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第八章【9】

「違う、あんた達は、戦いががどんなもんか分かっちゃいない……」
 呟くようなラウルの言葉に歓喜が止み、代わりにどよめきが広がっていく。
「神官さん?どうしたんだ?」
 今までに聞いた事のないような、ぶっきらぼうな言葉。そして険しい表情。それは、彼らの知っている「礼儀正しくて人のいい神官さん」とは全く違った人間のようだった。
 いや、収穫祭の日に、彼のこんな顔を見た事がある、とそのうちの何人かは思い出す。王立研究院の男とやりあっていた時のラウルは、普段着だったせいもあってか、まるでいつもと別人のようだった。
 ざわつく彼らの前で、ラウルは低く問う。
「戦いが起これば人は傷付き、そして死ぬ。それを、あんた達は分かっているのか」
「それ、は……」
「人を殺す事がどんな事か……あんた達は知らない。そしてあいつらは、それを知っている。喜びにすら感じている。そして自らが死ぬ事すら厭わない。そんな奴らと戦おうとしてるんだぞ?……軽々しく、戦うなんて言葉を使うな。その言葉がどんなに重たく、そして残酷な意味合いを持っているか、あんた達は知っているのか!?」
 しん、と静まり返る広場。誰も、ラウルの激しい口調に何も言えない。戸惑いと怯えの混じった顔で、ただラウルを見つめている。
 その静寂を破ったのは、意外な事に一人の少年の声だった。
「それでも、僕は戦う」
「マリオ……」
 あの時から、一度もラウルの前に姿を見せなかったマリオ。そんな彼が今、人込みの中から真っ直ぐにラウルを見つめている。
「確かに、僕らは戦いがどんなものか知らない。平和な村で退屈な毎日を過ごしてきた僕は、人を傷つける事だって出来ないと思う。でも」
 一呼吸置いて、そしてマリオは力強く続けた。
「それでも、ラウルさんは戦ってる。僕らが知らないところで、ずっと戦ってたんだ。だから……僕も戦う。大切なものを守るために」
 決意に漲る瞳が、射るようにラウルを見つめている。
「ここで逃げ出したりしたら、僕はきっと一生後悔するから。たとえ何も出来なくても、僕の心は、あなたと一緒に戦う!」
 歓声が、再び広場を埋め尽くした。
「マリオ……」
 おずおずとラウルの前まで進み出たマリオは、そっとラウルを見上げて言った。
「あのね、ラウルさん。僕、あの時凄く怖かった。でも、それはラウルさんがずっと感じていた怖さなんだって、分かった気がしたんだ。だから」
 そしてマリオは久しぶりの笑顔を見せた。
「決めたんだ。僕には何もできないかもしれない。でも、何も出来ないから戦えない訳じゃない。何もしないから戦えないんだ。そうじゃない?」
「分かったような口を……」
 最早何を言っても、聞き入れたりはしないだろう。こう見えてマリオはかなりの頑固者だ。そしてそんな彼を育んだこの村の人々もまた、真っ直ぐひたむきな瞳でラウルを見つめている。
 そこに溢れるのは先ほどまでの不安や怯えの感情ではない。決意と希望。それは紛れもなく、戦いの意思。
「俺達も戦うよ、神官さん!」
「私たちにだって出来る事はあるはずだわ。違う?」
「ぼくも戦う!悪い奴らをやっつける!」
 再び上がる歓声。口々に決意を言葉にする者達。その中には、意外な台詞も混じっていた。
「久々にまた暴れるか!」
「これでもまだ腕は鈍ってないつもりだ。少しは役に立てるだろ?」
 そう言っているのは、ラウルも見知った村人達。彼らはごく普通の農夫や猟師、鍛冶屋の親父や、はたまた隠居して気ままに暮す年寄り達だ。
 どういう事だ、と村長を見るラウルに、村長は細い目をなおも細めて言ってくる。
「お忘れですか?ここはルーン遺跡探索の冒険者が作った村です。この村の住人のほとんどは、そんな人間達の血を受け継いでいます。中にはつい五、六年前まで現役の冒険者だった人達もいるんです。だから、収穫祭の時にも何とか持ちこたえられたんですよ」
 そうだ。忘れていた。
 ここは『夢追い人の溜まり場』。夢を捨てきれない人々が集う、見果てぬ希望の地。
 人だかりの中で、現在もこの地で夢を追い続けている三人組が微笑んでいる。
 彼らは知っていたのだろうか。多くの先輩がこの村でひっそりと第二の人生を送っている事を。そして、懐かしむような、少し羨むような瞳で自分達を見ていた事を。
 そして、古くからそんな夢追い人を出迎えていた『見果てぬ希望亭』の女将レオーナは、いつもと変わらない笑顔でラウルを見つめてくる。
「例え武器を振るう事の出来ない私達だって、戦えるわ。影に屈する事なく、この場所で暮らし続ける事。それだって一つの戦いよ」
「レオーナさん……」
「レオーナの言うとおりだ。何か力にはなれるはずだよ、神官さん!」
「手伝わせてください、お願いしますよ」
 村の見回り。武器や防具の手入れ。食事の用意や心からの祈り。
 一つ一つは些細な事でも、それらは積み重なって強大な力となり、やがては影を貫く大きな光となるだろう。
 口々に言い募る村人達の中、村長が力強くラウルの肩を叩いた。
「言ったでしょうラウルさん。あなたと卵くんは、すでにこの村の大事な一員なんです。仲間を守るために戦うのは当たり前じゃないですか。さあ、一緒に戦いましょう。ねえ、皆さん!」
 割れるような大歓声が再び湧き上がる。その声の大きさに、確かさに、ラウルは大きく息をついた。
「ったく、お人よしばっかりだな」
「あなたに言われたくはないでしょうね」
 くすりと笑う村長。マリオもその通りといわんばかりの顔でラウルに笑いかけている。
「それにしても……」
 歓喜に湧く村人の中で、ふと、レオーナがラウルを改めて見やり、そして
「ラウルさんってば本当はこんなに飾らない人だったなんて、思わなかったわ」
 茶目っ気たっぷりの表情で言ってくる彼女の言葉に、そこで初めてラウルは、げっと顔をしかめた。
(や、やば……)
 感情のままに言葉を重ねるうちに、すっかり素の自分を晒してしまっている。これだけの人間の前で、今更言いつくろう事など不可能だ。
(俺とした事が……!)
 まるでいたずらがばれた子供のように、そーっと村人の顔を伺うラウル。すると、
「そうだよなあ。いつも礼儀正しい真面目な人だと思ってたけどよ」
「意外だったなぁ」
 口々に言い合う村人達には、嫌悪や失望の色が見られない。むしろ、好感や興味の視線が彼に突き刺さって痛いほどだ。
 おや?と首を傾げるラウルに、村長が笑顔で言ってきた。
「ほら、言ったとおりでしょう。例えあなたが素のままで接したとしても、彼らは心象を悪くしたりなんてしない、とね」
「いや、でも……結果的に俺は、皆を騙してたわけだし……」
「騙してた?」
「そうなのか?」
 きょとん、とする村人達。
「俺は神官さんが、ただ恥ずかしがり屋さんなのかと思った」
(おいっ……)
 村人の一人の言葉に、がくっとこけそうになるラウル。『恥ずかしがり屋さん』だなんて、そんな幼い子供に使うような表現をされるとは思わなかった。
「慣れないうちは態度を繕うのって、普通じゃない?」
 そう言ったレオーナは、ぱちりと片目を瞑ってみせる。
「って事は、ラウルさんがようやく、あたし達に心を開いてくれたって事よね」
「なぁるほど!」
「そういう事かあ」
 それで納得してしまっている村人達の純真な心が、ちょっと恨めしい。
「それでいいのか……俺の苦労はそれじゃ、一体……」
 気が抜けたような顔で呟くラウルに、村長が苦笑と共に囁く。
「これは私の長年の経験から言える事ですが、傷つけるためではない嘘なら、時には許されるんだと思いますよ」
 重みのある言葉に思わず目を瞬かせるラウル。と、そんな彼の腕を、マリオがぎゅっと握ってきた。
「マリオ?」
 少年は、かつて自分に刃物を向けた人間の手を躊躇う事なく掴み、そして言ってくる。
「ね、ラウルさん。僕らに教えて下さい。あなたがどんな人なのか。良く考えてみたら、僕達はあなたの事をぜんぜん知らないんだ」
 そうだ。この村に来て一度も、誰もそれを尋ねてこなかった。言う気もなかったから、これ幸いと素性を、そして本性をごまかし続けた。しかし今考えてみれば、こんなにもあるがままの自分を受け入れてくれた場所が今まであっただろうか。
「そう、だな」
 改めて、集まる村人を見回す。一人一人の顔を目に焼き付けるようにじっと見つめながら、ラウルは初めて、彼らに向かい合った。
 彼らなら。この、素朴で優しい心を持つ人々なら。
 拒絶される事が怖くて、嫌われる事が恐ろしくて、今まで誰にも語った事のない過去を、受け止めてくれるかもしれない。
 いや。たとえ受け止めてもらえなくとも、もう構わない。
 全てを知ってなお、彼を認めてくれる者がいる。共に歩む仲間がいる。それを得られただけでも、ここに来て良かった。心からそう思えた。
 緊張の面持ちで、まだ僅かに躊躇いながらも、ラウルは語り出した。
「……俺は、ラルスディーンの貧民街で育った。親の顔も知らない。まともな名前すらなかった。事件を起こしてユーク本神殿に保護された時、初めて俺は自分の名前を手に入れた。それは、養い親となったエバスト司祭がつけてくれた名前。ラウルという名は神聖語で「救い」を表す。自分を守るためとはいえ、人を殺めてしまった幼い子供に、彼が付けてくれた名前だ……」


 名を聞かれて、少年は「ウル」とだけ答えた。それは狼を意味する言葉。その鋭い眼光と俊敏な身のこなしからいつしかついたあだ名。
「安直な呼び名だな。では……こんなのはどうだ?」
 そう言って、面白そうに彼はその名前を紡いだ。
 それは救いという名の言葉。救いは、ただ待っていればもたらされるものではない。だからこそ生きて、力の限り生きて、そしていつか自分の力で救いの手をつかめ。そんな願いを込めて。
「ラウル……?」
「ああ、そうだ。お前は私の息子という事になるから、ラウル=エバストだな。なかなかいい響きではないか」
 そう言って笑い、少年の小さな手をぎゅっと握り締める。
「よろしくな、ラウル」
 そうして、新たな名と姓を与えられた少年は、そこから新しい人生を歩み出した。
 立ち止まる日もあった。道に迷った時もあった。そして、紆余曲折の末やってきたこの場所から、彼は再び歩き出す。


「俺は、ラウル=エバスト。ユークに仕える神官にして、今は竜をこの身に宿す者」
 そっと、自らの胸に手を当てる。そこにあるのはラウルの命。心。そして、今は眠る竜の卵もまた、そこにある。
 ラウルの心を褥に、卵は今も眠っている。孵るその日を夢見て、ただその時を待っている。
「これ以上、悲しみを広げないために。希望を失わないために。未来を手にするために。影の神殿を倒す。必ず!」
 湧き上がった歓声。そして本当の自分に向けられた、人々の変わらない笑顔。
 狂おしいほどに求めていた救い。その名前にも刻まれた彼の希求するものが、確かにそこにあった。
 ラウルの心の奥底に眠るわだかまりが、まるで氷が熱を受けたかのようにそっと溶け出していく。心地よい流れとなって心を洗い流す。
「あれ?ラウルさん、泣いてるんですか?」
 目ざといマリオに、ラウルは馬鹿野郎、と怒ったように呟く。
 その瞳には、たしかに輝くものが浮かんでいた。それもほんの一瞬。儚い輝きは大地へと吸い込まれ、そして消えていく。
「さ、ラウルさんも元気になった事だし、本格的に動き出しましょう。皆さん、よろしくお願いします」
 村長の言葉に、力強い笑顔が答える。
 そして、それぞれの日常へ戻っていく彼らの後姿を眩しそうに見つめながら、村長はふとラウルに囁いてきた。
「ねえ、ラウルさん。きっともう、悪い夢は見ませんよ」
 ああ、きっと。
 もう、夢の中で過去に苛まれる事はないだろう。ひたすらに悔いてきた過去を認め、そして人々に受け入れられた彼にとって、過去はもう彼の心を縛る鎖ではない。
 今日から見る夢は、きっとまだ見ぬ未来。 そして夢から目覚めた時、今までになく気持ちのいい朝がそこに広がっているのだろう。
 空は晴れ、太陽は大地を照らし、風はそよぎ、川は流れ行く。人々は飾らない笑顔を浮かべ、彼の名を朗らかに呼ぶ。
 そこは、ずっと憧れていた未来。 彼の魂が還る場所。
(そう、そして……)
 彼の思い描く未来に、卵から孵った竜の姿は不可欠だ。
 我侭で甘えん坊で泣き虫で、ラウルの手を煩わせてばかりいた卵。そんな卵が孵ったら、一体どんな竜が出てくるのか、今はまだ想像する事すら出来ない。
 彼を未来へと導いた卵。そして今は、彼が卵を未来へと導く番だ。
 卵から孵れば、竜は自らの使命を果たすために去って行くだろう。それでも、ほんの一瞬でもいい、その姿をこの瞳に焼き付けておきたい。ただ一時でも言葉を交わしたい。そのために。
(さっさとあいつらをぶっ倒して、そして……お前とまた、会うために)
 今は彼の中でじっと時を待つ卵に語りかける。
 返ってこない返事の代わりに、風に揺らされた木漏れ日が目の前を過ぎった。

第八章・終
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