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新たなる研究課題
 ほんの気紛れで拾い育てることにした子供は、読み書きが出来ないばかりか、食事の作法さえ知らなかった。まあ、その程度のことを教え込むなど、賢者と謳われる私にとっては造作もない。問題は――。
「よし、今日はここまでにしよう」
 鐘の音を合図に本を閉じれば、おどおどと問いかけてくる子供。
「次は何をしますか?」
「言っただろう、ここはお前がこき使われていた屋敷とは違う。食事と勉強の時間以外は遊んでいていいのだよ」
「でも先生。『遊ぶ』って何ですか?」
「うむ。難しい質問だ」
 その概念すら持たずに育ってしまった子供と、研究三昧で生きてきた私。我々にとってそれは未知の分野だ。
「よし、では二人で研究してみようか」
「はい!」
Twitter300字ss」 第四十二回「遊ぶ」


 今回より、ブログで発表→サイトに転載ではなく、直接サイトに載せることにしました(^^ゞ
 「遊ぶ」というお題でかなり苦しみまして、しまいには「遊ぶって何だ!?」というところまで行きついたあたりで、ふとこんなお話を思いつきまして(^^ゞ
 それまでずっと虐待に近い扱いを受けてきた子供を拾って育てることになった賢者サマ。だけどこちらも研究に心血を注ぐ人生を送ってきたおかげで、「遊ぶ」という行動(感覚?)が欠如しているという体たらく。
 真面目に「遊ぶ」について研究しはじめた二人は、一体どんな結論に行きつくんでしょうね(^^ゞ
2018.05.05



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