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第五章[10]

「同胞があれだけ懐いているのだ、お前は信頼に値する人間だと思っていいのだろう」
 カイトが用意したお茶をすすりながら、青年は椅子にふんぞり返って言った。
「これが懐いてるっていうのか……」
 未だにどんよりとした顔のラウル。その腕の中には卵が抱えられている。あれからこっち、離れると騒ぐわ揺れるわ光るわと、すっかりいつもの調子を取り戻していた。
「私も、及ばずながら力を貸そう。おっと、自己紹介がすっかり遅れてしまったな。私は炎の竜キーシェだ」
 それを聞いて、こちらもラウル以外名を明かしていないことに気づき、わたわたと自己紹介をする三人。そしてようやく竜笛の持ち主の名を知ることが出来たキーシェは、嬉しそうにアイシャに笑顔を向けた。
「いい名だ。それは我らの言葉で『生』を意味する。どんな時でも力強く生きていくよう願いを込めてつけられたのだな」
(生、ねえ……)
 まあ、力強く生きていることは確かだろう。標準装備の無表情と短いながらも人の心を抉る発言で周囲を振り回しているのが『力強い』と言うのなら、だが。
「さて、私もあまり長居は出来ない身なのでな。手短に話そう」
「長居が出来ない?」
「ああ、そうだ。我々も無為に日々を過ごしている訳ではない。きちんと定められた使命をこなしている。私が担当しているのは中央大陸なものだから、竜笛の音色を聞きつけてもすぐには飛んで来れなかったのだ。許してくれ、アイシャ」
 許すも何も、アイシャが竜笛を吹いたのは昼も過ぎた頃だったはずだ。そしてこの竜がやってきたのは夕の三の刻過ぎ。中央大陸からこの北大陸まで、ものの三刻でやってきたことになる。海を渡るだけでも一月近くかかる距離をだ。
(さすがは上位精霊、といったところか……)
 それにしても、そのとんでもない距離を隔てても聞こえる竜笛の音色というのも凄い。いや、凄いのは竜の聴力の方なのか。
「担当地域を長く離れていると叱られるからな、ひとまずは伝えるべきことを伝えよう」
「伝えるべきこと?」
「ああ。卵はすでに第二段階まで進んでいる。あともうしばらくしたら、本格的な孵化の準備に入るはずだ。ただ……」
「なんだよ」
「孵化直前の卵は一番無防備となるからな。万が一を考え、誰も寄せ付けないような場所におくことが望ましいのだが……」
 その言葉に、重々しく頷くラウル。
「そうだな。ただでさえ卵を狙っている輩が横行してるんだ」
「……なに?」
 眉をひそめる青年。
「どういうことだ、それは」
「そう言えば、あんたここに来た時に、『再びこの地に舞い戻ってくるとは』とか、『悪しき暗闇の使徒め』とか言ってたな。もしかして、六十年前のことを知ってるのか?」
 青年の問いに答えず、ラウルは問いかけを返す。すると青年は、少々不機嫌そうな顔をしながらも答えた。
「あれだけの惨事だ。精霊を通じて、我ら竜族の耳にも届いているさ。とは言え、直接関わったわけではないから、詳しくは知らんが」
 風に運ばれる嘆きの声、大地を染める血の色。水も炎も、光も闇も、かの地で起こった惨劇を生々しく伝えてきた。それは多くの竜を悲しませ、そして憤らせたという。
「しかし、それとどういう関係がある?」
 首を傾げるキーシェに、ラウルは小さく息をついた。
「それじゃ、奴らが今、この地に再び現れたことについては知らないんだな。奴らがこの竜を利用しようとしたことも。そのせいで傷ついて卵になったことも」
「……何だと? そんなことが……」
 息を飲むキーシェ。嘘だろう? といわんばかりの顔でラウルを見るが、ラウルは頭を振る。
「本当のことだ。そして今も卵を狙っている。目的は分からないがな」
「……奴ら……くっ、制約さえなければ、すぐにでも成敗してやるものを!」
 苦々しい顔で拳を握り締める青年。
「制約?」
「ああ、我らはいかなる場合においても、命を奪うことは許されない。唯一つの例外は自分の身が危険に晒された場合のみだが、それは滅多にあることではないからな」
 竜は、神の力を世界に行き渡らせる役目を負った精霊の一種。その役目を果たすがために神々から与えられた力は、まさに計り知れぬほど。本来ならば、他の生命が竜の命を脅かすようなことは起こり得ない。
「なるほど……。だからこいつも、こんなになっちまったってわけか」
 その制約が仇となってしまったのが、この卵だったのだろう。 歪められた闇の力を使い、竜を追い詰めた彼ら。光の竜であったことが更に、事態を悪化させたのかもしれない。光と闇は対極にある。闇は光を覆い、光は闇を照らす。闇の術を行使する『影の神殿』はまさに、最悪の相性だった訳だ。
「ともかく、そいつは狙われてる。だから、なるべくなら側においておきたいんだがな」
「ああ、そうだな。そのためには……まあこの場合は、お前だろう」
「は?」
 話の通らないキーシェの言葉に、首を傾げる四人。そんな彼らには構わずキーシェはぶつぶつと呟いている。
「……闇に仕える者に託すとなると些か発育の度合いに不安があるが、まあ光と闇は表裏一体だからな、むしろいいかもしれん。というより、今下手に引き離したらお前が大変だろうしな」
「おい、だから何を言って……」
 ラウルの言葉を更に無視して、キーシェは卵をひょい、と手に取った。
「ま、やってみるしかない。うまくいかなかったらすまん」
「おいっ! ちゃんと説明をっ――」
 唐突にぐっと卵を胸に押しつけられ、ラウルが言葉を途切れさせる。その卵に何事かを呟いて、キーシェは高らかに宣言した。
「人の子よ。我が同胞を今、お前に託そう」
 卵が再び眩い光を放つ。
 そして、思わず目をつぶったラウルの心の中にまで、その光は圧倒的な力を持って流れ込んできた。
(な、なんだ……!!)
 まるで光の奔流に飲み込まれたかのような、熱く、そして冷たい感覚が全身を貫く。しかしてそれは決して不快なものではなく、むしろ湧き上がる高揚感に似ていた。
 胸に、熱さを感じる。まるで太陽のような、熱と光の塊。揺らめくように形を変え、色合いを変え、それはそっと、胸の奥底へと収まった。
(これ、は……)
 光の奔流が退いて行き、ラウルの感覚も急速に現実へと引き戻されていく。
 そして。

 目を開ける。
 目の前にはほっとした表情のキーシェと、呆然とこちらを見ている三人。卵の姿は、どこにもない。
「よし」
「よし、じゃねえ! 何しやがった、お前!?」
 食って掛かるラウルをまあまあ、と押しとどめて、キーシェは笑顔で言ってくる。
「お前の中に託しただけだ。孵るまで、そこで守ってくれ」
「おいっ!!!」
 思わずキーシェの胸倉を掴みかかったラウル。と。

――らうっ――

 事もあろうに、その声はラウルの心の中から響いてきた。
 はっと手を離し、そしてまじまじとキーシェを見る。
「だから、な」
 引きつった笑いを浮かべるキーシェに、ようやく先程の言葉の意味を理解して、ラウルは愕然とした。
「……マジ、かよ……」
 恐る恐る瞳を閉じ、意識をじっと凝らす。
 暗闇の中にほのかな明かり。そしてそれは見慣れた明滅を繰り返しながら、
――らうっ!!――
 喜びの声を上げている。
 ぶんぶんと頭を振り、目を開ける。そこには、こちらも状況を理解したらしい三人組が、目を真ん丸くしてラウルを見ていた。
「それって、つまり……」
 眼鏡を直しながらまじまじとラウルを見つめるカイト。ごくり、と喉を鳴らして続く言葉を紡ぎ出そうとした瞬間、

「おめでた、か」

「アイシャっ!」
 声を裏返すラウルに、残る三人が一瞬顔を見合わせ、そして次の瞬間、大爆笑が湧き起こった。
「お、おめでた!!」
「それはなかなか的確な表現だな。流石はレイサの子孫、言うことが違う」
「そうかぁ〜、いやあラウルさん、これは貴重な経験ですよ! 男の人が命を体に宿すなんてこと、通常じゃありえませんからね」
「やかましい!! おい、キーシェ! なんてことしてくれるんだっ」
 胸倉を掴んで抗議するラウルに、キーシェは引きつった笑いを浮かべながら、
「い、いや、これが一番安全だろうと思ってな。ほら、魚や何かでも卵を口の中に保護して孵化させるものもいるし、それと同じことだと……」
「ふざけんなっ!!」
「だからその、こんな状況というのは我々としても想定外だからして、 臨機応変な対応をしていくしか……」
「まあまあ、いいじゃないですか。これなら卵がどこにあるか誰にも分 かりませんし、今までと違っておんぶ紐で連れまわさなくてもいいから楽ですよ、きっと」
 目に涙まで滲ませながら気休めの台詞を吐くカイト。
「お前、他人事だと思って……」
「い、いや、その……ねえ? エスタス」
 エスタスに助けを求めるカイトだったが、そのエスタスはとうとう腹を抱えてうずくまってしまった。ぴくぴく痙攣しながら笑い続けているところからして、余程ツボに入ったのだろう。こんな彼は初めて見るが、だからと言って嬉しくもなんともない。
「恐らく年内には孵るだろうから、それまで辛抱してくれ」
 笑いをかみ殺して必死に真面目な口調を保つキーシェ。
「年内、か……」
 となれば、長くてもあと三月もあれば、待ちに待った竜の勇姿を拝めることになる。
(そうすればこの、卵のお守りからも解放されるってか)
――らうっ!!――
「うっ……」
 怒ったような卵の声。ただでさえ今までも心を読むようなことをしていた卵が、今度はラウルの中に宿っている。恐らく考え事は筒抜けだ。迂闊なことは考えられない。
――らう〜♪――
 やーいやーい、と笑われているような気がした。
(我がまま卵め……いつか覚えてろ)
――らうぅっ!――
 覚えてるぞ、といわんばかりの返事が返ってくる。ああ、これは何を言っても無駄だ。孵るまで、この状態で面倒を見るしかないのか。
「孵化が本格的に始まれば、卵はまた先ほどまでのように、何の反応も示さなくなるだろう。だが案ずることはない。それこそが、孵化の始まる合図だ」
 その言葉を聞いて、ほっとするラウル。
「それじゃ、あともう少しの辛抱か……」
 あと三ヶ月もこの状態では、ラウルの方が参ってしまう。
「ああ、そうなるな。……しかし、その『影の神殿』が心配だ。直接の手出しは出来ないが、お前達に手を貸すことだけなら出来る。もし何かあったら私を呼べ」
 力強く言ってくるキーシェに、ラウルはひとまず素直に感謝の意を表した。
「ああ、ありがたいことだ。でも、何でそこまで協力してくれるんだ?」
 いくらアイシャの先祖が彼の友だったとしても、アイシャの言う通りその血の繋がりは極めて希薄だ。しかも今回彼の助力を求めていたのはアイシャではなく、ラウルと卵。第三者に彼がそこまで親身になって力を貸してくれる理由が浮かばなかったのだが、キーシェは、
「同胞の命を守ろうとしている者に手を貸さないほど、私は薄情ではないつもりだぞ」
 と、少々むっとした顔で言ってくる。しかしすぐに温和な表情に戻ってラウル達をゆっくりと見回すと、こう尋ねてきた。
「我が同胞が今まで無事でいられたのは、お前達が懸命に卵を守ってきたからだ、そうだろう?」
「あ、ああ……まあな」
 懸命に、というのは少々語弊があるが、仕方なく、なんとか面倒を見てきたことは確かである。そう言うと、キーシェはさも愉快そうな顔をする。
「ならば私は、神聖なる竜の名において、お前達に対し助力を惜しまぬことを約そう。これは竜の盟約。決して違えることはない。我が名はキーシェ。炎を纏うもの。紅蓮の焔にて焼き尽くすもの!」
 そう高らかに宣言し、キーシェの姿がふわりと光を帯びる。揺らめく幻の炎に包まれて、焔の如く舞う紅蓮の髪。
「さらばだ、人の子らよ」
「お、おいっ!! ちょっと待てっ」
 ラウルの声もむなしく、キーシェの姿は炎に包まれ、そして消えた。炎を吹き消したかのように、ほのかな熱さだけをその場に残して。
「帰っちゃったんですかね」
 残念そうに呟くカイト。
「ったく、登場も退場もド派手な奴だ……」
 疲れた顔で椅子にぐったりと体を預けるラウル。まったく、今日という日はどうかしてる。こんなに来客の多い日は珍しい。しかもとんでもない来客ばかり、ぞろぞろと……。
「でも、これで安心して収穫祭に望めますね、ラウルさん」
 慰めるように言うエスタス。と、まるで図ったかのように、玄関から明るい声が響いてきた。
「ラウルさーん! エリナでーすっ!!」
「うっ……」
 思わず顔を歪ませるラウル。エリナが来たと言うことは、即ち――。
「衣装の相談に来ました!」
 やってきたエリナは、裁縫箱を手に満面の笑みを浮かべていた。
「あ、あの、ラウルさんも往診で疲れてるだろうから、明日にしなよって言ったんですけどぉ」
 その後ろから申し訳なさそうなマリオが現れる。その手には、恐らくエリナに持たされたのだろう布地の束が抱えられていた。どれもこれもド派手なものばかりだ。一体どんな衣装を作るつもりなのだろう。
(勘弁してくれよ……)
 頭を抱えたくなるラウルに、アイシャがぽん、と肩を叩く。
「厄日だな」
「もう、どうにでもしてくれ……」
 情けない顔で呟くラウルを尻目に、エリナはカイト相手に意気揚々と衣装について語っている。それはもう嬉しそうな彼女は、うなだれたラウルなど全く目に入っていない様子だ。
「もう、どんな衣装にしようかと思ったら夜も眠れなくって! やっぱり、王子様みたいな素敵な衣装とか、それとも伝説の勇者みたいなかっこいい衣装とか! あ、ここは意表をついて、女装とかっ!! きゃー!」

 叫びたいのは、ラウルの方だったに違いない。

第五章・終
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