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第八章[1]

「さ、着きましたよ」
 手綱を繰る手をとめて、首だけ振り返って行ってくるエスタスに、荷台のラウルはああ、と呟きを返す。
 あれから二日。ようやく体力の回復したラウルは、惜しまれる中エストへの帰路についた。看病と護衛のためにエルドナに残っていたエスタス達と共に、三日を費やしてゆっくりと馬車を進め、懐かしのエストに帰り着く。
 すでに空は闇に覆われ、星々が瞬いていた。ひっそりと静まり返る村の入り口で、知らせを受けて待っていたのだろう村長とマリオだけが馬車を出迎えてくれている。
「おかえりなさい!」
 エスタスに手を借りて馬車を降りるラウルに、マリオが飛びついてきた。
「ぅわっ、お前っ」
 勢いに押されてひっくり返りそうになったラウルを慌ててエスタスが支える。
「ご、ごめんなさいラウルさん。まだ、ちゃんと体治ってないんですね」
「まあな……っておい、どうした?」
 月明かりに照らされたマリオの瞳に、涙が滲んでいる。
「僕……ラウルさんをこんな目に遭わせた人を、絶対許せません!」
 怒りを滾らせるマリオに、ラウルはなんとも言えない表情でそっと村長を窺う。村長はほんの一瞬、ラウルにだけ分かるように目を伏せて、そして話題をすり替えた。
「お疲れでしょう? しばらくは、ゆっくり休んで下さい。エスタス君達も」
「ええ、そうですね。行きましょう、ラウルさん……って、なんか熱くないですか?」
 ラウルの体を支えていたエスタスの言葉に、ラウルは自分で額に手をやる。と、横からずい、とアイシャの顔が近づいてきて、ラウルの手をどけると半ば強引に額を押し当ててきた。
「ア、アイシャ!?」
 唐突に迫ってきたアイシャの顔に慌てるラウル。その狼狽振りなどお構いなしで、アイシャはしばらく額をくっつけていたが、すっと顔を引っ込めたかと思うと、
「熱がある」
 と一言のたまった。それを聞いたカイトがラウルの額に手を触れ、途端に叫ぶ。
「凄い熱じゃないですか!? なんで今まで言わなかったんです!? 早く小屋に帰って寝て下さい!」
「わわ、分かったよ……」
 その物凄い剣幕に押されて、ラウルはわたわたと、エストに戻って来た感動というものを味わう暇もなく小屋に戻り、久しぶりの我が家で床につくことになったのだった。

(ったく……)
 約半月もの間留守にしていた小屋だったが、恐らくはマリオ辺りが手入れをしてくれていたのだろう。部屋は塵一つなく整えられ、水瓶にもきれいな水が湛えられている。布団も太陽の匂いがして、滑り込むとほのかに暖かい気がした。
(帰ってくる場所があるってのは……いいもんかもな)
 月明かりだけが差し込む静寂の寝室で、眠る間際の一時、ラウルはふとそんなことを思う。
 彼が育った場所は、あくまでただ眠る場所であり、そして窮屈な牢獄のようでもあった。
 養い親の存在だけが彼をあの場所に留めていた。そうでなければ、とっくに逃げ出していたはずだ。
(……くそじじぃ……今頃、どうしてるもんか……)
 今は遠く離れた場所にいる養い親に思いを馳せながら、ラウルは深い眠りへと落ちていった。

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