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第三章[8]

「それじゃ、その男はダレスの方角に逃げていったんですね」
 手綱を握り締めながら言うエスタスに、ラウルは頷いてみせた。
「見覚えのない顔だったから、この村の人間じゃない。それにただの出来心で泥棒に入ったって感じじゃなかったし、その道の奴だと思うんだけどな」
 それにしては捨て台詞が貧相だったが、果たしてこんなど田舎に「その道の奴」がいるとも思えない。
「ダレスといえば昔、盗賊団が根城にしていたって聞きましたけどね。頭が死んでバラバラになったとか、内部紛争で潰れたとか……」
「マジか?」
 なんとも物騒な村である。
「あ、盗賊団っていってもあれですよ。遺跡専門の」
「遺跡荒らしって奴か」
 遺跡探検をする者の中でも、遺跡に眠る古代の調度品や美術品、ひどいと棺桶まで盗んで売りさばくというアレである。
「そこまでひどくはなかったらしいですけど、かつてはこの村を拠点にしていた冒険者と対立してたらしいですよ。盗賊団の方は遺跡自体には興味がなくて、必要とあらば遺跡を破壊してでもお宝を掘り出していたらしくて」
 この村に集う冒険者の中には、ただ宝目的の者だけではなく、一夜にして滅亡した古代魔法帝国ルーンについて研究している者や、ルーン遺跡にも時折見られる古代超魔法による仕掛けや、ここだけに見られる特殊な建築技術等、学術的興味から探索をしている者もいた。そういう者達にとって、お宝お宝と目の色を変える盗賊団は、まさに敵そのものだったのだろう。
「ダレスまでは……半日くらいだったな」
 二月前、このエストまでやってきた折に、その村で一夜の宿を求めたことがある。その時は夕刻に着いたせいもあって、村の様子などを窺う余裕はなかった。
「そうですね。ああ、盗賊団が壊滅したっていうのはもう五十年くらい昔の話で、今はごく普通の農村ですよ」
 なるほど、とラウルは腕を組む。
(潰れたっつっても、地下に潜っただけっていう可能性があるしな……)
 ふと、ラウルは素朴な疑問を口にした。
「そういや、この北大陸には盗賊ギルドなんてないのか?」
 盗賊ギルドは、街や都市の盗賊達を束ねる組織だ。大きな街には大抵あり、それぞれが情報の交換等を行っている。ギルドに所属しないモグリの盗賊は、ギルド管轄内で勝手な盗みをすればギルドから狙われることになるらしい。ラウルも話にしか聞いたことはないが、ギルドそのものの存在は確かだ。
「盗賊ギルドですか? そう言えば聞いたこともないですね。西の自由都市メイルならあるかもしれませんけど……」
 ギルドには当然、盗賊でなければ立ち入ることなど出来ない。貧民街育ちのラウルは、何人か盗賊まがいの者を知っているが、ギルドの場所については皆、頑なに口をつぐんでいた。
「お前ら三人、冒険者仲間で盗賊ってのはいないのか?」
 聞いてみるが、三人とも首を横に振る。
「最近は冒険者も数が減ってますからね。僕らだって組むまで大変だったんですよ」
「そうそう、なかなか初心者と組んでくれる人がいなくてな」
「あれはもう、二年くらい前になりますかねえ……エスタスと僕が冒険者の店で……」
 放っておくと三人の結成話に発展しそうな雰囲気だったので、ラウルはびしっと話を遮った。
「ギルドに知り合いでもいりゃ、そこから話をつけるなり何なり出来るんだが……いないなら仕方がないな」
「話って、どういうことです?」
 きょとんとするカイトに、ラウルはおいおい、と溜め息をつく。
「ヤツははっきりと『報酬』って言葉を口にした。つまり、誰かからの依頼を受けて盗みに入ったってわけだ。それが誰の依頼なのか、それともギルドと関係があるのか、調べられるだろ?」
 なるほど、とパチパチ手を叩いているカイトとアイシャ。これでは、どちらが冒険者か分かったものではない。
「冒険者の常識じゃないのか?」
 呆れて言うと、エスタスがいやぁ、と頭を掻いた。
「何しろ、仲間に盗賊がいなければ使えない手ですからね」
 確かにその通りだと、ラウルは肩をすくめた。
「とりあえず、こいつの存在が想像以上に知れ渡ったって言うのは分かったな」
「そうですねぇ。噂がどこまで伝わってるか知りませんが、盗もうとする奴が出てくるくらいなんですからかなり広まっていると思って間違いないでしょう。しかも、盛大な尾ひれをつけてね」
 カイトの言う通り、噂というものは広がれば広がるほど、本来の形を失うことが多い。今のところ『不思議な卵』『なんでも竜の卵らしい』くらいしか分かっていないのが、『古代生物の卵らしい』とか、『中には不思議な力が隠されている』とか、『持つ者は幸せになる』とか、出鱈目な話が出来ているくらいだ。
「しかし、実際手に入れてどうするんだろう」
 エスタスが呟く。どんな噂が流れようと、この卵が光るわ鳴くわ揺れるわの、ハタ迷惑限りないシロモノであることには変わりない。
「まあ、飾って、眺めてるだけで満足なんじゃありませんか? 珍しいものを収集している人っていうのは大概そんな感じらしいですよ」
「金持ちの考えてることってな、全く理解できねえな」
 欠伸をかみ殺しながら呟くラウル。
「眠そう」
 アイシャの言葉に、ラウルはにやりと笑みを浮かべる。
「まあな。色々と細工してきたからあんまり寝てないのさ」
「細工?」
 首を傾げるカイト。
「なあに、陳腐な捨て台詞を残して逃げてった泥棒に、ちょいと置き土産をしていくだけさ。引っ掛かってたら大笑いだな」
 その様を想像しつつ、はたとあることを思い出す。
(そういや、マリオに小屋に近づくなって言いそびれたな……)
 律儀に、朝早い出発に合わせて朝食を届けてくれたマリオに、泥棒のことは話したが、ついうっかり罠のことを話すのを忘れていた。小屋の周りにも多少の仕掛けをしておいたのだが、マリオが引っ掛かってしまっては元も子もない。
 小屋の合鍵を持っているマリオなら、留守中入って絵を描こうと思うかもしれないが、
(ま、いいさ)
 命に関わるような罠は仕掛けていない。万が一マリオが引っ掛かったとしても、後で事情を話せば分かってくれるだろう。
「駄目だ、ねみぃ……ちょっと寝るわ」
 そう言って、ラウルはごろんと荷台に横になった。


 エストの東に位置するダレス村は、ごく普通の農村だった。
 日向では猫が昼寝をし、そこいらではニワトリがバタバタ走り回っている、どこからどう見てものどかなこの村に、かつて盗賊団が本拠地を置いていたとは思えない。
「大分早く着いちゃったな」
 手綱を操って馬の足を止めさせたエスタスが頭を掻く。昼前到着予定だったが、まだ昼には大分早い時間だ。
「どうします? 休憩なしで先に進めば、昼過ぎくらいには次の村に着けそうですけど」
 地図を見ながら尋ねてくるカイトに、ラウルが返事をしようとしたその時。
「あれ」
 突然アイシャがすっと指を差した。
 全員の視線が指の先に集まる。そこには、村の建物の影から姿を現した一人の青年の姿があった。
 ごく普通の村人に見える青年。しかしその顔には見覚えがある。
「あれ……昨日の泥棒じゃねえか」
 銀髪に灰色の瞳。どこかしなやかな独特の身のこなし。間違いない。昨日卵を盗みに入って逃げ帰った青年だ。
(まさか本当にここにいるとはな……)
 こっちに逃げたことは確かだったが、余りにも無防備に歩いている姿は、余りにも盗賊としての意識に欠けてはいないか。
 まだこちらに気づいていない青年は、一軒の民家に神妙な面持ちで入っていってしまった。中から彼を出迎える声があったから、彼の家なのかもしれない。
「この村の人間なんですかね?」
 カイトが声を潜めて言う。ラウルはさあなと答えて、さてと腕を組んだ。
 ここでわざと声を掛けてみるのも面白いが、むしろ黙って通り過ぎ、彼がラウルの家に再挑戦して仕掛けに引っ掛かってくれるのはもっと面白い。何しろ、ラウルが留守にしていることなど彼が知る由もない。この村の人間なのか、何かのついでに寄ったのかは分からないが、あの捨て台詞から再挑戦することは確かだろう。ここからなら近いから、今夜にでも再挑戦してくれれば、楽しいことになる。
「無視して先を急ごう。あいつを知ってる人間がこの村にいるって分かっただけでも十分だ」
 ラウルの言葉に三人は頷き、村の入り口に止めていた馬車に再び乗り込む。
「帰りにも通りますから、その時に聞き込めば何か分かるかもしれませんね」
 カイトの言葉にそうだな、と頷きながら、ラウルは口の端に笑みを浮かべる。
(いくつ罠に引っ掛かってくれるか、こりゃ楽しみだ……)

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