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白い猫
 そのお客さんは、とても変わった方でした。
 夜更けに突然尋ねてきたと思ったら、我が家に伝わる遊戯盤の駒を譲って欲しいと言ってきたんですもの。
「驚かせてしまってすまない、お嬢さん。私はその駒を捜して世界中を旅しているのだ」
 そう言いながら兜を脱げば、ふわりと零れる豊かな赤い髪。無骨な戦士と思いきや、お客さんはとても美しい女の人でした。
 降り続く雨にすっかりずぶ濡れの彼女を軒先に立たせておくのは申し訳なくて、慌てて暖炉の前へ案内すると、彼女はしきりと恐縮しながら濡れた外套を脱ぎ、重々しい武具を取り去って、勧めた毛布に包まりました。
「面倒をかけてすまない」
「いいえ。どうせ私一人ですから、遠慮なさらないで下さい」
「なんと、この広い家にお嬢さん一人とは、些か不用心ではないか? いや、突然押しかけた私が言うことではないのかもしれないが……」
 きまりが悪そうに頬を掻く彼女は、とても真面目な人なのでしょう。
「大丈夫です。この辺りには山賊も出ませんし、そもそも持っていかれる財産もありませんから」
 かつてはこの辺り一帯を治める地主だった我が家もすっかり没落して、今ではこの古びた家が残っているだけ。
 それでも、たくさんの思い出が詰まったこの家を離れられないのだと話すと、彼女はなるほど、と頷いて言いました。
「守りたい思い出、か。実は私も、それを探して旅をしているんだ」
 そうして、彼女は淡々と、これまでの旅路を語ってくれました。
 西大陸から始まって、五大陸を巡る駒探しの旅。かれこれもう五年も、そんな旅を続けているというのです。
「どうして、そんなに辛い旅を続けているんですか?」
 たかだか遊戯の駒のために、時には命を賭して旅を続けるなんて、私には到底考えられないことです。
 私の問いかけに、彼女はそうだなあ、と腕組みをして、しばし考え込んでいました。
「それが私の使命だから、と言ってしまうと漠然としすぎているから……。そう、大切な家族を、失われた時間を取り戻すためかな」
 どこか寂しそうな横顔に、それ以上のことを尋ねるのは憚られて、私はそっと彼女を手招きすると、寝室に向かいました。
 粗末な寝台しかない殺風景な寝室の窓辺に、私が生まれる前から飾ってある駒。
 尻尾の先だけが茶色い白猫は、小さい頃から私の友達であり、遊び相手でした。
 かつて地主だった曽祖父のもとに持ち込まれたという駒。
 『来たるべき時が来るまで家宝として大切にするように』という不思議な家訓を、もう誰も気にしてはいなかったけれど、伸びをする猫の姿が可愛くて、生活が苦しくてもこれだけは手放せずにいました。
 でも、この優しい瞳の女戦士さんなら、きっと大事にしてくれる。何故だか分からないけれど、そう思ったのです。
「お探しのものは、これですか」
「ああ……間違いない。ビアンカだ」
 その時、分かったのです。言い伝えられていた『来たるべき時』とは、まさに今この瞬間であると言うことを。
「どうぞ、お持ち下さい」
 そっと手に取り、差し出そうとした駒が、するりと手から零れ落ちました。落ちる! と思った瞬間、駒はまるで本物の猫のようにぴょんと飛び跳ねて、待ち構える彼女の手のひらに納まったのです。
「おかえり、ビアンカ」
 愛しそうに駒を撫でる彼女の、その嬉しそうな横顔を見たら、何だか荷が下りたような、そんな気持ちになりました。
「ありがとう、心優しいお嬢さん」
 深々と頭を下げ、そして再び旅立っていった赤毛の女戦士。その颯爽とした後ろ姿は、まるで伝承に出てくる勇者のようでした。


 やがて、風の噂に彼女の活躍を聞きました。
 戦場を駆ける赤い髪。戦女神と讃えられる女戦士の傍らには、いつも白い猫がいるそうです。
 主人の元を決して離れず、時には敵の罠を見抜いたり、囮になって主人を助けたりするという、不思議な白猫。
 その噂を耳にするたび、思うのです。きっとその猫は、私の家にいたあの子なのだと。
 きっと今頃、赤毛のご主人の足元で伸びをしているだろう白猫は、私のことを覚えてくれているでしょうか。
 いつかまた、かの女戦士に出会うことがあったなら、きっと尋ねてみようと、そう思うのです。

白い猫・終わり


2010.11.14 同人誌『御伽噺』のおまけ掌編として掲載/2016.03.26 サイト掲載


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