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novel:seeds / illustration:KaL

 カリカリ カリカリ

 扉の外から聞こえてくる物音に、小さく溜息をつく。
「……なによ。ここにはあなたのご飯なんてないわよ」
 そうぼやきつつも扉を開けてやったのは、相手が思いのほか強情で、構ってやらないと梃子(てこ)でも動かないことを、この数日で嫌というほど思い知っているからだ。
 細く開いた扉の隙間から、するりと体を滑り込ませてきたのは、夜空のような毛並みの猫。子猫特有の青い瞳が、じっとこちらを見上げてくる。
「ドーリスもロロもいるのに、なんで私のところに来るのよ――『ミア』」
 その名前を呼ぶたびに、脳裏に蘇る『声』。
 『可愛いミア』『愛しいミア』『私の砂糖菓子ちゃん』――そんな呼びかけに、無邪気に喜んでいた『末っ子のエレンミア』は、ここにはいない。
 ここにいるのは冒険者の『キーラ』。人が良すぎる仲間たちを「しっかりして!」と叱り飛ばすのが日課となりつつある、駆け出し冒険者パーティーの一員だ。
 故郷を飛び出し、“導きの港”ハーヴェスの冒険者ギルド支部《七曜星》に登録してから随分経った気もするけれど、成り行きでパーティーを組んだ仲間たちとの日々は思いのほか忙しなく、過去を振り返る暇もなかったし、振り返るつもりもなかった。
 ――その《七曜星》に迷い込んできた子猫に、仲間の一人が『ミア』という名前をつけるまでは。
「まったく、ロロったら。なんであなたにその名前をつけたのかしらね」
 無邪気に懐いてくる子猫にそう尋ねたところで、答えなど返ってくるわけもなく。代わりに、ゴロゴロと嬉しそうに喉を鳴らされてしまって、しょうがないわねと苦笑を漏らす。
「あなた、本当に野良猫なの? 警戒心がなさ過ぎじゃない?」
 ひょいと抱き上げて膝の上に乗せてやったら、嬉しそうに丸くなったので、その艶やかな毛並みをそっと撫でる。毎日丁寧に(くしけず)られている黒い毛皮は、まさに極上の天鵞絨(ビロード)だ。
「下に行けば、あなたを構ってくれる人なんていくらでもいるでしょうに。わざわざ私のところに来るなんて、本当に変わった子ね」
 子猫が迷い込んできてから十日あまり。ギルドマスターをはじめ、強面の冒険者たちがこぞって子猫を構っている、というおかしな光景も、すっかり見慣れてしまった。
 ここまで人懐こいということは、恐らくは飼い猫なのだろう。店の外に『迷い猫を保護しています』の貼り紙をしているが、飼い主の情報は一向に集まらない。
 気づいたら名前までついており、このまま《七曜星》の看板猫に納まるのも時間の問題だろうが、そうなると、キーラとしては些か複雑な心境だ。
「その名前は捨てたはずなのに、呼ばれると無意識に反応してしまうのよね」
 ギルドマスターは照れがあるのか、あまり名前では呼ばないが、姿を見かけるたびに「ミアちゃん、今日もかわいいねえ」「あらー、どうしたのミアちゃん」などと声をかける筆頭が、よりによって冒険仲間のロロとドーリスなものだから、このままではうっかり返事をしてしまいそうで怖い。
 仲間たちには、実家のことは話していない。話したところで今の自分が変わるわけでもないし、きっとこの仲間たちは『キーラ』が何者だろうが態度を変えないだろう。そう思えるほどには、互いに信頼関係を築けていると思う。
 だから、これは自分自身への戒めであり、けじめだ。
「いい? 私はキーラ。キルヒアの神官で、《七曜星》所属の冒険者。『可愛いミアちゃん』の渾名(あだな)(つつし)んであなたに進呈するから、大事にしなさいね」
 こつん、と額を擦りつけ、自身に言い聞かせるように呟けば、神妙な顔で「みゃっ」と鳴かれてしまった。



「ふふ、分かっているのかしら。まあいいわ。ほら、一緒に下へ行きましょう。なんだかさっきから騒がしいし」
 定宿にしている《七曜星》は、一階が食堂兼酒場、二階が宿泊施設という、典型的な『冒険者の店』だ。日中は所属の冒険者が新たな依頼を受けに訪れたり、待ち合わせがてら食事や買い物をしに来たりと、何かと人の出入りが多い。なお、床が薄いので階下の騒ぎは筒抜けだ。
(そういえば……今日はキリトたちが戻ってくる予定だったわね)
 《七曜星》の冒険者は固定のパーティーを組まず、その時に居合わせた面子(メンツ)で依頼を受けることが多い。ここ数日はたまたま戦士系が出払っていたのだが、彼らが戻ってきたなら、そろそろ次の依頼を受けてもいいかもしれない。
(『賢姫』キーラとして名を馳せるためにも、着実に依頼をこなして、経験を積まなきゃね!)
 決意を新たに立ち上がろうとしたその時、子猫がピクリと耳を動かした。おや、と思った次の瞬間、パタパタと階段を駆け上がってくる足音が聞こえてきたので、わずかに身構える。
「キーラさん、ちょっといい?」
 控えめに扉を叩きながら、そう扉越しに尋ねてきたのは、冒険仲間のアルバだった。
 キリトやラズロと共にハーヴェスを離れていたアルバがこうして戻ってきているということは、階下の騒ぎは彼らで間違いないだろう。
 咄嗟に子猫を抱き上げて立ち上がれば、彼女はするりと腕の中から抜け出して、すとんと床に着地した。どうやら存分に甘えて満足したのだろう、そのまま扉に向かって歩き出したので、先回りして扉を開けてやる。
「お帰りなさい、アルバ。無事で何よりだわ」
 扉の向こうで立ち尽くしていた白い毛並みのタビットは、隙間から飛び出してきた子猫に驚きつつも、嬉しそうに長い耳を揺らして応えた。
「うん。ただいま、キーラさん。大成功、とまでは行かなかったけど、なんとかみんな怪我もなく戻って来られたよ! ……ええと、モフる?」
 唐突な申し出に、パチパチと目を瞬かせる。その魅惑の毛並みにふらふらと吸い寄せられる者が多いせいで「一モフ一ガメルですからね!」が口癖のアルバが、自らそう口にするのは極めて珍しいことだ。
「……どうして?」
「キーラさん、なんだかちょっと元気がないみたいだから。今なら特別にタダでいいよ。他の人には内緒ね」
 ぱちりと片目を(つむ)ってくる、そのぎこちない仕草に思わず吹き出してしまってから、ありがとう、とそっと手を伸ばす。
「じゃあ、ちょっとだけ。ふふ、アルバの毛並みはふわふわね」



「あの猫ちゃんにも負けてないでしょ。ところであの子、ここで飼うってホント?」
「まだ決まったわけじゃないわよ。でもマスターは結構乗り気みたい。ロロが名前までつけちゃったし」
「そっかあ。まあ、あの子がずっと居てくれれば、ロロさんは私より猫を構うだろうから、私としてはありがたいかな」
 とにかく可愛いものが好き、と公言して憚らないピンク髭のドワーフは、無意識にアルバをモフる癖がある。アルバの口癖もそこから生まれたようなものだ。
「飼い主が名乗り出てこなければ、の話だけれどね。ところでアルバ、私を呼びに来たんじゃないの?」
「あっ、そうだった! 大変なんだよキーラさん。さっきマスターに帰投の報告をしたら、新しい依頼の話をされたんだけど、それでドーリスさんとラズロくんが揉めちゃって」
 その言葉を裏付けるように、階下から仲間たちの言い合う声が響いてくる。『前金』や『成功報酬』といった単語が聞き取れるので、依頼内容と報酬が釣り合わないのか、それとも依頼そのものに不審な点があるのか。
「ラズロくんが『そんな怪しい依頼、前金が出ないなら到底請けられないっス!』って引かなくって、膠着状態なんだ」
 トホホ、と溜息をつくアルバの頭を一撫でし、よし、と拳を握り締める。

「まったく、仕方ないわね! みんな、いい大人のくせに、私がいないとダメなんだから!」

 己を鼓舞するように、そう言い放って。
 そうして、キーラは軽やかに階段を駆け下りると、賑やかな酒場にその身を投じたのだった。

* * * * *

 橙色のランプに照らされた店内。
 窓際の一角では、ドワーフの神官戦士が巧みに操る猫じゃらしに、大興奮でじゃれつく子猫。そんな様子を遠巻きに見つめていたナイトメアの槍使いが、意を決したように子猫へと手を伸ばしたかと思えば、鋭い一撃をお見舞いされて、しおしおと席に戻っていく。
 飴色のカウンターでグラスを磨く赤髭のマスターに食ってかかっているのはリカントの軽戦士。その隣には、図鑑片手に声をあげているエルフの魔法使いと、二人の頭越しに依頼書を覗き込んでいる巻き髪の格闘家。
 奥の席で堂々と昼寝をしている付け髭のドワーフとリカントの密偵は、あとできっちり叱っておくとして。

「ちょっと、あなたたち! 何を騒いでるのよ!」

「キーラさん、いいところに! 見てくれよこの依頼! どう考えても怪しいっしょ!」
「確かに怪しいけれども、この依頼書を見る限り、かなり珍しい魔物が出るみたいなのよ。後学のためにも見に行きたい! 戦いは任せた!」
「困っている者がいるのならば、我が拳を振るうことに異存はないのだが」
「あいたたた……。ああ、キーラどの! 先程あの《漆黒の天使》が、余の手に稲妻の如き《刻印(きず)》を……!」
「おお、よしよし。腹が減ったのか? 特製の猫まんまをあげようねえ」
「ロロどの、ずるい! ああ、なぜ余は見向きもされぬのだ……」
「……キリト氏は触り方が良くないんだと思うなあ」



「ああもう、いっぺんに喋らない!!」





 冒険者ギルド支部《七曜星》は、今日も賑やかだ。
しろがねの少女と青い目の猫・おわり


 T-RPG仲間の廉さんのお誕生日をお祝いして開催されたwebオンリーイベント『REN☆SEI 2025 ~廉価版なんて言わせない!~』にサークル参加させていただき、サプライズで発表した小説です。
 KaLさんからお誘いを頂き、ソードワールド2.5のシナリオでご一緒させていただいたキャラクターを全員出す! を目標に頑張りました。
 当日は画像で展示&Privatter+で公開したんですが、折角なのでサイトにも上げさせてもらいました!
 挿絵は勿論KaLさんです! こちらも全員描いてくれてありがとう~!! 
2025.03.05


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