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【2】


 世界は、常に危ういバランスで成り立っている。

 そのバランスを保つため、すべてのものはもう一つの側面を持ち、そして平衡を保とうとする。

『生』と『死』

『光』と『闇』

『善』と『悪』

 などと、数え上げたらきりがないが、中でも大きく分けられるものがある。

『正』と、『負』

 その対極にして表裏の『もの』を制御し、必要に応じて使い分ける。もしくは、その二つのつり合う

中間点を自ら見つけ出すこと。

 それこそが、『神』への第一歩となる。



「今回の出来事は、試験開始前から言い渡されていたことだ」

 いつのまにか進行役に落ち着いたらしいクストーが、スクリーンを指示棒で示しながら説明を

始める。

「そもそも、ファーン上の生命総数が最低基準を超えた時点で、いつ起きてもおかしくない現象だ」

 その言葉に、トゥーランが肩をすくめる。

「理論上は、ね。実際、最低基準でこの現象が報告されたケースは皆無だよ」

 そう、これは現段階では予測不能の事態だった。



 中央大陸。そこは光と命を司るガイリアの名を冠した、広大な大陸である。

 その一点に今、負の力が凝縮されていた。

 スクリーンを通しても伝わってくる、禍々しい力。目に見えるほどに強く、濃く集まった負の力は、

空までも届かんばかりの巨大な竜巻のようなうねりを生み出し、ゆっくりと大地を蝕んでいる。

次第に渦は拡大し、禍々しさも増大するばかりだ。

 大陸に暮らす『民』たちは、突如出現したこの渦を恐れ、怯え、次第に大陸を離れていっている。

中には渦に挑む勇敢な者もいたようだったが、たちまち渦に飲み込まれ、還らぬものとなった。

 彼らが天上から見つめる間にも、渦はどんどんと黒く歪み、おぞましい力を強めていく。そして

その中から聞こえる、身の毛もよだつ咆哮。渦から顎を突き出し、禍々しい炎で周囲を焼き尽くす、

そのおぞましい姿。

「……『民』はその姿を竜に例え、『邪竜』と呼び称しているようです」

 これが、ルースとトゥーランのまとめた『邪竜』誕生の顛末である。

 誓って言うが、彼らが監視を怠っていたわけではない。あまりにも、あっという間の出来事だった

のだ。

 彼らが休んでいる間も、彼らに代わってシステムが地上の観察を続けている。そのシステムには

不測の事態を察知し、対処する機能も備わっているのだ。

 システムですら対処が間に合わないほど、急激な変化が惑星上で起こったのである。

「でも。おかしくない?負の力に自我なんて無い。例え今は出来損ないの竜の格好をしていても、

確固たる意思なんて備わってないはずなんだよ。それが、こんな……」

 渦は次第に薄れ、邪竜が大地にそのおぞましい姿を現す。そしてあらゆるものを黒い炎で焼き

尽くし、蹂躙していく。

「まあ、もともとが感情の集合体なんだ。自我というほどのものはなくても、全てを負の方向へと

引きずろうという本能みたいなものがあるのかもしれない」

 ケルナの言葉にクストーも頷いてみせる。

「そうだな。そもそもあれは、負の力の塊だ。その力の赴くまま、ただ破壊を振り撒いているだけ

なのだろう」



 命には心があり、そして心は感情を生む。

 一つは正の感情。創造の力。幸福や愛、明日を生み出す力。

 もう一つは負の感情。破壊の力。憎しみや絶望。明日を消滅させる力。

 どちらか一方が多ければ、力の天秤は傾いてしまう。

 このバランスが崩れた時に、傾いた天秤から力が流出し、具現する。

 現在、彼らの管理する惑星『ファーン』に起こっている出来事。『民』達が『邪竜』と呼ぶ、破壊と

破滅の化身。その『邪竜』の誕生。

 これこそ、天秤が負に傾いた結果。

 この出来事は、試験開始前に言い渡されていたこと。時を重ねるほどに蓄積する正と負の力は、

天秤を揺さぶり続ける。そしていつかは、その天秤が傾いてしまうだろう、と。

 しかし、それをいかに制御するか。そしてその結果起こった被害をいかにして最小に食い止める

かも、採点基準の一つなのだった。



「力のバランスを自分たちで保てるほど、『民』は時を重ねていない」

 クストーの静かな声に、ルファスが頷く。試験開始からまだたったの『二週間』。それは、惑星に

とっては悠久の時となる。しかし、まだこの惑星は生まれたばかり。何も出来ない赤子も同然だ。

「そうだよねえ。アタシたちの試験はまだ始まったばっかなんだもん」

 パリーの言葉に、アイシャスが肩をすくめる。

「おぬしに言われずとも分かっておる。我らはまだ、それほどボケてはいない」

「なぁんですってぇ!」

「二人とも。口げんかがしたいなら外に行け」」

 クストーに窘められて、しゅんとなるパリーに、ふんと顔をそむけるアイシャス。そんな二人に

構わずに、クストーは話を続けた。

「簡単に振り返ろう。僕らの試験はこれまで、順調に進んでいた……」



 すでにある程度、環境整備が終了した惑星を委ねられ、彼らの手で更に調整を行って、彼らの

思うような環境を創り上げた。

 そして『命』を惑星に放ち、進化と成長を見守った。

 自然界の調整を、彼らの手足となって働く『端末』である『竜』や『精霊』に委ね、未知なる力を

『魔』という名で授け、そして待ったのだ。

 数ある命の中から『民』が生まれたのは、試験開始から一週間ほど経った頃だった。

 世界を世界として認識し、自ら文化を生み出し、そしてそれを後に伝える力を持つもの。

 自己を認識し、他を認める心を持つもの。

 それを彼らは『民』と呼び、慈しんだ。

 度々、自ら惑星に降りては微調整や調査を行う十一人の姿は、やがて『神』という存在として

『民』の間に浸透した。

 『民』はやがて様々な文化を生み出し、神々の作り出した法則を自らの手で発見し、また技術を

生み出していく。やがて未知の力『魔』を発見し、それを使いこなす者も出現した。

 『民』の誕生。そして『世界』と『未知なる力』の認識。

 試験合格の最低条件は、無事満たされた。

 あとは『民』を導き、世界のバランスを一定に保ちつつ、他の世界とは違う独自の文化を築き

上げること。

 そして出来うることならば、『神』に届く『民』を生み出すこと。

 それが試験終了までに与えられた、彼らへの課題だった。



「最近、人口増加に伴い『民』の移住が頻繁に行われていましたから……。新たな大陸を捜し

求める力と相反する、未来への不安や些細な闘争が、負の力となって蓄積されていったのでは

ないでしょうか」

 試験開始から今までの記録を丁寧に調べ上げたルースは、そう結論付けた。『ファーン』では、

大地と智の女神と崇められている少女。大地の力を司る『候補生』だ・

「あたしの司る『明日を切り開く力』は、逆に破壊や破滅を生み出す力でもある……。いつまでも

安定しない生活に、破壊の力が勝ったか」

 頭が冷えたのか、静かにケルナは分析してみせる。風と戦いの女神ケルナ。彼女の力は諸刃

の剣となる。

「……ルーンの暴走ぶりも、おそらく関わっている……」

 低い声が響く。その声の主は意外なことに、この場に集まる十一人の中でもっとも小柄な少年

だった。

 未知の力『魔』を司る少年、リィーム。十一人のうち唯一、対の力を持たない彼は、普段は惑星

を巡る『月』に単身住み着いている。他の者がここ、惑星『ファーン』の浮かぶ宇宙空間に静止

する『神殿』に暮らしているというのに、わざわざ孤独を選ぶ変わり者だ。

「ルーン、か……」

 アイシャスが苦々しく呟く。彼女の名を冠した大陸、北大陸アイシャスに最近建国された魔法

大国ルーンは、魔術士による支配体制が構築されつつあり、次第に魔術士以外の国民を苦しめ

始めている。虐げられる者の心の叫びが『邪竜』の出現を早めた可能性は高い。

「しかし、あの『邪竜』を崇める者が出てきたのは予想外だったね」

 トゥーランが水晶球を握り締めて口を開く。その水晶球には、荒れ果てた大地に血の供物を捧げ

邪竜の残り火を掲げて祈る者たちの姿が映っていた。彼らは自らを『黒き炎』と称し、邪竜こそが

真なる神であり、世界を滅ぼした後に新たな理想郷を生み出すのだと説く。この絶望的状況にあって、

彼らの言葉は家を焼かれたもの、家族を失ったものの虚ろな心の隙間に入り込み、次第に勢力を

強めていっていた。

「人の心は予測不能だよ、まったく」

 空間を司る彼は、ファーンの全ての空間を把握・分析し、そこから未来を予測する役目を担う。

その彼の予測では、『邪竜』誕生はかなり先のはずだった。まして、それを崇める者が生まれた

などということは、全くの予想外だった。

「とにかく。なんにせよ原因として考えられることがいくつか上がっている以上、それを解消する

方法を考えなければならない。一つ一つの原因が同時期に重なったからこその、この結果だろう」

 クストーの言葉に、残る十人は固い表情で頷いた。





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