<< >>
3.深き森

「見つからないねえ」
 木々のざわめきに紛れるように、ハーザがぼそりと呟く。
「そう簡単に見つかったら、あちらさんだって困るってもんさ」
「それはそうだけどさあ」
 一行が村を発ったのは、もう二刻ほど前のことだ。村長におおまかな場所を聞かされてはいたが、広い上にめぼしい目印がないとあっては、探すのも一苦労である。探索の技に長けたシェリーを筆頭にあちこちを探し回ったが、どうにも振るわない。
「空から探索してみるか」
 そう言い出したのはラルフだった。その声に答えて、同じ空人であるキューエルが得たり、と翼を動かす。
「じゃあ、休憩をかねて一休みしよう」
 その場に座り込もうとするハーザを睨みつけ、シェリーは空高く舞い上がった二人の仲間に声をかけた。
「オレ達は下から探すから、何か見えたら教えて」
「了解ー」
 そんな彼らのやり取りを黙って見ていたダリスは、穏やかな瞳を残る二人に向けた。
「君達はまだ結成して日が浅いと言っていたが、そうは思えないな。いい連携だ。互いを理解していなければ出来ないことだよ」
「そうかい? オレ達はただ、出来ることをしてるだけだよ」
 ぶっきらぼうなシェリーの答えに、それがなかなか難しいのさ、と笑うダリス。そんなもんかね、と呟いて、シェリーは渋るハーザと共に再び周囲の探索を開始した。

 結局のところ、上空からの探索は空振りに終わり、改めて地上を地道に調べること半刻余り。茂みの中に道らしきものを見つけ出したのは、やはり観察眼に優れたシェリーだった。
 それから、疲れただの腹が減っただのと子供のように喚きたてる男どもを叱咤し、道を辿ること一刻。ちょっとした集会が出来そうな広場に出た時には、日はすでに頭上高く上り、彼らの腹も仲良く空腹を訴えていた。
「よし、ここで昼飯に――」
 キューエルの声を遮るように、風を切る音が広場に響く。
 慌ててその場を飛びのいた彼らの目の前、地面に深々と突き刺さったのは、一本の矢。
「なっ……」
『汝らに問う。道に迷いし哀れな旅人か。それとも我らが住処を荒らしに参った狼藉者か』
 唐突な問いかけは、矢の飛んできた方向から響いてきた。
 どこか不思議な響きを持つその言葉は紛れもなく大陸共通語だったが、妙に古風な言い回しが年輪を重ねた声と相まって、まるで森自体が口を利いているような錯覚を覚える。
『答え如何では、その命を落とすことになろう』
『さあ、答えよ』
 畳み掛けるような問いかけは、それぞれ別の声だった。わずかに掠れた、老人の声。
 待ちに待った「お出迎え」に、一行は思わず顔を見合わせた。
「……どう答える?」
「うーん、どちらでもないんだけど」
「じゃあ狼藉者で」
 あっけらかんと答えるハーザをどつき、シェリーが苛立った声を上げた。
「どうするんだよ!」
「どちらでもない、としか答えられんな」
 落ち着き払ったラルフの声に、再び声が響いてきた。
『では、何をしに参った』
「詳しくは、この方に」
 ずい、とダリスを前に押し出すラルフ。ダリスは苦笑を浮かべて、どこにいるとも分からぬ声の主に淡々と語りかけた。
「私達はトークの村から頼まれてやってきた」
 村で原因不明の病が流行っていること、その特効薬を作れるのが、森に暮らす森人の長だけだということ。そこまで語ったところで、目の前の茂みががざりと揺れ動く。
『なるほど、事情は分かった』
 茂みからゆっくりと姿を現したのは、三人の森人だった。色褪せた髪、皺の刻まれた顔から、彼らがかなりの高齢であることが見て取れる。
『立ち話は体に堪えるでな。我らの集落はすぐそこにある。ついて参られい』
「え、村に案内してくれるってこと?」
 驚いたようなハーザの声に三人はくるりと踵を返して応えた。そのまま、滑るように歩き出す。長衣を引きずりながらだというのに、不思議と足音というものが殆どしない。そも、彼らからは気配というものがおよそ感じ取れないのだ。森の息遣いと同化してしまっているのか、それともまさか、実体のない精霊だとでもいうのか。
 せめてここに精霊使いがいれば、と思いかけて、シェリーは馬鹿らしい、とその考えを振り払った。いもしない仲間のことを考えても埒がない。
「……どうする?」
 罠じゃないのか、と言いたげな彼女の囁きに、ラルフが躊躇なく歩を進める。
「折角のご招待なんだ、行こう」
「ここにいたって仕方ないだろうしな」
 てくてくと歩き出す空人二人に、慌ててついていくハーザ。さあどうする? と問いかける琥珀色の瞳に、シェリーはひょい、と肩をすくめて歩き出した。

*****

 その集落は、今にも緑に飲み込まれそうだった。
 木々に寄り添うようにして建てられた家々はどれも苔生し、石畳はすっかり草花や木々の根に侵食されている。中には屋根や壁が倒壊し、骨組みだけになっている家屋もあった。
 人の気配はなく、小鳥達のさえずりが空虚にこだまする。そこはまさに、朽ちた村だった。
 三人の森人はその中をするすると進み、やがて一軒の大きな建物に辿り着くとようやく足を止めた。唯一、その家だけが『生きて』いるように見えて、それまで気味悪そうに身を縮めていたハーザがほっと息をつく。
 家の中に案内されると、薬草の匂いが鼻をついた。見れば、壁や天井から様々な薬草が吊るされている。飾り棚には木の実や種らしきものが詰まった瓶が所狭しと並び、奥からは何かを煮ているのかことことという音が響いていた。その牧歌的な響きに、誰かの腹がくぅ、と鳴る。
『客人は空腹のようじゃな。まあ、まずはそこに掛けてくつろぐといい』
 からかうような口調で椅子を勧め、自らも近くの揺り椅子に腰掛けたのは、三人の中でも最高齢らしき森人だった。
 雪のように純白な髪と髭は床まで届かんばかり、身に纏った草色の長衣もかなりくたびれているが、不潔な印象はまるでない。何より、その灰色の双眸に湛えられた叡智の輝きは、眉毛や皺に隠されてもなお、見るものに畏敬の念を抱かせる。
 勧められるまま椅子に腰掛けると、老人はおもむろに尋ねてきた。
『この村に誰もいないことに驚いたかの?』
「そりゃあ、まあ……」
 ぽりぽりと頬を掻くキューエル。
「昔からこうだったの?」
 単刀直入なシェリーの言葉に、老人はいいや、と首を振ってみせた。
『そうではない。村が興って二千年弱、次第に出生率が落ちていったのは、長命な種族ゆえの宿命と言えよう。しかし四百年ほど前、この地で革命戦争やら動乱やらが勃発した辺りから、騒がしい世情に耐えかねて村を出る者が後を絶たず……。めっきり人が減ったこの村には、もう儂と友人である彼らしか残っておらんのじゃよ』
 訥々と語る老人は、どこか自嘲気味に笑った。残る二人も、それぞれに頷く。
『我ら三人も、もう寿命は残り少ない。このまま、村と共に朽ちていく覚悟じゃ』
『すでに我らは十分すぎるほど生きた。悲嘆に暮れるのも飽きたところじゃて』
「え、三人だけなの? じゃあ、村長って……」
『儂じゃよ』
 揺り椅子に座った老人が答え、そして苦笑混じりに付け足した。
『たった三人しかおらん村の長と名乗るのも滑稽なもんじゃがのう』
「そんなら話は早い。薬を作ってよ。あんたなら作れるんでしょう? あの妙な病に効く薬をさ」
 こっちは急いでるんだよ、と畳み掛けるシェリーに、村長はふむ、と顎鬚を撫でる。
『確かにそれは、森人特有の病じゃな』
『よもや、麓の村で蔓延しているとはのお。生き飽いた我らを襲わぬとは、何とも皮肉なもんじゃ』
『なに、薬を飲ませればすぐに良くなるじゃろう。ただ、その薬を作るには……』
 口ごもる彼らに、まさか、とキューエルが呟く。
「薬を作るのに何か特別な材料がいるとか?」
「長の髭を……?」
 ハーザの呟きを聞きつけてダリスが吹き出しそうになったが、どうやら彼らには届かなかったようだ。しばし顔をつき合わせ、何やらひそひそとやっていた三人だったが、すぐに頷き合うと、意を決したように口を開く。
『我らが血族を救わんとするお主達を信用しよう』
『確かに、その薬を作ることは出来る。ただし、先ほどそこの羽つきが指摘した通り、特別な材料がいる』
『そしてそれは、ここにはない。そういうことじゃ』
「こんなにいっぱい薬草があるのに、まだ足りないんだ」
 辺りを見回して不思議そうに呟くハーザ。吊るされている薬草には、ハーザやダリスが知らないような種類のものも多く存在した。それでもなお足りないと言うのだ、よほど特殊な材料が必要なのだろう。
『薬の材料となる薬草が、村の近くにある洞窟に生えておる。それを摘んできてもらえれば、すぐに薬を作ろう。ただし……』
 どこか言い難そうに言葉を切り、そして慎重に付け足す。
『……洞窟で見たものは、他言無用に願う』
「他言無用なら、あなた方が採りにいけばいいのでは?」
 ラルフの指摘に、三人は揃って肩をすくめた。
『年老いた我らに洞窟へ向かえというのかの?』
『最近の若者は年寄りを労わるという気持ちがないのかのう』
『やれやれ、嫌な時代になったもんじゃ』
 これ見よがしに呟く三人に、苦虫を噛み潰したような顔で問いかけるラルフ。
「ということは危険なのかな?」
『何しろ、その洞窟内は複雑に入り組んでいてのう。しかも昨今では、以前はいなかった野獣や魔獣などが住み着いているようでなあ』
『かつては神聖な場所として、守人を立てていたんじゃが、人のいなくなった今ではそれも叶わず……。どこまで荒れ果てたか、想像もつかん』
「それじゃあ、薬草だってまだ生えてるかどうか分からないじゃないか」
 思わずぼやいたキューエルに、しかし老人達は何故か自信満々に、それはないと請合った。
『あの薬草は決して枯れることなどないし、野獣どもに食い尽くされるようなものでもないわい』
 その言葉で思い出したのか、代わる代わる薬草について語り出す三人。なんでもそれは、葉の裏が紫がかった、大人の膝ほどの丈になる草だという。
『我らはアルムの葉と呼んでいた。とても貴重な薬草でな、しかも保存が利かぬもんで、世間には殆ど出回ってはおらんじゃろうな』
「確かに、そんな薬草の話は聞いたことがないな。非常に興味深い。ぜひとも資料として持ち帰りたいところだが、そんなことを言っている場合じゃないな」
 とは、彼らの話を詳細に手帳へ書き記していたダリスの台詞である。
「それで、その洞窟はどこにあるんだい?」
「出来れば中の構造なんかも教えてもらいたいんだけど……。それに、なんで他言無用なのかも気になるなあ」
 シェリーとハーザに左右から問いかけられて、しかし村長はゆっくりと首を振った。
『洞窟への行き道は後で図に描いて教えよう。中については、実際にお主らの目で見て、確かめるといい』
 更にシェリーが問いかけようとする前に、村長はゆっくりと立ち上がると、一行に向かって不器用に片目を瞑ってみせた。
『お主達の諺では、腹が減っては何とやら、と言うのじゃろう? 大したもんは出せんが、ここで腹ごしらえをしていくといい』
「え、本当?」
 思わず嬉しそうな声を出すハーザに、老人達は幼子を見るような瞳で頷いた。
『森人の料理は至って素朴なもんじゃが、それでもよければ馳走しようて。しばらくそこで休んでおれ』
『客人と食事など、何十年ぶりかのう』
『いい加減、この面子で顔を突き合わせるのも飽いていたところじゃて』
 いそいそと奥へ向かう三人を見送って、やれやれと苦笑を漏らすラルフ。
「一体、何が出てくることやら……」
「あの人達に鳥や獣が捕れるとも思えないしな。まさか薬草尽くしってことはないだろうが」
 真剣に悩むキューエルに、馬鹿らしい、と溜息をつくシェリー。
「日頃『食えれば何でもいい』といか言ってるヤツが、贅沢言うんじゃないよ。あの爺さん達が手料理を振舞ってくれるってんだから、大人しく待ってろっての」
「そんなこと言ってシェリー、虫ばっかり出てきたりしたらどうするのさ?」
 ハーザの台詞に思わず青ざめた女盗賊を慰めるように、ダリスが朗らかに笑ってみせた。
「私の友人はよく、香草を利かせた鳥料理や茸料理を振舞ってくれたよ。あれは故郷の味だと言っていたから、期待してもいいだろう。それにほら、彼らの弓矢の腕前はなかなかのものだったじゃないか」
 言われて、出会い頭に打ち込まれた矢を思い出す一行。なるほど、あれだけの老齢で手元が狂わないのなら、獲物を仕留めるのもそれほど難しいことではないのかもしれない。
「それにほら、いい匂いもしてきたことだしね」
 ダリスの言葉通り、奥からは肉を焼く香ばしい匂いが漂ってきている。何やら楽しげな声も漏れ聞こえてきて、空っぽの胃をくすぐった。
「ここから半刻ということなら、食事を終えてから出発しても問題ないだろう。中がどれくらい広いのかは分からないが、出来ることなら今日中に終わらせたいものだな」
「あの爺さん達の口振りからして、そんなに馬鹿みたいに広いってわけでもなさそうだしね。早いとこその薬草を持ち帰って、薬を作ってもらわないと」
「しかし、他言無用というのが気になるな。一体中に何が……」
 ラルフの呟きを遮るように、奥から陽気な声が飛んできた。
『すまんが、皿を並べるのを手伝ってくれんかのう?』
「はーい!」
 一目散に駆けていったのが誰であったかは、推して知るべしというものだろう。

<< >>