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第三章[10]

「おかえりなさい!」
 村の入り口で出迎えてくれたレオーナは、満面の笑みを浮かべていた。
「氷結酒の樽五つ、確かに買い付けてきましたよ」
 ラウルの言葉にレオーナは頷いて、馬車の後ろに回る。そこに並べられた樽には、なみなみと氷結酒が詰められている。樽から染み出てくる酒の香りがなんとも芳しい。
「卵ちゃんも元気だった?」
 樽と一緒に荷物扱いされていた卵は、レオーナに撫でられて嬉しそうに鳴いている。
「アシュトさんを見て驚いた?」
 そう聞いてくるレオーナに、樽を下ろしていたエスタスが、
「ほんと、驚きましたよ。でも気さくないい人でしたね」
 と答える。
「それじゃ、本当にご苦労様。また何かあったら頼むわね」
 レオーナの言葉に、喜んでと頷くラウル。そんなラウルにレオーナは、
「あ、そう言えばラウルさん。村長さんが、帰ってきたら家にきて下さいって」
「村長がですか?」
 またか、と思いつつ、分かりましたと頷くラウル。そんなラウルに、レオーナの後ろに控えていた長女のトルテが、意を決したように、
「あ、あの……」
 と話しかけて来る。おずおずと切り出してきたトルテに、ラウルはすっと腰をかがめて顔を近づけた。
「なんですか? トルテ」
 優しく尋ねると、トルテの顔がみるみるうちに赤く染まった。
「あの……あとで、神官さんのおうちにお邪魔しても構わないでしょうか……?」
 後半はほとんど声になっていない。
(おお? こりゃ、期待してもいいか?)
 中央大陸からやって来て二月と半分、めっきり色恋沙汰とは疎遠なラウルだったが、ここに来て遅咲きの春がやってきたかもしれない。
 トルテは十六歳。レオーナに似た小豆色の髪を伸ばし、いつもはにかんだ笑みを浮かべている可憐な少女だ。村の中で一番年の近いエリナと、まるで姉妹のように仲良く遊んでいる姿をよく見かける。
(大きくなったら、そりゃもう美人になること間違いないよな……ま、ちょっとおとなしすぎるのが難だが……)
 うきうき気分をぐっと押さえて、ラウルは優しげな好青年の顔を取り繕うと、
「ええ、構いませんとも。いつでもいらして下さい」
 と笑顔を向ける。途端にトルテはレオーナの後ろに隠れてしまった。
「それでは、失礼します」
 そう言って村長のもとに向かうラウルの顔が微妙ににやけていたことに、気づいたものはアイシャくらいだった。
「色ボケ」
「ん? なんか言ったか? アイシャ」
 振り返るエスタスに、アイシャは別に、と答えて酒場の中に入っていった。
「相変わらずだなあ」
 苦笑しつつ、樽を下ろすエスタス。二年近い付き合いだが、アイシャの考えていることはいまいち分からない。
(ま、ホントに必要なことだったら言ってくれるからな)
 その辺の信頼関係だけはきっちり築かれている三人組であった。


「いやあ、お帰りなさいラウルさん。エンリカはいかがでしたか?」
「涼しかったですね。帰ってきて、こちらが暑くなってきているのに驚きましたよ」
 たった二十日弱離れていただけなのに、エストはすっかり夏模様に様変わりしている。緑が濃くなり、日差しもぐっと強まってきていた。ジリジリと焼けつくようなものではないが、それでも長い時間外にいれば汗ばんでくる。
「そうそう。エンリカに行かれる前に、泥棒に入られたそうですね」
「はあ……」
「ラウルさんが出発してから、あの小屋に侵入したものがいるようです。マリオに言われて私も見に行ったんですが、二箇所から侵入した形跡がありました。もっとも……」
 くすくすと笑う村長。
「ラウルさんが仕掛けられた罠に見事に引っ掛かって、退散したようですけどね」
 その言葉にラウルも思わずほくそ笑む。 出発に際し、ラウルは考えられる進入経路全てに色々な罠を仕掛けておいた。罠といっても子供だましのものばかりだが、効果はあったようだ。もっとも、罠にめげずに進入したところで、卵は持っていったのだし金目の物など一つもない。まさに骨折り損のくたびれ儲けというやつだ。ざまあみろ、である。
「随分色んな罠を仕掛けていったんですね! 僕も一個ひっかかっちゃいましたよ。庭のやつ」
 お茶を持って入ってきたマリオが、そんなことを言いながらラウルの隣に座る。
(枯草の罠か。ま、怪我もしないようなチャチな奴だからな)
 枯草を適当に結んで足を引っ掛ける単純なものだが、暗闇では足元も見えないだろうと思って小屋周辺に何箇所も作っておいた。
「それでですね、ラウルさん宛てに手紙が来たんですよ。お留守だったので預かっていたんですが」
 そう言って村長が差し出したのは、きちんと蝋で封じてある手紙だった。
(誰からだ? 本神殿じゃないみたいだな)
 ラウルに手紙を遣すとすれば、中央大陸のユーク本神殿くらいしか思い当たらないが、何やら鍵や縄を模った印が黒い封蝋に押されているこの封印には、全く見覚えがない。
「差出人はどなたか分かりますか?」
 大抵、持ってきた伝令が差出人を教えてくれることになっているのだが、村長はいいえ、と首を振る。
「持ってきた伝令さんも、差出人不明と仰ってました。なんでも、代金と手紙がいつの間にか伝令ギルドの出張所に置かれていたそうで……。預かった出張所はフォルカだと言っていましたが」
 フォルカと言えば、先日やってきた宝石商の親父がいる街だ。 (知り合いがいるわけないしなあ)
 何はともあれ手紙を服の隠しにしまい込む。怪しさ大爆発だが、ラウル宛ての手紙だ。読まない訳にもいくまい。
「そろそろ夏祭の準備も本格化してきました。ラウルさんもお時間ありましたら、舞台の設置や飾り付けを手伝っていただけますか?」
 夏祭は八の月十日。あと半月ちょっとしかない。勿論です、と快諾するラウルに、それともう一つ、と言って村長は続ける。
「ゲルク様からお話があると思うんですが、祭の最初に夏を告げる儀式があるんです」
 確かマリオが前に言っていた。確か、もともとはその儀式を行うだけだったのが、年を重ねるごとに賑やかな祭が主体になっていったとか。
「その儀式の進行を行う者を使者と呼んでるんですが、これを例年ゲルク様にお願いしていたんです。今年は恐らくラウルさんにお願いすることになると思いますんで、お時間のある時にゲルク様から段取り等を教わっていただけますか?」
 色々と押しつけてしまって申し訳ない、と頭を下げる村長に、ラウルはとんでもありませんと答える。
「神官がそういった祭事を任されるのはよくあることです。喜んでお引き受けします」
 そう言って、ラウルは席を立った。
「それでは、そろそろ失礼します。小屋が気になりますので……」
「あ、僕も行きます!」
 マリオがついてきたので、これ幸いとばかりに背負いかけた卵をおんぶ紐ごとマリオに渡す。
「え? 僕が背負っていいんですか?」
「馬車から降りてこっち、ずっと背負ってたからよ、肩凝って肩凝って……」
 小声で言うと、マリオは苦笑しながらおんぶ紐を装着する。相手がマリオなので、卵も特に不満はないらしい。
「それでは失礼します」
 そう言って扉へ向かうラウルに、村長は、
「はい、また何かありましたらお知らせしますね」
 と笑顔で送り出してくれた。


「うわ、臭っ……なんですかこの匂い!?」
 台所の扉を開けた瞬間、マリオが鼻をつまむ。ラウルも顔をしかめながら、匂いの元を指差した。
「漬物壺……ですか?」
 台所の床に落ちて粉々になっている壺は、この地方でよく食べられている野菜の酢漬けが入っていたものだ。こぼれた酢の乾き具合から見て、すでに数日が経過しているだろう。
 破片やら干からびてしまった酢漬けやらを拾いながら、ラウルは間抜けな泥棒の慌てぶりを想像して口元を緩ませる。
 何のことはない。台所にある勝手口の扉に細工をしたのだ。少々ガタがきている扉の上の隙間に板を差し入れ、紐で片方だけを壁から吊ってから、その上に壺を置いておく。扉が開けば、板が外れて壺が降りかかってくる。勝手口は外開きの扉だから直撃することはないだろうが、驚かせるには充分だ。運が悪ければ割れて飛び散った酢の餌食になるくらいはあるかもしれない。
 仕掛けを説明してやると、マリオは呆れ顔でラウルを見た。
「よくそんなことを思いつきますね、ラウルさん」
「ああ、神殿で間抜けな神官どもを驚かす為に、色々研究したからな」
 どうだと胸を張るラウルにマリオが溜め息をつく。
「自慢になりませんよ、そんなの」
「そうか?」
 そう答えながら、床を濡れ布巾で拭き始める。酢が板の間に染み込んでしまって、大分どぎつい匂いを醸し出していた。
(割れた後までは考えてなかったな……失敗しっぱい)
 まあ、しばらく風を通せば匂いも抜けるだろう。勝手口を開け、空気の入れ替えをしてから、ラウルは居間を抜け、書斎に向かった。
「ここにも何か?」
 後をくっついてくるマリオの問いに、ラウルは窓を指し示す。
 最初何を指差しているのか分からなかったマリオだが、視線を下げていくと、窓の下、床の部分に何やらねばねばしたものが塗られている。しかも足跡がくっきりとつき、数歩歩いた形跡と、脱ぎ捨てられた靴があった。
「トリモチだ」
 何をしたんですかと言いたげなマリオの視線にラウルはそう答えた。そう、モチノキの皮を剥ぎ叩いて作られるあれである。粘着力はそう強力ではないが、踏んだ時の嫌な感じはかなりのものであろう。しかもうまく離を測ってあり、窓から侵入し最初に足をつけるだろう場所辺りにこってりと塗りたくられている。
「陰湿……」
 思わず呟くマリオをキッと睨んで、ラウルは落ちていた靴を床からひっぺがす。
「ここから片方素足で帰ったんじゃ、さぞ大変だったろうなあ」
 程好く使い込まれた男物の靴だが、足音がしないように柔らかい素材の靴底が貼ってある。どう見ても、そこらにいる農夫が履くものではない。
「取り返しに来なかったら、行ってやろうかな」
 などとほくそ笑んでいると、玄関の扉を叩く音がした。
「はーい」
 マリオがパタパタと玄関へ走っていく。どうせ三人組だろうとそのまま観察を続けていたラウルは、玄関から届く少女達の話し声に、慌てて手にしていた靴を放り投げ、居間へと向かった。
「おや、早かったですねトルテ。それに、エリナも」
 そう、そこにいたのは、先ほど来る約束をしていたトルテだった。なぜついてきているのか分からないが、何やら二人とも、手に裁縫箱のような籠を下げてきている。
「お帰りなさい、ラウルさん。エンリカはどうでした?」
「ええ、とても面白い場所でした」
 ひとまず二人に椅子を勧めるラウル。玄関から遅れて戻ってきたマリオも、こちらは勧められもしないうちにラウルの隣に腰を下ろした。
「それで、私に用事というのは、何でしょう?」
 二人はラウルの言葉にすっくと立ち上がると、裁縫箱を開け、何やら色々と取り出し始める。
「何やってるの? 二人とも」
 マリオが首を傾げるが、二人の少女はお構いなしにてきぱきと準備を整えると、ラウルに向かって告げた。
「服、脱いで下さい」
「――は?」

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