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第八章[8]

「あ、本当にラウルさんだっ!」
「よかった、もう元気になったのね」
 広場にやってきたラウルの姿を見るなり、村長の呼びかけによって集められた村人は、一斉に安堵と歓喜の声を漏らした。
 人々の前にまともに姿を見せるのは、なんと一月ぶりにもなる。多少痩せているようにも見えたが、その足取りは力強い。
「もう大丈夫なの? ラウルさん」
 やってきたラウルに心配げに問いかけてくるのはレオーナ。その横にはトルテを筆頭に子供達が大勢でラウルを見上げ、喜びの表情を浮かべている。
「はい。まだ本調子とは行きませんが、大丈夫です」
「そう、でもまだ無理しちゃ駄目よ? うちの子供達もそりゃあもう心配してたんだから」
「そうよラウルさん! トルテ姉ちゃんなんか、ラウルさんが死んじゃったらどうしようって泣いてたんだから」
「アルナ!」
 慌てて妹の口を塞ぐトルテに、ラウルは優しく微笑みかける。
「そんなに心配してくれていたんですか。ありがとう、トルテ」
「い、いえ……そんな、私……」
「ねえねえ、ラウルさん。『影の神殿』って、悪い奴らなんでしょ? もうやっつけた?」
 無邪気に聞いてきたピートの言葉に、レオーナをはじめとする村人達の表情が翳る。
 一度村に戻った村長がラウルのことを説明した折にもたらされた事実は、ゲルクをはじめとする年長者達を戦慄かせ、六十年前の悲劇を親から伝え聞く村人達の表情を曇らせた。何も知らない子供達だけが、突然表情を変えた大人達の様子を不思議そうに見ていたという。
 そして詳しい事情をラウルの口から話すと聞かされ、広場に集った村人達は皆、不安と怯えの色を隠しきれないでいる。
「大丈夫」
 そうとだけピートに答えて、ラウルは村長と共に、広場の中央に歩を進めた。
 集まる村人達。その一人一人の顔を見回して、ラウルは口を開く。
「私はもう大丈夫です。ご心配をおかけしました。……そして、もう一つ。皆さんの不安の種となっているものについて、ですが……」
 村人の顔に緊張が走る。不安げな面持ちで見つめてくる彼らに、ラウルは淡々と続けた。
「彼らは、『影の神殿』。六十年前にこの地を恐怖に陥れた者が、再び蘇ったものです」
 すでに村長によって聞かされていたことだったが、それでもその言葉は村人達に重くのしかかった。
「私がこの村に来る前日、謎の突風がこの村を抜けて行ったことはまだ皆さんの記憶に残っていることと思います。その時の突風は、彼ら『影の神殿』の手から逃れようとした竜が巻き起こしたもの。そう、あの卵の元の姿が、それです」
 ざわつく村人達。
「突風って、確かまだ春の頃だったよなあ?」
「それじゃ……その頃からそいつらは……」
 村人の呟きを拾って、ラウルは頷いてみせる。
「その通りです。なぜ竜が彼らに狙われたのか、そしてどうやって彼らから逃げおおせたのかは分かりません。しかし彼らの追撃によって深く傷ついた竜は、その傷を癒すために卵となって村外れの小屋に落ち、そして何も知らない私が翌日この村にやってきて、その卵を拾った。最初は何の卵か分からなかったそれが、竜の卵であると判明し、それから『影の神殿』が動き出しました。最初はそうと分からぬように。しかし次第に彼らの正体が分かり始めてきた時に、あの収穫祭の日がやってきたのです」
 襲い来る死人の群れ。晴れやかな祭の日を台無しにした忌まわしい出来事。六十年前にゲルクが取り戻した平和が、音を立てて崩れて行ったあの日の記憶は、苦々しい思い出として村人達の心に深く刻み込まれていることだろう。そしてその時、ラウルは彼らに真実を告げることをしなかった。
「あの時、私は皆さんに『影の神殿』の存在を告げませんでした。それは、今となっては言い訳にしか聞こえないでしょうが、皆さんに真実を告げることのないうちに、全てが終わればいいと望んでいたからです」
 いたずらに不安がらせることはない。戦うのは自分達だけでいい。そう思っていたから。
 せめて、これ以上村人を巻き込むことはしたくない。そう考えて、彼はあの時真実を伏せた。
「私はユークに仕える神官として、教義を歪め、世界に死と恐怖を撒き散らさんとする輩を野放しにしておくわけにはいきません。私は――」
「一人で戦うなんて言わないで下さいよ、ラウルさん」
 はっと顔を上げて、声の方を見る。 村人の中から飛んできた声。見ると、そこにはコーネルの姿があった。すっかり足も治り、今は毎日元気に鐘を鳴らしている彼が、ラウルに向かって力強く微笑んでいる。
「コーネルさん?」
「私達だって、一緒に戦います。ねえ、皆さん!」
 村人の歓声が湧き上がった。それは力強い響き。大人も、子供も。女も男も、声を揃えている。
 『影の神殿』を倒そう。卵を守るんだ。皆で戦おう。
 一人一人の声は小さいものでも、それは大きなざわめきとなって広場を埋め尽くす。
「皆さん……」
 思いがけない反応に戸惑うラウルの肩を、村長が叩く。
「すいません。実は、村の皆さんにはすでに、どうするべきかを話し合ってもらっていたんです。そしてその結論が、これです」
「で、でも……」
「でもじゃないわよラウルさん。あたし達だって卵くんのこと心配なんだから」
 とはレオーナ。
「そうだ、水臭いだよ神官さん!」
「戦おう! 俺達の手で、やつらを倒そう!」
「『影の神殿』を許すな!」
 血気盛んに声を上げる者達。誰もが、ラウルを見つめている。
 しかし、意欲に満ち溢れる人々の中で、ラウルだけが表情を曇らせていた。
「違う……」
「え?」
「違う、あんた達は、戦いががどんなもんか分かっちゃいない……」
 呟くようなラウルの言葉に歓喜が止み、代わりにどよめきが広がっていく。
「神官さん? どうしたんだ?」
 今までに聞いたことのないような、ぶっきらぼうな言葉。そして険しい表情。それは、彼らの知っている「礼儀正しくて人のいい神官さん」とは全く違った人間のようだった。
 いや、収穫祭の日に、彼のこんな顔を見たことがある、とそのうちの何人かは思い出す。王立研究院の男とやりあっていた時のラウルは、普段着だったせいもあってか、まるでいつもと別人のようだった。
 ざわつく彼らの前で、ラウルは低く問う。
「戦いが起これば人は傷付き、そして死ぬ。それを、あんた達は分かっているのか」
「それ、は……」
「人を殺すことがどんなことか……あんた達は知らない。そしてあいつらは、それを知っている。喜びにすら感じている。そして自らが死ぬことすら厭わない。そんな奴らと戦おうとしてるんだぞ? ……軽々しく、戦うなんて言葉を使うな。その言葉がどんなに重たく、そして残酷な意味合いを持っているか、あんた達は知っているのか!?」
 しん、と静まり返る広場。誰も、ラウルの激しい口調に何も言えない。戸惑いと怯えの混じった顔で、ただラウルを見つめている。
 その静寂を破ったのは、意外なことに一人の少年の声だった。

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