馬車も通るような大きな橋だ、人一人の体重でどうにかなるわけもない。頭では分かっているのだが、生まれ育った環境のせいで、『橋』という存在自体を信用しきれないでいる。
「そんなに恐る恐る渡らなくても、この橋は壊れたりしないぞ」
数歩先を行く有翼の友人は、故事に
「分かってるんだけどさあ。下が『水』っていうのも、どうにも怖いんだよね」
ミナギの暮らす《クラウディオシティ》は雲海に浮かぶ浮島の街だ。どこまでも広がる空、そして雲海を漂う大小の浮島。それが世界のすべてで、それを不思議に思ったことすらない。
だから、こうして別の街区へやってくると、自身の常識が根底から覆される衝撃に、何度も襲われることとなる。
「水……川っていうんだっけ。すごいよなあ。しかも、こんなに大量の水が流れ着く先があるんだろ?」
「海のことか。そうだな、同じ『海』でも、雲海とはかなり違うもんな」
そう、雲海と海は似て非なるものだ。雲海には魚もいないし、船も浮かばない。確かに存在するのに触れることは出来ず、足を滑らせれば一巻の終わり。それがミナギにとっての『海』だ。
「今度、連れて行ってやるよ。きっとびっくりするぜ。オレが雲海を見た時みたいにな」
屈託なく笑う彼は港町出身だ。幼い頃は日がな一日、港から船を眺めていたらしい。
「びっくりしたのは俺の方だよ。オルトってば、いきなり雲海に入っていこうとするんだもんな」
はじめて雲海を見た彼は、ひとしきり驚いた後、躊躇なく雲海へ片足を突っ込んだ。ミナギが慌ててその腕を引っ張らなければ、あっという間に雲海の下――『深淵』に沈んでいたことだろう。
「海っていうからには、ちゃんと浮くんだと思ったんだよ」
ばつが悪そうに頭を掻くオルトは、あの時も同じことを言っていた。雲海に浮かぶことが出来るのは浮島だけ。船も、鳥も、もちろん人も、そこに浮かぶことは許されない。ただ沈むだけだ。
「何のために、俺が飛行機に乗ってると思ってるんだよ」
橋も架けられず、船も使えない。そうなれば、島々を渡る手段はただ一つ。空を飛ぶことだ。翼を持つ友人にはそれもピンと来ないらしいが、シティに有翼人や魔法使いはいない。故に、人々は科学の力で空を飛ぶ。
「ミナギの飛行機、カッコイイよなあ。あれ、オレも乗れないかな」
自身の力で空を飛べるというのに、飛行機に乗る意味は果たしてあるのだろうか。そう思わなくもないが、愛機を褒められるのは純粋に嬉しい。
「俺のは単座だから無理だな。今度、局長に掛け合って、複座の飛行機を借りられるか聞いてみるよ」
「やった! 頼むぜミナギ」
弾むような足取りで石橋を渡るオルトのあとを、おっかなびっくりついて行く。下を流れる『水』のことは、とりあえず考えないことにしよう。
「海に連れてってくれるのは嬉しいけど、俺ってばきっと、怖くて入れないと思う」
「大丈夫だって。危なくなったら、今度はオレが引っ張ってやるから」
何せ、お前には借りがあるからな、と嘯いてみせるオルトだが、そんなものがなくても、困っている者を見かけたら手を伸ばさずにいられないのが、彼の性分だ。
「頼むわー」
こうなったら、約束の日が来るまで、少しでも水に慣れておくとしよう。