「幽霊船を探してるんだ」
場末の酒場にはそぐわない、凜とした声。
まっすぐに見つめてくる瞳はルビーのように紅く、ギラギラと力強い輝きを放っている――ような気がした。なんせこっちは酔っ払いだ、多少の過剰表現は大目に見て欲しい。
「貴方は腕利きの船乗りだと聞いた。金さえ払えばどこにだって運んでくれると」
おいおい、誰だよ。こんな坊やにそんな与太話を吹き込んだのは。いやいや、確かに俺は腕利きの船乗りだ。船も古くて小さいが、速さなら誰にも負けやしない。――燃料を買う金があれば、の話だが。
「僕は幽霊船を探して、そこに辿り着かなければならないんだ」
幽霊船、と聞いて、真っ先に脳裏を過ったのは『荒れた海を漂うボロボロの帆船』だったが、生憎とここは衛星軌道上の中継港で、スクリーンに映し出されているのは漆黒の宇宙空間だ。
「幽霊船ね。そんなの、《サルガッソー》に行きゃいくらでも見られるだろ。もっとも、次はてめえの乗ってる船が幽霊船になりかねないがな」
かつて地球の海洋には、船舶の墓場と呼ばれる『魔の海域』がいくつも存在したらしいが、宇宙にも似たようなものは山ほどある。星すら飲み込む《大食漢の黒穴》、蛇のようにうねる小惑星帯《蛇骨流》、複雑怪奇な進路を取る彗星群《星墜とし》など、有名どころは山ほどあるが、中でも近年脚光を浴びているのが、通称《サルガッソー》――宇宙船の墓場だ。
「話が早いな、船長! そう、僕は《サルガッソー》を目指しているんだ」
おいおい、でかい声で妄言を吐くな。ほら見ろ、回りの視線が痛いじゃねえか。
「声を落とせ、坊主。ここは大人の社交場だ。お子様がはしゃいでいい場所じゃない」
「おっと、これはすまない」
素直に声を潜め、ついでに(勧めてもいないのに)向かいの席に滑り込んで、その少年――どう見積もっても十五才を超えているようには見えないから、少年で十分だろう――は、ぐっと身を乗り出した。
「伝説の宇宙海賊《隻眼のフェルナンデス》が根城にしていたという《魔の宙域》。そこに、フェルナンデスの船があるんだ」
確かにそんな噂は聞いたことがある。何せフェルナンデスの船は宇宙軍に追われて《サルガッソー》に逃げ込み、そのまま消息を絶っている。《サルガッソー》の中で息絶えたのか、それとも密かに逃げおおせた後なのか、真相を知る者はいない。
ただ、いつの頃からか、こんな噂が囁かれるようになった。曰く――『《サルガッソー》を漂う幽霊船には、彼の遺した宝が眠っている』と。
その噂を鵜呑みにして《サルガッソー》を目指した命知らずは数知れず。そして帰ってきた者は、俺が知る限りは一人もいない。
「僕はその船に辿り着かなければならない」
――そう、引っかかるのはここだ。「船を見つけたい」でも「船に眠るお宝を探したい」でもなく、あくまで「船に辿り着く」ことが目的だと、この少年は言っているのだ。
「辿り着いて、どうする?」
「確かめなければならないものがある」
何やら決意を秘めた瞳で虚空を見つめる少年。まあ、訳ありなのはよく分かった。分かった、が。
「生憎だが、ヤバい仕事は受けないと決めてるんだ」
「なにがヤバいんだ?」
さも不思議そうに首を傾げる少年。
「僕はごく普通の一般人だし、報酬はきちんと払う。船長は僕を《サルガッソー》まで連れていってくれるだけでいい。片道でいいんだ、楽な仕事だろう」
「おい待て。なんで片道なんだ」
「? 帰りはフェルナンデスの船に乗ればいい」
「動くと思ってんのか!? 相手は幽霊船だぞ?」
「動くさ」
即答する少年。一体何なんだ、この根拠のない自信は。
「だって、僕は呼ばれたんだもの。『彼女』直々にさ」
すいと差し出された携帯端末の画面には、何とも素っ気ないメッセージ。
『魔の海で、貴方を待ってる。 ――ベアトリーチェ』
宇宙を翔ける最速の船。白き翼のベアトリーチェ。それは――フェルナンデスが愛した船の名だ。
「僕は彼女に会いに行く。それには船長の助けがいるんだ。もう一度言う。僕を《サルガッソー》まで連れて行ってくれないか。報酬は弾む。迷惑は掛けない」
一体お前は何者なんだとか、その金の出所はどこなんだとか、そもそもそのメールはいくらなんでも怪しすぎないかとか、言いたいことは色々あったが。
宝の地図を目の前にしたような、その煌めく瞳を見つめてしまったら、もう文句を言う気も失せた。
「……報酬は前払いで頼む」
そろそろ係留料金も馬鹿にならなくなってきた。どのみち出港しなければならないのなら、あてもなく彷徨うより、多少なりとも小銭を稼げた方がいいに決まっている。
「契約成立だな! よろしく船長!」
かくして、俺は訳あり少年の冒険に、少しばかり手を貸す羽目になったのだった。