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小夜啼鳥の囁き
 静かな夜だ、と呟く声がいやに響く。そのくらい静かな夜だった。
「閑古鳥も鳴かない、と来たもんだ」
「代わりに鴎が鳴いてるんだ、帳尻は合ってるってもんさ」
 店主の皮肉めいた返答に、ふんと鼻を鳴らす。
「常連客は大切にするもんだぞ」
「何が常連だ。月に一度も顔を出せばいい方だろう、オルト」
 的確な指摘だが、裏を返せば月一の客ですら顔見知りになるくらい、この店は客が少ないということだ。
「夜行性じゃないからな。そうそう夜更かし出来ないんだよ」
 なにせ、朝から晩まで配達に追われ、仕事を終えれば寮に戻って寝るだけの日々だ。五日に一度の休みは溜まっていた家事を片付けるだけで終わってしまうことが多く、なかなか夜遊びする余力がない。
「昼間から開けてくれりゃ、休憩時間に寄れるんだけどなあ」
「それが出来れば、こんな時間に店をやってないさ」
 初老の店主が一人で切り盛りする喫茶『小夜啼鳥』は日の入りと共に開店し、日の出とともに閉店する。聞いた話では、二十年ほど前に開店した当初から、この一風変わった営業時間を頑なに守っているらしい。
「太陽が昇らなくなったら考えてもいいがな」
 そう嘯く店主は、薄暗い店内でも色眼鏡をかけている。そのせいで随分と胡散臭い風貌になっているが、本人は眩しさが緩和されるなら、あとのことはどうでもいいらしい。
「それにしても、今日は本当に客がいないな」
 星屑角灯の淡い光に照らされた店内は、カウンター席が四つと、あとは二人掛けの卓が二つあるだけで、決して広くはない。それもそのはず、『小夜啼鳥』は樹上に作られた小屋で、地上からだと生い茂る葉にほとんど隠れてしまい、その姿を窺うことすら出来ない。地上との行き来には縄梯子を使うしかなく、まして地上には看板すら出ていないから、店の存在を認識すること自体が難しい。
 そんな『小夜啼鳥』の常連といえば、夜更かしの配達員や当直を終えた門兵ばかりで、あとは噂を聞きつけてやってきた物好きか、宿にあぶれた旅人くらいだ。満席になることなど滅多にないが、今日のように客がオルト一人だけ、というのも珍しかった。
「今日は新月だからな。出歩く奴も減るってものさ」
「そうか、《切り裂き男》の夜だ。すっかり忘れてたよ」
 新月の夜に出没する切り裂き魔の噂は、もう何十年も前から囁かれており、すでに都市伝説の域に達している。
 とはいえ、この辺りには街路灯も少ないし、夜遅くまで営業している店もほとんどない。月明かりがあればともかく、こんな真っ暗闇では一区画歩くのも難儀するほどだ。《切り裂き男》を口実にしてでも、外出を控えるのが賢明というものだろう。
「そうそう。月のない夜には、背中に気をつけないとなあ」
 背後から飛んできた呑気な声に、ぎょっと振り向く。
「レイヴン!」
「よおオルト。久しぶり」
 開け放たれた窓枠に腰かけ、片手をあげて挨拶してきたのは、黒い翼を持つ有翼人の男だった。黒髪に黒い瞳。背中には烏の翼を持ち、更には黒で統一された制服に身を包んでいるものだから、まるで闇から抜け出て来たかのようだ。
 有翼人には珍しい長身を折り曲げて、よいしょ、と店内に降り立った男に、店主がやれやれ、と肩をすくめてみせた。
「客なら扉から入ってこい、レイブン」
「はいはい。次から気をつけますよ、と」
 この台詞を聞くのは何度目だろうか。彼がドアベルを鳴らして入店してきたところなど、一度たりとも見たことがない。
「仕事帰りか? 忙しそうだな」
 レイヴンもまた、オルトと同じ郵便配達員だ。ただし彼が所属しているのは夜間便――緊急を要する文書や小包の配達を専門とする部署で、日勤のオルトとはなかなか顔を合わせる機会がない。
「お前もだろ、オルト。ここに来たのも久しぶりじゃないか」
「まあな。同じ地区担当の奴が急に辞めたもんで、そのしわ寄せが酷くてさ」
 それはあまりにも急なことだったから、現場は混乱を極めた。局長からは『家業を継ぐため実家に戻った』との説明があったが、普段から勤務態度に問題があったから、事実上の首切りだろう、というのが同僚達の見解だ。山羊の獣人であるカペラ局長は、そのふわふわな見た目から温厚な人物だと思われているようだが、実際には『超』がつくほどの実力主義だ。『迅速・的確・丁寧』を掲げる郵便局だからこそ、配達員の質には徹底的に拘っている。
「へえ。そいつは大変だ」
 注文する前から出て来た茶を啜って、他人事のように呟くレイヴン。彼の相槌が投げやりなのはいつものことだから、今更腹も立たない。
「そういや、春に大規模な人事異動があるらしいぞ」
 思いがけない話題に、目を瞬かせる。この男は他人との関わりを避けているような節があるくせに、どこからともなくこういった情報を仕入れてくるから不思議だ。
「本当か? 一番街の人員、増やしてくれるといいなあ」
「あの局長のことだ、その辺はちゃんと考えてるだろ。明らかに人手が足りてないもんな。そういや、寮を増築する話も出てるみたいだぜ。そうしたら俺も引っ越すかなあ」
 現在、独身寮は満室状態が続いており、仕方なく近隣に部屋を借りて暮らしている配達員も多い。レイヴンもその一人だが、彼の場合は無類の引っ越し好きで、下手をすると月一で部屋を変えている時もあるほどだ。
「《ツバサビト》用に、ちょっと大きめの部屋も作ってもらえたらいいよな」
 オルトとレイヴンはともに有翼人だが、種族そのものが違う。オルトは三番街出身の《翼人族》で、小柄で俊敏な者が多い。家名を持たず、《鴎》や《燕》といった翼の名前を名乗るのも、この種族の特色だ。
 対するレイヴンは四番街出身の《ツバサビト》で、長身で痩躯、翼は大きめで、何より彼らは鳥の脚を持つため、靴を履く習慣がない。
 空便の配達員には《翼人族》が多く、寮の部屋は彼らの体格を基準に作られているため、《ツバサビト》には狭いし、何より天井が低すぎる。
「遊びに来た時、扉に頭ぶつけてたもんなあ」
「素直に玄関から行った俺がバカだったよ。窓から入りゃ良かった」
「……窓は換気口であって、出入口じゃないんだがな」
 カウンター越しに話を聞いていた店主は、やれやれと言わんばかりの表情で、二人の前にケーキの乗った小皿を置いた。
「おっ、新作か? マスター」
「ああ。良いかぼちゃを仕入れたんだが、いつもパイじゃ芸がないからな。今回はプリンケーキを作ってみた。まだ試作段階だが、お前らなら構わんだろう」
「ひっでーなあ」
 口では文句を言いつつも、にこにことフォークを手に取るレイヴン。この店は紅茶も美味いが、実は店主の作る日替わりケーキを目当てに訪れる客も多い。かくいうオルトもその一人で、実は今日も、連勤で疲れ果てた体にせめての褒美を、と一念発起してやって来たわけだ。
「うん、うまい!」
 あっという間に一切れ平らげたレイヴンとは対照的に、噛みしめるように一口ずつ食べ進めるオルト。あれこれ対照的な二人だが、不思議と気が合って、顔を合わせれば他愛ない話で盛り上がる仲になった。どこか他人を寄せ付けない雰囲気を纏っているレイヴンだが、話せば意外に気さくで、口ぶりも快活だ。本人曰く「鴉は孤高の存在だからな。イメージを大切にしないと」だそうで、外ではあえて近寄りがたい人物像を演出しているようだ。
「どうだ、オルト」
 真剣な表情で尋ねる店主に、レイヴンが不満げな声を漏らす。
「なあ、マスター。なんでいつも俺には聞かないわけ?」
「お前に聞いても『うまい』しか言わんからだ。ちっとも参考にならん」
「ちぇー」
 分かりやすく拗ねるレイヴンを尻目に、オルトはもぐもぐとケーキを咀嚼しながら、うーんと首を捻った。
「もうちょっと甘くてもいいと思うんだけど、何か一味足りない気がするんだよなあ」
「甘みが薄くて一味足りない、か。蒸留酒の風味でも足すか」
「それだとかぼちゃの味が掻き消される気がする。香辛料の方がいいかもな」
「それならシナモンを振ってみるか」
 うんうんと頷きながら、帳面に改良点を書き出していく店主。ついでに生クリームを沿えたらどうだとか、飾りつけはどうしようだの、あれこれ話し合っているうちに、気づけば真夜中近くなっていた。
「そろそろ帰らないと。またな、レイヴン」
「おうよ。夜道に気をつけてな、オルト」
 まだ居座るつもりらしい友人に手を振り、手早く支払いを済ませて店を出る。
 民家の明かりもとうに消えて、しん、と寝静まる街はまるで、暗闇に沈んでしまったかのようだ。
「月のない夜、か」
 何の躊躇いもなくデッキから飛び立ち、迷いなく夜空を突き進む。
 そう、月がなくとも光はある。空には星、地上には街灯。そして――遥か彼方に淡く光るのは、天を衝く世界樹。
 実は僅かだが発光している、というのは、夜更かしをする者しか知らない『世界樹の秘密』だ。


* * * * *


「――調子はどうだ、《宵鴉》」
 唐突な言葉に、レイヴンはフン、と鼻を鳴らして応えた。
「いつだって絶好調に決まってるだろ。なんせ俺様は優秀だからな」
 それで? と嫌そうな顔を隠そうともせずにレイヴンは店主――かつて《夜鳴鶯》と呼ばれていた男へと問いかける。
「今度はどんな任務だ? 言っとくが、こないだみたいな雑用は二度と請けねえぞ。ああいうのは探偵でも雇ってやらせろっての」
 問題行動の目立つ配達員の素行調査、などという地道な任務を回されて、すっかり不貞腐れているレイヴンに、店主もさすがに苦笑交じりの謝罪を紡いだ。
「すまなかったな。あの時は手の空いてる《黒翼》がお前しかいなかったんだ」
 《黒翼》部隊。彼らはそう呼ばれている。治安維持を行う《緑葉》や街区を跨いでの特別捜査を担当する《銀狼》とは異なり、世間には殆ど知られていないが、れっきとした警備隊の一員だ。
 彼らの任務は潜入捜査や極秘調査が主で、その中でもレイヴンが得意としているのは夜間の偵察任務だ。昼日中に聞き込みをして回るような仕事に向いている訳もない。
「安心しろ。今度はお前向きの任務だ」
 懐から一枚の似顔絵を取り出し、にこりともせずに続ける。
「この女を探し出してほしい」
「へえ。樹人族の女なんて、この街でも目立つだろうに。誘拐か? それとも駆け落ちか?」
「某盗賊団の後継者――要するに首領の一人娘だ。結婚式の最中に逃走して、どういう伝手を使ったのか分からんが、今は《白夜城》に匿われているらしい」
「へえ、よりによって《血まみれ侯爵》のところか。こりゃ一筋縄じゃいかなそうだな」
「侯爵はお前の知己だろう。うまいこと交渉してくれ」
「りょーかい。ったく、簡単に言ってくれるぜ」
 すっかり冷めてしまった茶をぐい、と飲み干し、音もなく立ち上がる。そうして迷いなく窓の桟に手をかけたレイヴンは、呆れ顔で見送る店主にひらひらと手を振ると、そのまま一気に夜空へと飛び出していった。
「……また無銭飲食しやがって」
 食器を片付けながら、やれやれと肩をすくめる。
「報酬から天引きだな」
 茶葉の缶を棚に戻し、一息つこうと腰かけたところで、控えめなドアベルの音が響き渡った。
「こんばんは、マスター。おや、今日は閑古鳥が鳴いてますね」
「なに、いつものことさ」
 ひょっこり顔を出した常連の劇作家に、苦笑いで答える。
「締切は大丈夫なのかい? 先生」
「大丈夫じゃないから来たんですよ。頭が冴えるような一杯をお願いします」

 夜明けまで、あと六時間。
 喫茶《小夜啼鳥》の長い夜は、まだまだ続く。

小夜啼鳥の囁き・終わり


 同人誌「《世界樹の街》の歩き方 ~一番街編~」の裏面、「垂れ耳エルフと世界樹の街 短編集 一番街」よりweb再録です。
 こちらは一番街の正門近くにある樹上喫茶《小夜啼鳥》のお話。オルトが寝起きしている独身寮《蜂の巣》からは徒歩10分、飛べば5分もかからない場所にあります。
 日没から日の出まで営業、という変わったお店ですが、正門周辺の飲食店はあまり夜遅くまで営業していないので、門兵や警備隊員、はたまた残業で夕飯にありつけなかった配達員などが、空腹や喉の渇きを癒すために訪れることが多いようです。
 なお、店主は甘いものを食べるのが苦手で、新商品開発の際には、居合わせた常連に味見を頼んでいます。
2019.03.29


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