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第十章【5】

「なっ……!」
 シリンの叫び声に気づいた時には遅かった。
 カイトの術に気が行っていたほんの一瞬をついて、背後から忍び寄ってきていた死者の手がラウルの髪をぐいと引っ張り、そのまま大地に引き倒す。
「このっ……!!」
 腐臭が鼻を突き、ぼろぼろの手が、指が、ラウルを大地へと押し付ける。握り締めていた短剣はもぎ取られ、床へと投げ捨てられた。
「てんめぇ……」
「ラウルさん!くそっ……」
 エスタスとシリンがラウルの元に向かおうとして、死者の群れにそれを阻まれる。そして、壇上から勝ち誇ったようなサイハの声が響いてきた。
「こちらへ連れてくるのだ」
 無言でラウルを引き起こし、その両脇、そして背後をがっちりと固めて歩き出す死者の群。腕を取られたラウルは逃げ出す事も出来ずに、ただ彼らと巫女の前へ向かう。
 その間もエスタス達の前に立ちはだかり、その動きを阻止する死者の群。
「こんのぉっ……」
 床に投げ捨てられたラウルの短剣を素早く拾い上げ、死者に立ち向かうシリン。エスタス、アイシャ、そしてカイトも、彼らを突破しようと力を揮う。
「悪あがきを……」
 そんな彼らを一言で嘲って、サイハは目の前に引き立てられてきた黒髪の青年を見下ろした。
 取り囲んだ死者達が力任せに彼の膝を床につかせ、交差した槍が彼の顔を地面へと押し付ける。
「……よぉ、また会ったな」
 この状況においてもまだ軽口を叩くラウルに、サイハは優越感に浸った表情で答えた。
「再び会えて光栄だ、竜を宿し者。さあ……」
「お前じゃねえよ。あんただ」
 ラウルの瞳はサイハの隣、玉座から彼を見下ろす紫の双眸に向けられていた。視線を受けた少女はにこりと笑って、その言葉に答える。
「夏以来じゃな。再びまみえる日を楽しみにしておったぞ」
 まるで場違いな、鈴を転がすような声。
「かわい子ちゃんにそう言ってもらえるたぁ、嬉しい限りだ」
「控えろ!お前如きが軽々しく口を……」
「よい」
 すっと手でサイハを押しとどめ、巫女は楽しそうにラウルを見る。
「招待状はきちんと届いたようじゃな」
「ああ、あの胸くそ悪い招待状ならちゃんと受け取ったさ。ちょいと早く来すぎたか?」
「なに、構わぬよ」
 そう言って、巫女はサイハに何事か囁いた。それを受けてサイハが壇を降り、ラウルの目の前へとやってくる。
「素直に最初から卵の隠し場所を吐いていれば、お互いこんな苦労を重ねずにすんだというのに……」
 ラウルを嘲笑いながら、彼は懐から小さな瓶を取り出した。硝子で出来た小瓶の中には、どす黒い液体が揺れている。
「顔を上げろ」
「嫌なこった」
 即答するラウルに、サイハは目で合図を送る。槍が引かれ、背後を固めていた死者の一体がラウルの髪をぐいと引き、強引に顔を上げさせようとした。
 その瞬間。
「甘い!」
 跳ね起きたラウルの手には、いつの間に抜き払ったのか、一本の小刀。きらりと光る白刃を躊躇なく襟足に当てて一気に振り抜く。
「なにっ!」
 はらはらと地面に落ちる黒髪。そして切り落とされた三つ編みの先端をただ呆然と握り締めている死者に向けて刃が一閃する。刃に宿った破邪の力は死者を即座に闇へと還し、その体は灰となって床へと崩れ落ちた。
 瞬く間に刃を翻し、取り囲んでいた死者達を屠ったラウルは、息つく暇もなく目の前のサイハへと踊りかかる。
「ぐぁっ……!」
 手から零れ落ちた小瓶が床へと落ち、血のような液体をぶちまける。
「ちっ」
 左腕を犠牲にして攻撃を受け流し、素早くその場を離れるサイハ。疼く腕をおして印を組み呪文を紡ごうとする彼の頭上で巫女が何事かを呟くと、新たなる死者の群れがサイハを守るように出現する。
 ラウルは小刀を隙なく構えながら、短くなった髪に手をやってにやりと笑った。
「かかってこいよ」
 次の瞬間、一体、また一体と死者が灰となってその場に崩れて行く。その俊敏な動きはまるで黒い狼のよう。次々にその鋭い刃に倒れる死者は、さながら為す術もなく狩られる子羊の群。
「くっ……!」
 歯を食いしばって、呪文を紡ぎ出すサイハ。しかしその間にも、彼を守るように立ちはだかる死人はどんどん倒れていく。
『闇の、刃よ!』
 ラウルの刃を受け止めた左腕からは、どす黒い血がとめどなく流れている。激しい痛みに耐えながら紡いだ術は、サイハの右手に幻の刃を生み出した。
 それは命を砕く闇の剣。触れればたちどころに生命力を吸い取られる。
「させるかよ!」
 声と共に、ラウルが突っ込んできた。死人の体ごとサイハに体当たりをかけ、ともに床に転がる。サイハの握る闇の刃が掠めた死人はその場に崩れ、二度と動き出す事はなかった。
「このっ……」
 起き上がり、刃を揮う。それを一瞬早くその場を飛びのいたラウルは素早くかわし、そして刃を恐れることなく斬り込んで来た。そのラウルの繰り出す攻撃を闇の刃で受け、流すうちに、次第に追い詰められていくサイハ。ラウルは容赦という言葉など知らない勢いで、刃を向けてくる。
「巫女っ!どうか、お逃げ下さい!ここは私がっ……」
 振り返ることなくサイハは叫んだ。すぐ側で死闘が繰り広げられているこの状況においてもなお、玉座に座って静観を決め込む少女を訝る事もなく、ただその身を案じて彼は叫んだ。

 それなのに。

「そうじゃな。お前の死に場所はこの場所と決まっていたからのう。せめてお前の死に様を見届けてからと思ったが……仕方ない」
 そう言うが早いか、するりと身を翻し、玉座の奥に続く扉に消えていく巫女。
 一方、そんな言葉を投げかけられたサイハは、まるで雷にでも打たれたかのように動きを止め、巫女の消えた扉を見やる。
 その隙をラウルは見逃さなかった。
「巫女……」
 喉笛を切り裂かれ、鮮血を宙に散らして、サイハはどっと床に倒れこむ。その瞳はなおも巫女を求めて彷徨っていたが、やがて光を失った。
「あの、やろう……」
 怒りに燃える瞳で扉を見つめるラウルに、背後から襲い掛かる死者。振り向きざまに一閃させた白刃に倒れる死者の向こうには、ようやく囲みを突破してこちらへ向かってくるエスタス達の姿が見えた。それでも、広間に溢れる死者の群はまだ数多く、ラウルを目指して襲い掛かってくる。
「くそっ……」
 汗に濡れた手で小刀を握り締める。扉はすぐそこだと言うのに、立ちはだかる死者に阻まれてその場を動く事も出来ない。
「いい加減にっ……!!」
 と、 長剣が一閃し、胴を真っ二つに薙がれた死者の上半身と下半身が床へと転がる。
「ラウルさん、行って下さい!」
 エスタスの姿がそこにあった。言いながらも剣を振るい、死者の群を薙ぎ払う。
「ここはオレ達が!」
「分かった。任せる」
 言うが早いかその場を離れ、扉へと駆け出すラウル。
「おい、絶対に死ぬなよ!」
 飛んでくるシリンの怒声に、ラウルは振り返ることなく、ただ手をひらりと振って、巫女の消えた扉へと消えて行った。
 戦いの続く広間で、床に倒れ伏すサイハの血が、不自然に床を流れて行く。
 まるで溝を伝うように地面に文様を描き出す赤黒い血。それに、戦いに集中しているエスタス達は気づかない。

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