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第九章【8】

「な、に……」
 目を見開くライーザには構わず、その魔術士は集ってきた村人達に向けて問いかける。
「とりあえずラウルさんとのお約束通り捕まえましたけど、どうします?村長代理さん」
 その言葉に、村人の中から進み出てきたのは、一人の少年だった。その傍らには、彼にそっくりな目をした女性の姿もある。
「ありがとうございます、リファさん。僕達だけじゃ村を守りきれなかった」
「そんなことはありませんよ。私は少々手を貸しただけです。さあ、どうしますか?このままとどめを刺す事も出来ますし、もしくはどこか、誰も知らない場所へ飛ばしてしまう事も出来ます。あなたの望むままに」
 にこやかにとんでもない事を言ってのけるリファに、村長代理を任されたマリオは、逡巡することなく告げた。
「王都の守備隊に引き渡して、そこでちゃんとした裁きを受けてもらいます」
 戸惑いの声があちこちから上がる。中には、あからさまに不満の声を上げている村人もあった。
「マリオ、それでいいのかよ?」
「こいつら、悪い奴なんでしょ?生かしておくことなんてないじゃん」
 子供達の、そんな残酷なまでに無邪気な言葉も聞こえた。しかしマリオは、首を横に振る。
「生きて、自分達のやった事を考えて、そして償う。それがこの人達がやるべき事だと思うから」
 その言葉に、母親であるカリーナはそっと息子の肩を抱く。そしてリファも、慈愛に満ちた瞳でマリオの決断を褒め称えた。
「そうですね。憎しみをただぶつける事だけが裁きではありません。罪を償わせるために、あえて彼らを救う事もまた裁き……。あなたは、とても優しくて、強い子ですね」
「そんな……僕はただ、お父さんならなんて言うかなって考えただけで」
 いつも笑顔を絶やさない父。飄々と世の中を渡る彼の後姿を、マリオはずっと追っていた。そして、彼のようになりたいと思っていた。
 そんな彼を村に残して、父は行ってしまった。ラウル達と共に、遥か遠い儀式の地へと。

 旅立ちの前、彼はマリオにこう言ってきた。
「いいかいマリオ。私はラウルさんと一緒に行く。戻るまで、お前に村長代理をお願いするよ」
「ええ?!なんだよそれ、父さん、行っちゃうの?それに代理って」
 思いがけない事を二つも同時に告げられて慌てるマリオに、父はにっこりと、いつもの笑顔を向ける。
「私もかつては冒険者だったからね。少しでもラウルさんの役に立ちたいんだ。この村はみんなが守ってくれる。そしてお前も、この村を守ってくれ」
「で、でも僕に、何ができるの?」
「それはお前にしか分からない事だ。でも、お前はこの前ラウルさんに言っただろう?何もできないから戦えないんじゃない。何もしないから戦えないんだってね」
 言葉に詰まる息子を、村長はそっと抱き寄せる。そして、その柔らかい髪を撫でながら、そっと告げた。
「マリオ。母さんと村を……よろしく頼むよ」
 その言葉に何かを感じ取って、マリオは身じろぎをする。
「父さん?」
 すい、と身を離し、そして彼はラウル達と共に行ってしまった。 それが、つい昨日の事だ。
 彼らが出発した事は今日になって、村人達にだけこっそりと知らされた。それはラウルが、業を煮やした影の神殿が村を襲うことを警戒して言い含めていった事だ。そして更に、彼は魔術士リファに身代わりを頼んでいった。
 やってきたリファはその魔術でラウルに姿を変え、何食わぬ顔で過ごしてくれた。その見事なまでの姿変えに村人は驚いたものだが、それよりも、あの三賢人の知り合いで、彼女らに劣らぬ力を持っているというリファが村の防衛に手を貸してくれる事に安堵の息を漏らした。

「それでは、この方々はそれでいいとして……」
 今もなお魔術によって大地に縛られている彼らには目もくれず、リファは辺りを見回す。戦いの終わったそこでは、怪我人の手当てや搬送に奔走する村人達の姿があった。
 幾多の傷を負い、返り血に全身を染めながら、それでも彼らは影の襲撃から村を、そして仲間を守り通した。
「傷の深い方は、私が診ます。魔術では一時的な癒ししか出来ませんが……」
 その言葉に、マリオは深く頭を下げる。
「お願いします!」
「はい、お願いされました」
 柔らかな笑みを浮かべながら、リファは長衣の裾をはためかせて怪我人の元へと走っていく。その後を追いかけようとして、ふと、マリオは空を見上げた。
 月のない夜。星さえも輝きを失って、空は漆黒に塗りつぶされたかのよう。
 この空の下、ラウル達は今、荒野を駆け抜けている。
 雪深い荒野。そこを踏破する事がどんなに困難か、この大陸で生まれたマリオにすら想像つかないほど。
 それでも彼らは迷う事なく荒野へと足を踏み入れ、その先に待つ影と戦う事を選んだ。
「ラウルさん、父さん……どうか……」
 死なないで。無事に帰ってきて。そんな言葉を口にしたら、それが叶わない気がして。
 マリオはただ、闇夜を仰いだ。その先におわすという神々に、この思いを伝えたくて。
(お願いです、お願いです……!)
 いつもの生活が、戻ってきますように。僕と、みんなと、ラウルさん達と、そして卵から孵った竜が、笑って過ごせる日が来ますように。
 切ない瞳で空を見上げるマリオの肩を、そっと叩くものがあった。
 はっと振り返ると、そこにはゲルクの顔がある。いつも見慣れた厳しい顔ではなく、穏やかな瞳で彼は、そっと空を仰ぐ。
「小倅や。祈りとは世界を動かす力じゃ。神々は人々の祈りを糧にその力を揮われる。人々の願いなくしては、どんな奇跡も起こる事はない」
「ゲルク様……」
 十五年生きてきて、ゲルクのこんな司祭然とした言葉を聞いたのは初めてだった。
「祈り。願い。思い。それこそが世界を動かす。例え小さな祈りでも、束ねれば大きな力となる。それは人々を支え、未来を築き、大いなる希望をもたらす」
 浪々と響き渡るゲルクの声。その言葉に、人々は静かに耳を傾け、そして誰からともなく祈り始めた。
 それは、ただ神に縋るのではなくて。
 ただまっすぐに、ひたすらに、自分の思いを神へと投げかける、それは祈り。
 遥か天上におわす神々。その御許まで、どうか思いよ届けと。
 人々は長い間、漆黒の空を仰ぎ続けていた。


第九章・終
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