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「《星祭》?」
 チラシを手に小首を傾げる銀髪の少女に、《鴎》のオルトは「ああ、そうか」と頬を掻いた。
「そういやお前、この街に来て一年も経ってないんだっけか」
「私をここに連れてきたのはオルトですよ。もう忘れてしまったのですか」
「うっせえ」
 『世界樹の街』へやって来て半年ほど、最近では周辺の地理にも明るくなり、お使いも難なくこなせるようになった《ユージーン骨董店》の看板娘リリル・マリルだが、街の事情にはまだまだ疎い。
 もっとも、ここは様々な世界が繋がる街。全体の事情に通じているのはよほどの古株か、もしくは各地を飛び回る配達員くらいのものだ。
「一体どのようなお祭りなのです?」
 改めて聞かれると、どう説明したものか迷ってしまう。
「なんて言ったらいいかな、一番街から十二番街まで、すべての街が参加する祭なんだ。子供が主役の前夜祭から始まって、《世界樹の乙女》を決めるコンテストなんかも盛り上がるけど、何より凄いのはパレードだな」
 一番街の中央広場を出発し、半日がかりですべての街を練り歩くパレード。様々な種族が得意の音楽や踊りを披露し、時には観客を巻き込んだ寸劇や軽業なども披露しながら、ゆっくりと進んでいく。
「賑やかで華やかで、とにかくごちゃまぜな、この街らしい祭だよ」
「それは楽しそうですね。もっとお話を聞かせてください」
 菫色の双眸を輝かせてそうせがむ少女に、店の奥からのんびりとした声が飛んで来た。
「百聞は一見にしかずって言うでしょ。自分の目で確かめておいでよ」
 無精髭を撫でながらやってきたのは、『ぐうたら店主』ことユージーン。だらしなく着崩した長衣の懐をごそごそやったかと思えば、「はいこれ」と取り出したのは、硬貨の詰まった小袋だった。
「お小遣いだよ」
 忘れちゃうといけないから先に渡しておくね、と不器用に片目を瞑る店主を見上げて、パチパチと目を瞬かせる少女。
「お祭りに行ってよいのですか? お店番は?」
「大丈夫。どうせその日は商売にならないからね」
 何せ、パレードの終着点は世界樹の根元――要するにここ《ユージーン骨董店》の目と鼻の先だ。普段は人通りの少ない《黄昏通り》だが、《星祭》の時だけは足の踏み場もないほどに見物客が押し寄せる。
「折角だから楽しんでおいで。オルト君も」
 はい、と小袋を差し出されて、思わず眉を吊り上げるオルト。
「ガキ扱いするなよ!」
「いいからいいから。僕の代わりに、彼女を案内して欲しいんだ」
 思わず顔を見合わせる二人。怠惰ではあるが『楽しいこと』には目敏く反応する彼が、祭に興味を示さないというのはかなり意外だ。
「ユージーンは行かないのですか?」
「いやあ、人混みは苦手なんだよね。それに、その日は外せない用事があるんだ。というわけで、よろしくね~」
 ひらひらと手を振り、店の奥へと消えていく店主。まだれっきとした営業時間中なのだが、あの様子では二度目の昼寝を決め込むつもりだろう。看板娘が店番を引き受けるようになってから、ぐうたらぶりに拍車がかかったのは間違いない。
「ったく、仕方ねえなあ」
 強引に受け取らされた小遣いを弄びながら、オルトはまんざらでもない様子で呟いた。
「どうせ祭の日は配達も休みだし、お前一人で放り出したら危なっかしいもんな」
「私は迷子になったりしませんよ」
 頬を膨らませてみせる少女だったが、すぐに気を取り直してオルトの隣に腰を下ろし、長期戦の構えで「もっと教えてください」と迫ってくる。
 普段はあまり感情を露わにしない少女がこれほど食いついてくるとは意外だったが、考えてみればオルトも、かつては一月も前からそわそわしっぱなしで親に呆れられていたのだから、《祭》とは誰もを魅了する、一種の魔法のようなものなのかもしれない。
「まずは前夜祭だ。『悪戯妖精』に扮した子供達が家々を回って――」
 こうして話しているだけで、幼い頃の興奮が蘇ってくる。仮装して近所を練り歩き、籠いっぱいに集めた菓子。屋台で見つけた珍しい玩具。賑やかなパレード。思い思いに灯を掲げ、世界樹への感謝を捧げた夜――。
「楽しみですね。はやく月末になればいいのに」
 うっとりと呟く少女を横目に、はてさてと思案を巡らせる。どうやって効率よく《星祭》を楽しむか。有翼人のオルトと自称『魔導人形』の彼女とでは、移動手段も基礎体力もまるで違う。これは入念な下調べが必要な案件だ。
「何はともあれ、まずは前夜祭の準備だな。どんな仮装にする?」
「オルトは何が着たいですか?」
「あほう、俺は参加しねえよ! 子供が主役だって言ったろ。お前だって年齢的にはギリギリなんだからな」
「失礼な! 人形は年を取らないのです。永遠の十四才なのです」
「言ってろよ」
 ぷんすかと抗議する少女を軽くいなし、壁にかかった暦を睨みつける。仮装の用意にお菓子の調達。パレードの経路や各地で行われる催し物の確認。やることは山のようにある。
「もう半月もないからな、気合入れてかかれよ」
「合点承知なのです!」


 街全体が浮足立っている中、呑気に昼寝を楽しむユージーンを横目に、二人はせっせと準備を進め――。
 そうして、ようやく迎えた《星祭》当日。


「華やかです! 目がちかちかします」
「おい、あんまり前に出るな!」
 慌てて少女の手を引けば、その鼻先を掠めていく小妖精の一団。中央広場はパレード参加者と、出発から見届けようとやってきた見物客とでごった返しており、最早どこからどこまでがパレードの列なのかも分からないほどだ。
「ほら、出発するぞ」
 高らかなラッパが鳴り響き、賑やかな音楽に乗って動き出す人の波。音楽隊に続くのは色とりどりの布を持って踊る獣人の踊り子達。その後ろには鮮やかに飾られた馬車が並び、華やかに着飾った乙女達が馬車の上から沿道へと花を撒く。
「お花! お花が降ってきます!」
 きゃっきゃと笑いながら、舞い散る花びらへと手を伸ばす少女。
「おい、あんまりはしゃぐなよ。夜までもたないぞ。もう少ししたら広場も落ち着いてくるから、そうしたら屋台を回ってみようぜ」
「パレードについて行かないのですか?」
 広場に集まっていた見物客の大半はパレードと一緒に移動を開始している。しかしオルトから言わせれば、あれは《星祭》初心者のやり方だ。
「行列は街を通過するごとに伸びていくんだ、ずっと貼りついてたら疲れちまう。心配しなくても要所要所で止まってくれるから、そこを狙って移動すればいい」
 それより見ろよ、と指し示したのは、パレードの最後尾を飾る巨大な輿。背の高い椅子の形をした輿には、濃緑の衣を纏った人物が腰かけている。目深に被った頭布の上から世界樹の葉を編んだ冠を被り、節くれだった杖を握りしめて、沿道からの歓声に手を振るその姿は、さながら《森の隠者》といった雰囲気だ。
「あの方は?」
「《世界樹の(つかさ)》っていうんだ。《星祭》はもともと、世界樹に感謝を捧げる祭だからな。《世界樹の司》がパレードの殿(しんがり)を務めて、最後に世界樹の根元で儀式を執り行うんだよ。その頃にはもう暗くなってるから、沿道の人達が灯りを手にして行列を照らすんだ」
 幼い頃はよく、友と連れ立って世界樹の枝に陣取り、パレードを待ち構えたものだ。
 次第に暗くなっていく空。ゆっくりと近づいてくる音楽と熱気。吹き抜ける夜の匂いと梢のざわめき。薄闇にぼんやりと光る世界樹と、朗々と響き渡る古代語の祈り――。まるで夢のような光景は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。
「なるほど、《星祭》に欠かせない方なのですね。一体どこのどなたなのですか?」
「さあな。その年ごとに、世界樹に選ばれた住人が務めるなんて話もあるし、はたまた何百年も前から同じ人物だっていう噂もあるけど、ホントのところはどうなのか、誰も知らないのさ」
 そんな話をしている間に、《世界樹の司》を乗せた輿がすぐそばまで迫ってきた。間近で見上げると、巨大な輿が邪魔をして、《司》の顏どころか足先くらいしか目に入らない。
「うーん、よく見えないのです」
 むきになって背伸びをしたところで、背後からどっと押し寄せた人波に攫われる。
「あっ――」
「おい、リリ!」
 オルトの伸ばした手は僅かに届かず、大きくよろめいた少女の体は、まるで糸の切れた人形のように、パレード目掛けて倒れこみ――。
「きゃあ――」
 ふわりと巻き起こった柔らかな風が、少女をそっと抱きとめる。
「えっ……?」
 ――気をつけて――
 囁きが耳元をかすめ、微風が優しく頭を撫でていく。そして、風に千切れた葉が高く舞い上がり、《司》の膝元へひらりと着地したのを、少女は確かにその目で見た。
 気付けば少女はきちんと地面を踏みしめて立っており、パレードは何事もなかったかのように目の前を通過していく。
「今のは……」
 呆然と見上げれば、遠ざかっていく輿の上、頭布の合間から覗く口元が僅かに緩み、すいと持ち上げられた人差し指がほんの一瞬だけ唇にあてがわれる。
(あれは……!)
「おい、大丈夫か!」
 肩を掴まれて、はっと我に返った少女は、喧騒に負けじと声を張り上げた。
「オルト! 今の、見ましたか?」
「何がだよ?」
 不思議そうに首を傾げるオルト。
「しかしお前、よく転ばなかったな。あのまま倒れてたら轢かれるところだったぞ」
 どうやら周囲からは、少女が人波に押されて転びかけ、どうにか自力で持ち直したように見えたようだ。
 しかし、少女だけは知っている。視えざる(かいな)、密かな囁き、そして――。
(まったく、『人混みは苦手』だなんて、どの口が言うのでしょうか)
「どうした、どこか痛いのか?」
 心配そうに見つめてくるオルトに頭を振り、「そういえば」と話を逸らす。
「初めて名前を呼んでくれましたね」
「え? そうか?」
 後から気恥ずかしくなって来たのか、照れくさそうに翼を揺らすオルト。
「でも、ちょっと省略しすぎです」
「いいじゃねえか! 呼びやすくて」
「はい。ではこれからもそのように」
 にっこりと微笑む少女。しまった、と顔を歪めるオルトを尻目に、少女は晴れ着の裾をふわりと翻すと、早くもごった返し始めた広場を振り返った。
「さあオルト。お祭りを楽しみましょう!」
 賑やかな音楽。屋台から漂ってくるご馳走の匂い。歓声を上げながら走り抜けていく子供達。
 そう、祭はまだ始まったばかりだ。

星祭・おわり


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