卵の計測を始める。しかもいつもより何やら楽しそうだ。 こうなったカイトには何を言っても無駄である。ラウルはアイシャが帰ってきたら問い詰めようと決め、上着を羽織った。 「ちょっとゲルク爺さんのところに行って来る。留守番頼んだぜ」 「はい、分かりました! 任せて下さい。決して目を離しませんから」 胸を張るカイトに、ラウルはそれじゃあなと手を振って小屋を出て行った。 |
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