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第七章[11]

 シリンに支えられたラウルが屋敷の外に出て、ほんの少し後。
 屋敷の一箇所から火の手が上がり、それから少し遅れて屋敷全体がガラガラと、まるで地震にでも見舞われたかのように崩れ出した。
 すでに騒ぎを聞きつけた者達が屋敷を取り囲んでおり、それを警備隊が押しとどめている。そんな屋敷から酷い有様で助け出されたラウルの姿に、人々の視線が殺到した。
「おい、どうした!?」
「なんだ、酷い怪我してるじゃないか」
「いいから道を開けてくれ! それとすぐにガイリアの神官様を呼んでくれ! 頼む!」
 シリンの怒鳴り声に、人々は弾かれたように動き出す。すぐに警備隊が彼の元にやってきて、ラウルの応急手当を始めようとしたその時に、屋敷は轟音と共に崩れ、業火に包まれた。
「一体どうなってるんだ!?」
「中にはまだ、男爵様が……」
「おい、早く消火活動を……!」
 遠巻きに人々が見守り、警備隊が錯綜する中、応急処置を受けていたラウルは、はたと シリンを見やる。
「……おい、あいつらは……」
 そう、屋敷にはまだ、ラウルを助け出さんとやってきたエスタス達がいるはずだ。
 そんなラウルの心配をよそに、シリンは片目を瞑ってみせる。
「大丈夫だ、ほら」
 シリンが指差すその先に、こちらに向かって駆けてくる人影があった。数は三つ。 炎に包まれた屋敷を背にラウルの元まで走ってきた彼らは、その姿を見つけて笑顔を見せる。
「ラウルさん!」
「大丈夫ですか!? うわ、なんですその怪我!」
「元気そうで何より」
 十日と離れていなかったのに、この三人の顔が懐かしく見えたのは、きっと少し気が緩んでいたからに違いない。
「どこらへんが元気に見えるんだ……といいたいところだが、まあ生きてるさ」
 ラウルは胸に溢れる嬉しさを押し殺してわざとそんな口を叩いてみせた。
「でも……お前ら、どうして……」
 聞きたいことは色々ある。しかし、応急処置を施していた警備隊の人間がそれを止めた。
「君、喋らないで! 傷に響く。君達は彼の知り合いかい?」
「はい、そうです」
「それじゃ、ひとまず彼はガイリア神殿で手当てを受けてもらうから、君達は事情を聞かせてもらおうか。なぜこの人がこんな酷い怪我を負っているのか、それに……」
 風が炎を揺らし、火に包まれた屋敷はすでに、原形を留めていなかった。しかしそこが、このエルドナの領主を務めるオーウィン男爵の屋敷であることは周知の事実である。
「分かってます。知っていることは全てお話しますよ。領主が何を企んでいたのか、そして、その為に何をしでかしてきたのか」
 答えるエスタスの瞳には怒りの炎が滾っていた。普段の表情からは想像もつかない、激しい怒りに燃える彼の姿に、ラウルは息を飲む。
(こいつでも、怒ることあるのか……)
 普段は暴走するカイトとアイシャの抑え役として、気苦労を背負い込んでいるところしか見たことがなかっただけに、こんなにも怒りを顕わにするエスタスというのは想像もつかなかった。
「シリン君はラウルさんに付いててあげて下さい。あとで僕達も行きますから」
 カイトの言葉にシリンが頷く。そして、警備隊の人間が運んできた担架に乗せられて、ラウルはガイリア神殿へと運ばれていった。

* * * * *

「何故……なぜだ!」
 業火に包まれる部屋の中、男爵は信じられないものを見るような目で、目の前に佇む人物を見ていた。
 男爵自身が発動させた起爆装置によって、屋敷はすでに崩れ始めている。それと同時に屋敷のあちこちから炎が上がり、あの忌々しい乱入者と一緒に、彼の行ってきた全ての証拠を跡形もなく消してくれるはずだった。後は彼しか知らない秘密の脱出口を使って密かに難を逃れ、全てが収まった頃に奇跡の生還を果たしたと見せかければいい。
 ところが、そんな目論見はあっさりと崩れ去った。配下の者は乱入者によってあらかた倒され、一緒にいたはずのサイハまでがいつの間にか姿を消していた。つい先ほどまで対峙していた乱入者はといえば、階下からの仲間の合図を受けて、あっさりと退散していった。
 後には炎に包まれ崩れ行く屋敷と彼、そしてこの、盗賊ギルドから派遣されてきた仮面の男が残されたのみ。
 その仮面を外し、素顔を晒した男は、男爵を侮蔑の表情で見つめている。
「なぜ? 分かりきったことです。あなたはやり過ぎたんですよ」
 ギルド長『眠り猫』は告げる。
「先々代の契約を今更持ち出したことは大目に見るとしても、事もあろうに『影の神殿』の甘言に乗せられ、不死の誘惑に負けて、彼らにいいように利用されていることに気づきもしない……はっきり言って付き合いきれません」
 そう告げながら、『眠り猫』は持っていた紙の束をはらり、と炎に投じた。
「そ、それは……!」
 男爵が顔色を変える。それは、そう、彼しか知らない隠し金庫にしまわれていたはずの書類。祖父が若かりし頃、盗賊ギルドから受け取った誓約の証。それは彼の恩に報い、いついかなる時でも協力を惜しまないという、先々代ギルド長直筆の誓約書だった。
 祖父が死に、そんな誓約書も屋敷の片隅で埃に埋もれていた。しかし屋敷の者すら忘れかけていたその誓約書を引っ張り出し、それまで一切関わりを持っていなかった盗賊ギルドを利用することを持ちかけたのは、彼に不老不死の誘惑を囁きかけてきた『影の神殿』の者ではなかったか。
 そう、彼らはどこからか、オーウィン男爵が盗賊ギルドとの繋がりを得ていることを突き止めていた。他国のギルドとは異なり、ローラ国の盗賊ギルドは滅多なことでは表に出てこないことで知られている。むしろ、その存在はほとんど知られていないといっていい。しかし、彼らはギルドに繋がる糸を手繰り寄せた。そして、それを利用しようとしたのだ。
「こんな紙切れで我々を縛っておけると思っていたのですから、滑稽な話です。やろうと思えば、我々はあなたの命を奪うことも、また先々代の書いた誓約書を破棄することも、簡単に出来たんです。それをなぜしなかったと思います?」
「な、何故だ……」
「いくら先々代の交わしたものとはいえ、約束は約束でしたから。ギルドは信用商売、口約束でも守り通すのが信条です」
 そう。彼はラウルとの約束を守った。卵には手を出さず、ラウルの命を奪うこともなかった。それは彼の個人感情以前に、約束に対するギルドの理念を貫いたもの。
「でも、それももう終わりです。生憎と、私は『影の神殿』が大嫌いでね。……知っていますか? 先々代のギルド長は、彼らに殺されたのですよ」
 驚愕の表情を浮かべる男爵。
「もっとも、『影の神殿』もそれを知らないでしょうがね。彼はあくまで一般人として死にました。意地と誇りを貫き通してね……。それでは、私は失礼しますよ。もう二度とお会いすることもないでしょう。頑張って罪を償って下さいね」
 そう言って踵を返す『眠り猫』に、慌てて追い縋る男爵。自信に満ち溢れていた顔は恐怖と焦りに歪み、血走った眼で『眠り猫』を凝視している。
「何を言う! お前らも――」
「なんです? あなたが我ら盗賊ギルドと関わっているという証拠は、もうどこにもありませんよ。『影の神殿』の彼も姿をくらましてしまっています。もうあなたの手下も、味方も、一人もいません」
「そ、そんな……」
「まずは、頑張ってここから脱出することですね。運が良かれば命だけは助かるでしょう。それではごきげんよう」
 男爵の手をあっさりと振り払い、スタスタと部屋を出て行く『眠り猫』。その直後、天井が焼け落ちた部屋は、瞬時にして灼熱の炎に包み込まれた。
「う、うわぁあああああああっ……!」

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