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第六章【10】

 時は少々遡る。
「ったく……なんで俺が留守番なんだよ」
 居間の長椅子にひっくり返って一人愚痴るシリンの目の前には、巨大な卵。相変わらずかごに入れられて、暖炉の前に置かれている。今はもう孵化への最終段階に入っているとかで、揺れたり光ったり、騒いだりはしないという。だからただ番をしていればいいといわれたのだが。
「つまんねー……折角の祭なのによぉ」
 ギルド長に呼ばれていた事もあるが、どちらかと言うとラウルの仮装をからかう事を第一目標に、朝っぱらから小屋に押しかけたシリン。しかし小屋にやって来た途端、待ち構えていたラウルに
「お前、今日一日卵の番な」
 と命じられてしまったのが運の尽きだった。
「な、なんでオレがそんな事……」
 食って掛かるシリンに、ラウルは冷たく
「お前をこき使っていいと言ったのは盗賊ギルドだ。文句はそっちに言うんだな。とにかく、俺やエスタス達は祭に出るから、卵の番はお前に任せた」
 と言いつける。
「うそだろぉ〜」
「やかましい」
 ごねるシリンを相手にせず、ラウルは朝食の後片付けを続けていた。相手がシリンだからか、適当に引っ掛けた服に髪も下ろしたままで、そうしているとまるで別人だ。
「まだ着替えてないのかよ?」
 からかうシリンにラウルが怒鳴り返そうとした時、バンッと玄関が開いて、マリオが駆け込んできた。
「たた、大変だよ!ラウルさん、早く来て!」
 そう言いながらラウルの腕を掴んで引っ張っていこうとするマリオ。
「おい、なんだって」
「いいから早く!」
 相当に焦った様子に、ラウルは分かったと頷いてマリオと共に小屋を飛び出していく。一度だけ振り返ってシリンに
「いいか。ちゃんと見てろよ」
 と言い残し、二人は丘を駆け下り、広場へと走っていった。
 出て行った勢いで開け放たれたままの扉をきちんとしめ、ため息混じりに踵を返す。
 血相を変えてラウルをひっぱっていったのは、確か村長の息子だった。何かあったようだが、この丘の上からでは何も分からない。まあ大した事ではないだろうと高をくくり、居間に戻る。
「ちゃんと見てろったってなあ」
 ぽりぽりと頬をかき、所在無く長椅子に体を預けて卵をじっと観察するシリン。しかしすぐに飽きて、不貞寝を決め込んだ。
 卵が「影の神殿」に狙われている事はシリンも勿論知っている。シリン自身もかつて、間接的にとはいえ彼らに命じられて卵を狙った事があるのだから間違いない。ただ問題は
(オレなんかが太刀打ちできるような相手じゃないだろうによぉ……オレ、まだ駆け出しなんだぜぇ?)
 盗賊ギルドで技術を磨いているとはいえ、彼らの仕事はもともと秘密裏に行うのが原則だ。荒っぽい立ち回りは専門外である。武器の扱いに長けているわけでもないし、いざ戦闘になったら身軽さを生かして逃げ回る事くらいしか出来ないだろう。
「頼むから、何事もなく……!」
 呟きを途中で飲み込み、はっと長椅子から飛びのいて壁際に張り付く。
(誰か、来た?……くそ、マジかよっ!)
 研ぎ澄まされたシリンの感覚が、外からのかすかな足音と複数の気配を拾っていた。 窓からも居間の扉からも死角になっている部屋の隅に身を潜め、じっと相手の出方を伺う。同時に右手で腰の小物入れを探り、お目当てのものを握り締めた。
(……やるしかないっ)
 卵との距離を頭の中に叩き込んで、その時を待つ。
 玄関の扉が開く音。次の瞬間、居間の扉が開いて複数の人影が滑り込んでくるのと同時に、シリンは右手に握ったものを床めがけて投げつけていた。


 彼らは南門の飾りつけのために朝から働いていた。こちらは畑に出る者しか通らないような出入り口だが、それでも祭のための飾りつけは欠かせない。ついでに壊れていた柵の修繕もしていた折に、それはやってきた。
 ゆらり。ゆらり。
 「それ」は虚ろに揺れながら、ゆっくりと迫ってくる人影。
 粗末な木の柵で仕切られただけの南門へと、「それ」は静寂の行進を続けている。
 実りを終え、長い冬を待つ田畑。その向こうから現れた集団。
 引き摺るような足取り。だらりと下がった腕。命なきものの群れは、ただ真っ直ぐ村へと向かって歩みを進めていた。
 それに最初に気づいたのは、『見果てぬ希望亭』の料理人にしてレオーナの夫、元傭兵のエドガーだった。
「……」
「な、なんだぁ、あれはっ!!」
 慌てる青年達に、エドガーは柵の修理に当てるはずだった木の棒を拾い上げ、そして軽く振り下ろす。空気を切るシュッ、という音が彼らの耳を打ち、そしてつかの間恐怖を拭い去った。
「……報せに行け。俺が食い止める」
「あ、ああ!」
「分かった!」
 二人の青年が広場へと走るが、二人ほどが残った。みな、村でごく普通に暮らす若者達だ。当然、あんな怪物の姿を見た事など一度もない。震える体で、竦む足で、それでもその場を動こうとはせずに、食い入るように迫り来る者達を睨みつけている。
「お前達も行け」
 言葉少なに告げるエドガーだったが、彼らは首を横に振った。エドガーをならって手頃な棒を見繕うと、ぎこちなくそれを構えてみせる。
「僕らも、戦います」
「ここは俺達の村だ、化け物なんかを入れるわけには行かない!」
 自らを鼓舞するように言い切って、木の棒を握り締める彼等。普段は畑仕事をしている若者達だ、勿論戦いの経験などない。
「……」
 無言で、エドガーは再び粗末な武器を構え直した。足手まといになると分かっていたが、彼らの決意を無駄にしたくはなかった。
 そんな間にもじりじりと距離を詰めてくる死体の群れ。漂ってくる死臭に青年達の顔が歪む。
「エドガーさん……!」
「……任せろ」
 木の棒を構え、その迫り来る集団をひたり、と見据える巨体。かつては大剣を振るい、愛馬と共に戦場を駆け抜けた男が、木の棒一本で怪物の群れと対峙する羽目になるとは。
 しかし、そんな事を嘆いても仕方のない事だ。奥歯をかみ締め、ひたりと前を見据えるエドガー。
 そしていよいよ、その奇妙な行進が門まで迫ったその時。
「無事ですかっ!」
 背後から慌しくせまる足音。そして、聞き慣れた声が彼らの耳に届いた。
「村長か」
 振り返りもせずに、エドガーは呟く。そうして彼の隣までやってきた村長達は、目の前の光景に一瞬息を飲んだ。
「こ、これは……」
 それは間違いなく死人の群れだった。しかも、数が半端ではない。少なくとも二、三十は押し寄せてきている。
「下がれ!」
 そう言って一歩前に出たのは、ラウルだった。エドガーが少しだけ表情を動かしたが、すぐにその言葉に従う。
 目の前に飛び出てきた青年にも、死者の群れは驚く事もなく、歩みを止めない。
 彼らに意思などは存在しない。ただ命令のまま動いているだけなのだ。
(数が多いな……いけるか?)
 素早く印を結び、高らかに聖句を詠唱する。
『闇と死司る神の名において
 彷徨える魂に 安らぎを
 寄る辺なき器に 真なる眠りを
 今ここに 宣言する
 死したる者よ 還れ!』
 ラウルの言葉に導かれ、そこに闇が出現した。
 彼らを包み込む、それは夜明けの空のような、暗さと明るさを備えた不思議な色合いの暗がり。
 その闇の中で、次々に崩れていく人影。まるで砂が風に吹き飛ばされるように、その輪郭がどんどん失われていく。
 そして闇が晴れた時、そこに佇んでいた死者のほとんどが消え去っていた。
 どっと疲労感が押し寄せて、ラウルは息をつく。
(なんとかなるもんだな……やれやれ。呪文忘れてなくてよかったぜ)
 死者返しの術。それはユークに仕える者のみに授けられる神聖術だが、そうそう使う機会があるわけではない。実際、習ってからこれまで一度も使った事はなかった。
(まさか使う羽目になるとは思ってなかったが……)
 初めて使った割にその威力は絶大だった。しかし全ての死者が還ったわけではない。
(ちっ!)
 わずかに残っていた者が、ラウルめがけて襲い掛かってくる。咄嗟にその場を飛びのき身構えたラウルの目の前で、しかし次の瞬間、迫っていた死者は肉を砕く音と共にあらぬ方向へ吹き飛ばされていた。
「なっ……」
 はっと隣を見ると、木の棒を構えたエドガーがそこにいた。そしてなおも襲い掛かってくる死人達を、ばったばったと殴り倒している。
(す、すげ……)
 丸太のような二本の腕から繰り出される攻撃に、まるで木偶人形のように吹き飛んでいく死者。まるで醜悪な夢を見ているようだ。
「おー、さすがは元傭兵」
 呑気にぱちぱちと手を叩いている村長の横では、アルメイアが杖を構えてなにやら唱えている。
『……において命ずる、舞い踊れ浄化の炎!』
 急速に収束する魔の力に長衣がふわりと揺れ、髪が舞い上げられる。そして。
「どいて!」
 鋭い声に、エドガーがその場を飛びのく。その瞬間、アルメイアの呪文が完成した。
『火炎招来!』
 力ある言葉に応えて立ち上がった業火が、一瞬にして死人の群れを取り巻く。それは青く燃え立つ焔。その灼熱の炎の中で、静かに死人達は燃え尽きていった。
 最後の炎が消えて、ようやく息をつく少女。炎が立った後には、消し炭のような残骸が残るのみ。
「ふぅ……」
 額の汗を拭う仕草をするアルメイア。そしてエドガーも、腐肉がこびりつき先がへし折れた木の棒を投げ捨てると、服についた埃を払いながら村長達の元へ戻ってくる。
「もう、いないでしょうね?」
 さすがに疲れたらしいアルメイアの言葉に、辺りをキョロキョロと見回していたエドガーが頷いてみせた。
「多分な」
 あれだけ動き回ったのに息も切らしていないのは、さすがである。エドガーの言葉に、青年二人がほっと胸を撫で下ろした。
「ここはひとまず大丈夫のようですが、他の場所が心配ですね。エドガー、しばらくここを見張っていてもらえますか?」
「ああ」
 村長の言葉に力強く頷くエドガー。新たな武器を求めてそこいらを見回し、適当な木の棒を見つけて軽く振るってみせる。そんな粗末な武器でも、確実に人一人仕留められそうな威力がありそうだ。
(これほどの人間が、なんで田舎で料理人なんか……?)
 と思わずエドガーを見上げるラウルに、村長が呼びかけた。
「ラウルさん、申し訳ないんですが……」
「分かっています。他の場所も見に行きましょう」
 村の入り口は二箇所。この南門と、広場から真っ直ぐ繋がる正門だ。 死者を操っているのが影の神殿なら、その目的はただ一つ、卵の奪取。村を混乱させ、その隙に卵を奪取する作戦なのだとしたら、正門から広場へ彼らが襲ってきている可能性は高い。
(小屋はあいつらがいるから多分大丈夫だろうしな。それに……)
 小屋を狙われたところで問題はない。それよりも、村人を守る事が先決だ。
「それじゃ、よろしくおねがいしますよ!」
 そう言って駆け出す村長を追い、共に村の広場へと走り出すラウル。
「ちょっとお!」
 置いてけぼりを食らったアルメイアが抗議の声を上げるが、二人はそれに応える事なく走り去っていった。
「んもぉ」
 ほっぺたを膨らませるアルメイアに、おずおずと話しかける青年。
「あ、あの……凄い魔法でしたね!」
 ん?と顔を上げ、そこに羨望の眼差しを見て、不機嫌だったアルメイアの顔がぱぁっと明るくなる。
「あら、こんなの朝飯前よ」
 えっへんと胸を張るアルメイア。
「そうなんですか?!オレ、魔法ってはじめて見たから……」
「そうだよなあ。あんた、ちっこいのに凄いんだな」
 途端にムッとしたアルメイアは、その余計な一言を吐いた青年の足の甲を思いっきり踏んでやった。
「ちっこいは余計よ!」


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