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「ちなみに、和臣はこの四年後に病死している。文と同じように風邪をこじらせてね。独身のまま亡くなったので、家督は弟の正臣が継いだ。私は、その正臣の来孫、にあたるのかな」
 まるで見ていたかのような語り口は、香澄の文学的才能から来るものではない。そう直感した。
「書斎にいるのは、その和臣さんなんですね?」
 当主以外立ち入り禁止の書斎。文が知らない幽霊。なぜ秘匿されているのかは、何となく想像がついた。
 地縛霊となった文の未練は『落ち葉を掃き清めること』。主に怪我をさせる原因となった落ち葉を庭から駆逐したい。そんな思いが彼女を現世に留めている。
 その『主』まで幽霊となって屋敷に残っている、と彼女が知ったら、それはそれでまた事態がややこしくなる。
「その通り。おばあさまから、一度は直接会って話を聞いておけって言われてね」
 実のところ、香澄は小さい頃にこっそり書斎へ忍び込んで、和臣と話をしている。あの頃は幽霊と人間の区別があまりついていなくて、親戚のおじさんか何かだと思い込んでいた。
 話を聞いているうちに、彼が幽霊であると気づいてしまい、怖くなって逃げた。その夜は熱を出して寝込んでしまい、祖母が一晩中付き添って看病をしてくれた。
 その時、夢うつつに聞いたのだ。あそこにいるのはかつての当主・和臣であること。そして、深い悔恨が彼をこの屋敷に縛り付けているのだと。
「もう一つ、面白い話をしてあげようか。実は文さんの霊が現れるようになったのは、亡くなった直後じゃないんだ」
「え?」
 これは意外だった。文さんの未練を考えれば、翌日から庭を掃いていてもおかしくないのに。
「文さんが庭を掃くようになったのは、和臣が亡くなった後からだ」
 当時、和臣の祖父母は亡くなっており、ちよも体を壊して退職していたから、屋敷には和臣しかいなかった。その和臣もほとんど会社に泊まり込むような生活で、屋敷にはろくに戻っていなかったらしい。
「和臣の葬儀から半年ほど経って、ようやく諸々整理がついた弟の正臣が屋敷に戻ってきた時、彼が最初に目撃したんだよ。生前と変わらない姿で庭を掃く文さんの姿をね」
 親戚の家で暮らしていた正臣にも、文が亡くなったことは知らされていた。それなのに、かつてのように庭掃除をしていた文は、やってきた正臣に笑顔で「お帰りなさいませ」と声をかけたという。
「……驚いたでしょうね、正臣さん」
「驚いたというより困ったらしいよ。ほら、うちは元々、悪霊払いを生業としているって言ったでしょ。正臣が預けられていたのは、その『祓い屋』をメインでやってる親族の家でね。正臣も生まれつき霊感が強かったから、半分は修行のために預けられたようなものだ」
 つまり、祓い屋としての力をつけて戻ってきたら、顔馴染みが幽霊となって出迎えたわけだ。それはもう、困るどころの話ではない。
「まあ、文さんは『悪霊』じゃないからね、無理に祓う必要もないし、家事の手が足りなかったから、そのままいてもらうことにしたらしい。むしろ、頭を悩ませたのは書斎の方だろうね」
 荒れ果てた屋敷の奥、かつて兄が自室のように使っていた書斎を整理しようと襖を開けたら、そこに泣き顔の幽霊が居座っていたのだ。弟としても、祓い屋としても、勘弁して欲しい案件だ。
「問答無用で祓おうとしたらしいから、よほど悪霊じみていたんだろうね。幽霊屋敷の噂もこれが原因だ。無人の屋敷からすすり泣く声がする、井戸端で呻く人影を見た……。ほら、当てはまるでしょ」
「ちょっと待ってください。でもその頃、文さんの幽霊も屋敷にいたんですよね?」
 それなのに文が和臣の存在を知らないのはおかしい。
「そこさ。タイムラグがあるんだよ。先に化けて出たのは和臣の方だ(・・・・・・・・・・・・・・)
 つまり。和臣が亡くなり、成仏することなく屋敷に居残り続けた。当初は書斎にこもるわけでもなく、庭などにも出ていたらしい。その辺で近所の人間に目撃されて、『幽霊屋敷』の噂が生まれた。
 やがて和臣は書斎にこもるようになり、その後に文がひょっこり姿を現した。
 文は庭に執着し、ひたすらに落ち葉を掃くようになる。
 そして、そこに正臣が帰ってきた――。
「……おかしくないですか。なんで文さんは、亡くなって四年も経ってから現れたんです?」
「そう、それだよ」
 飲み終わった紙パックを握り潰し、香澄はふう、と息を吐く。
「文さんに聞いても、よく分からないって言うんだ。気づいたら庭にいて、あまりの荒れように居ても立ってもいられず、思わず掃除をしていたんだって」
 最初は箒が持てずに苦労したらしい。掃除がしたい一心で念力を習得したのだから、そのど根性には頭が下がる思いだ。
「ちなみにね、文さんは例の書斎、なぜか分からないけど怖くて近づけないんだってさ。だから彼女は和臣がいることを知らないし、歴代当主もあえて触れないようにしてた。書庫を立ち入り禁止にしたのは、うっかり下宿人が入らないように、という正臣の配慮だね」
 一時期は受け入れをやめていた学生向けの下宿も、正臣の代で復活した。それも昭和後期には下宿生が集まらなくなり、最終的には幽霊つきアパートに方向転換したわけだ。
「……つまり、和臣さんは地縛霊ってことですか?」
 未練があってその場に留まっているのなら、分類上は文と同じだろう。
「うん。正真正銘の地縛霊だよね。自分のせいで文を死なせてしまったこと、そして最期に立ち会えなかったことを、彼は未だに悔やみ続けている。過去に戻ることは出来ないんだから、彼の悔恨は決して消えることはない。悪循環もいいところだ」
 それでも、問答無用で祓ってしまわなかったのは、正臣の温情なのだろう。
「あれ? でも、それって和臣さんが文さんと会えば解決するんじゃないですか?」
 かつては伝えられなかった思いも、何の因果かこの世に留まり続けている同士なら、存分に伝え合える。むしろ、そのためにこそ彼らは、この地に留まっているのではないのだろうか。
「そう思うだろう?」
 ぐぐっと身を乗り出す香澄の、その目が据わっている。
「言ったさ! 文さんと直接会って話せばいいって。私だけじゃない、歴代当主が口を酸っぱくして説得してるのに、当の本人が『文に合わせる顔がない』の一点張りなんだ。どんな顔で会えばいいのか、何と言ったらいいのか分からないんだと。そんなことを悩み続けて、もう百年だ。気が長いにもほどがあるよ」
 打つ手なしさ、と大げさに肩をすくめて、さあてと席を立つ。
「……以上が、幽霊屋敷の真相ってやつさ。くれぐれも他言無用に願うよ。貴子さんとか、聞いたら書斎に殴り込みかねないからね」
 歩きかけてピタリと立ち止まり、それに、と付け加える。
「君に話を振ったのはどうせ道端さんだろうけど、彼にも詳細は伝えなくていいさ。はぐらかされた、と答えておけばいい」
 どうせ彼のことだ、ある程度は把握してると思うからね、という香澄の言葉に、思わず苦笑を漏らす。彼ならそれもあり得そうだ。分かっていて敢えて、侑斗をけしかけたのだろう。半分は興味本位、もう半分はお節介、といったところか。
「分かりました。道端さんには適当に言っておきます。あの、でも……なんで教えてくれたんです?」
 この話の対価が夏祭の手伝いというのは、あまりにも釣り合わない気がする。
 信用に足る相手だと思ってもらえているのなら嬉しいが、果たして自分は、この信用に応えられるほどの存在なのだろうか。
「なに、私一人で抱えるには、ちょっと重すぎる内容だからさ。誰かに聞いて欲しかったんだ。君はちょうど、飛んで火に入る夏の虫……じゃなかった、渡りに船だったと言うことだよ」
 さらりと酷いことを言われた気がするが、要するに、秘密を共有する相手としては及第点、というわけか。
「祖母は世界中飛び回ってて帰ってこないし、道端さんはあの通り胡散臭いし、この話だけは文さんに相談するわけにも行かなくて、ちょっと持て余してたんだ」
 だから、と楽しげに笑って、ぱちりと片目をつむる。
「今度、和臣さんを説得しに行く時は、援護射撃おねがいね♪」
 しまった。夏祭りの手伝いはあくまでフェイク、真の目的はこっちだったのか。
「なんせ、和臣さんときたら悪霊と見まごうばかりの『負のオーラ』を纏っててさ、一人で行くと気が滅入るんだよね。いやー、ほんと助かるなー」
 それじゃよろしくね、と手を振って、爽やかに食堂を去る香澄。今日はこれからバイトだと言っていたから、帰りは夕方だろう。
「課題が……増えたな……」
 すっかりぬるくなった紙パックのアイスココアを啜りつつ、携帯端末を取り出して夏祭の予定を入力する。
 バイトに課題に夏祭の手伝い。ついでに、大家からの共闘ミッションまで追加されて、今年の夏休みはなかなかに充実したものになりそうだった。

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