「ごゆっくり」
レンの注文したコーヒーを目の前に置いて、ウエイターは優雅に一礼して去っていく。
「あ、どうも……」
今時人間が給仕を行うカフェというのも珍しいのだが、この《LUNA-01》ではごく当たり前のようだ。
しかし、給仕ドロイドが持ってくるよりもなにか趣がある。しかもとびきり美形のウエイターが運んできてくれるとなると、ただのコーヒーでも格別の味がしそうな気がする。
そのコーヒーを口に運びつつ、ふと腕時計に目をやるレン。
16:29。約束の時間まであと一分だ。
「まだかな……」
人を待っている時間というのは、なぜかいつもより長く感じるものだ。
と、カフェのドアが開いて、カラン、という涼やかな音が店内に響いた。
視線をドアに向けると、こちらに向かってスタスタと歩いてくる人物が目に入る。
肩で切りそろえた黒髪。後ろの一房だけは長く伸ばして三つ編みにしているようだが、そのしっぽのような三つ編みが彼女の歩調に併せてリズムよく揺れている。
白皙の肌に、まるで宝石のような緑色の瞳。長身ですんなりした体は、まるでモデルかなにかのようだ。
そんな彼女は周囲のテーブルから注がれる視線を完全に無視して、あっという間にレンの待つテーブルまでやってきた。
「座っても?」
落ち着いたアルトの声。しかしその中には、まるで艶めいた響きが感じられない。
「あ、ああ、どうぞ」
慌てて勧めるレンの言葉に頷いて、彼女は向かいのイスに腰掛けた。
電脳世界で出会った彼女と、さほど変わりはない。勿論現実の彼女の方がきれいで、生命感溢れているが。
昨夜。レミーによって引き合わされ、彼女を勧誘するという大役を押し付けられたレン。
なぜ《Shining k-nights》に入りたくないのかと尋ねるレンに、彼女は少々考えてこう言って来た。
「明日の16:30、学園内のカフェ『Crescent』で」
尋ね返す暇もなく彼女はその場でログアウトしてしまい、後には呆然とするレンと、肩をすくめるレミーが残される。
レミーはレンの肩を叩きつつ、
「ごめんね、彼女はああいう性格だから、気にしないで」
と慰めにもならない言葉を投げかけた。初対面の人間だから素っ気無いのではなく、誰に対してもあの調子なのだというが、それはそれで余計たちが悪い気もする。
「カフェ『Crescent』は大学構内の図書館近くにあるちっちゃなカフェだよ。それじゃ、頑張って説得してね」
にこやかに言うレミーに、慌てて食って掛かるレン。
「ち、ちょっと……。僕一人で行けって?」
「だって、お兄ちゃんに向かって言ってたでしょ?私も一緒に来いっていうならちゃんとそう言うもん。言わなかったってことは、お兄ちゃんと一対一で話したいってことだと思うよ」
どれくらいの付き合いか知らないが、レミーは彼女の思考パターンも熟知しているようだ。
「お願いね? お兄ちゃん」
そんな、目をきらきらさせたとびきりの笑顔でお願いされては、レンも嫌だとは言えなくなってしまう。
そしてなし崩しに交渉役を押し付けられたレンは、約束通りカフェ『Crescent』で彼女を待っていたのだ。
「いらっしゃいませ」
そつなく水とおしぼりを持ってやってきた先ほどの美形ウエイターに「水だけでいい」と告げて即座に下がらせると、改めてレンにまっすぐ視線を注いだ。
「えっと、あの……」
深い緑色の瞳は、見つめていると吸い込まれそうな不思議な感覚に晒される。
ましてこの美貌だ。見つめられると女性経験の少ないレンなどは思わずドキドキしてしまうのだが、
「わざわざ来てもらって申し訳ない。レミーの前であまり込み入った話をしたくなかったので」
さっぱりした口調が、そのドキドキを消し飛ばす。どうにも、変わった御仁であるらしい。
「まずは改めて自己紹介といきましょう」
そう言って、彼女は胸ポケットから一枚のカードを取り出し、レンの前に滑らせた。
「あ、どうも」
カードを手に取るレン。今時珍しい、紙で作られた名刺である。
「クラリス=綺堂さん……え、竹之内サイバー技術研究所の研究助手?」
綴られた文字を追っていたレンが驚きの声を上げるが、クラリスは悠然と頷いてみせる。
「まだ学生の身なので主だった研究には携わっていませんが、三年ほど前から籍を置かせてもらっています」
確か昨日、彼女はレンより年下だといった。竹之内学園は一貫して飛び級を認めているから、能力さえあれば五才の子供だろうと大学院に入ることが出来る。
それほど大げさな飛び級ではないにせよ、彼女はレンより年下、現段階では十代ということになる。
レンの驚きは顔に出ていたのだろう。クラリスは静かに、
「十六です。あなたより二つ年下になります」
と告げる。となれば、十三歳で研究助手になったことになる。
「土星のサイバー研究所育ちなもので、どうも単刀直入な物言いしか出来ません。気分を害されたら申し訳ない」
なるほど、この素っ気無い口調はそのせいなのか、と納得するレン。
「私に関してはこのくらいです。どうぞ」
促されて、レンはつい居住まいを正す。年下の少女だが、どうにも先生を前にしているような雰囲気がある。
「僕はレン・カイル=サレイ。火星のコロニー育ちで、この春からは竹之内学園大学文学部の一年生……ってところかな」
公に喋ることの出来る自己紹介といえばこの程度だ。第一、彼女が竹之内絡みの、さらに言えばレミー絡みの人物であれば、レンに関するあらゆるデータはすでに知られているはずである。
「それではレンさん、早速ですが……」
「あ、はい」
つい丁寧語になるレンに、クラリスは再び胸ポケットから何かを出して机の上に並べ出した。
どうやら写真のようだ。何かを撮った写真が五枚、レンの前にきっちり並べられる。
「あの……」
何事かと尋ねようとするレンをすっと片手で制し、クラリスは、
「私を説得するための条件です。この《LUNA-01》のどこかにあるこれら五つを、一週間後までに探し出して下さい」
とのたまった。
「……え?」
目を丸くするレンに、クラリスはなおも続ける。
「この五つのものを探し出せたら、あなたの説得に応じます。なお、レミーの手は借りないことを条件とします」
それでは一週間後の同じ時間に、と言い残して、席を立つクラリス。
そのまま、レンが何かを尋ねようとする前にスタスタと店を出て行ってしまう。
後には、呆然とするレンと机の上に並べられた五枚の写真が残された。
(……一週間で探せって? しかもレミーの手を借りないで……?)
一体なぜそんなことをさせられるのか、それを考える前に、レンは並べられた五枚の写真を手にとってみる。
その写真に映し出されているものは、陶器のお椀らしきもの、白い実をつけた木の枝、毛皮のアップ、水晶球を握る何か。そして極めつけに、茶色い斑点模様の正体不明の物体――。
これを、一週間で探し出せというのはあまりにも無茶な話だ。探せというからにはこの《LUNA-01》のどこかにあるのだろうが、ここへ来て三日目のレンには見当すらつかない。
しかもレミーの助けなしである。お手上げというしかない。
「くぅ~……」
頭が痛くなりそうだった。そもそも、なぜ自分がこんなことをしなければならないのか。
と。
pipipi
カバンの中から控えめな着信音が響いてきた。慌てて通信端末を取り出し、電話をとろうとしてハッと、ここが喫茶店であることを思い出す。
周囲を見渡すと、さっきまでそこそこいた客は大分減り、奥のカウンターでは先ほどのウエイターが客待ち顔でグラスを磨いていた。
レンの視線に気づいたのか、ウエイターはちょっと首をかしげ、彼の手に通信端末が握られていることに気づいたのか、そっと頷いてくれる。使っても大丈夫、ということか。
そう判断して、レンは通話ボタンを押した。と同時に、賑やかな声が耳に響く。
『あ、お兄ちゃん! クラリスの説得できた?』
「レミー、いやその……」
口ごもるレン。
『…駄目だったの?』
「いや、説得に応じるための条件を出されたんだけど……」
レミーに五枚の写真と一週間の期限、そして彼女の手助け禁止のことを話すと、彼女は意外そうな声を出した。
『へぇ~、あのクラリスがそんなもって回ったことしたんだぁ。嫌ならいやってはっきり言う人なのに、変なの』
そして、レミーはこう尋ねてきた。
『それで、お兄ちゃんどうするの?』
「どうするって……」
どうするもこうするも、探すしかない。そう言おうとするレンを遮って、レミーは続ける。
『お兄ちゃんが嫌なら、無理だって思うなら、やらなくていいんだよ?』
「それ、どういう意味?」
『だって、ただでさえレミーがお兄ちゃんに無理言って入ってもらったのに、これ以上面倒かけたくないし……』
参った。
(そう言われたら、やるしかないじゃないか)
基本的に「お人よし」属性のレンにとっては、気遣われることこそがやる気の原動力となることを、レミーは知ってそう言ったのか。
「……大丈夫、できるか分からないけど、頑張ってみるよ」
『ありがとう! お兄ちゃんなら、そう言ってくれると思った』
……やはりいいようにこき使われているような気がしてならないが、やるといった以上は後には引けない。
『困ったことがあったらいつでも言ってね。手助けはできないけど、相談に乗ることは出来ると思う』
「分かった。ありがとう」
そう言って通信を切る。そして、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、写真をカバンにしまって立ち上がった。
一週間。たった七日間で全部を突き止めることが出来るかどうかは分からないが、やってみなければ始まらない。
こうして、レンの最初の試練は幕を開けた。