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 幾つもの丘を越えて、馬車は行く。
 目指すは世界の果て、青く霞む世界樹と、その足元に広がる街。
 そう、人はそこを『世界樹の街』と呼ぶ。


1.白羊門

 白い石造りの門を潜り抜けようとした途端、門兵に止められた。
「すみません、通行許可証と身分証の提示をお願いします」
「はい、ありがとうございます。ええと、アルバ=シーカーさん。おや、メイナムから。遠いところからおいでですね。身分証は――なるほど、画商でいらっしゃる。では、今回はお仕事で?」
「いえ、人探しです」
 ちょうどいい、こうやって逐一通行人を確認しているのなら、特徴ある旅人を覚えているかもしれない。
「あの、アルス=ディルクルムという画家がこの街に来ていませんか? 三十代の男で、見た目は……」
 簡単に身体的特徴を説明してみたが、見た覚えはないという。まあ、来たばかりでいきなり情報を得られる、なんて虫のいい話はないか。
「人探しでしたら、警備隊に相談してみるといいですよ」
 親切な門兵に詰所の場所を教えてもらい、改めて門を潜る。目の前に広がるのは石畳の広場。そこから幾つもの通りが四方八方に伸びていて、様々な人や馬車が行き交っている。朝早くからこの賑わいだ、世界の果てと呼ばれる辺境に、こんなにも活気に満ちた街が存在するとは思いもしなかったが、ここは《世界樹の街》――様々な世界が繋がる不思議な街だ。道行く人々の多くは別の世界からやってきた異邦人なのだろう。鱗が美しい二足歩行の竜や金属の翼を生やした少女など、今までお目にかかったことのない種族が談笑しながら歩いている光景は、なかなかに圧巻だった。この街の特性を知らない者に話したところで、『白昼夢でも見たんだろう』だと一笑に付されても文句は言えないだろう。
 さて、まずは詰所に話をして、それから……。


2.正門広場(警備隊詰所)

 随分と粘って調べてもらったものの、警備隊の記録に奴らしき人物の目撃情報はなかった。奇行が目立つ上に喧嘩っ早い男だ、何かやらかしていれば人目につくし、記録にも残っているはずだと思ったのだが、当てが外れてしまった。
「ちなみに、その方を探されている理由というのは?」
「頼んでいた絵画の納期をぶっちぎられた上に逃亡されたんです」
 何とも情けない理由だが、実はそれだけではない。まあ、もう一つの事情はかなり個人的で、他人様に話すようなものでもないから、黙っておこう。
「《世界樹の街》に来ていることは確かなんですか?」
「ご丁寧に書置きを残していきましてね。『世界の果てまで行ってくる。捕まえられるものなら捕まえてみろ』と……」
 世界の果て。それが比喩表現でないのならば、まず思いつくのはこの街だ。
「芸術家というのは、何とも変わった人が多いんですなあ……」
 同情の目で見られてしまったが、それに「いえ、そんなことは」と返せないのが悲しい現実だ。
「ここで調べられるのはあくまで一番街のことだけですから、他の街でも問い合わせてみるといいでしょう。お力になれず申し訳ない」
「いえ、とんでもありません。少なくとも、この街で騒ぎを起こしていないと分かっただけでも、一安心です」
 やはり地道に、足で情報を稼ぐしかないようだ。幸いにも、私は奴の趣味嗜好を熟知している。可能性を一つ一つ潰していけば、いつかは本人に当たるだろう。差し当たって、まずは――。
「どこかで、この街の案内書のようなものは売ってませんか?」


3.星影通り(幻燈書房)

「お客さん、運がいい! なんと一昨日、最新版が出たばかりなんですよー!」
 編集・印刷から販売まで行っているという小さな書房は、大通りから一本外れた住宅街の片隅にあった。
 満面の笑顔で青い表紙の本を差し出してきたのは、なんと案内書を編集した当人だというから驚きだ。
「特に一番街は広いでしょう? 商店街の店なんかもすぐに入れ替わるんで、内容が古いと使い物にならないんですよねー。その点、これは最新版ですから! 百年続く老舗の宿屋から先月開店したばかりのケーキ屋まで載ってますので、街歩きのお役に立つこと間違いなしですよ!」
 なるほど、最新の情報が載っているというのは実に心強いが、これはこの街だけのもので、他の街については載っていないらしい。
「全部の街を網羅した案内書のようなものは作ってないんですか?」
「いやー、それがなかなか取材が追い付かなくってですね。一つの街区ごとに作っては出し、何年か経ったら内容を見直して最新版を出し、の繰り返しなんですよ。本当は毎年、その年ごとの完全版を出すのが理想なんですけどね」
 残念そうに話しながら用意してくれたのは、合計十冊の案内書。
「八番街と十一番街は、今は入れないので抜いておきました。十二番街の案内書が一番古いけど、あそこはほとんど変化がないから大丈夫でしょう。それでは、良い旅を!」


4.新市街

 九冊を鞄にしまい込み、最新版だという一番街の案内書を片手に歩き出す。
 なるほど、この街には魅力的な名所や店があちこちにあって、全部回ろうと思ったら一月以上かかってしまいそうだ。
 そんな猶予はないので、奴が立ち寄りそうな場所を抽出してみる。まず気になったのは教会だ。街出身の画家が原画を担当した、世界樹をモチーフにしたステンドグラス。奴は風景画を好むから、この街に来たのならこのステンドグラスを一目拝んでおきたいと思うだろう。
 次に、旧市街の外れに聳える《白夜城》――しかしここは得体の知れない城主が仕切る無法地帯と書かれているから、下手に足を踏み入れると危険かもしれない。
 そして何より気になるのが《ウィオラケウスの宝物庫》と呼ばれる図書館だ。古今東西の本を集めた私設図書館。本だけではなく魔法道具なども収集されているというから、奴なら一度は足を運んでいるはずだ。
 ああ、それにしてもこの街は名所が多すぎる! ただの観光旅行だったならどんなに良かったことか!


5.噴水広場

 活気ある商店街を散策しながら歩いていたら、街の中心部にある広場へと出た。中央に巨大な噴水が設置された広場は、その名も『噴水広場』というらしい。
 噴水の淵に腰かけて休憩していたら、時計塔の鐘が鳴り出した。正午を告げる鐘の音に、人々が広場周辺の飲食店へと吸い込まれていく。
「やあ、そこ行くお兄さん! いや、お姉さんかな? 一番街の新名物、ミートパイはいかが?」
 屋台の客引きを曖昧な笑顔で躱し、案内書を手に立ち上がる。食事の必要がない体というのも味気ないものだが、こういう時に時間を消費せずに済むのはありがたい、と思うことにしよう。さあ、次はどこへ行こうか。


6.白夜城

 せめて様子だけでも、と思ったが甘かった。
 古い建物が並ぶ旧市街の奥、橋を渡った先に聳える白亜の古城とそれを取り巻く遺跡群は、昼日中にも拘らず怪しげな雰囲気を醸し出していた。絵本の挿絵にするなら、建物周辺に渦巻く紫色の靄を書き加えたいところだ。
「旅人さん、白夜城に用かい? 招かれざる客なら、近寄らない方が身のためだぜ」
 通りかかった黒尽くめの有翼人が、親切にもそう忠告してくれた。なんでも、ここを占拠している《血まみれ侯爵》の許可なく立ち入ると、目くらましの魔法で同じ場所をぐるぐる回ってしまうらしい。
「度胸試しだって忍び込む輩が後を絶たなくて、困ってるんだわ」
 奴とて、何の策もなく乗り込むほど愚かではないはずだ。ここは候補から外しても大丈夫だろう。


7.宿屋

 一日二日でこの街を調べ尽くすのは無理だ。早々にそう判断して、宿屋を決めたのは得策だった。
 門近くの宿屋はどこもすぐに埋まってしまうそうで、旧市街の片隅にある老舗の宿屋に部屋が取れたのは本当に幸運としか言いようがない。
「人探しですか。世界樹の街は広いですから、根気がいりそうですね」
 頑張ってくださいね、と励ましてくれた宿屋の看板娘は、猫の耳と尻尾を持つ少女だった。外では獣人を迫害している地域もあり、なかなかお目にかかる機会もないが、ここでは誰もがのびのびと生活している。なんとも自由な街だ。
「ところでお客さん、その格好、暑くないんですか?」
 無邪気な問いかけに、乾いた笑いで答える。初夏の、しかも室内だというのに分厚い外套と手袋を身につけ、帽子すら脱がない状態では、不思議がられても仕方あるまい。
「お気遣いなく。ちょっと特殊な体質で、強い光に弱いんですよ」
「そうなんですね。すみません、立ち入ったことを聞いてしまって」
「いえ、こちらこそ不審な身なりで申し訳ない。決して怪しいものではありませんので……」
 いかにも怪しい台詞を吐いてしまったが、看板娘はきょとんとした次の瞬間、気持ちよく笑い転げてくれたので助かった。
「もう、お客さんたら、面白いんだから!」
 涙をにじませながら案内してくれた部屋は、風通しがよく、そして直射日光が入らない部屋だった。配慮に感謝しつつ、重くかさばる荷物をよいしょ、と下ろす。
「その大きな包み、もしかしてキャンバスですか?」
「おや、お嬢さんは絵にお詳しいのかな?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど、前に泊まっていかれたお客さんで、同じように大きなキャンバスを背負って来た画家さんがいたんですよ。世界樹の絵を描きに来たんだって言って、しばらく逗留してました。宿代の足しにって、いくつか絵を描いてくれたんです。ほら、あれもそうですよ」
 そういって彼女が指差したのは、壁に掛けられた小さな絵画。一見すると平凡な静物画だが、荒々しくも繊細な筆致、奇抜だが不思議としっくりくる色使いには、嫌というほど見覚えがあった。
「失礼、お嬢さん。その画家は、アルス=ディルクルムと名乗りませんでしたか?」
 焦る心を制し、慎重に問いかければ、看板娘は金色の瞳を大きく見開いて、こくこくと頷いた。
「そうです! その人です。でも、半月ほど前に『次の街へ行く』って言って、引き払われましたけど……」
 思いがけない場所でもたらされた情報。なるほど、奴はもうこの街にはいないわけだ。
「どこへ行くとは言っていませんでしたか?」
「いえ、そこまでは……。でも、この街から直接行けるのは五番街と七番街ですから、どちらかに行かれたんじゃないかと思います」
 その情報だけでもありがたい。礼を言って看板娘を見送り、荷物の中から五番街と七番街の案内書を取り出す。
「七番街に入るためには探知の魔術を掻い潜る必要がある、か……。あいつがそんな面倒な真似をするはずもないな」
 奴の所持する画材には魔法の品が混じっている。なにせ愛用の絵具箱からして、絵具の劣化を防ぐ魔法がかかった特注品だ。うっかり天秤門の探知魔法に引っかかって没収されたらお飯の食い上げだ、そんな危険を冒すような真似はしないだろう。
「だとしたら、五番街か……」
 《世界樹の街》五番街・ザナヴェスカは魔術士が多く集う街区で、魔法道具なども比較的簡単に手に入ることから《魔法街》とも呼ばれているらしい。なるほど、いかにも奴が好きそうな場所だ。
 明日は早速、獅子門から五番街へ向かおう。そのためにも、今日は早めに休んでおかねば。


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