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第九章[3]

「上等じゃねえか」
 にやり、と不敵に笑うラウルに、カイトが慌てふためく。
「ち、ちょっとラウルさん? この挑発に乗る気ですか? 危険ですよ! そんなことしなくても……」
「あほ。折角のお誘いなんだ、行ってやるのが礼儀ってもんだろ」
「そんな、安直な行動に出てどうするんですか! 罠ですよ、絶対!」
「分かってるさ。だからこそ、その罠を利用させてもらう」
「利用?」
「何か考えがあるんですね?」
 村長の言葉に、ラウルは小さく頷く。
「まあな。今はともかく、この「全き闇」っていう表現がいつを示すのかを考えよう。儀式の日が分からないことには動きようがない」
 そうして、四人は一斉に頭を捻った。
「全き闇……朔の日とか」
 新月。月のない夜には魔物が出ると、この地方では子供に言い聞かせる。月にいる魔物が居場所を失って地上を徘徊するのだと。だからそんな夜には決して、外に出てはいけないよと諭す。
「でもそれじゃ、月に一度は儀式の機会が巡ってきますよ?」
 秘儀の日取りにしては少々、頻度が高すぎるかもしれない。
「でも、それじゃあ……」
「蝕、かもしれないな」
 ラウルの言葉に、村長とアイシャが首を傾げた。カイト一人がおお、と手を打つ。
「しょく?」
「何?」
「蝕ですか! なるほど、確かに――」
「説明」
 アイシャにぴしゃりと言われ、目を輝かせて口を開くカイト。
「分かりました! 蝕というのはですねえ、太陽と月と、そしてこの世界との位置関係から生じる現象で――」
「詳しくはいい。結論だけ話せよ」
 あっさりと釘を刺すラウル。途端に意気消沈するカイトだったが、めげずに眼鏡を直し、続ける。
「しょうがないなあ、それじゃ説明は省きますが、とにかく、何年かに一度、普段の月の満ち欠けとは別の理由で、月や、時には太陽さえも欠けることがあるんですよ。それは一部だったり全部だったりします。真昼に起こったり夜に起こったりもします」
「ほぉ、そんなことが起こるんですか」
「知らなかった」
 ふむふむと頷いている二人を横目に、カイトはいかにも信じられないという顔つきでラウルに尋ねる。
「でも、どうしてラウルさんが蝕のことを?」
「おまえ、俺を馬鹿にしてるだろ?」
 ジト目で切り返すラウルに、乾いた笑いを浮かべてごまかすカイト。
「そ、そんなことありませんよ。でも、あまり馴染みのない天文現象ですから」
「俺を誰だと思ってる? 闇の神に仕える神官なんだぞ。闇と名のつくものなら俺らの管轄だ。蝕の日、特に皆既日蝕の日は俺達ユーク信者にとって特別な日なんだ。光の源である太陽、それを覆う闇。まさにユークの奇跡だ、とこう言うわけだな。本神殿じゃ総出で祈りを捧げたりするんだが、俺の覚えてる限り今までに一度しか見たことがないな」
 それは、昼日中に太陽が刻々と欠けていく、まるで夢のような出来事だったと覚えている。あれはラウルが神殿に引き取られたからそう経たない頃だった。まだまともに覚えていない祈りの言葉を、それでも必死に紡がされたものだ。
「ということは、その蝕というのは予測出来るものなんですか?」
 腕を組んで尋ねてくる村長に、ラウルとカイトは揃って頷いた。
「計算で導き出すことは可能だ。だだし俺はそういう小難しい計算や理論は大嫌いだったから、やり方が分からねえ。本神殿に問い合わせりゃ一発なんだが……」
 ここから本神殿まで便りを飛ばしていたら、一月や二月では済まない。と、カイトがきらり、と眼鏡の奥の瞳を輝かせた。
「ここは僕の出番ですね。任せて下さい。すぐに計算してみます! けど……ちゃんとした資料がないと……」
 最後の方になると勢いがなくなるカイト。資料といっても、この村に天文学に関する資料などあるわけがない。
「エルドナの分神殿も、天文は専門じゃないし……となると首都の分神殿まで行かないと無理かなあ……」
 首都までは馬車でも半月以上かかる。
「ちょっと時間的にきついですねえ……」
 頬を掻くカイトに、ラウルがふと思いついたように席を立つと、書斎から何かを持って戻ってきた。
「おい、もし何だったらこれ使ってみるか」
「なんです?」
「この間あのお騒がせ姉妹が置いてった魔法の鏡だよ。『北の塔』にだったら、きっと色々な資料が揃ってるだろうからな」
「これは素晴らしい! 使ってみましょう!」
 途端に目を輝かせるカイト。そして三人の視線が集まる中、ラウルは鏡を手に、あの時ユリシエラに教わった合言葉を唱えようとしたが、ふと思いとどまって周囲を見渡し、釘を刺す。
「いいか。絶対笑うなよ」
「なんですか? それ」
「いいから、笑うなよ!」
 そう言って、こほんと咳払いをし、いかめしい顔で問題の合言葉を紡ぐ。
「鏡よ鏡、世界で一番賢く美人な姉妹は誰と誰?」
 三人の顔が奇妙に歪むが、ラウルの言いつけを守って笑い声を漏らすことはなかった。
 そして、それまでぼんやりとラウルの顔を映し出していた鏡面が、水面に広がる波紋のように歪んでいく。その波紋がおさまった時、そこに映し出されていたのはラウルの顔ではなく、アルメイアの期待に満ち溢れた笑顔だった。
『卵、孵ったの!?』
 はしゃぐアルメイアに、ラウルは頭を振る。
「違う。ちょっと教えてもらいたいことがあってな」
 途端に不機嫌になるアルメイア。ぐい、と迫っていた顔が引いて行き、どこか部屋の中が背景に映し出される。天井まで届かんばかりの本棚を背に、椅子にふんぞり返ったアルメイアは、頬を膨らませて、
『なあんだぁ。期待しちゃったじゃないのよ』
「勝手にしてろ。こっちは時間がないんだ、単刀直入に言うぞ。ほらカイト」
 そう言って鏡をカイトに押しつける。恐る恐るそれを受け取ったカイトは、しきりに恐縮しながら鏡の向こうのアルメイアに向かってぺこぺこと頭を下げた。
「あ、あの、お久しぶりですアルメイアさん。ちょっとお願いがあるんですが…」
『何よ? 下らないことだったら承知しないわよ? これでも忙しい身なんだからっ』
「下らなくないですよぉ。えっとですね、次の蝕がいつかを計算したいんですが、手元に資料がなくて……」
『蝕? それがどうしたのよ』
 アルメイアの表情が変わる。何と説明していいか迷っている様子のカイトに、ラウルが横から口を出した。
「『影の神殿』の奴らが、儀式を行う日取りに関係してるかもしれない」
『なるほどね……』
 神妙な面持ちで呟くアルメイア。そして少し考えた後、力強く頷いてみせた。
『いいわ、今すぐとは行かないけど……そうね、三日だけ待ってくれる? そうしたら都合をつけるわ』
「すまない、頼む」
『いやね、あんたがそんな素直に人にものを言うなんて、明日は大雪かしら』
「……しめるぞ、くそチビ」
『資料いらないわけ?』
「いえいえいえ、いります! お願いします!」
 ぐっと詰まるラウルを押しのけて、カイトが取り繕う。アルメイアはふん、と鼻を鳴らすと、またぐい、と顔を寄せてきた。
『それはともかく、竜はどうしたのよ? もう大分経ってるじゃないの』
 彼女達も、カイトが送った手紙を通じて、竜がラウルに宿っていることを知っている。だからこその発言だろうが、ラウルはひょい、と肩をすくめてみせる。
「そんなこと俺に言われても困る」
『あんた親でしょお? しっかりしなさいよ』
「誰が親だ! 第一、子供を産むのとは訳が違うんだぞ!」
 激昂するラウルをはいはい、と村長が宥める。
「落ち着いてラウルさん。お腹の子供に障りますよ」
「だーかーら!」
「まあそれは冗談として、孵りそうになったらすぐにお伝えしますから、蝕の資料、お願いしますね。アルメイアさん」
『任せてちょうだい。三日後にまた連絡するわ。それじゃね』
 唐突に鏡面が乱れ、アルメイアの姿は消えた。代わりにラウル達の顔が映し出されて、カイトは鏡をそっと机の上に置くと深く溜め息をつく。
「いやぁ、魔法って便利なものですね」
「そうですねえ。あんなに離れた場所にいる人間と話が出来るなんて、まさに魔法という感じですよね」
 と、唐突に玄関が開く音がして、雪まみれのエスタスが居間に入ってきた。
「あれ、エスタス」
 呑気な声を上げるカイトに、疲れ切った顔のエスタスは、
「交代の時間、忘れんなって何度言わせたら……」
 と詰め寄っていく。その言葉にアイシャがぽん、と手を叩いた。
「そう言えば」
 村の警備は三交代制になっている。明け方から今までエスタスと村の人間一人が当番だったはずだ。この寒さの中、外を警備するのがどれだけ堪えることか。しかし彼らは文句一つ言わず、警備を引き受けてくれている。
「それじゃラウルさん、また後で!」
「夜には戻る」
「……俺は宿で寝てます……」
 口々に言いながら小屋を出て行く三人を見送って、ラウルは再び居間の椅子に腰を下ろすと、目の前に座る村長を見据えた。その村長はと言えば、彼らが出て行った途端、表情を曇らせて、じっとラウルを見つめている。
「何かあったんだな?」
 低く尋ねるラウルに、重々しく頷く村長。
「ええ。潜入させていたギルド員がやられました。先ほどの手紙は、その彼が持ってきたものです。勿論、自分の意思ではなしにね」
「それって……」
「ええ。殺されて、肉体を操られてここまで来たのでしょう。幸い、警備隊に見つかる前に、私の手の者が発見しまして……。その時にはすでに動くことはなかったそうですが、どう見ても死後十日以上は経っていたということです」
 ラウルは眉をひそめ、そして苦々しく呟いた。
「ひでぇことをしやがる……」
 命の、そして死者への冒涜もいいところだ。
「他にも三名の潜入員がいましたが、二人は無事に脱出しています。しかし、一人が消息不明です。これ以上の情報収集は無理だと思って下さい」
「それはいいさ。だが……」
「お気遣いなく。潜入捜査は端から命がけです。彼らにも最初からそう言い含めてありました」
 淡々と言う村長を、ラウルはぎっと睨みつける。
「捨て駒、ってことかよ」
 例え任務とはいえ、命を使い捨てにするようなことを許してはおけない。そんなラウルの怒りを受けて、村長は瞼を伏せる。
「そう思われても仕方ありませんが、ギルドにはそういった者も必要なんです……私とて、好き好んで彼らを死地に送り出しているわけではありません。しかし結果としてこうなることも予想してはいました。……私を、冷酷だと思われますか」
 感情のこもらない声で言葉を紡ぐ村長に、ラウルは息をついた。
「……悪かった。一番辛いのは、あんただったな」
「いえ……私は、長としての責務を果たしているだけです。彼らの死を嘆くことはその範疇ではありません」
 そう言いながらも、彼の瞳は深い悲しみに彩られていた。それを隠すかのように再び目を細め、いつもの顔に戻って村長は続ける。
「集められるだけの情報は集まりました。あとはこれを整理し、動くだけです」
「ああ、そうだな。しかし……蒸し返すようで悪いが、ギルドの方は大丈夫なのか? もし奴らが死体から情報を得ている場合、知られちゃやばいようなことをが漏れてる可能性だって……」
「心配ご無用です。潜入していた者は皆、ギルドの支部や本拠地の位置、内部構成、また私の顔や名前すら知らされていない者。ただ命令のままに潜入し情報を集めるだけの者達ですから」
 一瞬顔を歪めたラウルだったが、それ以上の反応は返さなかった。村長も何も言わずに、懐から紙の束を取り出す。
「さて、最終的にまとめた情報をお渡しします。これが正真正銘、最後です」
「ああ」
 それを受け取り、ざっと目を通していくラウル。人数、構成員、理念、一日の動き、そして遺跡内の見取り図や儀式の準備内容など、まさに命を懸けて収集された『影の神殿』の内部事情。その一つ一つを頭に叩き込んでいく。中でも、一番最後に目を通した薄っぺらな冊子を読んだ時、ラウルの表情は目に見えて動いた。何度もそれを読み返し、そして沈痛な面持ちで頭を振る。
「……どう、しました?」
 ラウルに渡す前に一通り情報には目を通していた村長だったが、中には神聖語で綴られ解読出来ないものもあった。尋ねる村長に、ラウルは静かに、ただ一言で答えた。
「不死の呪法だ」
 目を見開く村長に、ラウルは絞り出すような声で言った。
「……よく、やってくれた。これがあれば、あの巫女を倒す方法も分かる」
 巫女。彼らを束ねる不死なる少女。彼女を打ち倒すことこそ、この地に蔓延る影の根を完全に絶やすことに他ならない。
「ゲルクのじいさんに見てもらって、ちゃんと一度話し合った方がいいだろうが、これで希望が見えたな」
 そう言って冊子から目を上げたラウルには、力強い意志が漲っていた。そんな彼に、村長は尋ねる。
「どう、動くつもりですか?」
 彼らは儀式の日取りを教え、彼を誘っている。彼を手元へ引き寄せて、儀式を完遂するつもりだ。それならば。
「儀式の直前を叩いてやる。何も馬鹿正直に、お誘いの日ぴったりに行くことなんてないんだ」
 脚本をただなぞるだけの芝居などつまらないだけだ。脚本をどう自分なりに脚色するか、解釈するか、それが芝居をより面白くさせる。
「奴らが儀式の準備をしているグレメド遺跡まで、どのくらいかかる?」
「ここからだと徒歩で約十日ってところですが、あの荒野には身を潜められるような場所が少なく、荒れ果てた平野の真っ只中を進むことになります。こちらの動きを悟られないよう移動するとなると、十二日は見ておいた方がいいでしょう」
「そうか……。結構かかるが仕方ないな。闇に乗じて遺跡へ向かい、儀式の始まる直前、奴らがやきもきしているところを一気に叩く!」
 地図上のグレメド遺跡に拳を叩きつける。まだ乾ききっていなかった墨汁が滲んで、ラウルの手を黒く汚した。
「しかし、人数差を作戦で補うにしても、限度がありますよ?」
「なに、五十人以上いるったって、その全部が全部戦えるわけじゃない。ただの平信者、闇の術すら使えない連中は相手にするだけ無駄だ」
 五十人のうち半数ほどが、ただ彼らの理念に賛同し集っているだけの平信者。彼らは一般人と何ら変わることはない。ただ闇雲に巫女を崇拝し、そして彼らの掲げる理想を追い求めているだけだ。そして残りの半数は、位を頂き術を行使する者が二十人ほど、そして一握りの幹部と、サイハと呼ばれた巫女の右腕。肝心要の巫女本人。
「狙うのはサイハと巫女の二人だけでいい。頭さえ潰せばこっちのもんだ」
 ラウルの言葉に村長も頷いてみせる。
「……特に、巫女ですね。彼女の力をその目で見たものはいないと言われています。それでも尚彼女を慕い、集うものが後を絶ちません。彼女は『影の神殿』にとって、まさに死と闇の象徴。そして、彼らを理想郷へと導く救世主、といった存在のようです」
「救世主、ね。随分と物騒な救世主もいたもんだ」
 嘲るように言い捨てるラウルに、村長は肩をすくめて言葉を続ける。
「この巫女の体は相当に弱っているようで、それを保つために多量の魂を摂取する必要があったそうです」
「それが、突然消えた村の真相か……」
 死体も残さずなくなった村。彼らの命を糧に、あの巫女は悲願の時を待ち侘びているというのか。
(そんな生は、紛いもんだ……! 人の命をすすって生きる人生に何の意味がある!)
 湧き上がる怒り。しかし、その一方で彼はこうも考えてしまう。
(人のことを言えた義理か……俺だって……)
 ぽん、と肩を叩かれた。ふとそちらを見ると、村長が穏やかな、しかし悲しみを帯びた瞳で彼を見ている。
「ラウルさん。我々は、多かれ少なかれ他の命を奪って生きています。ただ、あの巫女は、生きなくてもいい時間を生き、奪う必要のない命を奪っている。それが我々とあの少女との違い。そういうことじゃないでしょうか」
 ふう、とラウルは息をついた。
「そう、だな」
 まったく、この村長は人の考えでも読めるのだろうか。的確に彼の苦悩を察し、言葉を投げかけてくる。
「俺はそんなに、分かりやすいのか?」
 試しにそう聞いてみると、村長は苦笑いを浮かべて答えてくれた。
「多分、あなたと私が似ているからじゃないですか。この村でヒュー=エバンスとして暮らす前の、血と裏切りに満ちた人生を送っていた私とね」
 彼の若かりし頃がどんなものだったのかは分からないが、それが夢と希望に満ちたものではなかったことだけは想像がつく。
 そんな過去をひた隠しにして、彼はここで平穏な毎日を送っていた。それを逃げと取るか、償いと取るかは人次第だ。
「儀式の準備は、遺跡内の広場跡に陣を描くことから始まっています。作業に当たっているのはほとんどが平信者で、彼らは巫女の姿を拝んだこととすら滅多にないという話ですよ。特にここ最近は」
「そう、か……」
 夏祭の夜、激しい苦痛に襲われていた少女。彼女は長い時を、苦痛に苛まれて生き続けてきたのだろう。そして今も、恐らくはその不完全な生に苦しめられている。
 この間、サイハは「時間がない」といった。それは儀式の日取りのことだけではない。恐らくは、巫女自身がかなりの危篤状態に陥っているのだろう。いかに不死とはいえ、その体は痛みも苦しみも感じる生身の体。彼女が儀式を執り行えないほど衰弱していれば、儀式は成立しない。
「決戦の際にはギルドの人間も動かしますし、この村は村人達が守り抜いてくれるでしょう。あなたはあの巫女を倒すことだけ考えて下さい」
「ああ。分かってる」
 墨で汚れた拳を握り締め、ラウルは窓の外、遥か彼方を見る。
 そこには、一人の少女がいる。苦しみ、嘆き、全てを憎んだ悲しい少女。その魂を安らぎへと導くことこそが、彼に課された使命。
「早いとこ、終わらせたいもんだぜ」
「ええ、そうですね……」

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