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第六章[11] |
鐘の音が響いてくる。 夕刻を告げる静かな鐘。 夕日に染まる村に、どこか哀愁漂う鐘の音はただ静かに響いている。 そんな鐘の音を、彼らは小屋の中で聞いていた。 本来なら、今頃は広場で振舞われる食事や酒にありついているか、楽団の奏でる賑やかな音楽に合わせて踊っているはずだった。しかし無粋な乱入者によって祭は中止となり、村人達はそれぞれ、いつもの暮らしに戻っていた。ラウル達も然りで、疲れ切った顔で思い思いに体を休めている。と言っても、居間の家具はほとんどが壊れてしまったため、床に敷いた敷物の上に直に腰を下ろしているのが現状だ。 「ったく、とんだ収穫祭になっちまったな」 暖炉の前を陣取って長々と体を横たえているのはラウル。あの騒ぎからこっち、だるい、疲れた、動けないと言って、ずっとここでゴロゴロしっぱなしだ。強力な術を二度も使ったのだ、無理もない。 「みんな残念がってましたよ。まったく、こんな日を狙ってこなくてもいいのに」 ぷんぷんと怒っているカイトは、窓際に腰掛けて外を見ていた。ここからでは村の様子は窺えないが、今頃広場では行われなかった祭の後片付けが進められているはずである。 「あの王立研究院の奴もな。わざわざ今日来ることないのに、全く……」 部屋の片隅で、なんとか椅子を直そうとしているエスタスは、慣れない大工仕事にてこずりながらも、なんとか四本の脚のうち三本までを付け直し、最後の一本に取り掛かっていた。 「……いや、あの王立研究院の奴らが来たのも作戦のうちだろうな」 「ええ?」 寝転がったままのラウルの言葉にエスタスが眼を剥くが、一人シリンだけがさもありなんと頷いた。 「そう、かもな」 額や腕に包帯を巻いてはいるが、怪我はたいしたことはない。しかし、よほど悔しかったのだろう。あれからずっと、むすっとしたままだ。 「だって、遅すぎると思わないか。あのドルセンに頼まれてオレがここに忍び込んだの、夏祭前だぜ?」 そうだ。つい最近のようだが、もう三ヶ月はとうに過ぎている。 「ああ、王立研究院に手を回して卵を手に入れようとしたにしても、時期が遅すぎる。恐らくは、あの宝石商をそそのかした奴ってのが、ドルセンの名前を騙って王立研究院に話を持ちかけたんだろうな」 突然の来訪者。そして時期を同じくして襲ってきた死者の群れ。村を襲う突然の事態に混乱したところを狙っての卵の奪取。まさに計画的な犯行である。しかも死者の群れを操るということは、首謀者は自然と絞られる。 「『影の神殿』、か……」 苦々しく呟くエスタス。 「でも、それじゃ、あの王立研究院の人達は……」 「ま、利用されただけでしょ」 台所の扉が開いて、アルメイアの声が割り込んできた。その後ろには前掛けをしたユリシエラ。二人の手にはあつあつの焼き菓子を載せたお盆がある。暇だからと先ほどから台所を占領していたのだが、そんなものを作っているとは思わなかった。 「はい、どうぞ〜」 食卓が壊れてしまったので、床に直接お盆を置く二人。考えてみればここにいるものは皆、昼食をとっていない。甘い焼き菓子の匂いに胃を刺激され、我先にと手が伸びる。 「いやねえ、子供みたいに」 その様子を見て溜め息をついてみせるアルメイア。と、その横でユリシエラが思い出したようにくすりと笑った。 「それにしても、あのドニーズという方の慌てようといったらありませんでしたわね。結界の中にいても、それはもう大騒ぎでしたのよ」 結界の中は安全だというユリシエラの言葉にも関わらず、目の前で繰り広げられる攻防戦に一喜一憂するその姿を見て、最初は恐怖に震えていた村人達もしまいには呆れ果てていたという。 ラウル達が死者の群れを撃退し、守備隊が周囲を見回って安全を確認したところで、ユリシエラは結界を解いた。結界の中ではらはらと成り行きを見守っていた村人は一斉に安堵の声を上げたが、その中でもあのドニーズは泣き出さんばかりの勢いで飛び出してきてラウルに縋りついたばかりか、しきりにラウル達を言葉の限り褒めちぎり、彼らをほとほと呆れさせたのは言うまでもない。 そんなドニーズは守備隊を引き連れてさっさと引き上げていったが、あんなことがあった後だ、とてもこれから祭を賑やかにやる雰囲気ではなくなっていた。 村長が祭の中止を決め、後片付けが始まる。大人はともかく、この日を楽しみにしていた子供達は相当にごねていたが、親や周囲に宥められて渋々後片付けを手伝っていた。 「しかし、あれだけ派手に押しかけてきた割には冴えなかったな」 満足げなラウルに、はっとシリンが食って掛かる。 「そうだ! おい、贋物なら贋物ってちゃんと言えよ! オレ必死だったんだぞ? 贋物のせいで死ぬようなことになってたらどうしてくれるんだっ!」 「なに、死ななかったんだから大丈夫だ。第一、敵を騙すにはまず味方からって言うだろ」 「けっ、俺だけ仲間外れにしやがって……」 ふい、とそっぽを向いたシリンに、意地悪な顔でカイトがまぜっかえす。 「おや? 嫌々仲間に入った人がそんなこと言うんですか?」 「うるせぇっ」 「しかし、あれが贋物だと知ったら、奴らどう動きますかね?」 「なに、多少動きを見せてくれた方が、こっちも尻尾を掴みやすいってもんさ。シリン、今後どっかで怪しい動きがあったら、すぐに知らせてくれ」 「あ、ああ。分かってるさ」 頷くシリン。と、アルメイアがふと首を傾げる。 「ねえ、そう言えば本物はどこにある――」 「村長が来る」 唐突にアイシャが声をあげた。そして、その言葉からそう経たないうちに玄関を叩く音がする。 「いやぁ、遅くなりました。ようやく片付けが終わりましたよ〜」 相変わらずの笑顔でやってきた村長は、壊れた家具などが撤去されて一気にがらんとなった居間を見て目を丸くしていたが、ふとシリンを見て心配そうに声をかけてきた。 「シリン君と言いましたね、怪我は大丈夫ですか?」 「はあ、たいしたことは……」 何故か口ごもるシリン。それに良かったですねえと言いつつ、村長はラウルに苦笑を投げかけた。 「しかしラウルさんも策略家ですね。卵を贋物とすり替えていたなんて」 ラウルの小屋から卵が持ち去られたこと、そしてそれが贋物であったことは、すでに村人の間にも伝わっている。今まで隠していて、と申し訳なさそうに告げるラウルの肩や背中を叩き、卵が無事だったことを純粋に喜んでくれた村人達。祭がぶち壊しになったのは卵のせいでもあるのに、それを責める者は一人としていなかった。何とも、気のいい人達である。 「それで、本物はどうしたんです? 見たところここにはないようですけど?」 部屋を見回して尋ねてくる村長に、ラウルは引きつった笑みを浮かべた。 「ええ、その……今はあるところで孵化の時を待っています。申し訳ありませんが、場所はお教え出来ません」 「そうですね。卵の安全のためには、それが一番です」 にこにこと笑う村長。それをシリンが胡乱な目で見ていたことに、その時誰も気づかなかった。 「それにしても、ラウルさんの仮装が見られなかったのは本当に残念ですよ。エリナなんかもう、マリオを相手にまだ愚痴ってますよ」 はは、と乾いた笑い声を上げるラウル。 「でも、ラウルさんには良かったかもしれないですよ。聞いたら、姫将軍ローラの装束を用意してたっていうじゃないですか」 とはカイトの談。そう、あの後マリオを問い詰めてようやく白状させた仮装の正体は、事もあろうに女装だった。なんでもこの国の祖である美貌の姫だったらしいが、そんな仮装をさせられて嬉しいはずもない。愚痴られているマリオには災難なことだが、見世物にならないですんだラウルにしてみれば、不幸中の幸いである。 「しかし、祭が台無しになってしまって、本当に申し訳ないことを……」 「そうよそうよ、まったく、折角はるばる北の外れから来たって言うのにぃ!」 ぶーたれるアルメイアを、ユリシエラがまあまあ、と宥めている。村長もそんなアルメイアに苦笑しつつ、 「ラウルさんのせいではありませんよ。それどころか、私達を救ってくれたのですから、こちらがお礼を言わなくてはなりません。ラウルさん、そして皆さん、ありがとうございました」 深々と頭を下げる村長に、慌てふためく一同。 「いえ、そんな……当然のことをしたまでですから」 わたわたとそう言うラウルに、顔を上げた村長はにっこりと笑顔を向ける。 「来年こそは、もっと楽しいお祭にしましょうね。ラウルさんの仮装もちゃんと見たいですし」 「そ、そうですね……」 (冗談じゃねえ!) 魂の叫びを押し殺して、ラウルは引きつった笑みを浮かべていた。 「ところで、ラウルさん」 村長の表情がすっと険しくなって、ラウルもまた笑みを引っ込める。 「はい?」 「村人の間で、あの死者の群れについて色々囁かれています。下手な憶測やデマが広がらないうちに、きちんと話をしたほうがいいでしょう。というわけで、明日の朝にでも村人を集めて話し合いをしたいのですが」 そうだ。死者の群れが襲ってきた訳。そして卵が狙われた理由。まだ彼らには話していなかったが、あんなことがあった以上、きちんと話をしない訳にもいかない。 「あら、言っちゃって大丈夫なの?」 ひょい、とアルメイアが口を挟む。 「ただでさえ怯えきってるのに、本当のこと教えたら余計怖がって、この村から逃げてっちゃうんじゃない?」 「アル!」 姉の言葉をユリシエラがたしなめる。 「いえ、アルメイアさんの言うことにも一理ありますが……でも、ここで嘘をついて偽りの安心を与えるのと、たとえそれが衝撃的な事実であっても、きちんと伝えて後の判断を各自に任せるのと、どちらが良いでしょうか」 押し黙るラウル。そんな様子を見て、村長はいつも通り穏やかに微笑んでみせた。 「何を話すかは、ラウルさんにお任せします。でも私は、この村に住む人達を信じています。それだけ、覚えておいて下さい。それでは、また明日……。今日はゆっくり休んで下さいね」 そう言って、村長は小屋を後にした。 「それじゃ、私達はこれで」 夕闇にとっぷりと浸かった小屋の前で、アルメイアとユリシエラは見送りに出てきたラウルに、さも残念そうに言った。 「あーあ、竜に会いたかったのに」 「仕方ありませんわ、アル」 結局騒ぎのおかげで、祭を楽しむどころか、アイシャに竜笛を吹いてもらう暇もなくなっていた。夜になってもう戻らなきゃ、と腰を上げる二人に、てっきり今日はこっちに泊まっていくのだろうと思い込んでいたラウルは驚いたが、彼女達もそう遊んでいられる身ではないという。 「明日は朝から会議があるの。戻らなかったら大目玉食らっちゃう」 「三賢人ってのも大変だな」 すでにエスタス達は宿へと戻り、シリンも去って行った。彼女達を見送るのはラウル一人。 そろそろ本格的な冬の到来を感じさせる冷たい夜風が、彼らに吹きつけている。 「卵が孵ったら、是非教えて下さいませ。そのために、これを……」 そう言ってユリシエラが取り出したのは、古めかしい手鏡だった。 「なんだ、これ?」 「魔法の鏡です。対になっていまして、これを使えばどんなに離れていても対話が出来る優れものですわ。手紙では時間がかかってしまいますから」 そう言われて、ラウルは渡された手鏡をまじまじと見る。魔法の品というが、一見した限りではごく普通の鏡にしか見えない。 「合言葉がいるんです」 そう言って、ユリシエラはラウルの耳元に唇を寄せる。合言葉を囁くユリシエラの柔らかな髪がラウルの肩に触れ、ふんわりと甘い香りを残していった。 「……よろしいですか?」 「……唱えたくないぞ、そんな合言葉」 顔を奇妙に歪めたラウルに、アルメイアが何よ、と目を吊り上げる。 「文句あるわけ? これ、作るの結構大変なんだからね! 使わせてもらえるだけありがたいと思いなさいよ」 「分かった分かった。それを言えば、あんた達といつでも話が出来るんだな」 「そうよ。ま、私達も忙しいから、ほいほい呼び出されちゃ困るけどね。卵が孵ったら、もしくは何かあったら呼んでちょうだい」 そう言って、アルメイアは妹に目配せをする。それに頷いたユリシエラは、そっと手にしていた魔術士の杖を振った。 「それでは、ごきげんよう!」 「まったねー」 軽やかな声を残して、二人の姿が瞬時に掻き消える。後には夜風が吹き過ぎるだけ。 「ったく、軽い奴らだ……」 頭を掻きながら、ラウルはしばし闇夜に佇んでいた。 |
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