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そらとぶゆめ
 鳥になった夢を見た。
 潮風を翼に受けて、空と海の境界線をなぞるように飛ぶ。
 ああ、このままどこまでも行こう。煌めく波の向こう、海の彼方――誰も辿り着いたことのない世界の果てまでも。
 根拠のない自信を抱いて翼をはためかせれば、あざ笑うかのように波が砕け、足元に絡みつく。
 そのまま一気に、深い海の底へと落とされて、抗おうにも翼はむなしく水を掻くばかり。

 ああ、なんてことだ。
 海鳥が溺れるなんて――笑い話にもなりやしない。


* * * * *


 眩い光に、目を瞬かせる。
 窓辺から差し込む朝日に照らされた室内。寝台に書き物机、そして箪笥があるだけの簡素な部屋は、紛れもなく住み慣れた寮の一室だ。
(なんだ、夢か――)
 やれやれ、と頭を掻こうとして、違和感に気付く。
 まだ夢の感覚が抜けていないだけかと思ったが、どうもそうではないようだ。
 意を決して『飛び上がり』、書き物机の『上』に着地する。ああ、この時点でもう頭がおかしくなりそうだ。しかし現実から目を背けてはいけない。きちんと確認しなければ。
 書き物机の上に置いてあった手鏡を覗き込めば、そこに映し出されているのは紛れもなく――『雀』。
『なんで雀なんだよおおおおおおお!』
 魂消るような絶叫はしかし、『ぴちちちちち!』という可愛らしい囀りとしてしか発声されなかった。


 書き物机の端にちょこんと止まり、混乱する頭で必死に状況を整理する。なぜ、いつ、どうして――分からないことばかりだが、そのうちの一つだけは明確だ。
(寝る前まではいつも通りだった――はずだ)
 昨日は担当区域の集配を時間内にきっちり終わらせて、まっすぐ帰寮するつもりだったところを同僚に引き止められ、久しぶりに酒場へ繰り出した。互いの故郷の話で盛り上がり、日付が変わる前には帰寮して、明日からの三連休をどう過ごすか思案しながら眠りについた。
 それがどうだ。妙な夢を見て、目が覚めたら小鳥の姿。しかも――夢の中では鴎だったのに、なぜか雀の姿ときたもんだ。
 不思議なもので、慣れない体でも何とか飛ぶことはできるし、思考も極めて明瞭だ。しかし最大の問題は――。
「おーい、オルトー! ……あれ、いないの?」
 ノックもなしに扉を開けて顔を覗かせた同僚、《燕》のジャックは、書き物机の上で何やら騒いでいる雀を見つけて、不思議そうに小首を傾げた。
「あれえ? どうしたの?」
 呑気な問いかけに一縷の望みをかけて、ばたばたと翼を振る。
『ピチチチ! ピピ!(ジャック! オレだよ、オルトだよ!)』
「窓から入ってきちゃったのかな? 残念だったね、この部屋の主は留守みたいだよ」
 ああ、ダメだ。やはり通じていない。
 がっくりと肩を落とすオルトをよそに、ジャックは親切にも中途半端に開いていた窓を大きく開け放って、ほらお帰り、と促してくる。
 意思の疎通が困難となると、この非常事態を誰かに伝えることすら出来やしない。この足ではペンを握って文字を書くことも難しいし、そもそもどうにかして説明したところで、誰がまともに取り合ってくれるだろうか。
「ほら、早く行かないと閉めちゃうよ?」
 せっかちなジャックのことだ、ここで飛び去らなければ本当に窓を閉めて、さっさとこの場を去るだろう。こんな水も食糧もない部屋で飢え死にするよりは、と覚悟を決め、窓の外へと飛び出す。
 眼下に広がるのはいつもと変わらない、賑やかな街の風景。空は雲一つなく晴れ上がり、穏やかな風が木々を撫でていく。
 さて、意を決して外に出たはいいものの、一体何をすればいいのか、どこへ行けばいいのかも分からない。
(どうしたもんかなあ……)
 あてもなく彷徨っているうちに、無意識に体が動いてしまったのだろうか。
 どこをどう飛んだのかも覚えていないが、気づけば見覚えのある場所に辿り着いていた。
 世界樹の根元に広がる十二番街。広場から世界樹に向かって真っ直ぐに伸びる《黄昏通り》。その突き当たり、大樹にもたれかかるようにして佇む、苔生した三角屋根の店。
 オルトがもっとも手を焼いている配達先。それこそがこの《ユージーン骨董店》だ。店主のぐうたらエルフは居留守を使うことが多く、そのくせ配達物はやたらと多い。とっとと荷物を引き渡したいオルトと、面倒がって出てこない店主との攻防戦は、すでに《黄昏通り》の名物になりつつある。
(……何でここに来ちまったんだろう?)
 思わず小首を傾げてしまったが、考えてみればここに持ち込まれる品々の殆どは『曰くつきの品々』だ。中には何らかの呪いがかかっているとしか思えないような物もある。そんな品々に囲まれて平然と暮らしている彼なら、もしかしたら何か――。
「あれえ、どうしたの?」
 唐突に呑気な声が響いて来たかと思えば、固く閉ざされた扉の横、普段はカーテンが閉まっている出窓から身を乗り出すようにして、こちらを見上げている男の姿があった。
 寝起きなのか、いつも以上に眠そうな顔をして、よく見れば服装も寝巻のまま。相変わらずの無精髭と、寝癖のついた枯草色の髪。明らかに『くたびれたおっさん』の様相を呈している彼こそ、ユージーン・アル・ファルド。美形揃いの長命種『古の森人族(エルダーエルフ)』でありながら、人里で骨董店を営む変わり者だ。
「こんな朝早くに、珍しいね」
 穏やかな緑の双眸は確かにオルトを捉えているが、そこには驚きも動揺も存在しない。幼子が小鳥や猫に挨拶をするように、何気なく声を掛けてきただけか。
(分かるわけ、ないよなあ……)
 溜息をつこうにも、鳥の身ではそれも叶わない。ただ囀りとなって嘴から零れるだけだ。
「ほら、おいで」
 差し伸べられた手に思わず飛び乗ってしまったら、ひょいと目の高さまで持ち上げられ、にっこりと微笑まれた。
「仕事で来た――わけじゃないよね。その姿じゃ手紙も運べないだろうし」
(おっさん? オレのことが分かるのか!)
 相変わらず口をつく言葉はすべて小鳥の囀りになってしまうというのに、店主は当然だと言わんばかりに微笑んでみせる。
「だって、いつもと変わらないじゃない」
(どこがだ! だって雀だぞ!? 鴎ですらないんだぞ! なんで分かるんだよ!)
 やだなあ、とわざとらしく口を尖らせ、店主は空いた手でそっとオルトの――雀の――小さな頭を撫でる。その手つきはびっくりするほどに慎重で、そして慈愛に満ちていた。
「どんな姿になっても分かるよ。魂の輝きは変わらない。いつもの、真面目で頑固で、妙に律儀な君のままだ」
 どうにも褒められた気はしないが、分かってくれているなら話は早い。
(おっさん! オレ、朝起きたらこの姿になってて――どうしていいか、分からないんだ)
 言葉にすればするほど情けなさが溢れて、きっといつもの姿なら泣いていた。
「朝起きたら、ねえ」
 呟きながら窓辺の丸椅子に腰かけ、項垂れるオルトをそっと膝に下ろす。
「昨日、何かいつもと違うことをしなかった? どんなことでもいいから思い出してみて」
(そうだなあ、昨日は……)
 仕事帰りに同僚と飲みに行って盛り上がった話を掻い摘んで説明すれば、店主はなるほど、と頷いた。
「そう言えば君、三番街の出身だっけ」
 そう、オルトは三番街――世界樹の街で唯一、港がある街区で生まれ育った。小さい頃は船を見るのが好きで、大きな貿易船が来た時などは、日が暮れて親が呼びに来るまで桟橋に貼りついていたものだ。
「そのあと、寮に帰って眠りについて――夢を見た、と」
 そう、夢だ。鳥になった夢。
 潮風に翼を広げ、煌めく海面を撫でるように飛ぶ。遥か遠く、見果てぬ大陸を目指して――。
 ああ、それは幼い頃、思い描いた『夢』だ。あの鳥達のように、どこまでも飛んでいきたいという、単純かつ純粋な思い。
 それはもしかしたら、《鴎》の翼に刻まれた願いなのかもしれない。
「うん。きっとそれだ。君、まだ目覚めてないんだよ」
 あまりにもあっさりとした回答に、思わず翼を震わせる。
(これが……夢だって?)
「厳密に言えば、《世界樹》の夢に巻き込まれたんだ」
 楽しそうに笑って、ほら、と窓の外を指差す店主。
「世界の輪郭がぼやけてる。君も僕も、まだ夢の中だ。僕達と同じように、世界樹も夢を見る。みんなの夢は繋がっていて、こんな風に混ざり合うこともあるんだよ」
 穏やかな語り口が、梢のざわめきに溶けこんで、まるで子守唄のように響く。
「だから安心して。目が覚めたら、ちゃんと君は寮の部屋にいて、きっとこの夢のことも忘れてしまうから」
 ふわりと両手で包まれて、その暖かさにほっと力が抜ける。途端に心地よい眠気がやってきて、瞼を開けているのが難しくなってきた。
「たとえ夢の中でも、君が僕を頼ってくれたのは嬉しいなあ」
 別に頼った訳じゃない、無我夢中で飛んだらここに辿り着いただけだ、と言いたかったのだが、すでに嘴を持ち上げることすら億劫になっていた。
 世界は白く霞み、触れる手の感触さえもが曖昧になっていく。ああ――目覚めの時は近い。泡沫の夢が、波のようにざああ、と引いていく。
 遠のく意識の中で、柔らかな囁きを聞いた。
「僕もいつか、君の故郷の海を見てみたいな」


* * * * *


 眩い光に、目を瞬かせる。
 窓辺から差し込む朝日に照らされた室内。寝台に書き物机、そして箪笥があるだけの簡素な部屋は、紛れもなく住み慣れた寮の一室だ。
「……海なんて、いつでも見に行けるじゃないか」
 そう零してから、はたと首を傾げる。
「海?」
 一体、何のことだろう? そんな夢でも見ていたのだろうか。
「……まあいいや」
 もそもそと寝台から抜け出し、窓を開けて風を呼び込む。穏やかな日の光、抜けるような青空。出かけるにはもってこいの天候だ。久々の休日なのだから、仕事を忘れて遠出でもしたいところだが、さてどこへ行こう。
「……海、か」
 生まれ故郷の三番街には、もう随分と帰っていない。両親はすでになく、兄弟や友人もみな独立して散り散りになってしまっているから、故郷に戻ってもやることがなくて、ついつい足が遠のいてしまっていた。
「……たまには帰ってみるか」
 海水浴の季節でもないし、祭りの時期でもないが、こういう何でもない時の方がかえって気楽かもしれない。
 何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。一度部屋に戻ってくるのも面倒だから、そのまま出かけることにして、簡素な服に袖を通し、日除けの布を頭に巻いて外に出る。
「あれ、おはようオルト!」
 扉を開けた瞬間、ばったりと出くわしたのは同僚のジャックだ。仕事の日でもギリギリまで寝ている彼が、こんな早朝から出かけようとしているなんて、珍しいこともあるものだ。
「おはよう、ジャック。今日は早いな」
「うん、なんか変な夢を見てさ、二度寝する気分じゃなくて、休みの日なのに早起きしちゃったよ」
 癖のある髪を掻き上げ、あははと笑うジャック。
「オルトはどっか出かけるの?」
「ああ、朝飯を食ったら、三番街まで行ってくる。お前は?」
「ボクは勿論、デートだよ! ほら、そろそろ《青の丘》が見頃だからね。彼女がお弁当を作って来てくれるんだってさあ。楽しみだなあ」
 郊外の丘までピクニックとは、何とも健全な休日の過ごし方だ。今回の彼女とは珍しく長続きしているから、彼がこの独身寮を出る日も、そう遠くはないのかもしれない。
「朝ご飯はどこで食べる? ボクも付き合うよ」
「そうだなあ……。そういや《雲雀》の三兄弟が、広場に新しい屋台が出てるって騒いでたな」
「ああ、ミートパイのお店でしょ。ボクも気になってたんだ」
 そんなやりとりをしているうちに、気づけば玄関口へと辿り着いていた。寮の三階部分にある第二玄関は、空から帰寮する有翼人配達員のために作られた専用の玄関口だ。煉瓦作りの壁にぽっかりと空いた玄関口の向こうには、爽やかな初夏の空が広がっている。
「ああ、いい天気だ。絶好のデート日和じゃないか!」
 嬉しそうに翼を震わせるジャックの横をすり抜けて、勢いよく空中へと飛び出す。
「おっさきー!」
「あー! 待ってよオルト!」

 風は草原を掠め、木々を揺らして、《世界の果て》へと吹き抜けてゆく。
 快晴の空に青く霞む世界樹は、夢と現実の狭間に聳える幻想の大樹。
 その腕に抱かれて、今日も《世界樹の街》は平和そのものだ。

そらとぶゆめ・終わり


 同人誌「《世界樹の街》の歩き方 ~一番街編~」の裏面、「垂れ耳エルフと世界樹の街 短編集 一番街」よりweb再録です。
 このお話、実は2018年夏開催の「第7回 Text-Revolutions」公式テーマアンソロジー「海」用に書いたものの、あんまり海が出てこなくて(^_^;) お蔵入りになっていたお話です。
 どこかで発表できる機会を窺っていたのですが、これもまた一番街の話だろうということで(半分は十二番街の話になってますけど)「《世界樹の街》の歩き方」に収録しました。
 なお、タイトルの「そらとぶゆめ」はZABADAKの楽曲「飛行夢」(こう書いて「そらとぶゆめ」と読む)からお借りしました。
2019.03.29


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