SS

SS・手土産

 浅草を訪れたのは、一体何ヶ月ぶりだろうか。「へえ、これが仲見世ですか。大層な賑わいですね」 つい先日『松和荘』にやってきたばかりの青年は、あまりの混雑ぶりに目を丸くしている。「折角だからお参りをしていこう。そのあとで土産を選ぶのを手伝って…

SS・里桜

 松来家の庭には様々な樹木が植えられているが、その中に桜の木はない。 近所に見事な桜並木があるのだから、わざわざ庭に植える必要はないだろう、というのが家主の考えであり、故に桜の季節になると、下宿人達は一升瓶を抱えて近くの土手まで繰り出してゆ…

SS・雛人形

 もう桃の節句に浮かれるような年齢ではないというのに、今年も文さんは嬉々として雛人形の飾りつけに余念がない。 立派な七段飾りは、初孫に浮かれた祖父母がわざわざ遠方の人形問屋まで足を運んで購入したものらしい。「出すだけでも大変だから、もういい…

SS・春闘

『我々はー! 労働環境の改善をー要求するー!』 音の割れた拡声器から飛び出すのは、実に使い古された文句。厨房前に陣取って演説中の彼女は『おっかさん』こと一〇五号室の岡さん。長年に渡り『松和荘』の胃袋を支えてきた凄腕の料理人だ。「朝から何よ?…

SS・巡る季節

 永遠に続くかと思えた猛暑が、波が引くように鎮まっていき。気付けば朝晩に一枚上着を羽織るようになって、玄関の靴箱からはサンダルが消えた。 流石にまだコートを出すには早すぎて、長袖のパーカーを着こんで外に出れば、庭木を見上げる文さんと鉢合わせ…

SS・落ち葉の季節

 古めかしい通用門を潜り抜けると、軽やかな箒の音が聞こえてくる。「あら香澄さん。お帰りなさいませ」 艶やかな黒髪を翻して振り返る、着物姿の女性。彼女はここ『松和荘』のマドンナ的存在だ。「ただいま、文さん。精が出るねえ」 労いの言葉は、今年で…