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KK的幸福論
 二学期最初の登校日、生徒のテンションは両極端だ。
 夏休み明けでハイになっているか、徹夜で宿題を終わらせてヘロヘロになっているか、大体この二パターンに分かれる。
 三年の二学期ともなると、例年よりは後者の割合が増えているようで、まあ受験生だからな、と納得もしたのだが。
「おはよー……」
 いつもならば確実に前者であるところの級友・菊池がどんよりとした顔で現れたのは、かなり予想外だった。
「どうした菊池。徹夜明けか?」
 いつもなら、『間に合わないものは間に合わない!』とあっさり諦めてがっつり八時間寝る男だ。徹夜で宿題を終わらせるようなタイプではなかったはずなのだが、さすがに高三ともなると、多少は勉強に対する意識が変わるものなのだろうか。
「見てくれよ、岸。一週間くらい前に、こんなんもらっちまってさあ」
 憔悴しきった顔で鞄から取り出したのは、一枚の葉書。
「なになに……? 『これは不幸の手紙です』……?」
 今時。
 何の捻りもない文章で。
 しかも手紙ですらなく、数年前の年賀葉書ときた。
「暇人の悪戯だ。捨てろ」
 差出人など書いてあるはずもないが、消印を見る限り同じ市内で投函されている。夏休みで暇を持て余した誰かが、昔の住所録でも引っ張り出してきて、古典的な嫌がらせをしただけだろう。
 もしかしたら今まさに教室のどこかで、菊池の憔悴ぶりを眺めてほくそ笑んでいるのかもしれないが、犯人捜しをするだけ時間の無駄だ。
「不幸は伝染性のものじゃない。呪いなんて非科学的だ」
「いやー、さすがにオレだってそのくらい分かってるよ? 分かってるけどさあ。実際こういうの受け取ると、意味もなくへこむもんだなー」
 テンション上がらねー、と机に懐く菊池を見ていると、『不幸の手紙』も案外利き目があるのかもしれない。
 不幸になるぞ、と断言することで相手を動揺させ、ミスを誘発することが出来れば、それは『手紙の効力』になってしまうわけだ。
「それ受け取ってから、腹は壊すわ、部屋の扇風機は壊れるわ、自転車は盗まれるわ、マジ不幸続きでさー」
 まあ、ヤツの生活態度から推察するに、冷たいものの食べ過ぎ・扇風機を酷使しすぎ・自転車の施錠忘れ、といったところだろうが、立て続けに起これば堪えるだろう。
「夏休みの宿題も終わらなかったし」
「それはいつものことだろう」
「ハハハ」
 笑い声にも力がない。これは一大事だ。
 思い人にこっぴどく振られようが、テストで一桁台の点数を取ろうが、一晩寝ればすっきりさっぱり忘れるような男が、一週間前に届いた『不幸の葉書』でここまで萎れてしまうなんて、一体誰が想像するだろうか。
 まあ、ヤツがどれだけ悄気(しょげ)ていようが、宿題を提出せず先生に絞られようが、俺には関係のないことではあるのだが。
 結局のところ、放課後になっても菊池のテンションは回復せず、漏れ聞こえてくるのは軽口ではなく溜息ばかり。
 溜息をつくと幸せが逃げる、なんて言葉があるが、今の菊池はまさにそんな状態だ。マイナス思考、負の連鎖。このままでは「宿題をやる気が起きない」が始まって、「宿題が終わらないなんて、やっぱりオレは呪われてるんだー!」に発展するのは目に見えている。
「宿題の再提出、月曜日までだって。終わる気がしねえー!」
 そこはむしろ、始業日が金曜だったことに感謝するところではないだろうか、というツッコミは、どうせ聞き流されるので止めておいた。
「なーなー岸、今日の放課後、暇?」
 すがるような目でこちらを見るな。
「……生憎と今日は予定がある。その代わり――」
「その代わり?」
「予言してやろう。明日、お前にいいことが起きる」


「おっはよー!」
 週明けの月曜日。元気な声を響かせて登校してきた菊池は、弾むような足取りで自席へ辿り着くなり、鞄から一枚の葉書を取り出した。
「見てくれよ岸ー! これ! 『幸福の手紙』だって!」
 金魚の柄が目にも涼やかな、夏のおたより郵便葉書。でかでかと記された『これは幸福の手紙です』という文字は、明らかにパソコンで印刷されたものだ。
「『これは幸福の手紙です。受け取った貴方には、小さな幸せが訪れることでしょう。なお、同じ文面を周囲に広める必要はありません。笑顔が連鎖するように、幸せもまた、自然と広まっていくものだからです』だってさ。なんかよく分かんねーけど、これを受け取ったオレってば、めっちゃラッキーボーイってことだろ?」
「まあ、そうだな」
 幸福と幸運は似て非なるものだが、そこを追求するのも野暮というものだろう。しかし……もう少し簡潔な文章にすれば良かったか。
「周囲に広める必要はないんだろう。わざわざ俺に見せなくても良かったんじゃないか」
「だって、楽しいことは共有したいじゃん」
 難しいことは分からないと言いつつ、時折こうして真理を突いてくるから、この菊池という男は恐ろしいのだ。
「これ、くじつき葉書だろ。調べたら当たってたんだ、切手シート。すっげーだろ!」
「ほう。そいつは想定外だったな」
「ん? 何か言ったか?」
「いいや、なんでも」
 リアルラックと言ってしまえばそれまでだが、きっとヤツの落ち込みように驚いた神様か何かが、ちょっとした奇跡を起こしてくれたのだろう。
「おかげで宿題も無事終わったし、扇風機も修理から戻ってきたし」
 小さな幸せを指折り数えて、えへへと笑う菊池。
「つーわけで、岸にも幸せのお裾分け!」
 ほいよ、と手渡されたのは、昇降口の自動販売機で買ったであろう紙パックのジュース。こちらの好物を選んでいるあたりが心憎い。
「どういう風の吹き回しだ」
「幸せだと、無性に善行を積みたくなるんだよ」
 やれやれ。分かっているのか、いないのか。
 まあ、どちらでもいいか。
「ありがたく頂こう」
 ホームルームが始まる前に、急いでストローを突き刺す。
「うん。幸せの味だな」
「だろー」
KK的幸福論・終わり


 テキレボアンソロ「手紙」に寄せた作品。「手紙」と聞いて真っ先に「不幸の手紙」が出てきたのですが、ネタ被りするかと思ったら意外と少なかったですね。
 珍しくへこむ菊池君のために、岸君が珍しくお節介を焼くお話。タイトルは当初「不幸の手紙」だったのですが、出オチにもほどがあるだろうと思って変更しました。


(初出:テキレボアンソロ「手紙」/2020.11.30)
2021.05.19



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