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第五章[1] |
「おいっ! なんだよこの手紙はよ!」 怒声と共に部屋に飛び込んできたシリンに、書斎の机に足を投げ出して日誌を読んでいたラウルは眉をひそめて顔を上げる。 時刻は夜中近く。辺りは静まり返っている。それだけに、シリンの怒声が耳に響いた。 「もうちょっと静かに入って来いよ。盗賊がそんなんでいいのか?」 「うるせえ!」 怒り心頭な様子のシリンが手に握り締めているのは、先日ラウルがしたためた手紙のようである。ぐしゃぐしゃになったそれを広げて、ラウルの鼻先に突きつけ、 「『竜の住みかもしくは竜と話せる奴の情報よこせ。早くしろ』って、何なんだよ!」 と噛みつかんばかりに抗議するシリンに、ラウルは日誌を置いて、首を傾げた。 「お前にも分かりやすいように、要点だけ書いたつもりだったんだがな?」 「本当に要点だけじゃねえか! おかげで調べるの苦労したんだぞ! ギルドの連中には笑われるし、情報屋には馬鹿にされるし……」 そう言う割には、きちんと調べている辺りがシリンのいいところである。手紙を送ってからまだ半月ほどしか経っていないのに情報をまとめてやってきたのだから、流石といったところか。 「で? 情報はあるのか?」 足を下ろし、改めて問い質すラウルに、一通り文句を言ってすっきりしたのか、シリンは素直に帳面を取り出して話し出した。 「えっとな、まず竜の住処ってことだが、目撃されたところってだけなら世界各地にあるけど、本当にそこに住んでいるかどうかっていうと、どれも眉唾だな」 肩をすくめてみせるシリンに、ラウルも頷く。 「まあ、そんなところだろうな。おいそれと人前にも出てこない連中らしいし」 「で、竜と交信できる高位の精霊使いについてだけど、ここ最近はいないらしいな。どいつもこいつももうこの世にいないか、行方不明だ」 シリンは肩をすくめてみせる。なんでも、精霊使いというのは高位になればなるほど、人との係わり合いを避けて隠遁する傾向があるらしい。 「盗賊ギルドで調べても、駄目か……。こりゃ、『北の塔』からの返事も期待できないな」 おおよそ予測はしていたとはいえ、情報が皆無というのはなかなか厳しい。溜め息をつくラウルに、シリンはにやりと笑って人差し指を立てた。 「ところがどっこい、もう一つだけ情報を持ってきたぜ」 おや、と眉を上げるラウルに、シリンは更に帳面をめくる。 「なんでも、かつて南大陸に竜の谷と呼ばれる場所があって、そこに住む人々は竜と共存していたらしい」 「共存? どういうことだ」 「竜使いって呼ばれてたらしいぜ。竜と話し、中にはその背に跨って自由に空を駆ける者もいたっていう話だ。しかしその谷は火山の爆発で壊滅し、人々も竜も散り散りになったんだと。それがファーン新世暦三六年のことらしい。もっとも、その谷は外部との関わりを断っていたらしいから、あまり大騒ぎにならなかったらしいんだが」 「それが、何の関係があるって言うんだ?」 すでに存在しない谷の情報をもらっても、どうしようもない。そう言おうとしたラウルだが、シリンは更に続ける。 「まあ、待ちなよ。その竜使いの末裔は今でも各地に散らばっているらしいが、その一人らしき人物がこの大陸にいるんだとよ」 「なるほど……。そいつなら、竜について何か知ってるかも知れないと」 竜と共存していたというなら、竜の卵について知っていてもおかしくない。 「で、どんな奴だか分かってるのか?」 途端にシリンがへらへらと笑い出す。 「それがよぉ、その情報を持ってきたのが、もうヨボヨボの爺さんだったらしくて、人となりについては覚えてないってんだな」 がっくりと肩を落とすラウル。それでは探しようがないではないか。 落胆しているラウルの背中を叩いて、シリンはまあまあと慰める。 「ここらじゃ南大陸の人間は珍しいからさ。地道に探せば見つかるって。ギルドには情報収集を頼んであるから、そう落ち込むなよ」 「そうは言ったって、お前……」 地道に探している余裕などないのだ。事態は一刻を争うかもしれないというのに。 しかし、シリンに文句を言ったところで始まるものでもない。 「やれることをやるしかない、か……。分かった。頼むぜ、シリン」 そう言って、書き物机の引出しを開ける。そこに大切にしまわれているのは、ラウルが地道に稼いだ金の小袋。その袋から数枚の金貨を取り出し、シリンに差し出す。 「情報料だ。少ないが……」 と、シリンは手を横に振ってそれを拒否した。 「いや、いいんだ」 おや? と首を傾げるラウルに、シリンは頭をぽりぽりと掻きながら、 「あんたには色々迷惑かけたからな」 と言う。これにはラウルも面食らって、シリンの顔をまじまじと見つめた。 「随分と殊勝なこと言うな?」 「いや、ギルドからも言われてるんだ。あんたから金を取るなって」 その言葉に、ラウルは怪訝な顔をする。金にはうるさいはずのギルドが無料奉仕をするというのは、前代未聞である。 「ギルド長直々のお達しで、今後も卵に関する情報集めはタダで請け負っていいってさ。その代わり……」 思わず身構えるラウル。交換条件次第では、ギルドを利用するのも考えものだ。 しかし、続いたシリンの言葉は意外なものだった。 「竜が孵ったら、ぜひとも一度見せてくれって。それだけだ」 目を丸くするラウル。 「なんだあ、そりゃ?」 「その、ギルド長はちょっと変わり者なんだよ……」 「変わり者にしてもほどがあるだろうが」 「オレに言うなよ! ともかく、前の手紙にもあった通り、ギルドは竜に関する依頼なんかも一切受けないことにしてる。それも、ギルド長の命令だから違えることはないはずだ」 「その理由も、竜が見たいからか? 子供じゃあるまいし……」 頭を抱えるラウルに、シリンも引きつった笑いを浮かべる。 「ま、まあ理由はどうあれ、ギルドが関わらないって宣言してるのは心強いと思うぜ? ああ、あともう一つ」 再び帳面をめくるシリン。 「ガレって言って分かるか? フォルカの外れにあるちっぽけな村なんだけど」 「分からん」 きっぱり言い切るラウルに、はいはいとシリンは地図を引っ張り出す。そしてフォルカの南西、街道を外れた小さな村の名前を指差すと、 「ここだ。この小さな村が、つい二十日くらい前に突然壊滅したらしい。というよりなくなったっていう方が正しいかな」 「? どういうことだ」 戦争中ならともかく、村が一つ壊滅するというのは異常事態である。この暑い時期なら流行り病ということも考えられるが、「なくなった」という表現が気になった。 「周囲の村も首を傾げてるけど、本当に一夜のうちに誰もいなくなってて、家屋も損壊していたらしい。首都から調査隊が来て調べてるらしいが、まだ原因は不明だってさ」 その説明を聞くうちに、ラウルの顔つきがどんどん強張っていく。おや、とシリンが目を瞬かせると、ラウルはおもむろに書き物机の上に積まれていた日誌の山に伸ばした。迷うことなく一冊の日誌を引き抜き、頁をめくると、ある頁に指を挟んでシリンに差し出す。 「なんだよ?」 「文字くらい読めるだろ。読んでみろ」 さり気なく失礼なことを言うラウルにむっとしながらも、シリンは差し出された頁の文章に目を走らせた。 「……『ファーン新世暦七六年五の月十二日、ついにトルナの村が壊滅。一晩のうちに死が村を襲い、村人は残らず消え去った。先日のジェイルの村に続いて今月で三件目。首都のユーク分神殿にこれまで何度も報告書を送っているが、一向に返事なし。よもや分神殿も奴等の手が回っているのか。だとすれば……』なんだ、これ? まるで……」 シリンの手から日誌を奪い取り、ラウルは重々しく頷いてみせる。 「これはゲルク爺さんの日誌だ。今から六十年ほど前、あの人がこの村にやってきた頃……。この辺り一帯は『影の神殿』の支配下にあったんだ」 シリンもその忌々しき名を知っているようだった。途端に表情が変わり、ラウルをしげしげと見つめる。 「『影の神殿』って……あれか? 死体を操って人を襲うっていう……マジかよ?」 「ああ……」 (これで大体、読めてきたな……) 日誌を片手に目を閉じる。ここに書き記されているのは、ゲルク自身の体験した血と涙の記録。そして、今となっては貴重な情報源だ。 (『影の神殿』が暗躍し始めている。その理由も目的も分からんが……) ユークの名のもと、歪んだ教義で人々を恐怖に陥れる者達を、野放しにしておく訳にも行くまい。 ゲルクが彼らを倒してから六十余年。今まで地に潜っていた彼らが今再び動き出したのは何故か。そして、何故に卵を狙うのか。 疑惑は尽きないが、一つはっきりしたことがある。 (忙しくなるな……) ラウルは曲がりなりにもユークに仕えるものだ。『影の神殿』を野放しにしておくことは出来ない。加えて卵が狙われているとすれば、のんびり構えてなどいられない。 「……そっちの情報も分かり次第集めてくれるか? やつらの本拠地の情報なんかが入れば一番なんだが。ああ、卵以外だから、ちゃんと情報料は払う」 「あ、ああ。頼むぜ」 「あと、万が一『影の神殿』の連中に遭遇しても、絶対に相手にするな」 いつになく真剣なラウルの表情に、シリンは思わず反射的に頷いた。頷いてから、首を傾げる。 「あんたがそう言うってことは、そんなに『影の神殿』ってのは恐ろしい連中なのか? ただの死霊使いじゃないのかよ」 『影の神殿』という存在自体あまり知られているものではないが、一般に知られているのは、死者を操る術を使う者達であることくらいだ。 命は死せば体は朽ち、魂は世界を取り巻く輪廻の輪へと加わる。そして次に地上へと生まれ落ちるまで、輪廻の輪の中で眠り続けるというのが、世間一般に伝わっている死の概念だ。これはユーク神殿とガイリア神殿が人々に伝えたもので、余程のひねくれ者でない限りはこの概念を受け入れている。 しかし時折、未練を持ったまま死んだ者が輪廻の輪に向かわずに、地上に留まってしまうことがある。魂のまま彷徨う者は「霊」と呼ばれ、それが死したる体に宿った者は「生きる屍」と呼ばれる。また、人の生き血を吸って活力を得る「魂をすするもの」というものもいる。これら彷徨える魂を輪廻の輪へと戻すのが、本来ユークやガイリア神官の務めだ。 また、こういった者達は遺跡や洞窟に住み着き、冒険者によって退治されることもある。逆に、これら彷徨える魂や、大地に還るべき死したる肉体を利用し、配下として使役するのが死霊術士の集団ともいえる『影の神殿』という訳だ。 「ああ、ただの死霊使いだ。ただし、連中のやり口は死者を冒涜するだけじゃない。必要とあらば、生者に死を与えて忠実なるしもべを作り出す。死者の記憶を暴いて情報を引き出す術も知ってる」 シリンの顔が一気に青ざめる。 「お、おい……まじかよ」 「ああ。だから、うっかり殺されて使われたくなかったら、とっとと逃げ出せ。まあ、そんな奴等と仲良くしたいってなら別だがな」 ぶんぶんと首を横に振るシリン。そんな不気味な連中とわざわざ仲良くなろうなどと思う訳もない。 「そ、それじゃオレ、そろそろ戻るわ」 そそくさと窓際に退散するシリンに、ラウルは気のない返事をする。と、思い出したかのようにシリンが口を開いた。 「あ、そうそう。夏祭の格好似合ってたな。まるでどっかの王子様みたいだったぜ」 ラウルの目がくわっと見開かれる。 「て、てめえ! 来てたのか?」 「ああ、実家に顔出すついでにな。いやー、あれから一月に一度は顔を出せって言われちまってよ……」 「んなこたぁどうでもいい!」 掴みかからんばかりの勢いで迫ってくるラウルに、シリンはへらへらと笑っている。 「見たんだな?」 「ああ? 見たも何も、あれだけ目立つ格好でいりゃ、否が応でも目に入るだろうがよ。近隣から来た連中も、びっくりしてたみたいだぜ? 俺の隣にいた女の子なんて、目をまん丸にして見入ってたし。その後なんかぶっ倒れちまって、連れの人がえらい騒ぎしてたもんなあ」 人気者はつらいねえ、とへらへら笑うシリンの胸倉を掴んで、ラウルがすごむ。 「忘れろ。さあ今すぐ忘れろ」 「無理だって。大体、見たのは俺だけじゃないんだぜ」 「……」 「次の収穫祭が楽しみだなあ。秋の祭は仮装大会だからなあ。是非やってくれよな。俺も遊びに来るからよ」 「……やりたくてあんな格好したわけじゃねえ」 重く溜め息を吐いて、手を離すラウル。その胸中を察したのか、シリンがラウルの肩をバンバンと叩く。 「苦労してんだなあ、あんたも」 「……まあな。それより、頼んだぞ」 「ああ、任せとけってなもんだ。そいじゃ、またな」 そう言い終えるやいなや、するりと窓枠から外へと飛び出すシリン。盗賊としての修行もギルドで行っているのだろう、足音はなく、気配すらも暗闇に紛れて消えている。 「……ったく」 窓を閉めつつ、ラウルはまた深い溜め息をついた。 |
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