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永久の友へ 〜夢の続き・外伝〜

 夕焼け空に鳴り響く、高らかな鐘の音。
 鐘の音に背中を押されるように家路を急ぐ子供達を横目に、男は石畳の道を広場へと進む。
「久しぶりだなあ」
 この街を訪れるのは、もう五年振りにもなるだろうか。前に訪れた時は建て替え中だったガイリア分神殿は美しく生まれ変わっているし、正門から広場までを繋ぐ石畳も新しくなっている。広場に並ぶ店も、見慣れないものがちらほら増えていた。
 変わりゆく街並みを楽しみながら通い慣れた道を行けば、風格ある店構えの宿屋が変わらない姿で出迎えてくれた。そのことにほっとして、重厚な扉を押し開ける。
「いらっしゃいませ  まあ、オリバーさん!」
 来客を告げる鈴の音に顔を上げた看板娘は、随分と女振りが上がっていた。それでも、昔の面影を残す薔薇色の頬をますます染めて、飛びつくようにオリバーの腕を取る。
「オリバーさんたら、全然変わってない!」
「クレアちゃんは大人っぽくなったね」
「こらクレア、お客さんに何してるんだ」
 歓声を聞きつけた宿屋の亭主がやってきて、おやおやと笑顔を見せる。
「これはオリバーさん。お久しぶりです。もう定期補修の時期ですか。あっという間ですなあ」
「もう俺の力なんて必要ないと思うんですけどね。また呼ばれてやってきました」
「何をおっしゃる。工房の職人達も、あれはオリバーさんじゃないと直せないっていつも言ってますよ」
 クローネの街の仕掛け時計は近隣にも知られた街の名物だ。十数年前、とある事件をきっかけに名が知られるようになった仕掛け時計を直したのは誰であろう若かりし頃のオリバーで、以来数年おきの定期補修に駆り出されるようになった。
「オリバーさんの噂も色々聞こえてきますよ。最近じゃ、シールズの王宮に時計を納められたとか……」
「早耳だなあ。つい一月前のことなのに」
 照れたように頭を掻くオリバーは、流浪の時計職人として名を馳せている。彼の作る時計は精巧かつ遊び心に溢れており、ただ時を刻むだけでなく見るものを楽しませてくれると評判だ。
 そんな彼がなぜ店を構えないのかと言えば、単に店の切り盛りが面倒だからなのだが、きままな一人旅が存外、性に合っていてやめられないというのもある。
「城下に店を出さないかと言われて、また断ったんですって?」
「ええ。やっぱり一所に落ち着いていられる性分じゃなくてね」
 旅の中でしか得られないこともある。この気のいい人達との出会いも、そのうちの一つだ。
「じゃあ、しばらくはうちに逗留されるんですね。また旅のお話、聞かせてくださいね!」
 嬉しそうに手を叩くクレアにお安い御用だと答え、厨房から漂う香りに頬を緩める。
「ここに来ると、女将さんの料理が楽しみなんだ。もう食べられるかな?」
「勿論ですとも! あとで一杯やりましょう」
 乾杯の仕草をしてみせる亭主にもちろんと頷き、オリバーは大きな鞄を抱え直すと、いそいそと歩き出した。


 旅人の少ないこの季節、酒場は地元の人々で賑わっている。幾人かの見知った顔に声をかけられ、再会を祝して乾杯を重ねるうちに、いつしか窓の外には星が瞬いていた。
「今日は星がきれいですね」
「寒いからね、空が澄んでるんだ」
 空いた食器を下げに来たクレアとそんな話をしながら、半分ほどに減った杯の中身をぐいと飲み干す。
「お部屋の用意できてますから、いつでも言ってくださいね」
「ありがとう」
 充分に腹も膨れたことだし、そろそろ部屋に引き上げようかと考えたその時、穏やかな声が降ってきた。
「失礼、時計職人のオリバーさんとお見受けしますが……」
 顔を上げれば、頭巾を目深に被った旅人がすぐ横に立っていた。顔は見えなかったが、毛皮で縁取られた頭巾から覗く金の髪に、懐かしい記憶が蘇る。

『わたしはリダ。あんたの探してた『腕の立つ魔術士』だよ』

 連れの少年をどつきつつ、そう言い放った金髪の女魔術士。その大それた台詞は決して誇張でも何でもなく、オリバーが知る中では最高の腕を持つ彼女は、この街を救った張本人だ。
 しかし、彼女はこんなに穏やかな喋り方はしなかった。喋らなければ美人で通るのにとぼやく少年に、『注文通り』黙って拳骨をお見舞いした彼女は、お上品なのは性に合わないのだと笑っていた。
「あなたは……?」
 問いかけには答えず、旅人は懐から何かを取り出して、そっと机の上に乗せる。
「懐中時計、ですか?」
 それは相当な年代物だった。錆びてはいないものの金属部分は変色してしまっていたし、何より現代のものに比べてかなり大きい。形状も大分異なっているし、装飾らしきものが何もない。これまで様々な時計を見てきたオリバーだったが、こんな懐中時計を見たのは生まれて初めてだった。
「これは……」
 しげしげと机の上の懐中時計を見つめるオリバーに、旅人は静かに語り出した。
「大事な友人から頂いた時計なのですが、大分前に動かなくなってしまいまして。あなたなら直せるのではないかと思ったのです。彼の時計を直して下さったあなたなら」
 はっと顔を上げれば、穏やかに微笑む白皙の顔。
 ゆっくりと頭巾を後ろに落とした旅人は、かの女魔術士によく似た風貌をしていた。流れる金の髪、海のように青い瞳――。しかし、決定的に違うところがある。その身にまとう雰囲気だ。
 彼女が直視できない灼熱の太陽なら、目の前に佇む人物は穏やかで冷やかな月。似て非なる金色の輝きは記憶の連鎖を引き起こし、とある人物へと帰趨する。
「あなたは……まさか――」
「リファと申します」
 さらりと告げられた名に、思わず言葉を失う。それは、《金の魔術士》の二つ名で知られる伝説の不老不死人の名前。まさに生きる伝説とも呼べる人物が、今オリバーの目の前にいる。
「座っても?」
 小さく息を吐いて、どうぞと目の前の席を示す。促されるまま席に着いたリファは、ごく普通の人間にしか見えなかった。立てかけた杖が転がりそうになって慌てているさまなど、かの女魔術士よりも人間味溢れている。
「えっと、その……あんたが――アイオンの……?」
「ええ。二百年ほど前になりますか、短い間ですが共に過ごした仲間です」

 旅の途中で出会った青年は、修行の旅の最中なのだと語った。魔術士兼時計職人という一風変わった彼に興味を抱き、たまたま行く先が同じだったこともあって、しばし共に旅をした。
 そんな彼が熱く語ったものこそが、「永久の時を刻む時計」の構想だった。
 当時から魔術を組み込んだ時計は作られていたが、アイオンの夢はその先を行くものだった。魔力を動力源とし、故障箇所を自己修復して永久に時を刻み続ける時計。机上の空論だと揶揄されても、時の神に対する挑戦かと罵倒されても、彼はその夢を捨てなかった。
「彼と共に旅をしたのは半年ほどでしたが、その間も彼は暇さえあれば時計の研究をしていました。いくつも試作品を作り、新しい術を組み立て……見ているだけで楽しかった」
 オリバーが生まれるより遥か昔の話を、まるで昨日のことのように語る魔術士。そうして、かいつまんだ旅路を語り終えたリファは、それでと机の上の時計に目を戻す。
「これは当時、彼が作った懐中時計です。今のものと比べたら随分と大きくて稚拙なものと思えるでしょうが……」
「いいや、二百年前にこれほどのものを作り出していたなんて……。本当にアイオンはすごい職人だったんだな」
 感嘆の息を漏らすオリバーに、リファは誇らしげに頷いてみせる。
「彼はいつでも、時代の先を見据えていました。生まれる時代が早過ぎたのかもしれませんね」
「天才っていうのはそういうものだ。もっとも、その才能を生かす方向性を間違えた気はするけどね」
 彼が最期に作り上げた『作品』。それこそが、クローネの街。からくり時計を内包した時計台を中心に、緻密な計算によって作り上げられた街は、禁断の魔術を以て変わらぬ姿を保とうとした。
 それは、ただ一人の友のために、彼が残した終わらない夢――。それが、街全体の時を狂わせる大事件と発展したのは、十数年前のことだ。
 『クローネの異変』として語り継がれる事件。その理由については、「魔法装置の誤作動」としか伝えられていない。魔術士協会にからくり時計を押収されないよう、オリバー達が必死で証拠隠滅を図った結果だ。それでも、分かる奴には分かるだろうとリダは言っていた。例えば、この騒動の元凶となったあいつなら――と。
「リダさんがぼやいてたよ。あの装置の存在を知っていて放置したのだとしたら、あんたは本当に最低なヤツだって」
 その言葉に、リファはそっと目を伏せる。
「――かの事件が起こるまで、私はアイオンがこの街に施した『仕掛け』の存在を知りませんでした。ただ、共に旅をしていた頃から、彼が時を操作する禁呪に興味を抱いていたことは知っていました。時計と時間は切り離せないものですから。それでも、彼があんなことをするとは、予想だにしなかった」
 窓の向こう、漆黒の闇に浮かび上がる石造りの時計台を見上げ、リファは小さく吐息を漏らす。
「後悔しているんですよ。私と出会わなければ、あんなにも「永遠」に固執することなどなかったのかもしれないと」

 自らの旅の目的を語り終えたアイオンは、照れたように笑って言った。
「嬉しいな。君は『そんなの無理だ』と言わないのか」
「ええ。とても難しいことだとは思いますが、無理だと決めつけるのは短絡的です。あなたの夢はとても素敵ですよ」
 その言葉に、照れるを通り越して真っ赤になってしまったアイオンは、それを誤魔化すかのように早口で問いかける。
「き、君はどうなんだ? 何のために旅をしている?」
 こうも真っ直ぐに尋ねられたのは久しぶりだったから、つい言ってしまったのだ。
「この世界をどこまでも見つめ続けること。それが私の宿命であり、償いなのです」
 かつて犯した罪は、あまりにも重い。だからこそリファは自身に放浪の宿命を課した。そうして何百年も、ファーンの大地を彷徨い続けている。
「そう、なのか……」
 アイオンはただ、そう答えた。
 今思えば、彼はその時すでに、リファの正体に気づいていたのだろう。すでに『伝説の不老不死人』の名は世界中に轟いていたのだから。
 それでも彼は何も聞こうとはせず、リファも何も言わなかった。
 やがて、アイオンは腕のいい職人に弟子入りを果たし、二人の道はそこで分かれることとなる。
 別れ際、彼は手製の懐中時計を渡して、こう言ってきた。
「君と共に時を刻む時計を、いつか作り上げてみせる。それまではこれを」

 懐中時計の蓋を開ければ、そこには「永久の友へ」の文字。時計の針は三の刻ちょうどを指したまま止まっている。
「いつから止まってるんだ?」
「もう百年以上前です。ある日突然、動かなくなってしまって」
 何人もの時計職人に見せたが、彼らは口を揃えて無理だと答えた。独自の仕組みが随所に組み込まれているため、作った本人でなければ直せないというのだ。
 そこで、アイオンを探すことにした。彼はすでにからくり時計職人として名を馳せていたから、噂を辿ればすぐに見つかるだろうと思っていた。
「ところが、クローネの街を作り上げたのち、人知れず街を離れて行方知れずということで、その後の消息がどうしても掴めなかったんです」
 とっくの昔に街を離れていると聞いたから、クローネの街を訪れることはしなかった。それが致命的な失敗だったと、リファは悔しそうに拳を握る。
「その頃、すでにアイオンは亡くなっていた……」
「ええ。元々それほど身体の強い人ではなかったし、禁呪を用いたことで命を縮めたのかもしれません」
 当時はそんなことを知るよしもなく、手掛かりはそこで途絶えてしまい、それから長い月日が流れた。
 そして十数年前。クローネの街で異変が起こり、それを旅の魔術士と一人の時計職人が解決したという噂を聞きつけたのだ。
「当時、私は西大陸にいましてね。とある依頼をこなしていたので、すぐに動くことが出来なくて、こちらへやってきたのは事件から半年ほど経った頃でした」
 やっとの思いで辿り着いた街で、リファは旧友の思い出と対面することとなった。すっかり修復されて賑やかな音楽を奏でるからくり時計。そして、時計台の隠し部屋に残されていた一冊の手記。
「たった半年の付き合いだった私などのために、禁呪まで用いて――。危うく、世界の因果律すらも歪めるところだったと知って、愕然としました」
 その時、鳴り響いた鐘の音に驚いて取り落とした荷物の中から、それはひょっこりと顔を覗かせた。
 彼がくれたもう一つの時計。長い間しまいこんだままだった懐中時計の、その蓋に刻まれた文字が、悲しみを静かに溶かしていく。
 そうして、鐘が止み、ようやく静まり返った部屋で、リファは動かない時計の針を見つめながら思ったのだ。
「あなたは、彼の残した時計を見事に直して下さった。それなら、この時計もあなたに、と」
 それからというもの、ずっとオリバーを探していたリファだったが、何せお互い気ままな放浪を続けているものだから、なかなか巡り合えないでいた。
「今回は幸運でした。たまたま定期補修の話を聞きつけたものですから。毎回あなたが呼ばれているというので、この機会を逃す手はないと思いまして」
 そうして、リファは懐中時計にそっと手を伸ばす。飾り一つない無骨な時計は、ただひたすらに夢を追い求めたアイオンそのものだ。
「ねえ、オリバーさん。永久なんてないのだと私が言ったら、おかしいと思いますか」
 意外な言葉に思わず目を瞬かせるオリバー。リファは自嘲めいた笑みを浮かべて、こう続ける。
「私はもう、何百年もこの大地を彷徨っています。たくさんの国が興り、消えていくさまを見てきました。時には大地でさえ姿を変える。変わらぬものなどない。永遠に続くものなどないというのに、どうして人は永久を夢見るのかと、常々不思議に思っていました」
 でもね、とリファは笑う。友の残した懐中時計を握りしめ、そこに希望の光を見るように、眩しそうに目を細めて。
「命は繋がる。思いも、また繋がっていく。それは限りなく永久に近いものだと、私は思うのです」
 ならば、友の夢は叶ったのだ。彼の技術を受け継いだ者によって、時計は何度も補修され、時には形を変えて、後世へと伝わっていく。そうして、彼の思いもまた、永久に繋がっていくのだ。
「これは彼の夢の結晶です。ぜひ、あなたの手で蘇らせてほしいのです」
 そっと差し出された懐中時計。角灯の光を反射して輝く文字盤に、はにかむようなアイオンの笑顔が見えたような気がした。
「分かりました。やってみましょう」
 手を伸ばし、慎重に懐中時計を受け取る。ずっしりとした重みは、アイオンが残した夢の重さだ。
「ありがとうございます。お礼といってはなんですが、補修作業でお手伝いできることがあったら言ってください。これでも腕の良い魔術士ですから」
 どこかで聞いたような台詞に、思わず吹き出すオリバー。
「同じ台詞を聞いたことがありますよ」
「ええ。私もです」
 悪戯っ子のような笑みを浮かべて、リファは囁く。
「今では彼女の方が、よほど有名人になったんじゃないでしょうか。私の名などすっかり廃れてしまって、嬉しいやら寂しいやらですよ」
 《鍍金の魔術士》の名は、今やファーン全土に轟いている。《金の魔術士》を捜し求める旅が、図らずも彼女の名声を広めることとなったのだ。
「彼女達はお元気でしょうか」
「ええ。きっと」
 楽しげに笑うリファ。彼らの間にどんな因縁があるのかを、オリバーは知らない。それでも、これだけは分かる。
 無敵の女魔術士リダと、その相棒ギル。二人は今も、賑やかに旅を続けているのだろう。このファーンの大地を、どこまでも。

永久の友へ・終

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