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第六章[6]

 収穫祭当日、朝。
 村の入り口が騒がしいことにまず気づいたのは、広場に椅子を出す手伝いをしていたマリオだった。
「何だろう?」
 収穫祭は昼から始まる。その時が刻々と迫る中、村人達は祭に向けた最終準備に余念がない。マリオもこれを終えたらエリナの家へ行って、着替えることになっていた。
「んー、お客さんかな?」
 机を並べていた村長も、手を止めてマリオと一緒にそちらを見る。祭には外部からも人がやってくるし、時間より早くやってくる客もたまにいる。だから今度もそれなのかと思ったのだが、どうにも様子が変だ。その場にいた村人達と何か口論になっているように見受けられる。
 そして、村人を押しのけるような格好で広場までやってきたのは、祭にふさわしくない物々しい装束の男達と学者然とした中年男だった。これがまた、整えられた口ひげが見事に似合っていない。
 突然の乱入者に、最後の飾りつけをしていた娘達や机や椅子を運び出していた男達、そして練習をしていた楽団もが手を止め、彼らに驚きと非難の視線を送る。
 そんな視線をものともせず、キョロキョロと何かを探しているような素振りを見せる彼らに、村長が動いた。
「ちょっと行ってくるよ。お前は急いでラウルさんを呼んできてくれ」
「う、うん。分かった」
 走り出すマリオを横目に、村長は彼らの前に進み出て、いつも通りの柔和な顔で話しかける。
「これはこれは、遠いところからようこそお越し下さいました。私は村長のエバンスと申します。生憎ですが、祭は正午からでして……」
「祭を見に来たわけではないっ! 私は王立研究院から派遣されてきたドニーズだ。ここに邪悪なる怪物が匿われていると聞き及んでいる。隠し立てせずに、引き渡すがいい」
 その言葉に周囲がどよめいた。そんな村人の動揺をよそに、村長はあくまで穏やかに聞き返す。
「失礼、今、なんと?」
 と、村人の一人が口火を切った。
「村長! そいつ、卵を引き渡せって言うんだ!」
「邪悪なる怪物だって言って聞かないんだよ。違うって俺達がいくら言っても、全然取り合ってくれないで……」
 見れば、先ほど入り口でもめていた村人達である。
 やいのやいのと騒ぐ彼らに、ドニーズと名乗る男がキッと睨みをきかせる。
「うるさい! こちらは確かな筋からの報告を受けているのだ!」
 その言葉に眉をひそめて、村長は努めて穏やかに聞き返した。
「確かな筋、と仰いますと……?」
「ええい、余計な詮索はいい! とっとと卵を引き渡すのだ!」
 取り付く島のないドニーズに、やれやれと内心溜め息をつく村長。
 と、ようやく人込みを掻き分けてラウルがやってきた。マリオがよほど急かしたのだろう、いつもの神官服ではなく簡素な私服に身を包み、髪も下ろしたままだ。
「ああ、ラウルさん」
 そっと声をかけつつラウルを見やる村長に、ラウルは小声で尋ねてきた。
「一体何事です? マリオはとにかく来いとしか言わなくて……」
「それがですね」
「何をこそこそと話しておる!! とっとと、邪悪なる怪物の卵を引き渡すのだ!」
 その言葉にラウルの眉がひそめられた。そして、その男を凝視したまま村長へと声を潜める。
「村長、彼らは一体……?」
「王立研究院の方だそうです。周りの兵士達は王都の守備隊ですよ」
 それを聞いて、ラウルは改めてこの招かれざる客を見る。
 王都の守備隊は、法と秩序を重んじる境界の神セインの信者を中心に結成された選りすぐりの兵隊である。通常は首都防衛の任に就いており、辺境の村まで出向くようなものではない。
 そして王立研究院。それは、かつては宮廷魔術士と呼ばれていた集団が研究に特化して作り上げた総合研究の場である。魔術士や学者を集め知識の粋を結集したそこは、魔術や風俗、天文や歴史などといった研究だけに収まらず、政治や経済、その他国内外で起こる全ての事柄を研究対象としていると聞く。
(まあ、卵の噂を聞きつけて来たんだろうが……その「邪悪なる魔物」てのは一体?)
 ラウルが訝しげに彼らを見やる一方で、見られている方も、唐突に出てきたこの人物に不審の目を向けていた。
「なんだ、お前は」
 ドニーズの問いかけに、ラウルは毅然とした態度で口を開く。
「私はこちらのユーク分神殿に仕える者です。今、邪悪なる怪物、と仰いましたか」
 まるで値踏みをするようにラウルをじろじろと見ていたドニーズは、小馬鹿にしたように舌打ちをする。
「ふん、随分と貧相な神官もいたも――」
「こちらの質問にお答え願いましょう。邪悪なる怪物がどこにいると仰いました」
 今までに聞いたこともないような、低く冷たいラウルの声。村長はおろか、村人達もがその声に身をすくめる。
 しかし、ドニーズは傲慢な態度のまま、ふんと鼻を鳴らした。
「この村に新たに赴任したユークの神官が、妙な卵を保護していると聞いておる。竜の卵だなどと噂されているそうだが、その実は邪悪なる怪物なのだとな」
 そこまで言って、ドニーズはふと思い当たったようにラウルをねめつけた。
「ユーク分神殿の者と言ったな。ではお前が怪物の卵を匿っている張本人か」
 その言葉に、集まっていた村人が一斉に抗議の声を上げた。
「何言ってるんだ!」
「あれは本当に竜の卵だって言ってるだろ!」
「神官さんを悪く言うな!」
「ええい、黙れ!」
 ドニーズの声に応えるように、それまで身動き一つしなかった守備隊の面々が長槍を構える。それはラウルにも突きつけられる形になったが、ラウルは微動だにしない。
 しかし村人達はそうはいかない。途端にざわっと人の輪が遠のき、声が止んだ。それを満足そうに見やって、ドニーズは再び口を開く。
「さあ、さっさとその卵とやらを引き渡せ。そうすれば匿ったことは不問にしてやろう」
 ドニーズと対峙するラウルを、村人達が固唾を呑んで見守る。しばし無言で突きつけられた槍先を睨みつけていたラウルは、ふい、と視線を外して言った。
「何を仰っているか、分かりかねます」
「何を!?」
 激昂するドニーズに、尚も続けるラウル。
「邪悪なる怪物を匿うなどと、言いがかりもいいところです。確かに、私は不思議な卵を保護しています。しかしそれは間違いなく竜の卵。それを怪物の卵などと……。権威ある王立研究院の方がそんな他愛もない噂話を鵜呑みにして、わざわざご丁寧に兵隊まで引き連れてやってくるとは、随分と平和な国なんですね、ここは」
 立て板に水の勢いで紡がれる皮肉交じりの台詞に、ドニーズの顔が真っ赤に染まる。
「な、な……なんだと……!」

「なんか、随分怒ってません? ラウルさん」
 広場の騒ぎに気づいて見物に来たエスタス達は、人垣の中から様子を見守っていた。
「半年以上世話してきたものを、一方的に邪悪な魔物呼ばわりされりゃ、ラウルさんじゃなくても怒るだろ、そりゃ」
 溜め息混じりにエスタス。それにしても、あの特大の猫かぶりが、村人の前であれほど痛烈な台詞を叩きつけるとは、ラウルも相当腹に据えかねているようだ。
「一体どなたからそんな与太話をお聞きになったのか、お聞かせ願いたいものです」
「それを聞いてどうするというのだ」
「どうもこうも、そんな出鱈目な話を吹聴するような輩を放っておくわけには行きません。それなりの対処をさせていただきますよ。ああ、その前に名誉毀損の訴えを起こした方がいいかもしれませんね」
 目の前に槍を突きつけられているにもかかわらず、強気な態度を崩さないラウル。そんな彼の、普段の印象とは少々違う姿に、村人達は最初唖然とした顔で見守っていたが、ラウルに勢いづけられるように次第に声を取り戻していく。
「そうだそうだ!」
「それに、竜の卵だとおっしゃったのは、『北の塔』の賢者さまだべ?」
「大体、邪悪な怪物って一体何なんだ!?」
「それこそ眉唾物の話じゃないのよ」
「なんだよその髭」
「へんなのー」
「ええい、黙らんかっ!!」
 ドニーズの怒声に、しかし村人達は今度こそ屈しなかった。そのざわめきに後押しされるように、ラウルは力強く言葉を紡ぐ。
「彼らの言うとおり、あの卵は、『北の塔』の賢者様が自らこちらに赴いて、はっきりと竜の卵だと断言されたものです。それを邪悪な怪物呼ばわりするのでしたら、あなた方は『北の塔』の賢者様をも侮辱していることになりますが」
 その『北の塔』の賢者様をチビガキ呼ばわりした自分は棚に上げてそんなことを言うラウルに、ドニーズは、
「き、『北の塔』の賢者など……塔にこもって怪しい研究に勤しんでいる輩の言うことなど、あてになるかっ」
(そいつは、あんたにそっくり返すぜ……)
 苦しい言葉に、呆れ顔を隠せないラウル。王立研究院がどんなものかをラウルはよく知らないが、研究所にこもって、一般大衆からしてみれば得体の知れない研究をしている彼らと、どれほどの違いがあるのだろう。
「そ、そもそも、『北の塔』の賢者とやらが本物であるという証拠はあるのか!?」
「……」
 そう言われると、何とも答えようがない。押し黙るラウルに、調子付いたように食って掛かるドニーズ。
「ほら見ろ、どうせどこかの魔術士が『塔』の名を騙ったか、それとも――」
「誰が『塔』の名を騙ったですって」
 唐突に、甲高い声が遮った。

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