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第三章 失われた記憶 【1】 |
……湖の如く澄んだ麗しき瞳 聡明なる神の申し子 神の導きによりて 共に苦難の道を歩むべく 勇者の手を取り 長き旅に出る 幾千の涙 幾万の血を乗り越えて 悪しき竜神を滅するため 勇者はただただ 歩み続ける 吟遊詩人の歌 《勇者への賛歌》旅路の章より 「北大陸に行ってみませんか」 そうリファが言い出したのは、共に旅をして二日目の事だった。 ゼーラの町を出て、あてもなくラルスディーンと反対方向へと向かっていた三人だったが、目標のない旅というのもなかなか辛い。そこである程度の予定を立てようと話していたところへ、リファがそう持ちかけたのだ。 「北大陸?」 足を止めて、アヴィーがリファを振り返る。 「ええ、北大陸の魔術士の塔に、邪竜に関する研究を行っている魔術士がいると聞きましたよ。やはり、詳しい方に力になってもらうのが良いんじゃないですか」 「確かになあ。このままじゃ邪竜の場所も、勇者の居所も分からないんだし……」 そう言いながら、アヴィーを見やるアーヴェル。 このままあてもなく旅を続けていても仕方ない事を、アヴィーも勿論承知していた。 ラルスディーンに行きたくないというアーヴェルの意向を汲んで、ひとまず反対方向にあって一番大きい街である港町ヴェルニーへ向かっていたものの、ヴェルニーになにかあてがあるわけでもない。 「北大陸?行きたい行きたい〜♪」 唐突にアーヴェルの腰の剣からぽんっ、と出現したジーンがはしゃいでみせる。 「なんだお前、北大陸に何か用でもあるのかよ」 「アンタにお前呼ばわりされる筋合いはないわよっ!」 ぷりぷりと怒ってみせるジーンだったが、すぐにアヴィーの首に腕を絡めて 「アタシねえ、ずっと前に北大陸を旅したことあるのよ〜。もう何百年も前のことだから随分変わっちゃっただろうけど、もう一度行ってみたいの。ねえ、行きましょうぉ〜」 「年増」 ぼそっと呟くアーヴェルに、なんですってぇ、と食って掛かるジーン。どうにもこの二人は相性が悪いようだ。顔を合わせれば必ずこういう展開になる。 分かっているならアーヴェルも言わなければいいのに、どうにも口が止まらないらしい。アヴィーもリファも面白がってか止めないため、二人の口喧嘩は延々と続く羽目になる。 「どうします?アヴィー」 二人の様子を楽しげに眺めつつ尋ねるリファに、アヴィーはしばらく考えていたが、こくりと頷いてみせた。 「行ってみよう。このまま当てずっぽうに旅するより、いいと思う」 「それじゃ決まりねっ!」 アーヴェルとの口げんかを切り上げて、ジーンがアヴィーの腕に腕を絡ませる。 「ヴェルニーから北大陸行きの船が出てるはずよっ。さあ、行きましょうっ!」 アヴィーと腕を組んだままずんずんと歩き出すジーン。 「お、おい待てよっ!」 慌ててそれを追いかけるアーヴェル。その慌てぶりが面白くて思わず笑ってしまいながら、リファも歩き出す。 「待ってくださいよ、そんなに急がなくても、ヴェルニーは逃げませんよー」 「船がない?!なんで」 アーヴェルの問いに、定期船の受付に座っていた男は心底困った顔で弁解を始めた。 「いやねえ、五日ほどに着いてるはずの定期船が戻ってきておらんのさ。いやぁ、全く……」 「戻ってこない?」 「でも、定期船は一隻しかないわけではないでしょう?」 リファの言葉に、それがねえ、と男は頭を掻く。 「八日前にこちらから出た定期船も、どうやら行方不明になっちまったようなんだよ」 「行方不明?向こうからの船も、こっちからの船もか?」 アーヴェルが眉をひそめる。 「嵐で遭難したとか?」 アヴィーが首をひょいと傾げる。しかし男は首をぶんぶんと横に振り、それを否定した。 「そうじゃない。ここんとこずっと天気も良かったしな。それにここからは、西大陸や東大陸行きの船だって出てる。それ以外にも漁船や商船が多く入出港してるが、北大陸行き以外の船には何ら影響が出ていないのさ」 本当にどうしちまったのかねえ、と首を捻る男を尻目に、三人は顔を見合わせた。 「……おかしいですねえ」 「そうだよなあ」 「……海に異変が起きてる?それって……」 アヴィーが飲み込んだ言葉を察して、リファが重々しく頷いてみせる。 「そういう事でしょうね」 「?何がそういう事なんだ?」 「でも、そうだとしたら、私達はどうすればいいんだろう」 「おーい、どういう事だってば」 「ひとまず、宿を探して落ち着きましょう。ここで話していたところで仕方ありませんし。アーヴェルにもちゃんと説明してあげないとね」 ただ一人話が飲み込めないアーヴェルに苦笑しつつ、リファはそう言って歩き出した。 「……つまり、邪竜の影響で海に何らかの異変が起きて、船が行方不明になってるって、そういう事か」 ベッドにどっかりと座り込んで、ようやく話の飲み込めたアーヴェルは、納得顔でうんうんと頷いていた。 北大陸への船が止まっている事で、宿には足止めを食らった客が大勢宿泊していたが、なんとか一部屋確保できたのは幸いだった。 もっとも、アヴィーにとっては不本意ながら、子供連れだったことで宿の女将が優先的に部屋を回してくれたようだ。 しかしその後、茶目っ気たっぷりの女将に「おやおや、あんたら親子かい?若いのにやるねえ、兄さん」などとからかわれて、アーヴェルが顔を真っ赤にした挙句に猛然と抗議した一幕もあったのだが。 そのアヴィーは散歩、といって出て行ってしまい、残されたリファがアーヴェルに懇切丁寧に説明をしていたのだが、記憶喪失を差し引いても、どうやら彼は根本的に海に関する知識がないようだった。恐らくは、生まれてこのかた大陸を出たこともないのだろう。さきほど港で海や船を見たときも、まるで子供のようにはしゃぎまくってアヴィーに白い目で見られていたくらいだ。 「推測にしか過ぎませんが、この季節に《流れの海》が荒れることはほとんどありません。まして一隻だけなら事故や故障の可能性もあるでしょうけど……」 「こうも立て続けじゃあ、なにか原因があるはずだもんな。でもさあ、邪竜の影響でそんなことが起こるのか?」 「まあ、影響として考えられるのは生き物の凶悪化でしょうねえ」 杖の先端についた宝玉を磨きながら、リファは窓の外に視線を移す。窓から見下ろす街並みは、夕日に照らされて橙色に染まっている。 「凶悪化?」 「邪竜というのは、負の思念が凝縮して生まれるものだと言われています。そういった負の力に影響されやすい生き物もいるんです。怪物と称されるものなどはいい例ですね。もとはごく普通の生き物だったものが、負の力によって変質し凶悪な力を得て人を襲ったりする」 「つまり……」 リファの言葉を頭の中で整理して、アーヴェルは自分なりに納得したようだった。 「要するに、イライラした人がいると周りにもイライラがうつっちまうような、そんなもんか」 思わず杖を取り落としそうになるリファ。 「な、なにか違う気もしますが……まあ、そんなものでしょう」 大分違う気もするが、あえて更なる説明をしようとは思わないリファだった。本人が分かりやすいように解釈してくれればいい事だ。 「でも、例え海の魚が凶暴化してたって、所詮魚なんてちっこいもんだろ?船をどうこうできるような訳ないと思うんだけどな」 苦笑しつつ首をすくめるリファ。 「そうでもありませんよ。海の生き物の中には、大型の船よりも大きなものもいます。まして《流れの海》……この窓の外に広がる海のことをそう呼びますが、この海には昔から、巨大怪物が棲みついてるんですよ」 「巨大怪物?!」 |
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