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第六章【6】 |
「ったく、重いなこれ」 卵を机の上に置いて、ラウルは首を回して肩のこりをほぐそうとした。 「しょうがないですよ、粘土で作ったんですもん。あー、もう、乱暴に扱ったら壊れちゃうって言ってるでしょう?」 帳面と睨めっこをしていたカイトが肩をすくめ、ラウルが置いた卵を慎重に持ち上げ、壊れていないか、歪んでしまっていないかを確かめる。 それは、粘土で作られた卵の贋物だった。作ったのは勿論カイトである。 「いくら人目をごまかすためとはいえ、もうちょっと軽く出来なかったのか?」 よほどおんぶ紐が肩に痛かったのか、手を回して肩を揉んでいるラウルに、見かねたエスタスが歩み寄って、ラウルの肩を揉み始める。 「うわ、結構こってますね、ほんと」 「だろぉ?」 卵が体内で孵化の時を待っているこの事態を、ラウルは他言無用とエスタス達に言い含めた。それは卵の安全を考えての事もあったが、何よりも 「んな事知られたら恥ずかしくて外を歩けない」 というのが本音らしい。よほどアイシャの「おめでた」発言が効いたのだろう。 しかし、卵の姿がないのでは村人も不審がるだろうという事で、贋物が急遽作られる事になった。勿論、こういう事に一番張り切るのはカイトである。 これまで幾度となく計測を行っていたため、カイトが作り上げた贋物はまさに寸分の狂いもなく作り上げられていた。ただ粘土を固めただけでは本物に比べてかなり重くなってしまうので、半分に割って内側をくりぬき、再びくっつけて、中が空洞になった卵を作るというこだわり振り。そしてくっつけた境目をうまくごまかして色を塗り、乾燥させて出来上がった贋物は、本物と比べても遜色ない出来になっている。 ただ、やはり近くで見ればどこか違う。表面の光沢や質感、何よりも、触れた時の暖かみがこの贋物にはない。 そして勿論、この卵の中身は空っぽだ。それが最大の相違点である。 (しばらくは、この贋物で人の目をごまかさなきゃいけないからな……) 村人まで騙すのは少々気が引けたが、これも村人達、そしてラウルのためである。ただでさえ卵神官なる嬉しくもない呼び名を付けられているのに、それに加えて「竜を身ごもった」とかなんとか言われてしまったら、もうお嫁にいけない。いや、お婿にいけない。 そんな訳で作られた贋物だったが、あまり外に持ち出してうっかり割れては洒落にもならないし、また重い事もあって、ほとんど小屋から出す事はなくなった。 その理由を聞かれる度にラウルは「本格的に孵化の準備に入るようなので、今はあまり動かさない方がいいと思って」と説明して回っていた。素直な村人達はその説明にこれっぽっちも疑問を感じる事もなく、「早く孵るといいですね」と言ってくれている。 「せいぜい活躍してくれよ。贋物」 粘土で出来た殻をぽんぽん、と叩く。しかし勿論、そこからの返事は返ってこない。 「それで、卵くんのご機嫌はどうなんです?」 エスタスの言葉に、ラウルは頬を掻く。 「ここんとこ、前ほどには喋らなくなってるかもな。そろそろあれか、キーシェの言ってた孵化の最終段階に入るんじゃないか?」 「そうですか。楽しみですよねえ〜」 「まあな。早いとこ人の体から出てってもらいたいよ、俺は」 そう言った途端に、 ―――らうっ!――― 元気のいい鳴き声が頭の中に響く。 「うっせえ!」 ―――らう〜――― 「なんだよ、急に喋り出しやがって……。いいからとっとと孵れっつーの」 ―――らうらうっ――― 「ラウルさん。それ端から見てると独り言が激しい怪しい人ですよ」 カイトの指摘にぐっと押し黙り、拗ねたように机へへたり込むラウル。 「ったくよぉ……」 そんなすすけた背中を、アイシャがぽんぽん、と叩いた。慰めてくれているのかと思いきや、アイシャはその手で窓の外を指差す。 「客だ」 ん、と顔を上げると、窓の外、丘を走る一本の道を登ってくる小豆色の髪の女性が目に入った。アイシャの言う通り、『見果てぬ希望亭』の美人女将レオーナその人である。 「珍しいな、レオーナさんがわざわざ来るなんて」 そう言いながらもささっと服装を整え、玄関を開けに行くラウル。美人相手だと行動が早い事この上ない。 「あら、ラウルさん」 玄関にたどり着く前に扉が開いた事に驚きつつ、レオーナは出迎えたラウルににっこりと笑顔を向けてきた。 「どうしました?レオーナさん」 「さっき伝令ギルドの子が来てね。急いでるみたいだから代わりに受け取っておいたんだけど、北の塔からですって」 レオーナが服の隠しから取り出したのは、一本の書簡だった。 「ここではなんですから、どうぞ中へ」 書簡を開ける前にそう言ってレオーナを居間に招き入れる。まだ夕方前とはいえ、外は冷たい風が吹くようになった。これから先、外での立ち話が辛い季節だ。 「あれ、手紙ですか?」 エスタスの声に頷き、封蝋を切って書簡を開くと、そこには書き殴ったような文字と几帳面な文字が交互に綴られていた。 「アルさんとユラさんからですね」 横から覗き込んで苦笑するカイト。 「なになに……ちょっとラウルさん、ちゃんと広げて下さいよ、読めないじゃないですか」 「先に読ませろよ、俺宛なんだから……」 レオーナに聞こえないように小声でカイトを押しのけたラウルは、ゆっくりと文章を目で追っていたが、突然がっくりと肩を落とした。その隙を見逃さず、その手から手紙を取り上げて読み出すカイト。 「なんて書いてあるんだ?」 「こないだ僕が出した手紙のお返事ですね。収穫祭に遊びに来るって書いてありますよ」 「来なくていい……」 項垂れるラウルには構わず、カイトは続ける。 「あとは、私達を差し置いてアレに会うなんてずるいとか、今度アイシャの笛を研究させろとか……」 レオーナがいる手前、竜という単語を飲み込んでカイト。 先日尋ねてきた時に、その竜とすれ違いになってしまったアルメイアとユリシエラ。アイシャの吹いた竜笛に答えて火の竜が訪れた事をカイトの手紙で知らされて、かなり憤慨している様子が文面から見て取れた。 「大体、いつの間にそんな手紙送ってたんだ?」 「次の日くらいだったかな?教えてもらった事をまとめたものを、送っておいたんです」 「マメだよな、お前も」 エスタスの言葉に、えへんと胸を張るカイト。 「知識を追い求めるものとして、同じ対象を研究する同志と情報を共有するのは当然の事ですよ!そっちも進展ありましたかって聞いたんですけど、何にも書いてないところを見ると、変わらずってとこみたいですね」 手紙は竜に会えなかった憤りがアルメイアによってつらつらと綴られた後、収穫祭に合わせて、またそちらに伺いますという丁寧なユリシエラの言葉でしめられていた。 「まあ、あの人達だって、竜について調べてる以外にも色々と仕事があるんだろうし」 あの二人を見ていると俄かには信じがたいが、そもそも「魔術士の塔」の「賢人」と言えば、魔術士の頂点に立つ者。塔は各大陸の魔術士ギルドをも総括しているから、塔だけではなくその大陸全土の魔術士を束ねているも同然だ。それだけに魔術士としての才能だけに優れていればいいというものではなく、その人格や社会性、統率力なども問われる。そんな賢人の座を、あの二人はすでに五年もの間維持しているという。まさに選りすぐりの魔術士なわけだ。 「ユラさんはいいとして、あのアルさんが三賢人ってのは、ほんとに信じられないよな」 苦笑交じりのエスタス。と、それまで黙って彼らの会話を聞き流していた風のレオーナが、ふとラウルに歩み寄った。 「ちょっとごめんなさいね」 そう断るが早いか、ラウルの背中に手を伸ばす。あっと思った時には、いつもゆるく一本に編まれている髪がほどけ、一気に背中に広がっていた。 「い、一体何を……」 慌てふためくラウルに、髪をまとめていた紐をもてあそびながらレオーナは、ラウルの顔と髪を眺めてうんうんと頷いている。 「あの、レオーナさん?」 「長さは問題ないから、あとはコテでちょっと癖をつければ完璧よね」 「はぁ……?」 訳の分からないラウルに、一人納得したレオーナはラウルの背中に回り、てきぱきと髪を結び直してくれる。 「当日が楽しみだわ〜!」 力のこもった台詞に、こりゃ駄目だ、とげんなりするラウル。 (この人も噛んでるのか……) エリナだけならまだしも、レオーナには下手に逆らえない。商売柄、頭と口の回転が滅法速い彼女を、口先で言いくるめて思いとどまらせる事など、いかなラウルでも難しそうだ。 (どうも、俺を着せ替え人形か何かと間違えているような気がするんだよなあ、みんな) 人を着飾らせる事はそんなに楽しいものなのだろうか?普段からさほど服装や外見に頓着しないラウルには、今一理解できない。 と、カイトが唐突に尋ねてきた。 「そういえば、なんでラウルさんって髪を伸ばしてるんですか?ユークの教えとか?」 腰まで届かんばかりの黒髪は、男性にしてはかなり長い方といえるだろう。少なくともこの村で、ラウルほど髪を伸ばしている男はいない。 「そんな教えがあるわけないだろうが……」 呆れ顔のエスタス。 「あら、分からないわよ?」 レオーナも興味津々で、ラウルの答えを待っているようだった。 ラウルは苦笑しつつ、その質問に答える。 「願掛け、みたいなものですね」 意外な答えに、レオーナが目を丸くする。 「願掛け?それは随分、古風な事をしてるのね」 「そうかもしれませんね」 まあ、半分くらいは面倒くさくて伸ばしているというのがある。短いとちょっと伸びただけで鬱陶しくなるが、ある程度長さがあれば適当にくくるだけで格好がつく。 「何のお願い事なんですか?」 カイトの問いかけに、ラウルは苦笑を浮かべる。 「願いを口にしてしまうと叶わなくなるので、秘密です」 「ちぇっ、つまらないんだ」 子供のように口を尖らせるカイト。それを笑うエスタスに、一人興味がないかのように黙々と何か木の破片を小刀で削っているアイシャ。 こうしていると、影の神殿の恐怖に晒されている事など嘘のようだ。世界はまだ平穏に満ちていて、彼らの日常は事もなく過ぎ去っていく。 しかし、それは見せかけの平和。上辺だけの幸福。 光ある場所には必ず影が落ちる。光と闇は表裏一体。しかしその闇を捻じ曲げ、命を弄ぶ者達が、今、確かにこの空の下に存在する事を、ラウルは知っている。 のどかで退屈な辺境の村。ここがまた、戦場と化す時が来るかもしれないと知ったら。死の恐怖が迫ってくると知ったら。 レオーナは、子供達は。そして素朴で優しい村人達はどうするだろう。 ラウルと卵を事の元凶と罵り、追い出そうとするだろうか。迫り来る恐怖に怯え、逃げ出すだろうか。 (どっちにしても、彼らを戦いに巻き込むよりはいい、な) 罵られる事には慣れている。適うはずのない敵を相手にした時、逃げる選択肢しかない場合がある事も知っている。だから、どんな反応を彼らが見せようとラウルは村人たちを嘲るつもりはない。それは、至極当然の事だ。 ここは、平和な村なのだ。常に死と隣りあわせで生きてきたラウルのような人間とは、根本からして違っているのだから。 しかし、そんな事になる前に、なんとしても影を根絶やしにしなければならない。 悲劇から立ち直った村を、再び絶望の底に陥れるような事にならないためにも。 そのためなら、どんな手段を講じる事も厭わない。それがたとえ、自分の命を危険にさらす事になってもだ。 (これはもう、幕の上がった舞台なんだ。途中で降りる事はしない。とことん付き合ってやるさ) 卵が小屋の前に落ちていた時点で、全ては定められていたのかもしれない。 運命という言葉をラウルは好まないが、世界がある流れによって動いている事は否定できない。偶然も必然も飲み込んで、ただ悠然と流れるそれは、言い換えれば「歴史」という大きなうねり。ある時は気紛れに奇跡を呼び、ある時は無情に絶望を与え、ただただ流れていくもの。 その流れが今回、卵とラウルを引き合わせた。 それならば、最後までとことんつき合ってやろうじゃないか。こんな自分でも未来をつかめる事を、証明してやる。 ―――らう?――― 不思議そうな声がする。 はっと顔を上げると、心配そうなレオーナの顔がそこにあった。 「大丈夫?難しい顔をして、なにか悩み事でもあるの?」 いつの間にかこわばっていた表情を無理やり和らげて、ラウルはそっと頭を振った。 「いえ、少し考え事をしていただけです」 「そう?ならいいんだけど……。悩み事なら一人で抱え込んじゃ駄目よ?」 親身になって言ってくれるレオーナ。その心遣いがかえって心苦しい。 「ええ、ありがとうございます」 礼を言うラウルの表情が少し翳っていたのに、レオーナは気づいただろうか。 「さ、お祭まであと五日!がんばらなきゃねっ!」 妙に張り切った声で言いながら、レオーナは小屋を後にする。その後姿を見つめていたカイトが、ふと漏らした。 「なんか、レオーナさんといいエリナといい、異様な盛り上がりようですよね」 「ああ……ま、祭だしな」 「そうなんですけど……。そういえばラウルさん、エリナが作ってる衣装がなんなのか、分かったんですか?」 「いや、全然。当日まで誰にも教えちゃいけないんだっていって、俺にも教えてくれないんだよな」 着る本人には教えてくれてもいいような気がするが、まあ仕方ない。見世物になるのははっきり言って好きではないが、たった一日の辛抱だ。エリナ達が喜ぶというのなら我慢しよう。 「早く来ないかな〜」 「……早く終わってほしいぜ」 それぞれの思いは、しかしどちらも叶う事はなかった。 |
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