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第三章 失われた記憶 【5】 |
ぱちぱち……と枝のはじける音が、静かに森に響く。 森は暗く深く辺りを包み込み、焚き火の明かりは木々の間に出来た自然の広場を照らし出している。 「アヴィー、すっかり寝てしまいましたね」 優しく毛布をかけながら、リファはそっとアヴィーの顔にかかる髪を払う。 夕暮れ前、街道を少し外れたところにこの広場を見つけ、焚き火を炊いて夕食を用意するうちに、辺りは深い闇に包まれてしまった。 食事を取り、雑談をしているうちにうとうとし始めたアヴィー。リファがちゃんと横になるように言い、素直に従ったアヴィーはあっという間に深い眠りに落ちていった。 「旅慣れてないのに、弱音もはかないんだから、凄いよ」 大人びているとはいえ、まだ十四歳の少女だ。ましてずっと神殿で暮らし、村から出ることすら余りなかった少女が、予言に導かれ、ここまで旅をしてきたのだ。 「そうですね……。本当は体に負担がかかりますから野宿もさせたくはないんですが、次の町まではまだ距離がありますからね」 「あとどのくらいで着く?」 「この森を抜けるのにあと五日はかかるでしょう。森を出てすぐに町があります。その町を過ぎて半日ほどのところにあるのが、ルース本神殿です」 「そっか……」 「第一目的地の魔術士協会は、そこからもっと先のヴィルレイドにありますから、先にルース神殿へ寄って分かるだけの情報を得て、すぐにヴィルレイドに向かうのが一番でしょうね。少々時間はかかりますが……」 「でも、ヴェルニーで手をこまねいているよりはよっぽど良かったよ。このまま手がかりもないんじゃ動きようがないし」 焚き火に枝を足し、手をかざしてほっと顔を緩ませる。春も半ばとはいえ、夜はまだ冷える。 ふと顔を上げると、闇に黒く縁取られた木々が自分たちを取り巻いている。見つめていると、まるでじわじわと迫って来るような錯覚を覚えるほど、夜の森はどこか不気味だ。 「こういう深い森を見ると、西大陸って感じがするな」 西大陸は大地の女神ルースが創造したといわれる大陸。深い森と草原が大陸一面に広がる、平坦な大陸だ。森と共に生きる種族「森人」や、草原を気ままに渡る「草原人」、花を愛する「花人」の発祥の地とされており、事実他の大陸よりも彼らを目にする機会は多い。 「なあ、俺よく覚えてないけど、こういう森には森人の村があって、そこは他種族には門外不出なんだろ?もしうっかりそういう村を見つけちまったらどうなるんだ?」 アーヴェルの言葉に、リファは苦笑しながら一枚の地図を取り出す。西大陸を詳細に記した地図の端を指差して、 「ここが、船を下りた港町ガラニド。ここからノーラの森を横切って、私たちはルース本神殿を目指しています」 「ふんふん」 「この東大陸の北部はレイド王国の領地ですが、今いるこの森、このノーラの森だけは王国内にあって唯一、国の干渉を受けない地域となっています。つまり、ここは森人の領地なんです。しかし、王国の東側一帯を占めるこの森を迂回していては、東海岸の町や村までの行き来に時間がかかることから、大昔に国王と森人が協定を結び、森の中に一本の街道を通し、旅人が自由に行き来できるようにしたと言われています。その折に、道を外れない限り旅の安全を保障すると取り決められていますから、大丈夫ですよ」 「じゃあ、この街道をちゃんと進んでいるうちは、森人の村に当たる心配はないと」 「そうです。あちらさんも、そうそう人目につくような場所に村を構えてなどいませんから、まあよほど運が悪くない限りは村にたどり着くなんて事はありませんけどね」 森人は、森と共に暮らす種族。そして、彼らの村は決して他種族には場所を明かされない。村の場所を知ってしまった哀れな旅人は、森人の掟によって裁かれる。それは往々にして死の裁きだ。 なぜ彼らが村の場所を隠すのかは定かではなく、他種族に混ざって暮らす森人達もその理由については一様に口を閉ざす。 地図をしまいこむリファに、ふと思い出したようにアーヴェルは口を開いた。 「そういやさあ、ずっと聞きそびれてたんだけど」 「なんですか?」 「リファさんを襲ったその『黒い炎』とかいうのって、なに?」 「『黒き炎』ですね。彼らは遥か昔よりこの世の影に蔓延る邪教集団です。邪竜を崇め、その力によって世界を混沌に導こうとしています」 アーヴェルの言い間違いを訂正しながら、リファは簡単に説明してみせる。しかしアーヴェルにはまだ納得行かないようで、首を傾げつつ尋ねてくる。 「世界を混沌に、ねえ?具体的に何するのか、見当つかないな」 「そうですねえ……なんにせよ、彼らの第一目的は邪竜を復活させることのようです」 「邪竜かあ。確か、負の感情が集まって生まれるんだってアヴィーが教えてくれたっけ。でもそれってどういう意味なのかよく分からなかったんだけど」 ついこの間アヴィーに教えられたことを思い返すアーヴェル。子供用の歴史書を使ってアヴィーが懇切丁寧に教えてくれたが、どうにもお伽噺のようで実感が沸かなかった。 「負の感情というのは、我々が感じる悲しみや憎しみのようなものですね。こういった感情は我々のような人間だけでなく、全ての命が持つものです。そういった感情が凝り固まって生まれるのが、邪竜と呼ばれる悪しき竜だと言われているんです。これまでに幾度か邪竜は生まれ、その度に多くの命が失われ、苦しい戦いを強いられてきました」 「そっか……でも、悲しいとか苦しいとかって感情、抑えようとしたって出来ないしなあ」 「そうですね。ただ、世の中が平和であれば負の感情が爆発的に膨れ上がることはありません。ですが、戦乱が起これば多くの命が失われ、負の感情は一気に膨れ上がります。それを狙って彼らは世の中を混乱させ、邪竜を復活させる力を蓄えようとしているようです」 「へえぇ……リファさん、詳しいな」 何気ないアーヴェルの言葉に、リファは一瞬だけ目を見開き、そして苦笑する。 「ええ、まあ。色々と面倒に巻き込まれたことがありますからね」 そう言って漆黒の空をくい、と見上げるリファ。その瞳に映し出されているだろう過去に、しかしアーヴェルは興味を示さなかった。ただ素直に言葉を受け取り、頷いている。 「そっかあ。リファさん、ずっと旅してるんだもんな」 「ええ、そうですね」 「でもさ、世の中を混乱させて邪竜を復活させて、それでどうするんだろう?」 素朴な疑問を投げかけるアーヴェルに、リファも肩をすくめて見せる。 「まあ……世界を破滅と混沌に導く、なんて言ってますから、世界を滅ぼしたいんじゃないですか?」 「そ、それって……めちゃくちゃヤバいことじゃないかっ。なんとし」 「うるさいわよっ!!安眠妨害!美容の敵!!」 アーヴェルの言葉を遮るように、地面に置かれたケルナンアークからぽんっと煙が上がり、かんかんに怒った様子のジーンが二人の前に姿を現した。 その姿は寝巻きに身を包み、髪を下ろして、手には枕と、本当にこれから眠ろうという態勢だ。 「何が美容だよ、剣のクセに。さびるのか?」 思わずつっこむアーヴェルに、お約束のように食って掛かるジーン。 「うるさいわね、アタシをまともに振り回すこともできないへっぽこ剣士の分際で!大体、アタシはあんたに力を貸す義理なんてないのよっ!ご主人様がどうしてもって言うから……」 「なんだとぉ〜?!」 「しかもなによさっきの、「重い」だなんて暴言、許されると思ってるの?!」 「重いんだから重いって言ったまでだろ!くやしかったら軽くなってみせろよ」 「きーっ!なんですってぇ?!この記憶喪失男っ!」 不毛な言い合いをいつものように傍観していたリファだったが、ジーンの言葉に、そういえば、と口を開く。 「アーヴェル、あなた記憶を失っているのでしたよね?」 「ん?そうだけど?」 ジーンとのいがみ合いをやめて、リファに向き直るアーヴェル。と、リファは彼をまっすぐに見つめて、にっこりと言い放った。 「これまでの戦いぶりを見る限り、あなたはきちんと剣の訓練を受けているようですよ」 きょとん、とリファをみつめるアーヴェル。どうやら自覚していなかったようだ。 「本当に?そりゃびっくりだ」 「それは確かね。初めて剣を持った人間じゃないわ。くやしいけど保証したげる」 ぽんっといつもの服装に着替えたジーンが腕組みをしつつアーヴェルを見下ろす。 「慣れない人なら、アタシみたいな長剣を腰に佩いてるだけで歩きにくいし、剣を引き抜く事だってそううまくは出来ないもの。それに比べてアンタはごく自然に剣を抜いて構えてたし、動作がとても滑らかだったわ。ただ難を言うなら……これだけの使い手なのに、とどめを刺すのにちょっと逡巡してたのはなんでかなって思ったけど」 「そうか?俺、とにかく夢中で全然……」 頭をかくアーヴェルの額に、すっとリファは指を向ける。そこには金色に輝く金属の環がはめられている。記憶喪失の彼が身に着けていた唯一の装飾品で、すっかり額になじんでいるそれをアーヴェルは普段気にも留めていないようだった。 「その額飾りはガイリアに仕える者。神官の証です」 その言葉を聴いた瞬間、アーヴェルの目の前が真っ白に染まる。 ―――ガイリア 眩しいくらいに白い視界の彼方に、金色の輪郭が浮かび上がり、そして消える。 ―――神官 何かが、胸の奥で燻っている。もどかしい想い。忘れてしまった記憶。 神官。その言葉は何を意味するものだったか。何か、自分にとって大切な意味を持ってはいなかったか。 ―――!! 声にならない呼び声が彼方から響く。眩いばかりの世界で、必死に声の方を見つめる。 誰かが、呼んでいる。何かを語りかけている。 オマエハ オマエハ オレノ オレノ…… 「眠りなさい」 静かな、しかし逆らいがたい力を秘めた言葉に、虚ろに視線を彷徨わせていたアーヴェルの瞳がゆっくりと閉じられ、その体が地面に崩れていく。 魔力の残滓を振り払うように杖を振るい、リファは地面に横たわるアーヴェルの横にそっとしゃがみこんだ。 「やれやれ。あなたは何か、やっかいな過去を抱え込んでいるみたいですね」 リファの言葉を聞いた途端に急変したアーヴェルの様子。瞳からは光が失われ、うわごとの様になにかを呟き続ける彼のただならない状態に、ひとまず彼を眠らせてみたものの、何が彼の中で起きていたのかはリファにも皆目見当がつかなかった。 「確か、この間もこんなことがありましたね……。あの時はすぐに元に戻りましたが……しかし一体……」 呟くリファの横では、黙って事の成り行きを見守っていたジーンが、あからさまに疑いの色を持ってリファを見つめていた。 「……魔術語を使わずに魔術を使うなんて……アンタ普通じゃないわね」 魔術は、術者自身に宿る魔力を操る術。しかし魔力は制御が難しく、古代魔術語と呼ばれる言語によって術の種類や効果、威力を正しく指定してやる必要がある。 魔術語による呪文詠唱は時間がかかるため、魔術士達は省略呪文の研究に余念がないが、理論的には、術者の精神力で魔力を制御できれば、魔術語なしでも魔術は発動する。しかしそれにはかなりの修練や生まれついての強い精神力、そして魔術に関する詳しい知識が必要とされ、そこらの魔術士がほいほい出来る事ではない。 「そうですね」 笑顔でそう答えるリファ。肩透かしを食らって憮然とした様子のジーンだったが、それ以上は何も言わなかった。 (正体を聞いたところではぐらかされるに決まってるわね。ま、そのうち色々分かってくるでしょ) そんなジーンの思いなど知る由もなく、リファはアーヴェルに毛布をかけてやりながら誰にともなく呟いた。 「アーヴェルは間違いなくガイリアの神官。だから命を奪うことをよしとしない。防護の剣を使うのもそのためですね。しかし……」 彼の過去に何があるのか。そして彼は、一体何者なのか。疑問は尽きない。 「……アーヴェル?」 囁くような声にリファが振り返ると、眠そうな顔のアヴィーが起き上がろうとしていた。 「おや、起こしてしまいましたか?」 「声が聞こえた」 目をこすりながら、眠そうな声でアヴィーは呟く。どうやらまだ半分くらいは寝ているようだ。 「誰かが呼んでる……でも、まだ駄目なの」 そう言って、またぱたりと横になるアヴィー。ジーンが慌てて顔をのぞきに行くと、アヴィーは安らかに寝息を立てていた。完全に熟睡している。 「寝ぼけてたのかしら?」 眉をひそめるジーンに、リファもさぁ、と首を傾げる。 「何はともあれ、アーヴェルもアヴィーも、只者じゃないことは確かですね」 (アンタもね) 心の中で呟きながら、ジーンはただ、肩をすくめた。 手を伸ばしても、その声の主には到底届かない 追いかけようと足を動かそうにも、底なしの沼に囚われたかのように足は沈むばかり (―――待ってくれ、お前は……!) 必死に叫び続ける彼の視界が、また強烈なまでの光に閉ざされる。 そして、一転して闇。 どこまでも深い漆黒の闇に包まれて、彼の意識は遠のいていく。 (お前は……誰なんだ……) |
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