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翼の記憶
 翼の記憶、と呼ばれるものがある。
 有翼人(エイル)が生まれながらに持つ、自身のものではない『思い出』だ。
 遙か昔、ヒトに翼を委ねた鳥達の記憶が刻まれているのだと言われているが、真相は定かではない。
 オルトにとっての『記憶』は、煌めく海。
 銀色の波を撫でるように低く飛び、波しぶきを掻い潜って小魚を狙う。
 時には水平線の彼方、沈む夕日を追いかけるように、風を捉えて力強く翼をはためかせる。
『何処までも行こう』
 内なる声に突き動かされて、ひたすらに空を飛ぶ。どこまでも、どこまでも――。

「困るんだよ。忙しい時に、『記憶』に振り回されるのは」
 『記憶』が蘇ると、無性に海が見たくなる。
 子供の頃は海のそばに住んでいたから、すぐに思いが満たされた。しかし郵便配達人として忙しく働くオルトにとって、休みは五日に一度。繁忙期なら七日に一度取れれば良い方だ。しかも現在の住処は海から遠く離れた都市部の独身寮。玄関を出たらすぐに海、という恵まれた環境とはほど遠い。
「あー、分かる。ボクの『記憶』は時計台だから、いつでも寄れるんで助かってるけど」
 手早く配達物を仕分けながら相槌を打つジャックは、雀の翼を持つ有翼人だ。彼の『記憶』は時計台の鐘が鳴り響く光景だが、幸いなことにここ一番街には大きな時計台がある。時計台広場には屋台もたくさん出ているので、昼休みに食事がてら寄ることが出来てお手軽だ。
「っていうか、そもそも働き過ぎなんだよオルトは。休みをもぎ取って、ちょっと骨休めしてきたら?」
 呆れ顔のジャックに諫められるのも、これで何度目だろう。
「そうは言っても、特急便は人数が少ないからなあ」
 鴎の翼を持つオルトは局内でも屈指の飛行能力を誇り、精鋭を集めた特急便担当員に最年少で任命された実績を持つ。特急便は人数が少ない上、特急便利用者がいない時は通常業務も担当するため、繁忙期は目が回るほどに忙しい。
 元々飛ぶことが好きだから、この仕事には何の不満もない。しかし、あまりにも休みが少ないと、こうして時折訪れる『記憶』に対応できず、悶々とした日々を送る羽目になる。
「それで配達効率が落ちたら元も子もないじゃない。というわけで、ハイこれ」
 にゅっと突き出されたのは、やけに軽い小包だった。
「三番街・潮風通り八番地……? って、これお前の妹宛てじゃないか!」
「そ。五番街名物の魔法菓子を食べてみたいってずっと言われててさ。昨日やっとのことで手に入れたんだけど、ボクは今日から三連勤だし、それ日持ちしないから、オルト行ってきて~」
「私用でオレを使うなよ!」
 何を言う、と腕を組むジャック。
「ちゃんと窓口で代金を支払ってあるんだから、れっきとした仕事だよ。それ、魔法効果が丸一日しかもたないんで、オルトじゃないと間に合わないから、頼むよ」
 お願いオルト! と拝まれれば、無下にもできない。何よりこれは、れっきとした「配達の仕事」だ。
「……ちなみに、買ったのは昨日の何時だ」
「午後三時」
 ばっと壁時計を見れば、すでに午後二時を過ぎている。
「なんでもっと早く渡さないんだよ!」
「朝、部屋に忘れてきちゃって、昼休みに慌てて取りに行ったから」
 しれっと答えるジャックを睨みつけつつ、大慌てで身支度を整える。帽子に上着、最後に小包を肩掛け鞄にそっと押し込んだところで、呑気な声が追い打ちをかけてきた。
「そうそう、配達ついでに妹から近況を聞いてきて。そろそろ結婚式の日取りが決まるはずなんだけど、ちっとも音沙汰がなくて」
「お前な! そういう重要なことを他人任せにするなよ!」
「いいじゃない、ついでだし。だからオルトもついでに(・・・・)海でも見て気分転換してきなよ」
 パチンと片目をつむってみせる悪友に、オルトはやれやれと溜息をついた。
「お前のそういう要領の良さ、羨ましいよ」
「オルトは実直だからこそいいんだよ。でもたまには息抜きしないとね。ほら、行った行った!」
 元気よく送り出され、窓の桟を蹴って勢いよく飛び立つ。
 雲一つない初夏の空。草原の匂いを帯びた風。まさに絶好の飛翔日和だ。
「行ってきます!」
 力強く翼をはためかせ、一気に加速する。
(待ってろよ、海――!)
 世界樹が繋ぐ世界は近くて遠い。
 けれどオルトの翼なら、三番街はすぐそこだ。

 特急便担当だった頃のオルトは、目が回るほど忙しかったんだよ、という話。
 こちらは「空を翔けるもの」の後に続けるつもりで書いていたものの、なかなか話がまとまらなくて後回しになっていたお話。
 『翼の記憶』は三番街発祥の有翼人《エイル》だけが持つもので、同じ有翼人でもツバサビトのレイヴンは持ってません。(ジャックは十二番街生まれですが、両親が三番街出身の《エイル》なので、彼自身も《エイル》として記憶を持っています)
2020.05.01


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