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 彼女が奉公していた当時の松来家当主・松来和臣は大層な庭好きで、敷地内に広がる野趣溢れる庭園も彼が整えたものだという。
 そんな和臣は丹精込めて作り上げた庭の散策を日課にしていたが、ある雨上がりの日に濡れ落ち葉で滑って足を怪我してしまい、しばらく杖での生活を余儀なくされた。そのことに責任を感じた文さんは、雨の日も風の日もせっせと庭掃除をしまくった挙句、風邪をこじらせて命を落とした。しかし、その思いは死してなお強く残り、彼女を縛る枷となったわけだ。
 以来、百年以上も落ち葉を掃き続けた文さんは、気付けば「自分の落ち度で主人に怪我をさせてしまった後悔」よりも「庭の落ち葉を完全に排除する」ことこそが未練となってしまった。
 文さんを不憫に思い、庭の落葉樹をすべて撤去しようと提案した者もいたそうだが、それは文さん自身に却下されたという。
「挑むことにこそ意義があるのです!」
 どこのアスリートかというこの発言は、今でも松来家の語り草になっている。

「……ええと、何の話をしていましたかしら? ああ、そうでした。未練の話でしたわね。いつまでもここにしがみついていては、皆さんにもご迷惑でしょうし」
 迷惑だなんてとんでもない。むしろ文さんがいてくれないと困る。そんな言葉を紡ぎかけて、ぐっと飲み込む。それは私の身勝手な思いだと、痛いほどに分かっているから。
「冬が来る前に、何としても達成してみせますわ!」
 固い決意を胸に、今この瞬間もはらはらと葉を落とす木々を見上げる文さん。
 長い年月を経て、いつの間にやら出来上がった『文さんルール』では「落ち葉がなくなる前に雪が降り積もって掃除そのものが出来なくなったらチャレンジ失敗」だそうで、暖冬の予報が出ている今年は確かにチャンスなのかもしれない。
「そうか。頑張ってね」
 彼女を解き放ってあげたい気持ちと、彼女が笑顔で出迎えてくれる日々がずっと続いてほしいと願う気持ちとの間で揺れながら、曖昧な笑みを返す。
 そんな私の思いを知ってか知らずか、文さんはとびきりの笑顔で「ありがとうございます」と頭を下げた。
「あ! そうでした。岡さんが、何か相談事があると仰ってましたわ」
「ああ、電子レンジの件かな? そろそろ壊れそうなんだって」
「ないと不便ですものね。あれは本当に文明の利器ですわ」
 こと家事に関しては人一倍勉強熱心な文さんは、現代のハイテク家電も華麗に使いこなす。ここは一発、植木屋さんが使っているような野外用掃除機の導入を検討してみるのも手かもしれないが、そんなことを提案してもきっと彼女は「自らの手で成し遂げてこそ」と言うのだろう。
 拳を固めて力説する文さんの姿が容易に想像できてしまい、思わずくすりと笑みが漏れる。
「香澄さん? どうかしましたか?」
「ううん。何でもない。じゃあ厨房に顔を出してくるよ。この時間ならもういるでしょ」
「ええ。今頃は仕込みの真っ最中ですわ」
 つまみ食いはいけませんよ、と子供のように注意されて、はあいと神妙に答えながら母屋の玄関を閉める。そうして『スープが冷めない距離』にある別棟『松和荘』の玄関へと向かいながら、ふと振り返れば、さっきまでそこにいたはずの文さんは、すでに次なる標的を定めて通路の彼方に消えていた。

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